タスキギーの足音⑦
《マル秘情報⑥》
大学ができたのは100年程度前。主に魔術に関する事柄を学び、研究する。
日本でいうところの高等専門学校や工科大学のようなところ。
【5年後 経済特区リベック スラム街診療所】
メアリー・モースタンの淹れてくれたコーヒーの香りで私は目を覚ました。
「おはよう、寝坊助なお医者さん」
メアリーは私の間抜けな寝顔を朱色の瞳に写しながら言った。
「それ軍時代につけてた日記?」
「うん、ルームメイトの大掃除に付き合ってたら出てきてね、懐かしくて読みふけっちゃった」
私は大きくあくびをして背筋を伸ばすと、黒色のカフェインの塊をのどに流し込んで眠気を飛ばそうとした。
「ふーん、貴女もそういう俗っぽいところがあるんだ」
「私も一人の女だしね、思い出を振り返ることくらいするわよ。辛い思い出の方が多いけど、それでも思い出には変わりない」
まるで生まれたばかりの子猫を撫でるように日記の表紙に触れていると、診療所の外がなにやら騒がしいことに気が付いた。完全に閉じられた診療所にも独特な匂いを感じ取れた。木材と鉄……そして人が焼ける匂いだ。私は急いで診療所から飛び出した。
外には大量の逃げる人々、その人並みをかき分けてケガ人が助けを求めてやってきていた。
「ワトソン先生ッ、助けてくれッ!」
火傷を負った小人が私にすがってきた。
「落ち着いて、カラマーゾフさん。どこで何があったの?」
「三区だ。マフィアのエルフと教会の吸血鬼の抗争で救貧院に火がつけられたんだッ」
「分かったから落ち着いて」
私はカラマーゾフをなだめると、メアリーに彼の処置とけが人の保護を頼んで現場へと向かった。
火事現場となっている救貧院は、本来街に来て間もない人々が正式なIDが発行されるまで身を寄せる場所となっている。季節によって収容される人数はまちまちだが、ここ数年彼らの健康診断をしてきて20人を下回った記憶はない。そこが燃えたとなれば何人死ぬか考えたくもなかった。
「どいてッ、私は医者よッ、通してッ!」
野次馬たちをかき分けて現場の目の前にたどり着くと、そこには30人ほどのけが人がちょうど火の粉のかからない所に並べられていた。顔ぶれから見るに救貧院に身を寄せていた面子だ。応急処置をしようとしたが、不思議なことに全員が軽症で治療を必要としている者はいなかった。
「……どういうこと?」
瞬間、燃え盛る救貧院の扉部分がバックドラフトで吹っ飛んだ。
違う。バックドラフトで吹っ飛んだのではない。何者かによって蹴破られたのだ。中から現れたのは身長170㎝ほどの人影、どうやってその力を出しているか分からないほどひどくやせ細った肢体に、煤で汚れた赤髪と白い肌、顔は濡れた布で覆われていたがうっすらとそばかすが見えた。わずかな胸のふくらみから女性だと分かった。彼女は三人を軽々と担ぎ歩み汗の一滴も見せずに彼らを下ろすと再び燃え盛る救貧院に飛び込もうとしたが、急に咳き込んで膝を屈した。
私は彼女に駆け寄った。
「ちょっと、大丈夫?」
「えぇ、いつもの発作だから心配しないで……」
彼女はそう言って立ち上がろうとしたが
「―――ッ、ゲホッ、ゲホッ!」
再び咳き込んでそれどころではなかった。
「貴女は十分やってくれたわ。後は任せて、残ってるのは何人?」
「……一人、子供が取り残されている。でもどうやって……」
「別に特別なことは何もしないわよ。人助けをするだけ」
私は彼女に白衣をかけて救貧院を真っすぐ見つめた。火事と同期して揺蕩う私の影が大きくなっていく。毛穴という毛穴から頑強な銀毛を生やし、顎と鼻が伸びて鋭い牙が屹立する。体中の筋肉は太く逞しくその熱まき散らして、身に纏った衣服がたちまち獣人の身体に適応を始め、安物のブーツは変異した脚に弾かれてどこかへと吹っ飛んでいた。
後ろから感嘆の声が聞こえる。この街で獣人は珍しい存在ではない。そして、自分の持てる力を使って人助けをするヒーローの姿も。
最後まで読んでくれてありがとう!
気に入ってくれたらブックマークや評価をしてください!
感想やレヴューも大歓迎です!
次回もお楽しみに!