29話 乳母姉の重い思い
「あはっ! 言うねぇ。じゃあ、抜けるまで打ち抜くだけさ! 水よ、我の名のもとに氷となりて敵を貫け。アサルト・アイシクル! 」
男は、顔は見せず、詠唱を唱える。引き続き、氷のナイフの雨が降る。アコナイトは立ち上がって、コンバラトキシン・ガードでそれを防ぎ続けるが、正直、このままだとジリ貧であった。
(姉妹達の手前、粋がってはみましたが、これほどまでの使い手とは。奴の魔力はここまでもつのか……)
リミッターをかけているアコナイトでは、魔力の連続使用には時間制限がある。正直、この楯もいつまでも維持出来るものでは無い。
(挑発しておいて削り負け、では恰好つきませんよね。何とか、反撃の糸口を……! )
無限に生成される氷柱に辟易しながら、アコナイトがそう思っていると、隣で盾に隠れていたピンギキュラが、魔法を詠唱している。
「……! ピンギ、市街地で火炎魔法は……! 」
彼女が得意とする魔法は炎魔法である。本来、狭い洞窟や地下迷宮などでは、爆発的に酸素を消費する事による酸欠と、それに伴う、不完全燃焼による、一酸化炭素中毒を発生させる事で疑似的な毒攻撃を行える事から、冒険者の中では非常に重宝される属性だ。
もっとも、パーティーメンバーに火属性魔法使いが居て、特に閉所で魔法を使用する場合、他のパーティーメンバーも、ガスマスクや酸素供給手段の確保などの事前準備は必須だが。
一方、都市では引火や一酸化炭素による二次災害を防ぐ為、極めて弱い魔法以外の炎属性魔法の使用は、基本的にご法度だ。
それにも関わらず、ピンギキュラは高威力の炎属性魔法『ファイヤーアトラス』の詠唱を行っていた。アコナイトは、思わず、使用の中止を命令する。
だが、彼女は詠唱を辞める事は無かった。彼に絶対的な忠誠と愛を誓っている彼女にしては、非常に珍しい。
「姉様、完全にキレてるね。きっと、私と兄様が狙われた事に怒っているんだと思う」
「……虫捕菫の名において命ず。巨神の名の炎よ、我が敵を焼き尽くせ。……殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
ドロセラの言う通り、ピンギキュラの黒縁眼鏡の奥の黒い瞳は、憎悪と殺意に染まっている。アコナイトも、彼女が自分の恋人でなければ恐怖していただろう。
それほどまでに、最愛の妹と主君兼恋人を狙われた乳母姉の怒りは大きかった。
今、彼女の脳裏に映るのは、過去の印象的な記憶であった。
* * *
ーーピンギ。私はこれでも武人を気取ってる。いくら憎い相手の子とはいえ、子供に暴力は振るわねぇ。
ーーただな。お前が生まれたせいで、私は、あの人の愛を失った。本来、私に向けられるはずだったものを、お前達が全て奪っちまった。
ーーその分の代償は払って貰うぞ。
時はピンギキュラが6歳の頃。
アコナイトという『義弟』兼『主』も家にやって来た翌年。彼女に妹が生まれた。後のドロセラであるが、この言葉は、ドロセラの母から言われた事だ。
その日、1人で産後の彼女が寝ている部屋に呼び出されたピンギキュラは、いかに自分が正室としてふさわしいか、彼女の父親を愛しているか、彼女の母親がどれほど汚い手段で愛する人を奪ったか。そして、その過程で生まれた、ピンギキュラという人間が、どれほど罪深い存在かをとうとうと語った。
とても、6歳の子供に語る内容ではない。それだけでも十分に虐待ものであるが、最終的に、正室は、ピンギキュラの一生を左右する言葉を、彼女の心へ刻み込んだ。
ーー幸運にも、私は、あの人の子を授かる事が出来た。これで、あの人も、あの女とお前では無く、私を見てくれる……。アハハハッ! 『紺碧薔薇の魔女』様の加護かな。アコには優しくしてやらねぇと。
ーー……今までの話で分かっただろう? この子が産まれた現在。お前の価値はとても低くなった。その辺の石ころ以下だ。あの人から愛されているといったって、所詮は平民出身のメイドと、その子だ。国軍のお偉いさんの娘の私とじゃ、言葉通り格が違う。あの人も、今後はこの子の方を可愛がってくれるさ。
ーーだが、私は優しい。お前みたいな生きる価値の無い命にも、チャンスをやろう。
ーー『一生をかけて、命をかけて、妹とアコナイトを守り抜け』それ以外に、お前の存在価値はない。
ーーあの女がひりだした、汚らわしい命でも、存在価値あるって事を証明してみせろ。
腐っても、国軍の女戦士として、兵士への洗脳術くらいは心得ている。が、それを出産直後に、6歳の女の子にやる辺り、彼女も愛する人を寝取られたショックで、精神を壊していたのであろう。
ともかく、当時、少女であったピンギキュラは、この正室の命令に頷くしかなかった。
ーー妹とアコナイトを守る。
ーー妹とアコナイトを守る。
ーー妹とアコナイトを守る。
ーー妹とアコナイトを守る。
ーー妹とアコナイトを守る。
ーー妹とアコナイトを守る。
* * *
そして、現在、彼女は6歳の時に正室から命じられた通り、妹とアコナイトを守るという命令を実行しようとしている。
仮に2人が根性悪であれば、いっそ、この呪縛からは逃れられていたかもしれない。が、なまじ、2人ともピンギキュラの事を姉として、アコナイトに至っては、恋愛対象の憧れのお姉さんとして、それはもう滅茶苦茶に慕ってくれた事で、この呪いは何倍、何十倍にも増幅されてしまった。
現在では『P.E.A.C.E』の一件が加わった事で、2人への執着は、もはやとんでもない次元にまで達している。
アコナイトとドロセラが殺されかけた事に、頭に完全に血が上って、周囲が一切見えなくなる位には。
ちなみに、この辺りの建物は木造建築である。高威力の炎魔法を使ったら、それこそ、収拾がつかなくなる事を、アコナイトは分かっている。
「ピンギ! ピンギ! 火炎魔法攻撃を中止してください! 周囲に燃え広がって大変な事に! 」
「駄目。姉様、完全にこっちの話を聞いてない! もうあいつを殺す以外、止める手段がないよ! 」
「……残りの魔力が心もとありませんが、私がなんとかします! 」
「出来るの?! 」
「やってみなければ分かりませんが、分の悪い賭けでは無いですよ」
ドロセラ「母様、私が生まれた直後に、そんな事を姉様に……」
アコナイト「このシーンだけ見ると、完全にやばい人ですが、前提として、愛していた人をぽっと出のメイドに寝取られているという事は念頭に置いておいて下さい……。ある意味、彼女も被害者の側面もあるんです……」
ドロセラ「随分と母様の肩を持つね……」
アコナイト「正室様、生前の『紺碧薔薇の魔女』殿とは面識があって、なおかつ、好きな男を寝取られた者同士、同病相憐れむというか、親友同士だったんですよ。その影響で、生まれ変わりの私にはすごく良くしてくれた設定です。その為、私は基本的に正室様の肩を持ちます」
ドロセラ「その親友はこの世の全てを呪って、化け物になって、自分の夫に殺されるとか因縁が重なり過ぎている……。寂しがっている兄様に、遊び相手として私達をあてがう事を提案したのも母様だったね」
アコナイト「まぁ、それがちょっとおかしな方向に暴走して、ドロセラと私をくっ付けようと色々暗躍していた様ですが……」
ドロセラ「やっぱこの母、割ととんでもない女なのでは……? と思った方は評価、ブックマークお願いします」




