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第十三章 色気より食い気

 一日と半分で大分汚れた肩掛け鞄から、あたしは着替えの服を取り出した。って言っても、学校のダサいジャージなんだけど。高校の体操着が袖先の窄まった海老色のジャージって、ダサすぎるにも程があるよなぁ……。

 体育で着替える度にそう思っていた指定ジャージを広げて、状態を確認する。綺麗に畳んでおいた着替えは一連の騒動で皺くちゃだけど、血まみれ汗まみれの制服を着たままでいるよりはマシかな。好男に治療してもらったお陰で胸と腕の滲みが治っているし、さっさと着替えて制服を洗おう。背後で好男がドアを無限ノックする音を聞きながら、あたしはのそのそと制服を脱ぎ、はたと気付いた。


 そういえばあたし、着替える以前にお風呂に入ってない。余りに非日常な事が起こりすぎてすっかり忘れていたけど、これって女として限りなくやばい状態だと思う。

 スポーツブラ丸出しでフリーズするあたしの横では刈子が分厚い本を広げて読んでいる。刈子にスィフィを頼んで、先にお風呂に入ってこよう。そう思い直し、熱心に本を読みふける刈子に声を掛ける。


「なぁ、ちょっといいか? 」


「なんでしょうか」


 本に向いていた刈子の顔がすぐあたしへ向けられ、口元に微笑が浮かんだ。いつでも貴方のお役に立ちます、そんな感じの表情をする刈子を見ていると、街中で詐欺か何かに引っ掛かるんじゃないかと心配してしまう。……っていっても、今はあたしも刈子も一般人には視認できないから杞憂なんだけど。


「風呂入ってくるからさ、スィフィを預かっててくれないか? 」


 なんだか気恥ずかしくって髪を弄りながら、あたしはスィフィの入った吊り広告を挟んだファイルを刈子に差し出した。刈子は嫌な顔一つせずにそれを受け取り、慈愛に満ちた眼差しで頷いて見せる。


「はい、喜んで。ゆっくり羽を伸ばしてきてくださいね」


 どこぞの寿司チェーン店のような言い回しで刈子に送り出され、あたしは寝室の扉を開けた。あたしのすぐ目の前に情けない好男の顔が現れる。


「あっ、魅首ちゃん」


「風呂借りるぞ」


 関わったらまた面倒臭いことになりそうだからスルーしようと通り過ぎるあたしの肩を、好男が掴んで引き止める。この男、本当にしつこい奴だな……。げんなりして振り向くと、先ほどとは一変してやけに嬉しそうな表情を浮かべている。


「魅首ちゃんが入るなら俺も入ろうかな――うげふっ! 」


 戯言を抜かす好男の腹に軽く拳を当てると、あたしは風呂場へ急いだ。ったく、うら若き乙女になんてこと言うんだあの変態は。自分が乙女って柄じゃないことは棚に上げつつ、心の中で呪詛を吐く。だってほら、人間って怒ってると思慮分別が無くなるでしょう? いかり肩のまま脱衣所まで歩き、扉を勢い良く締めるとあたしは制服の上着を脱いで、それを洗濯籠に投げ入れた。





「うぅ……今のはちょっと痛かった……」


 魅首に殴られた鳩尾を摩りつつ、好男は涙眼の顔でそう呟いた。左手に着けられた黒い腕時計から、次からはもっと慎重に言葉を選ぶべきだな、とアズァの冷たい声が聞こえる。少し前の戦いで焦げた毛先を指で捩りつつ、好男は屈めていた上半身を起こした。その口元には不敵な笑みが浮かんでいる。


「ふっ、まぁいいさ。魅首ちゃんが風呂から出たら、掃除を口実に風呂場に入り浸ってやるからね」


「好男さん……? 」


 変質者じみた発言をして悦に入っている好男の背中を、寝室の扉から顔半分だけ出した刈子が不審そうに見詰めている。鼻の下を伸ばしていた好男が慌てて振り向き、紳士然とした表情を取り繕う。


「やぁ刈子ちゃん。今のは単なる冗談ってやつだよ、気にしないでね。……それより、今日の晩御飯ディナーは何にしようか? 」


「えっと――」


「今夜はピザパーティがいいねぃ! だってほらぁ、新しいお友達もいっぱい増えたし! 自己紹介も兼ねて楽しく食事会ってことでぇー」


 色々な意味で言葉に詰まる刈子の代わりにスィフィが答え、それもいいね、と好男が携帯電話を取り出した。突込みが不在の居間が確実に混沌に包まれていくことなど露知らず、風呂場からは魅首の鼻歌が響いていた。





 真白なタオルで髪の水分を拭き取っていると、居間のほうから流れてくる美味しそうな匂いがあたしの鼻をくすぐった。濡れている時間に比例して髪は痛んでいくと知りながらも、誘惑に負けたあたしはタオルを被ったまま脱衣所から出る。今日一日、まともに物を食べてないあたしの胃袋はもう我慢の限界に達している。


「あ、魅首さん。丁度よかった、今届いたところなんですよ」


 いち早く刈子があたしに気付いて振り返った。食卓の上には宅配の箱から出された円いものが、これまた真白な陶器の皿に盛り付けしなおされていた。

 ピザか……あんまりお腹には溜まらなさそうだなぁ。すかさず食卓の上のピザの枚数と居間にいる人数を見比べるあたし。……一寸少なくないか? 一人当たりの食べれる枚数を計算しながら椅子に座る。こういう時は暗算が速くて正確になるんだよな。テストの時も同じように出来ないものか……。

 くだらない思案に暮れるあたしに、刈子がどの種類の飲み物にします? とペットボトルを持って訊いてくる。


「それでいいや。……ありがと」


 オレンジ果汁百パーセントジュースをコップに注ぐ刈子に礼を言うあたし。視界の端に、煤で汚れた黒い服が映った。何時の間にか床に下ろされている少年を見るあたしに、好男が、椅子が足りなかったから……とか言い訳する。

 ベッドが空いてるから寝室に運んでやればよかったのに、と喉まで出かけたけど、好男に言っても無駄だと諦めた。泥のように爆睡している銀髪の少年の肩を掴んで前後に揺する。


「おい、起きろ飯だぞ」


 震度六位の勢いで揺すっても、少年は目を覚まさない。


「きっとすごく疲れてたんですよ。寝かせておいてあげましょう」


「そーそ。大体こいつの分は頼んでないし。冷めないうちに食べようよ」


 今、好男がさらりと酷いことを言った気がしたが……ピザが少ないと思ったのはこのせいだったのか。死んでるんじゃないかと思うほど脱力している少年と好男達を交互に見遣り、あたしは少年を抱き上げた。


「え、ちょっと魅首ちゃん、どうするのさ」


「このままここに寝かせといたらピザ食べるのに気ぃ使うだろ。寝室に運んどく」


 重い少年を運ぶあたしの背中に、やっぱり魅首さんは優しいのですねー、と刈子の声が掛かる。――だから、別にこいつのためじゃなくって。あたしが心置きなくピザを食べれるようにって言ってるだろーが。微妙な気持ちでぶつぶつ呟きながら、あたしは少年を寝室に運んだ。

 

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