第十二章 素直になれない
橙色の夕暮れの中、先を歩く刈子と好男の背中を見詰めたまま、あたしは黙々と足を進めていた。隣を歩く銀髪の少年はまだ泣きじゃくっていて、ふらふらして危なっかしいので手を離すに離せない。すぐ近くで消防車のサイレンが響いている。きっと好男が呼んだ消防だろう。
「……なぁ刈子、何処に行くつもりなんだ? 」
住宅街の凄惨な風景を思い出して、あのまま放ってきてしまってよかったのかと憂うあたしの声はいつもより覇気が無い。まるで猪みたいに脇目も振らず目指す場所に歩き続けていた刈子がぴたりと止まり、好男の手を握ったまま振り返った。痛てて……、と好男が泣き言を漏らす。
「あれ? わたくし言っていませんでしたっけ? 」
澄んだ青い目をこちらに向けて刈子が首を傾げた。聞いてないから訊いてるんじゃないか。頷くあたしの前で、刈子はそうでしたか、と眼鏡を掛けなおした。
「図書館に行くところなのです。やっぱり、調べ物をするには図書館が一番かなと思いまして」
「でも、もう閉まってるんじゃないか? こんな時間だし」
あたしが夕焼けの空を見上げて言うと、好男も腕時計を示して刈子に時間を伝える。
「今、丁度六時か……。市営図書館が閉まるのって五時半だったよね? 」
時間を聞いた刈子が慌てて財布から図書カードを取り出し、閉館時間を確認する。書かれた数字を見詰める刈子の肩が下がり、黒いお下げを揺らして頭が垂れる。
「そうです。……ごめんなさい、やっぱりまだ動揺してるみたいです」
刈子がぺこりと頭を下げた。別に謝るほどのことじゃないけど……、と言おうとした矢先、同じ言葉をさらにハイテンションに好男が喋って刈子にフォローを入れた。ったく、機嫌取るのは巧いんだよな、好男って。ちゃっかり刈子の肩に手を回してまでいる好男が明るい声で提案する。
「じゃあさ、オレの家近いからそこで休もうか。よかったら泊まっていきなよ」
ふーん、ここは好男の家兼あたしの家の近所なのか。来たばっかりでちっとも地理の分からないあたしがぼんやりとそんなことを考えていると、今度は好男が刈子の手を引いて行く。好男達の後を付いて行くと、すぐに見覚えのある傾いたボロアパートに辿り着いた。ああ、やっぱりいつか倒れそうだなぁ、このアパート……。
流石の刈子も倒壊しそうな建物に生命の危険を感じたのか、中へ招く好男に玄関前で二の足を踏んでいる。
「こ、ここが好男さんのお家なのですか? 」
「そそ。あ、大丈夫だよ中は綺麗だから」
どうぞどうぞと刈子を無理矢理家の中へ連れ込む好男。いやだから、中じゃなくて外を改装しろってば。……というか、いっそのこと建て直してしまえ。そよ風が吹いただけで二階の窓が軋むボロアパートを前に佇むあたしの腹中から忘れていた怒りがふつふつと湧き上がってきた。あたしがちゃんと二階に住めるように、絶対改築させてやるんだからな。覚悟しとけよ好男。
「魅首ぅー早く家に入ろうよぉー」
決意を新たにボロアパートを見詰めるあたしを、ベルトに挟んだスィフィが急かす。密室に世間知らずそうな刈子と女たらしの好男の二人きりっていうのは危ないかも知れない、そう思ったあたしは金メッキの玄関ドアノブに手をかけた。開いた扉から見えた家の中では、案の定好男が刈子を口説いている。困惑している刈子を助け出さねば、と一歩踏み出すあたしの手が後ろに引っ張られる。
「……? 」
頭に疑問符を浮かべて振り返ると、さっきまで泣いていた銀髪の少年が口を真一文字に結んで玄関前で立ち止まっていた。
構わず中に入ろうとするあたしの手を少年が振り払い、ぶすっとした顔をこっちに向けている。今の今まで幼児みたいに泣いてたくせに急に態度が変わるとは。腹立たしい気持ちと呆れた気持ち半々で、あたしは両腰に手を当てて少年を見た。いっつもあたしを鬱陶しそうに見ていた母さんの気持ちがなんとなく分かった気がする。
「何だよ。入らないのか? 」
「……」
不機嫌そうな顔を俯けただけで、少年から返事は無い。何が言いたいのか、はっきり言って貰わないとわからないんだってば! そう頭ごなしに言いたくなるのをぐっと堪えて、できるだけ優しい表情を取り繕うあたし。
落ち着け、相手は子どもだ。しかもさっきまで泣いてたんだ、ここは大人な対応をしてあたしの懐の深さをアピールしなくては。バイト中でも見せたことの無い極上の笑顔で少年に声を掛けようとしたその時、少年の唇が開いた。
「去れ……穢れた魂の持ち主よ……」
「ぁあ?」
駄目だ、つい地が出てしまった。思いっきり顎を上げて年下相手にガン飛ばしてしまうとは、あたしもまだまだだな……。ムカつく少年の挑発で血圧の上がった胸に手を当て、深呼吸する。
あたしはこの生意気な糞ガキより何歳も年上なんだ。こんな子どもっぽい挑発に乗ったら同レベルまで堕ちてしまう。そう自分に言い聞かせて怒りを抑えるあたしに、少年はさらに失礼な言葉を並べ立てる。
「貴様の魂胆はわかっている……。俺に消されたくなければ……すぐにこの場から去れ……」
「――てめぇ、それが助けてもらった相手に言う言葉か? 学校で何習ってるんだ? 助けてもらったら『ありがとうございます』って言うって、家で教わらなかったのか? あ? 」
かく言うあたしも全然礼儀がなってない。魅首も素直にありがとうって言えなかったじゃんじゃんー、と腹部から聞こえるスィフィのイラつく声があたしを茶化す。何で今言わなくていいことは言うんだ、こいつは。これじゃ余計にあたしが大人気ない奴に見えるじゃないか……。実際そうなんだけど。
ムカつくやら恥ずかしいやらで格好が付かなくなってしまい、咳払いして誤魔化すとあたしは苦い顔で少年に話し掛けた。
「ほら、入りなよ。刈子も好男も、勿論あたしもあんたの味方だ。心配すんなって」
右手で扉を押さえたまま左手で手招きするあたしを、少年は茶色の瞳でじっと見詰めている。なんだか野良猫を餌付けしてる気分だ。あたしは猫が好きじゃないけど。
少年は無言のまま玄関前に彫刻のように仁王立ちしている。……押してだめなら引いてみるか。背を向けてドアを閉めようとした途端、あたしの耳に少年の呻き声が聞こえた。そういえばさっき炎を操る敵と戦ったときに怪我してたっけ。慌てて振り返ると、青ざめた顔の少年が腹を抑えてその場に蹲っていた。ああ言わんこっちゃない。
「大丈夫か? 」
「……気高き指揮者は……肉体などという枷に囚われない……」
唇真白なのに、何馬鹿な事言ってるんだこいつは。銀髪の少年は痛みに蹲ったまま動けそうにもない。このまま道端に放って置くわけにもいかないし……しょうがない、あたしが背負って運んでやるか。脇の間に手を回して背中を貸すあたしに、生意気な少年はめげずに減らず口を叩く。
「手助けなんて要らない……本当の力とは孤独な時に試されるもの……」
「ばーか。いちいちかっこつけてんじゃねーよ」
相手にしてたら疲れるから適当にあしらい、且つ言いたいことも言っておく。少年は暫らく背中でぼそぼそ意味不明な言葉を呟いていたけど、腹の痛みがまた襲ってきたのか呻き声だけになった。
「武宮さん? どうしたんですか」
リビングに行くと、好男のくどき文句に辟易していたっぽい刈子がすぐに異常に気付いて少年を運ぶのを手伝ってくれた。嫌がる好男を無視して食卓の椅子を並べて少年をそこに寝かす。やっぱりソファが無いと不便だな。貯金を崩して買いに行こうか。あ、でもあたし一般人に姿が見えないんだっけ。
少年に付いてる煤のせいで椅子が汚れるとかぼやいてる好男に、アズァの力でこいつを治療してくれないかと頼むと、嫌だ、と即答されてしまった。
「……なんでだよ。好男とアズァなら他人の怪我も治せるんだろ」
「だってこいつ男じゃないか! 」
椅子の上で脂汗流して苦しんでる少年をびしっと指して好男が主張する。強調してまで言うことなのかと胸中で十数回ほど突っ込みを入れていると、好男が急に態度を変えてやけに優しくなる。
「それより、魅首ちゃんこそ大丈夫? 服に血が付いてるけど」
「ああ、これ――別に。泣いたら治ったみたい。着替えてくるから、その間にこいつを治してやってくれよな」
手伝うよ、とかふざけた事を言う好男を置いて、あたしと刈子は寝室に閉じこもった。これぐらいすれば好男も観念して少年を治療するだろう。それにしても、何であたしが色々と取り計らわねばならんのだ。ふかふかのベッドに倒れこむあたしの上に刈子の影が被さる。一日中戦いっぱなしで筋肉痛の身体を捩って振り向くと、眼鏡の奥の青い瞳をキラキラさせて刈子が微笑んでいた。
「魅首さん……やっぱりあなたは優しい人なのですね。武宮さんを助けようとする献身的な様子に、わたくし感動致しました」
大袈裟に述べる刈子に、思わずはぁ? と訊き返す。それを言葉が足りなかったと受け取ったのか、刈子がまた堰を切ったように語り出した。次々と出てくる感嘆の言葉に、よくこんな難しい言葉知ってるなぁと関心しつつ、あたしはそれらを否定する。
「別にあいつのためにやったんじゃねーし。なんつーか……ほら、うん……。まあいいじゃん」
「まぁ、意識せずとも奉仕の心構えが出来ているのですね! ますます素晴らしいですわ」
駄目だ聞いてない……。頭を抱えるあたしの顔を刈子が覗き込み、具合でも悪いのですか? と、とぼけたことを言っている。その眼鏡に、ちらりと人影が映った。テンキィだ。やっと話の通じる奴が出てきたと顔を上げると、刈子も大人しく口を噤んでいる。眼鏡の中のテンキィは気恥ずかしそうに金髪を弄っている。
「どうした? 何か言いたいことでもあるのか」
「うん。一寸考えてたんだけど―――スィフィの能力と僕の能力を上手く使えば、魅首が力を制御できなくても映像を見せられる相手を限定できるんじゃないかなって」
「ふー……ん? 」
言ってることはまともなんだろうけど、何を言ってるのか今一理解できない。テンキィとあたしはどうやら頭のレベルが違うみたいだ。刈子に分かりやすく通訳してもらいたいけどトランス状態で心ここに在らずって感じだし、スィフィはそもそも頼りにならない。あたしが言われた言葉を何度も頭の中で反芻しているのも構わず、テンキィは話を続ける。
「えっと、例えば、敵にだけ『一番大切なもの』を見せたい場合ね。まず魅首が泣いて、そこでスィフィと協力して能力を発動しようと決める。ここ重要。まだ能力を発動しちゃ駄目ね。
で、いつ発動すると決めたらその予定時間を僕と刈子に合図する。僕と刈子が協力して、敵にだけ『スィフィの能力が発動した未来』を見せる。
こうすると、数分間だけなんだけど、敵にしか『一番大切なもの』が見えなくって、僕達は自由に行動する時間が出来る。……って考えたんだけど……どうかな? 」
あたしがよく分かってないことに気付いたのか、ゆっくりとした口調でテンキィが説明を終えた。どうかな? って顔を覗き込まれても、さっぱり理解出来ないあたしは生返事をするしかない。兎に角、泣いてもすぐ能力を発動せずに、発動する時間を決めたら刈子に合図すればいいのかな。そっから先はテンキィが何とかしてくれるようだし。
よかった、と微笑んでテンキィは眼鏡の奥に消えた。もやもやした感情を抱いたまま置き去りにされたあたしの耳に、好男がドアをノックする音が聞こえる。
「もう着替え終わった? 」
「……まだ。そっちは」
開口一番デリカシーの無い質問をする好男に、ドア越しに冷めた視線を送りつつあたしも尋ねる。
「あの子のことならちゃんと治療したよ。――今は椅子の上で爆睡してる」
一度居間を振り返ったのか、好男の声が遠くなってまた元に戻った。家中煤だらけになってしまった、と少年より自分の家の内装を心配する声が聞こえる。二階のことといい、この男って自分自身と女を口説くこと以外には全く興味が無いんだな。呆れて声も出ないあたしに、好男は懲りずにまだ話し掛けてくる。
「さて今日の晩飯は何にしようか。昼はあんなことになっちゃったし……もう一回フレンチにする? 」
「……もう好きにしろっ」
「えっ? お、オレ何か悪いこと言った? 」
理由も分かってないのに平謝りする好男の声に背を向け、あたしは窓から空を見上げた。薔薇色から薄い藍色に変化していく空に、煌く星が浮かんでいる。夜になったんだと思った瞬間、食い意地の張るあたしの胃が大きく鳴った。