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第十四章 煌く星々

 暗闇の中、あたしは眼を覚ました。


 タオルケットに包まれた刈子の隣で起き上がると、猛烈な空腹感が襲ってくる。ああ、やっぱりピザじゃあたしの胃を満足させることは出来なかったか……。幅二メートルはある広い廊下で腹を摩る。


 銀髪の少年を寝室から動かすのは可哀想だ、と刈子が主張したせいであたしと刈子、好男はそれぞれ適当に平らな場所にタオルを敷いて寝ることになったのだ。

 刈子を起こさないようにタオルから這い出て、豆電球だけ点いたオレンジ色の居間に移動する。低い唸りを上げる冷蔵庫を開けて、何か食べられる物は無いかと探るあたしの耳に、玄関扉が閉まる音が聞こえた。


「……? 」


 トマトを片手に振り返るけれど、居間には涎を垂らして眠る好男以外に人影は無い。誰かが侵入してきた訳ではないようだ。刈子も廊下で眠りこけているし……消去法からして、今のはあの少年がここを出て行った音に違いない。

 天涯孤独の身のくせにまた無茶なことをするのでは、と一抹の不安が胸を過ぎり、あたしは冷蔵庫の扉を閉めて玄関へ向かった。案の定、少年の履いていた靴だけが靴箱から消えている。

 何時変な奴らが襲って来るかも分からないってのに、たった一人で何処に行こうとしているんだ、あいつは。


 後を追いかけようとして、あたしはスィフィの入った吊り広告が挟んであるファイルを取りに戻った。流石に刺客も真夜中まであたし達を探すような激務はしてないと思うが、念のためだ。踵を踏み潰したローファーに足を入れ、扉を開ける。


 玄関から出て数歩も行かないところに、銀髪を風になびかせて少年が夜空を見上げていた。すっかり脱走したものと思い込んでいたため拍子抜けるあたしに気付き、少年が振り返る。


「……何だ、居たのかよ」


 照れも混じって、つんけんした言い方になってしまった。勝手に一人で空回りして馬鹿みたいだ、あたし。未だ片手にトマトを握っていたことに気付き、慌てて両手を背後に回す。


 どこから見ても阿呆丸出しのあたしに、少年は突込むことも無く、全く表情を崩さない。昼間と比べて生気を失くした眼でまた夜空を見詰め、右足でゆっくりと拍をとっている。少年の身体から物悲しげなノクターンが流れていることに気付いたあたしは、黙って玄関扉に寄り掛かった。静かな曲に合わせるように、夜空に浮かぶ星々が煌いている。


「濃紺の闇に縫い付けられし魂魄は果たして……己が道標を見出すことが出来たのだろうか……」


 夜曲を奏で星を眺めていた少年が唇を開き、呟いた。相変わらず何を言っているのかさっぱり理解できないけど、全然元気が無いってことだけは分かる。

 慰めてやるべきか否かと悩むあたしの耳に、今のは死んじゃった家族が無事成仏できたかどうかっていったんだねぃ、とスィフィが囁いた。

 成程、空に輝く星達を亡くなった人に例えてるのか。そういえばギリシャ神話か何かで死んだ英雄が星になるって話があったような無かったような。


 珍しく空気を読んでいるスィフィに内心感謝しつつも、そんな重い話なら分からないほうがよかったかも……と再び頭を悩ませる。とりあえず、返事だけはしておくか。


「その……あんまりくよくよすんなよ。凹んでばっかりじゃ疲れるだろ」


 我ながら酷い台詞だ。もうちょっとマシな言い回しが出来なかったのかと頭を抱えるあたしの前で、少年は空を見上げたまま何も言わない。ああ黙ってしまった、どうしよう。

 夏とは思えないほど夜の空気は冴え渡り、切ない鎮魂歌だけが微かに聞こえる。……こういう気まずい空気は苦手だ。何も見なかったことにして寝ようかと振り返るあたしの背中に、少年の呟く声が降る。


「悪しき力を宿す邪眼の疼きさえも抑える力があるとは……これが均衡を望む世界の意志というものか……不可思議なものだな」


 ドアノブに掛けた手を離して頭を掻くあたしに、慰めてくれてちょっと気が晴れたよありがとうって言ってるねぃ、とスィフィが少年の言葉を通訳する。

 適当なこと言ってるんじゃないだろうなとスィフィに問いただそうとすると、少年が軽く溜息を吐く音が聞こえた。あたしとスィフィの能天気な会話のせいで気分を害してしまったのかと顔色を窺うと、意外にも少年は微笑を浮かべていた。といっても、諦観の笑みって感じの表情だけど。何とかして明るい空気に持ち込もうと、あたしは少年に尋ねる。


「あたし魅首っていうんだ。あんたは? 」


「……武宮、十四季としき……」


 十四の季節と書いて十四季というんだ、と茶色の眼を伏せて少年が説明してくれる。何となく打ち解けた雰囲気になりそうなので、あたしは思い切って気になっていたことを訊いてみることにした。


「あのさ、なんで十四季って左目にだけ赤いカラコンしてたんだ? あれが邪眼なのか? 」


 刈子の家の前に落としてきちゃったけど……、と続けるあたしに、十四季は左目を左手で抑えて首を振る。


「あれは邪まなるエナジーの均衡をとる為の制御装置セーブデバイスに過ぎない……。本当の邪眼は……ここに在る」


 左目から手を離して、十四季は右手に巻かれた黒い包帯を解いた。また勿体付けたことを……と呆れて覗き込んだあたしの目が円くなる。


 露わになった十四季の右手首少し下あたりに、本当に眼がついていた。やけに瑞々しい魚類みたいな瞳孔全開の橙色の眼がきょろきょろと、あたしと十四季を見ている。これは十四季が『邪眼』とか呼んじゃって痛々しい行動に出てしまうのも仕方ない。

 ゴルフボール大のぷよぷよした眼の余りの気持ち悪さに、うぇっ、と声を漏らしてあたしは飛び退いた。腕に立つ鳥肌を摩るあたしとは正反対に、スィフィが嬉しそうな声を上げる。


「わぁークゥイ、久しぶりだねぃー! スィフィだよっ、覚えてるぅ? 」


 そうか、こいつもスィフィ達と同じ世界から来た生き物なのか……。どう見ても有害な侵略生物にしか見えない十四季の右手に巣食う眼球をやや遠巻きに見詰めるあたし。

 クゥイと呼ばれた眼球はぎょろぎょろと瞳を動かしただけで声を出さない。まぁ、スィフィがそう親しくない奴にでも馴れ馴れしいのはアズァとの一件で分かってるし、こいつも同じような感じなんだろう。


 ファイルを十四季の右手首に近付けて互いによく見えるようにしてやると、スィフィが勢いの削げた声で続けた。


「あれぇ……。どうしたのクゥイ? 眼しか異世界こっちに来て無いけどぉ……もしかして、移動に失敗しちゃったの? 」


 スィフィの問い掛けに、橙色の眼が上下に瞳を動かした。えっとつまり、こいつは眼だけの生き物じゃなくって、元々はスィフィやアズァみたいに一応人型をしていたってことか。『あのお方』こと向こうの世界の女王サマに追放された挙句、転送に失敗してこんな不完全な姿になってしまうとは……。ぷるぷると震えるゼラチン質の眼に一寸だけ同情心が湧いたけど、やっぱり見た目の気持ち悪さが勝ってしまう。


 露骨に嫌がるあたしに、十四季は再び橙色の眼を黒い包帯で封印した。眼球を布で直に巻かれるクゥイに、スィフィがお悔やみ申し上げますねぃー、とか茶化してるようにしか聞こえない言葉を掛けている。


「なんか……おまえも大変だな。いきなりこんな気持ち悪い眼が右手に出来るなんて」


「……ふっ、力に選ばれなかった者には解るまい……。真の力を解放する為にはこれしきの試練……っ! 」


 イタい台詞をのたまっていた十四季の瞳孔が開き、その肩が強張った。これもこいつの演出の一つなのかと暢気に眺めるあたしに、十四季の押し殺した声が聞こえる。


「……敵だ」


「えっ? 」


 慌てて辺りを見回そうとするあたしに、十四季が人差し指を口に当てて静かにしろと合図する。顔をあたしに向けたまま、アパートの二階の廊下を眼で示す。釣られてあたしも見上げると、もやっとした人影がこちらを見下ろしているのが見えた。ファイルを握り締めるあたしの前で、十四季が静かに身構える。


 十四季の刻むリズムと共に、アパート正面の道を歩く足音が耳に聞こえる。はっとして振り向くと、巨大なリュックサックを背負って頭にバンダナを巻いた少年がこちらへ向かってきている。バンダナの少年から漂う磯の香りに、こいつは怪しいと、あたしの第六感が警告音を鳴らす。


「挟み撃ちか……」


 十四季もバンダナの少年を敵と認識したらしい。奏でられる軽快なポップミュージックのお陰で、身体が羽みたいに軽い。こそこそと広告の陰に隠れようとするスィフィを睨み付けて透明化を促し、あたしは十四季に声を掛けた。


「正面から来る奴はあたしが足止めするから、二階の奴を頼む。あと、出来ればその音で好男と刈子を叩き起こしてくれ」


 かなり無茶な要求を言うあたしに、十四季は余裕の笑みを浮かべて包帯を巻いた右手を構える。


「今宵は月が眩しいな……宴には丁度良い」


 歯が浮きそうなくっさい台詞を吐いて、十四季が夜空を仰いだ。輝く星達に向けて広げた両手が優雅に弧を描く。流れていた軽音楽が止まり、空間に一瞬の静寂が訪れる。


「……さぁ……煌く星々に捧ぐ交響曲シンフォニーの開演だ」


 しなやかに十四季の両手が振り上げられ、静かな宵闇に沈む街は数多の楽器が奏でる音色に包まれた。

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