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異世界シャーロック ―Another Sherlock―  作者: 朝霞 敦
『タスキギーの足音』事件
5/17

タスキギーの足音⑤

《マル秘情報④》

 モランとワトソンは短期間交際していた。

 きっかけも振ったのもワトソン。

【拠点内】


 モランの指示でブレインは隔壁を閉鎖して敵の進行通路を一つに絞り、ランペイジが『感染症研究室』にバリケードを設置している間、私は患者の処置を開始した。


 実を言うと、私の医療知識は学校で学んだものではない。出身は偏見に満ちた西部の田舎で、軍の秘密亜人徴兵に志願したのも内紛で身寄りがなくなったからだ。目的は愛国心からではなく、訓練機関の衣食住の保障と、衛生兵を希望すればそこで学ぶ医療の知識で退役後も職にありつけると思ったから。退役金100ポンド(約500万円)も魅力的だった。そんな現金なのが私の本質のはずなのに、どうして人助けに固執するようになったのか。どうして、どれだけ罵倒されようとどれだけ善意を悪意で返されようとも、傷ついている他者を助けたいと思ったのだろう。私ではない、心の底にいる自分以外の何かに導かれるように、私は危険を冒して、命がけで人助けをしようとしている。


「ほんと、人生って不思議ね」


 私は笑み混じりのため息を漏らして処置を進めた。まずは脳の壊死と免疫の状況の確認、脳液と血液を採取して研究室にあった検査機材に通した。本来なら数時間・数日で行う検査だが今は時間がない。いくつかの工程を飛ばして、完璧ではなくとも大まかな結果を取り出した。そしてそれに応じた魔術防護処置、転移魔術は体質や病気・負傷の具合で成功率が著しく低下する。我が国は転移魔術を軍事利用する過程である程度の許容を持つために移動者をごまかす処置を行うことがある。それが魔術防護処置だ。私は魔術師じゃないし、『手術キット』には獣人でも使用できる簡易的な魔術防護の触媒しかない。転移に悪影響を与える部位を絞らなければならない。どこを捨て、どこを保護するかで処置の時間が大幅に変わる。不安になって振り向くと、モランと目が合った。


「どうした、捕虜が死んだか?」彼には珍しいブラックジョークだ。


「嬉しいことにノーよ。ここからが本番だから、気合入れて踏ん張って」


「お安い御用だ。お互い自分の仕事をしよう」


 彼は銃のチャンバーを確認し、戦闘態勢を整えた。それと同時聞こえた「軍曹、敵が来ます」というブレインの言葉と共に景気の良い銃声の大合奏が始まった。


 一般人ならノイローゼを起こしそうな戦闘音を子守にして、私は一つ一つ確実に処置を進めていく。目の前の作業に集中しすぎて今いくつ目なのか、どれくらい時間が経ったのか、てんで見当がつかない。確かなのは、まだ半分以上処置するべき箇所が残っていることくらい。間違えて捨てるべき箇所に処置をしてしまわないように気をつけながら冷静に進めていく。


 ようやく終わりが見えてこようかというところで、上下に激しい振動が建物を揺らしたのを感じた。モランの指示でホークが弾薬庫を爆破させたのだ。数的不利の状況で多数の敵を欺くにはより大きな混乱を引き起こして大軍勢だと誤認させることだ。そうなれば敵は分散し、こちらの負担が減る。私の作業が終わりに近づいていると察したモランが機転を利かせてくれたのだろう。ここでもたつけば脱出の機会は永遠の彼方に逃してしまう。


「終わりましたッ!」私は残っていた処置部が軽いモノとみて作業を切り上げた。「さぁ立って、移動するわよッ!」そう衰弱した赤髪の捕虜二人に発破をかけて立ち上がらせた。


「移動だッ、煙幕(スモーク)ッ!」モランが呼応するように号令をかけるとすぐさまブレインが発煙筒を投げ、敵の視界を塞ぐや否やランペイジがバリケードを蹴り破って退路を開いた。「ホークが敵の転移門(ポータルゲート)を確保しているッ! そこで脱出するッ、行け(ゴー)行け(ゴー)ッ!」私に叫ぶと、敵の追撃を防ぐために乱射を続けた。


 転移門は今いる建物の反対側、おおよそ100余メートルの迷路のような構造の先にある。しかも殺意溢れる兵士たちのおまけつき。どう考えても衰弱した捕虜二人を抱えて突破できるはずがないが、会敵した瞬間を狙いすましたかのようにブレイクが隔壁を作動させて逃げ道を作ってくれたおかげで、何とか全員目立った傷を負わずに転移門までたどり着くことができた。


「軍曹、お待ちしていました」めったに見ない地上に立つホークが私たちを出迎えてくれた。


「いつも無理をさせて悪いな」


「軍曹の無理を実現させるのが俺の仕事ですので」ホークが優れた視力で集結する敵の一団を捉えると一発、放った対戦車弾頭が轟音を放ち着弾した通路の天井を粉砕して道を塞いだ。


 それを見たモランは口元が緩むのに耐えながら「そいつはありがたいな」と頷いた。そしてすぐに目を逸らすと「転移門(ポータル)を本部とつなげろ。すぐにやれ」ブレインに命じた。


「お言葉ですが軍曹、僕は伍長ほど優秀じゃないのでお希望には添えないかと……」


「何故だ?」


「本部とここの転移門(ポータル)は魔力の規格が違うんですよ。僕がいじっていれば話は別ですがね」


「なら行きに使った仮説の転移門につなげ。どうせいじっているんだろ」


「さすが軍曹殿、何でもお見通しですね」ブレインは鼻息をたて瞳を輝かせながら「2分ください」と言って接続を開始した。


 モランはブレインの作業が順調に進んでいるとみると私の方へと近づいてきた。「捕虜は転移に耐えられるのか?」


「最善は尽くした……と思う。でも正直、どうなるか分からない。魔術防護処理は初めてだし、そもそも処置自体十分にできなかった。万が一失敗したと思うと……」


「お前がやってダメなら誰も出来やしない。全力で取り組んで失敗したのなら仕方がない、お前に責任はない」


 そうモランは簡潔に励ますと、ランペイジと共に追撃されぬように転移門を爆破するための爆弾設置を始めた。私は不安を取り除くためにその作業を手伝うことにした。幸いランペイジが持ち込んだ大量で、三人がかりで取り組んだとしてもそれ相応の時間がかかる。任務中、それに命のやり取りをしているというのに進路に悩むティーンエイジャーが部屋の掃除をするように私は現実逃避に必死だった。


「接続完了です」ブレインの合図と同時に爆弾の設置が終わり、私も気持ちに踏ん切りがついた。ちょうど瓦礫を退け追撃を再開した敵に向けてランペイジ・モラン・ホークが弾幕を張り、私は跳弾する弾丸の雨の中を突っ切って捕虜二人とともに転移門をくぐった。続いてブレイン、そして三人が通った。



 導火線の限界まで離れ、ランペイジは誰も取り残されてないと確認すると「せいぜい良い夢を見るんだね」とほくそ笑んで起爆スイッチを回した。転移門爆発の衝撃は腹の底を揺らし、発散した魔力の波動が体毛を逆立たせた。

 だが、私はそれに気が付かなかった。魔術防護処理をした捕虜が息をしていなかったからだ。胸に耳を当てると心臓もその活動を停止し、処置をしていなかった箇所がうっ血して腐り始めていた。人工呼吸をしようと気道を確保しようとしたその時、彼の耳と眼窩からどす黒い液体が流れてきた。まさか、と私は急いで彼の瞼を開ける。


「そんな…………」


 液体の正体は、腐った脳汁と血液の混合液だった。つまり彼はもう死体であり、私は失敗を重ねたことになる。私は頭を抱え、現実を認めまいと目を逸らした。誰も私を励まそうとはしなかった。私のわがままで不用意な戦闘を招き、その結果不充分な処置で救出対象の捕虜を一人死なせてしまった。軍人としても、医療に携わる者として失格だ。自分の不甲斐なさと情けなさに対して、私は悲しみの涙を流すよりも怒りでギリギリと歯ぎしりを響かせていた。


「ワトソン」そんな私にモランが言った。その手には見慣れない薬剤が握られている。「こうした事態は予測できていた……ようだ。ドクター・スミスから捕虜が死亡した際の処理方法を聞いている。この薬品をかけて、死体を土に還せ」


 匂いから、薬品が強い酸性の物質だと分かった。そんなことしたくない、と突っぱねたかったが、彼のトカゲの瞳が「自分の仕事をしろ」と言っているようで従うしかなかった。私は震える手で薬品を受け取り、深く息を吸って落ち着かせ、夜風に薬品が流されないように体を盾にしながら死体に弔いの粉を振りかけた。

 ジュワジュワと肉が灼ける音が聞こえる。そして戦場でおなじみの人脂の薫りも。きっとカビの生えたタバコよりも体に悪影響があるのだろうが、私はこれが自分の背負うべき十字架であるとして正面から受け止めて大きく息を吸った。そして数分、捕虜の肉体は完全に炭化して月夜の下ではもう地面と同化して見えなくなっていた。音も匂いもなくなったが、瞳を閉じれば目の前に彼の死体がいるように感じる。きっと、このヴィジョンは永遠に私から離れることはないだろう。覚悟を決めて私は目を開ける。


「すっきりした顔だね、ジョン。16でやっと童貞を捨てた友人を思い出すよ。一皮むけた、立派な男の顔だ」遠くから眺めていたブレインが言った。


「私は男じゃないんですけど」


「ただの比喩だよ。君は今、新しいステージに立っているんだ。手鏡で顔を見ると良い。僕の言っている意味が分かるさ」


 彼の言う通りにして鏡を取り出す。

 写っていたのは、いつも通りの私の顔。故郷の水辺で飽きる程見つめた私の顔だ。疲れ切って心を摩耗したことを除けば。けれど、どこかしっくりくるのは気のせいだろうか。これがブレイクの言っていた『新しいステージに立っている』私なのか。一体どういうことなのか、聞こうと口を開けた刹那、流星の如く空を駆ける光の筋を見た。

 急いで空を仰ぐ。

 流星はその速さで雲を裂き、その熱で昼のように照らしながら真っすぐ私たちが脱出したあの拠点へと伸びていった。

 そして、炸裂した。


 転移門の爆発の比ではない。物理的な火薬による爆発ですらない。あれは、射程距離3000㎞の大量殺戮魔術、国家間弾道爆撃魔術(NBBM)だ。いつかブレインのうんちくで聞いたことがある。NBBMは離れた敵拠点を爆撃して戦争継続能力を奪う、最強の破壊力を誇る対城郭魔術で我が国はこれを武器に周辺国家を相手取って戦争を起こし成長してきた。しかし時が経って魔術技術が発達するとNBBM専用の結界魔術が開発され、発射から逆算して正確なNBBMの迎撃・相殺が可能になった。この事実こそが五つの国との戦争と八つの戦線が泥沼化することになった原因に他ならない。しかしそんなことは歴史的な事実で私からしてみれば、あれは弱者を蹂躙し従属させる()()()の暴力性を体現する野蛮な兵器そのものだった。


 だから、私はこの国を嫌悪する。

 だから、私はこの炎の在り方を否認する。


 だから、罪の十字架と対極の意味を持つこの虐殺の象徴を、私は決して忘れることはない。

 最後まで読んでくれてありがとう!

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 次回もお楽しみに!

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