タスキギーの足音⑨
《マル秘情報⑧》
通信魔道具は魔力で動く通信機のようなモノ。
手のひらサイズで、着信に応じるとお互いの姿が映し出される。
本体価格は通信費込みで、年間5ポンド(25万円)。高い。
でもホームズは警察と顧問契約をしているので、経費として計上している。
【都市部 第4区画大通り】
経済特区リベックはおおまかに二つの地域に区切られている。
一つは整頓された表向きの街都市部、特区開設されてすぐ入居が始まった区画で裕福な人間や要職に就く亜人、企業や大学関係者が住む区画だ。碁盤の目のように整理された街並みや行き交う人々の多様さからこの国の理想郷と呼ばれている。
そしてもう一つが理想郷に堕ちる影スラム街、理想郷の光に導かれた金やコネのない亜人たちが職を求めてさまよう無法地帯だ。
特区は学問の発展が目的の大学と新しい社会体制の実験が目的の政府の思惑によって、特区内の治安維持はおざなりになっているためスラム街はマフィアや悪徳な新興宗教のたまり場となり、その様相は最果ての犯罪都市となっていた。
かの同居人曰く、理想郷としての経済特区リベックは一シリングの価値もない腐った鮭のような代物だが、犯罪都市としてのこの街は黄金の王冠よりも価値がある。
大学は戦争や犯罪は魔道技術の発展をもたらすとし大いに奨励し、大学に所属する学生や学者たち(彼らは魔術師と総称される)同士も研究成果を競い合う、いわば全員が仮想敵同士だった。
ある者は金を工面するためにマフィアをパトロンとし、ある者は研究対象を確保するために偽装のNPO法人を立ち上げた。時には競合の魔術師をスパイしてその成果を奪い去った。
いかに無法者より法に縛られない魔術師とはいえ、彼らにも弱点はある。違法行為が露見して研究が続けられなくなったり、自らの人生ともいえる研究成果を奪われたりすることだ。誰だって加害者になる覚悟はあっても被害者にはなりたくないモノ。それ故に、魔術師の中には生活費や研究費用を工面するために、他者と契約して魔術師の違法行為を告発したり、研究成果を盗んだり、逆にそれを防いだりする者たちが現れた。それが『探偵』と呼ばれる者たちである。
同居人シャーロック・ホームズは、その中でも唯一リベック経済特区警察と契約を交わす顧問探偵だった。
リベック最高の名探偵と名高いシャーロック・ホームズとはどんな人物なのか。
私は彼のことを知れば知るほど、よく分からなくなっていた。
一言でいえば、『天才で変人』。謎の匂いに誘われて突然現れては関係者各位に無礼を働き、その並外れた知性と推理力で事件を解決するや否や謝礼として貴重品や金を踏んだくっていく。
とある貴族は彼のことを『奇跡的に正義を成している追いはぎ』と罵っていた。事件や依頼がなければ大学の研究室か自室に引きこもって摩訶不思議な実験にふけり、そこにいないとなると日銭を稼ぎに拳闘場でギャンブルをしているか、死体安置所で死体いじりをしている。
そんなけったいな性分を反映しているのか、伸びた黒髪は瞳を隠し鼻にかかるほど放っておかれ、鍛え上げられた肉体は傷にまみれ、不潔な体臭が夏場のゴミ処理場のようになっていたが、その立ち振る舞いと雰囲気は育ちの良さと真っすぐ伸びた正義感の支柱が見受けられた。
「25分も待ったぞッ! どこで油を売っていた、ワトソンッ!」
だが天才という人種はつくづく厄介な性格をしているモノで、私が到着するや否やホームズは衆目を気にせず威圧的な声で私を呼びつけた。
「今日は寝てないの、勘弁してよ」
「知ってる。火事があったんだろう」
ホームズは吐き捨てるように言った。
あぁいつものプライベートの覗き見か。私は呆れを通り越してため息を漏らした。
「どうして分かったの、って聞いて欲しいんでしょ」
「ようやく俺という人間を理解してきな」
ホームズはしかめっ面のままケタケタと笑った。
「まずその髪と顔だ。いくら早朝と言えど几帳面な君が身だしなみを整えていないのは不自然だ。それに目元にクマができているしな。そして白衣についたアルコールと制汗剤の匂い、急いで体臭と汗の匂いを消すためだろう。手や爪は良く消毒されているが見落としたな、ズボンとうなじに煤が残っているぞ。『身だしなみを整える余裕がなかった』のに『匂いだけはカバー』し、『医療活動に関係ない部位に煤の痕跡』があるということはつまり、当直中にダウンタウンで火事があり、君はその救助活動をしていた」
どうだ、とホームズはカブトムシを捕まえた子供のようにフフンと鼻を鳴らした。認めてやるのもなんだか癪なので返事はしなかった。
「それで、遺体は何処? もしかしてもう解決しちゃった?」
「いいや、残念ながらまだだ」
ホームズは急に気を落とした。
「遺体は移送された。警察ではなく保健局を名乗る連中がな」
「保健局? どういうこと?」
「死体の死因が感染症だったからだ。梅毒やら白血病やらの症状に似ていたが、専門外だから俺にはよくわからなかった。君なら分かるんじゃないかと思ってな。ぜひ本物の方を見て欲しかった」
ホームズはそう言うと古びた手帳を渡してきた。
折り曲げられたページを開くと、そこには大まかな死体の状況と詳細なスケッチが記されてあった。保健局の連中が死体を回収して姿も見えないことから、彼が死体を検分できたのは数分かそこらしかなかったはず。
どうしてこんなスケッチがあるの? なんて聞いてしまったが最後、延々と自慢話を聞かされる羽目になるので黙っていることにした。どうせ天才奇人のホームズのことだ。数分で百科事典を暗記できる瞬間記憶術ともに詳細なスケッチを描く才能も修得しているに違いない。
記された症状とスケッチの死体を擦り合わせてみるに、末期の梅毒や白血病に見られる免疫過剰による症状が見られた。
専門外だ、と謙遜した彼の目測は正しかったことになる。だが、指や足先、耳などの太い血管部のない『末端部分が腐っている』ところや『頭部の穴からの出血』という記載に引っかかるところがあった。
それらの症状は梅毒や白血病には見られないからだ。この症状が出る病気は―――
「―――Wウィルス…………」
忘れもしない。南部戦線で遭遇した、あの恐ろしい感染症だ。ワクチンの普及で撲滅されたと思われていたが、ここは様々な人々が集う経済特区リベックだ。体液の接触から感染するWウィルスが梅毒と合併して現れるのは納得がいく。
しかし白血病も現れるとは考えづらい……いや、Wウィルスによる脳の異常で白血球が大量発生したのなら考えられる。結果としてWウィルスが白血病と同じ症状をもたらしたのだ。そして何より、スケッチの死体は酷く痩せていて生前は動く死体のような見てくれだったに違いない。
動く死体……。
生きているのが不思議……。
よく考えてみればアレックスも同じような瘦せ方をしていた。出会えたことに安心して見逃していた。あの痩せ方は普通ではない。絶対に何らかの病に罹っている。突然、頭の中で何かが繋がった。
「シャーロック……、私とんでもないミスをしたかも」
最後まで読んでくれてありがとう!
気に入ってくれたらブックマークや評価をしてください!
感想やレヴューも大歓迎です!
次回もお楽しみに!