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第十七章 見えないもの

 少年の咆哮が夜空を貫き、夜明け前の街に奇妙な静寂が訪れた。私情で破壊の限りを尽くしていた好男と十四季の二人も異変に気付き、争いを止めて辺りを見回している。頭が重い……。これが少年の新しい力なのか?

 全身に鳥肌が立ち、なんだか気持ち悪い。気分的な問題でなく、物理的に重くなってくる頭を支えようと額に当てたあたしの左手に、吸いつけられるように自分の髪が巻き付いた。

 寝不足で幻覚を見ているのかと我が目を疑うあたしの耳に、刈子の悲鳴が聞こえる。すぐ横に眼を遣ると、刈子の長いお下げ髪がうねうねとくねって手足を拘束している。まさか、これは……!


 最悪の事態が起こったことに気付いたあたしが注意を促そうと好男に顔を向けたが、もう遅かった。左手の腕時計から出るアズァの黒髪が主人の制御を離れ、漆黒の戒めとなって好男と十四季を縛り上げている。


「アズァ? ……どうなってるんだ、これ……」


「わからない……。先刻から何度か解放を試しているが制御が利かない。悪いが自力で脱出してくれ、好男」


 困惑している好男の体を黒髪が蛇のように這い上がり、口も鼻も覆われてしまった。好男だけじゃない、すぐ傍にいた十四季もアズァの長い髪に巻かれ、空中でもがいている。

 細い黒髪が黒い包帯を巻いた十四季の右腕に食い込み、何かの液が滴り落ちた。身体を仰け反らせて絶叫する十四季の左目から同じような何かが出てるから多分……まぁ、深く考えるのは止そう。


 そうこうしている間にも首に絡み付いてくる自分の髪に、あたしは喉を掻き毟る。爪が皮膚を傷つけるだけで髪は全然解けない。逆立っていた腕の産毛がぶちぶちと抜けて、じんわりと血が滲むのを感じた。


「力……力っす……。もっと強く……もっともっと……」


 静電気の実験みたいに逆立つ自分の髪を掴み、バンダナの少年が何かぶつぶつと呟いている。針金みたいに尖った髪の毛がバンダナを貫いて、呼応するように少年の身体に似たような穴が幾つか開いた。痛みに呻き声を上げる少年が震える右手を好男に翳し、腕時計の中のアズァから操るための髪を引きずり出そうとしている。


「やめろ紅太! 最初に教えただろう、この力はおまえには大きすぎるんだ! 目先の勝利だけに気を取られていると後悔することになるぞ! 」


 バンダナの中から熱血漢の声が聞こえる。多分少年と同じように怪我をしているのだろう、その声は若干苦しそうだ。熱血漢の説得は少年の耳に一切届いていないらしく、震える右手が振り上げられる。少年の青白い頬を赤い血と透明な涙が伝い、焦点の合わない虚ろな目が、すっかり黒髪に包まれ繭のようになった好男と十四季に向けられる。蒼白な唇が歪に開き、生気を失った声が漏れ出した。


「見えるから怖くなるっす……見えなければ……怖くないっす……」


 アズァの黒髪で出来た二つの球体が空中へ持ち上がり、みしみしと何かが軋む音がした。中から十四季の悲鳴が聞こえる。身動きが取れないから音を創り出せないんだ――。

 このままじゃ二人とも少年の操る黒髪に押しつぶされて圧死してしまう。気管を髪で締め付けられて呼吸困難に陥りながらも、あたしは足元の石を拾って少年に投げつけた。


 思い切り投げたつもりだったのに、小石は少年まで届かず落ちる。惰性で転がる小石に少年の視線が向かい、次いであたしを見た。石を少年に当てることは出来なかったけれど、注意をこっちに向けることには成功したみたいだ。黒髪の塊が外側から解れていくのが見える。好男と十四季、無事だといいけど……。首に絡む髪の毛が更にきつく絞まり、あたしの意識が遠のいていく。ここで気絶するわけにはいかない――!


 意識を保つためにアパートの壁に思い切り腕を打ち付けると、変な音と一緒に凄い激痛が走った。じんわり涙が眼に浮かぶ。酸欠と骨折で気が狂いそうになってるあたしの耳に刈子の声が聞こえてくる。


「魅首さん、第二の能力を発動する準備をして下さい! 寝室で話した例の作戦を実行します! 」


 作戦? 脂汗を流し地面に膝をつくあたし。ぐらぐらする頭で記憶を辿る。えーと、あたしが能力を発動する未来を刈子が敵に見せるんだったっけ……?


 意識の混濁が苦痛を上回って、視界に白い星が線を描いて飛んでいる。ホワイトアウト一歩手前ってところだ。刈子が必死にあたしの名前を呼んで返事をせがんでいるけど、もう肺の中に空気が残ってないから声が出せない。

 辛うじて開いている目に、バンダナの少年が今度は刈子に右手を翳す様子が映る。このままじゃ刈子まであたしみたいになってしまう。またあたしは何も出来ないのか? 空気を求めて死に掛けのハエみたいに足掻くあたしの身体を、ふっと冷気が包み込んだ。


 能力の発動する前触れとは違う、指先がかじかむほどの冷たい空気が地面を伝ってあたしを包んでいる。どこからこんな冷気がくるのかと顔を上げるあたしの視界に、黒くぼやけた影が映りこんだ。二人目の敵が何故こんなところに? これがこいつの能力なのか? 意識がぼやけて白んでいく視界の中で、ぼやけた影があたしに近付く。

 ぽたぽたと水の垂れる音を聞こえ、ぼやける人影の全容が明らかになる。長くほつれた黒髪から伸ばされる痩せこけた手を見て、あたしの瞳孔が広がった。驚くあたしに痩せ細ったぼさぼさ髪の人っぽい何かが手を伸ばし、頬を包んで額と額をつき合わせる。黒髪の間から覗く干からびた唇が動き、擦れた声が聞こえる。


「キミの心を……あの子に伝えればいいんだね……」


 こいつ喋れるのか。さらに驚くあたしに、不審な長い黒髪の人っぽい何かが頷いてみせた。小枝みたいな指であたしの喉に絡みついた髪を解き、もう大丈夫だよね……? と言って、そいつは刈子のほうへ歩いていく。


 水の雫を落として歩くそいつの後姿を呆然と眺めていたあたしの脳裏に、ボロアパートに来た初日のことが思い出される。こいつ……土砂降りの雨の中、二階の廊下に佇んでいたあいつじゃないか。

 今頃怪奇現象の謎が明らかになったことに呆れて開いた口が塞がらないけど、今一番優先すべきは刈子達と協力して暴走気味なバンダナ少年を倒すことだ。

 新鮮な空気を吸って明瞭になった意識の下で、折れた手をもう片方の手で更に曲げる。脳内麻薬のせいで痛みが軽減されてしまってるけど、涙を流すには十分な痛みだ。謎の人物が出す冷気が遠のくに連れて、涙が運ぶ不思議な力があたしの身体を温める。視界の端では刈子が自分の髪に締め付けられて苦しそうな顔をしている。頼む、間に合ってくれ……!


 涙の流れる目をぎゅっと瞑ると、瞼の裏側の代わりに見たこともない世界が網膜に投射された。なんだかヘンゼルとグレーテルに出てきそうな感じの家がいっぱい建ってる変な世界だ。ちょっと油断するとそのまま力が暴走してしまいそうで気が抜けない。刈子の能力を使って敵にだけ『大切なもの』を見せないと、こっちも行動不能になってしまうっていうのに。


「紅太! やめるんだ! 我輩の声が聞こえないのかっ? 」


 熱血漢の悲痛な声が少年に呼びかけている。奇妙な世界を覗くあたしの耳には、少年が力を求めて呟く言葉しか聞こえてこない。まさか、もう刈子は……。胸に重苦しい不安が渦巻いたその時、どさっと何かが地面に落ちる音がした。

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