15話 ハイマニューバ
アコナイトに言われ、車内にいる2人がベルトをし終わるのと、馬車が加速したのはほぼ同時だった。
それまで一定だった馬車の揺れが、急に不安定になり、Gに身体が押さえつけられる。
「ちょっ、ちょっと、急に速度が」
「……追手をまく為です。申し訳ございません。少々我慢を」
急激に速度を上げた竜車に、マリーは悲鳴を上げた。ピンギキュラは御者台の2人に代わって、彼女へ詫びる。
「大丈夫ですか?!これまでの倍の速度は出ていますわよ!」
「……ドロセラちゃん、ドラゴンの扱いには慣れていますから」
竜車は、動力源の2体のキャリアドラゴンに引かれてぐんぐん加速していく。追手の馬も加速しているが、キャリアドラゴンの脚力は馬のそれを遥かに凌ぐ。客車を引いているにも関わらずだ。
両者の距離は、少しずつではあるが、離れていった。
「……流石、私の妹。見事な操縦技術」
「こんな速度出して制御出来ていますの?! 前! 前! 急カーブ! 」
急加速のスリルに、相変わらず物静かではあるものの、やや興奮気味のピンギキュラ。
それに対し、初めて乗った竜車で、こんなチキンレースに巻き込まれるとは思っていなかったマリー。彼女は高貴さの欠片もない悲鳴を上げ続けている。
正面の窓の外に映るのは、急カーブだった。その先は丁度崖になっており、曲がり損ねて落下したら、4人で仲良く海水浴をする羽目になる。生きていれば、の話だが。
ドロセラは、キャリアドラゴンの手綱を細かく制御し、2匹の竜を急カーブさせた。横Gに踏ん張りながらも、手綱は離さない。
馬車の車輪がきしむ音に、アコナイトはやや不安を感じたものの、横に座るドロセラの顔を見て、安心した。
彼女の顔は至って冷静で、2頭の竜を操る事に全神経を注いでいる。恐らく、現在の彼女の脳はこの急カーブをいかに曲がるか、計算が行われているのだろう。普段アコナイトを見つめる時の、気持ちの悪い顔つきとは最早別人とも言ってよい。
ドロセラは絶妙な力の入れ具合でキャリアドラゴンを制御し、車は最短のコースでカーブを曲がりきった。彼女は竜車が安定すると同時に、キャリアドラゴンへ鞭を入れ、即座に加速させる。
それから、何度もカーブをこの要領で無駄なく曲がった。
しばらく行った所で、街道沿いにあった茶屋の敷地内へ入り、建物の陰、街道からは死角になっている位置へと車を停車させる。
停車と同時に、アコナイト、ドロセラ、ピンギキュラの3人は各々の武器を手にとる。
竜車から下りた、ガスマスクをしたピンギキュラが代表して、火炎放射器片手に、建物の陰から街道の様子を伺った。
しばらくした後、彼女は身振りで追手がこちらを見失って、街道を素通りしていった事を伝えた。
「一安心ですね。マリー様、もう大丈夫です」
アコナイトの声に、ようやく自我を取り戻したマリーは、震えながらも気丈に振る舞う。流石は貴族令嬢であった。
「おほほ……。キングスピア家のへなちょこ家来が、私を捕まえられり訳ありもせんわ」
若干、呂律がおかしくなっている事には、あえて言及しない。
ひとまずアコナイトは、騒ぎに何事かと様子を見に来た茶屋の店員に、紅茶とケーキを4つずつ注文し、彼女を落ち着かせる事にしたのであった。
* * *
「はあ、ドロセラさん、元航空竜騎兵だったんですか……道理でドラゴンに詳しい訳です」
「はい。カナハの戦いでは、爆撃隊を率いて共和国軍を恐怖のどん底に落としたものです」
4人は茶屋の中に移動し、小休止としゃれこんでいた。
4人の席には、それぞれ、紅茶とケーキが置かれている。
ケーキはこの辺りの特産品である果実をふんだんに使ったもので、甘いフレッシュな香りが鼻腔をくすぐり、食欲をそそる。
そんな地域の名物に舌鼓をうちつつ、ドロセラは自らの過去の事を静かにだが、同時に少し誇らしげに話す。
航空竜騎兵というのは、その名の通り、調教された飛竜を駆る『空を飛ぶ騎兵隊』である。敵の航空竜騎兵を撃墜し、偵察と爆撃による航空支援を行うのが主な仕事だ。
「兵員輸送馬車51両、物資運搬車80両、100mm以上の火砲15門、敵竜騎兵1騎。公式戦果がこんな具合です。ついた二つ名はカナハの処刑人」
アコナイトが、ドロセラのスコアを、軽やかにそらんじる。
空軍の事はあまり詳しくないが、この戦果が非凡なものであるというのは、マリーにも分かった。
「それは凄いですね。それを暗記しているアコナイトさんもですが」
「はは、主として、夫として、妻兼郎党の情報は完全に把握しております。当然でしょう」
アコナイトの言葉に、若干、危ういものを感じたマリーだったが、それはドロセラの声にかき消された。
「ま、プロパガンダで若干盛られた虚構の戦果ですが。実際はその半分くらいです」
「……謙遜しちゃって。ドロセラちゃんは敗色濃厚な王国軍で、最後の最後まで頑張ったよ」
ピンギキュラは、ドロセラの頭を優しく撫でた。
「でも……結果として、戦況は覆せず、兄様には多大な負担をかけて……」
彼女の顔が雲っていく。
マリーは少し心配になったが、ドロセラの変化に気付いたアコナイトが、彼女の名を呼んだ。
「ドロセラ」
彼は席を立ち、彼女に近付いて、不意に唇を奪った。
「お互い、過ぎたことはどうこう言わない約束ですよ? 」
「……そうだね」
これ以上放っておくと、2人だけの世界に入ってしまいそうだったので、ひとまずマリーは自己主張をした。
「あの、まだ昼間ですわよ?あまり過度なスキンシップは自重してくれませんこと?」
「これは失礼、お嬢様にはお見苦しい所をお見せしました」
アコナイトは丁寧に謝罪しつつ、自分の席に戻った。
座る姿勢も、茶とケーキを口に運ぶ姿も、美貌も相まって優雅なもので、『座れば牡丹』ならぬ、美しく咲き誇った鳥兜を思わせるものだった。
乳姉妹達への、ある種の狂信的な偏愛さえなければ、召し抱えたい位なのだが……。
そんな風にマリーが考えていると、一通りケーキと茶を堪能したアコナイトが、脇においたバックパックから、地図を取り出した。
軍事用の詳細なものではなく、主要な道と、およその距離と方向が描かれた、一般に流通する簡易なものである。
「今後の予定ですが、追手がいたという事で、待ち伏せを防ぐ為、今まで通っていた帝国第2号街道を外れ、側道である第8号線を通り、今夜宿泊するブルー・シーの宿場町に入ろうと思っています」
「……第8号線は途中で丘陵地帯を抜けるルート。モンスターや野生動物と遭遇する可能性があるわ。人里近くまで下りてくる事は稀だけど」
「最悪、私がまたぶっちぎって逃げるよ? 」
「もう勘弁していただきたいですわ……」
マリーは、先程の、胃の中がでんぐり返る様なGと速度を思い出して、気持ちが悪くなった。
「そうですね、ここは支援を呼びましょうか。店員さん、テイクアウトで蜂蜜のケーキを1つお願いします」
「……なるほど『あの娘』の協力を頼むんだ」
「あの娘?」
ピンギキュラの言葉に、マリーは疑問を抱く。この護衛任務に参加するパーティーは、アコナイトと麾下の2人だけの筈である。
「1人……というより1匹、我々には協力者が居るのですよ」
意味深に語ったドロセラの言葉に、若干の不安を抱きつつも、マリーは現状、彼ら以外に頼る人間が居ない。やむなく、その協力者の力を借りる事にしたのだった。
アコナイト「時に疑問なんですが、馬車って、あんなドリフト走行出来るもんなんですかね……」
ドロセラ「引いてるのは馬じゃなくて、馬力がダンチのキャリアドラゴンさんだから! それに、この世界では馬車はドリフト走行出来るの! 」
アコナイト「そうは言っても、あんな頭〇字Dみたいな……」
ドロセラ「この世界の馬車はドリフト走行出来るの!」
アコナイト「タイヤやサスペンションの負荷だって……いや、この辺りは異世界の超技術力って事で言い訳するとして、やはりドリフトは……」
ドロセラ「こ の 世 界 の 馬 車 は ド リ フ ト 走 行 出 来 る の ! 」
アコナイト「アッハイ」
※豆知識 この世界の馬車は、異世界の超技術力によってドリフト走行が出来る。




