3話 令嬢と鳥兜1
「……」
「……」
馬車の中では、微妙に気まずい空気が流れている。
ボックスシートの、車内の1番上座に座っているのはマリー。逆に、アコナイトは1番下座に座っている。
ピンギキュラは御者席で、繋がれた2頭の運搬用モンスター『キャリアドラゴン』を操っている。ドロセラは助手席で、周囲を警戒中だ。
馬車の操縦は、ピンギキュラ、ドロセラ、アコナイトの順にローテーションする事にしていて、現在アコナイトは休憩時間である。
現在、馬車を動かすキャリアドラゴンは、4脚陸棲ドラゴンを家畜に品種改良したもので、大きさは馬より1回り大きい位。
特徴的な赤いとさか、全身を覆う黒色の鱗に、腕部と体の所々から生える赤い羽毛、更にオウムの様なくちばしも相まって、トカゲと鶏を足して2で割った様な、一見奇怪なシルエットをしている。
ややレンタル代は高くついたが、その分、馬よりも遥かに力が強く、スピードも出る。今回は任務的に何があるか分からないので、万が一に備え、奮発した形だ。
マリーは『馬車』ならぬ、『竜車』に乗るのは初めてだったらしく、当初は巨大なキャリアドラゴンを恐れていた。が、いざ乗ってみると落ち着いた様である。
そして、現在。
心理的に余裕が出てきた為か、彼女はアコナイトの方を、しきりに興味深く観察している。
マリーは美人ではあるが、アコナイトとしては、じろじろ見つめられるのはあまり良い気分ではない。
「……あの、マリー様。何か御用ですか? 」
「いえ、貴方は本当に殿方ですか? ……その、疑っているわけではありませんが」
アコナイトは、観念した様に着ていたシャツをめくって、胸元を露出させる。
果たして現れたのは、バトルアックスを愛用しているだけあり、外見に似合わず筋肉質な上半身だった。首元には傷跡か、横一文字に細長い痣が付いている。
「はい。残念ながら男です。未婚のお嬢様が男と車内で2人。というのは落ち着きませんか? 」
「それは、意識しないといえば嘘になりますが」
彼女は、気まずそうに視線を反らした。アコナイトは両手を頭上に掲げ、いわゆるホールドアップのポーズを取った。悪意が無いことをアピールする。
「ご安心を。スポンサーに手を出そうとするほど、女に飢えていませんよ。それに、下手すると私と貴女の命も危ない」
「危ない? それはどういう……ひっ」
そこまで言いかけ、マリーは目に飛び込んできた光景に絶句した。
馬車の御者台。その助手席に座っているドロセラが、フロントガラス越しに、光を失った瞳で、車内を凝視していたのだ。
その瞳が嫉妬の炎に燃えている事は、彼女と出会って、いまだに数時間と経っていないマリーにも分かった。
いつものマリーなら、高飛車に「その顔は何ですか! 」といった具合に激昂していただろう。
それをしなかったのは、彼女の瞳が、あまりにも冷たいものだったから。純度100%の悪意敵意嫉妬を直接向けられた事の無い、温室育ちの彼女にとっては、いささか刺激が強すぎるものだった。
「お気づきになりましたか」
「なんなんですか、あの人は……? 」
「お気になさらずに。ちょっと、私への忠誠心と愛欲をこじらせているだけです。私へ手を出そうとしなければ、時々光を失った目で睨み付けてくるだけですから」
「忠誠心と愛欲こじらせているって……」
言葉の意味を理解出来ないのか、マリーは、困惑した目でアコナイトを見る。
「実は私、こんなのでも元貴族なんですよ。とある所から亡命してきた。あ、お嬢様より格は下ですからお気になさらずに」
「なるほど、冒険者にしては上品な所があるのはそのせいですか」
納得した様に、マリーは頷いた。先程からの丁寧な言動や、知識はそのせいと分かった様だ。
「それで、あの2人、私の乳姉妹なんですよ。色々あって故郷が失われ、家が没落した後、こんな所まで流れてきたにも関わらず、付いてきてくれた忠臣達です」
貴人が、乳母の家で育てられるのは珍しい事ではない。むしろ、実母の元で育てられる方が珍しい。
そして、その乳母の子は、文字通り同じ釜の飯を食った仲になる為、実の兄弟姉妹以上の絆で結ばれる。将来は忠誠心の高い郎党になる事が多い。
彼女達も、そうした忠誠心が高い郎党であるという事は、マリーも理解出来る。
しかし、それでは、愛欲という部分はどういう事だろう?
マリーからの、いぶかしげな視線を察したのか、アコナイトは頭をかきながら話を続ける。
「……まあ、没落しても付いてくれたのは、主人と郎党という関係以上に、単刀直入に言うと私が彼女達と、男女の関係になっているからです」
「そういう関係になったのは、先程から私に嫉妬の炎を浴びせている、ドロセラさんとですか? ちょうど今、ピンギキュラさんとも目があったのですが……」
マリーの瞳に、妹と対極的な色彩の赤髪をツインテールにし、魔法使いが被る三角帽を被り、眼鏡をかけた黒い瞳の、妹より一回り大柄な女性が映っている。
それを見て、流石に前方不注意は危険と判断したアコナイトは、裏拳でフロントガラスを軽くこづいた。しぶしぶ、姉の方は視線を前に戻す。
「いえ、ピンギキュラも。姉妹両方私がいただきました」
「呆れました。乳姉妹に手を出すとは。しかも二人共にって……」
「帝国には、乳姉妹と結婚してはいけないという法律はありませんし、重婚も認められていますよ? お世継ぎは貴族にとっては死活問題です」
「貴族って……貴方は没落貴族でしょう? 助兵衛の言い訳に、それは、かえって見苦しいですわ」
「世の中、何があるか分かりませんよ。もしかしたら、我が家が復興する可能性も0ではない。それに備えるのは悪い事ではありません」
「屁理屈を……」
マリーは汚らわしいものを見る様に、顔を背けた。
「名前がソードフィッシュのくせに、女みたいな顔のくせに、下半身はだらしない事で 」
「姓名と容姿に関しては、自分でどうにかできる訳では無いんですから、仕方ないでしょう?! それに、貴族なら、こうした話はむしろ聞く機会が多いでしょう? 」
「それは、多いですが……我が家の場合は……」
そこまで言いかけて、マリーは忌々しそうに顔を歪めた。
流石、貴族の御令嬢という事もあり、気難しい性格をしている様だ。彼女の中で、怒りのパーセンテージがぐんぐん上昇しているのが、手に取るように分かる。
デリケートな部分であったかな? と、マリーの表情からすぐに察したアコナイトは、すぐさま頭を下げた。
「お気に触るような事を申し上げたなら謝罪いたします。申し訳ございません」
マリーは、いつも家人にしている様に、ヒステリックに怒ろうとした矢先、謝罪が飛んできたので、かえって面食らってしまった。
結局、彼女は怒鳴る事を中止し、不満げに窓の外へ視線を向けた。