タスキギーの足音⑮
《マル秘情報⑭》
モランが率いる新しい獣人部隊は、数々の戦線で武功を上げた獣人から選抜されて構成されている。
人数は30名。
一人一人が、単独でワトソンが所属していた5人部隊の任務を達成できる実力を持つ。
【スラム街 教会】
教会は昔から貧者が生きるために身を寄せ合うコミュニティの象徴だった。
国から権力から見放され、厳しい土地で生きることを強いられた人々が見出した光であり、領土が拡大し属国や攻撃を受ける人々た多様化していくと、次第に教会からはその根幹たる信仰が抜け落ちて、食料の配給・教育の場・診療所・救貧院を主な活動とした、国を頼らない福祉厚生施設としての性質が強くなっていった。信仰を失った教会は、今やそれらの活動の支えとなる指令所のような役割を担っていた。
老朽化が進んだ、しかし掃除や手入れが行き届いている教会に入ると、かつて礼拝堂だった待合室に一人の女性が座っていた。
アレックスだ。夜も更けてきたので、この神聖な待合室にいるのは私と彼女だけだ。
「アレックス……」
私が声を発すると彼女はビクッと肩を震わせて野良猫のように身を屈めた。
「落ち着いて、私は味方よ」
「どうやって信じればいいんですか……」
私はポケットからデータが保存されている小型の魔道具を取り出した。
「タスキギー計画の全貌を知っている、って言えば信じてもらえるかしら……。貴女が持っているのと同じ情報を私は持ってる。そしてこの情報を貴女がこれからどうするのかも、それと引き換えに病気の治療をするつもりなのも知ってる」
「ジョン、私を止めに来たんですか?」
「いいえ、貴女を助けに来たの。どうか取引相手を教えて、私が情報を渡す。貴女はそれまで身を潜めてるだけでいい。もう危険を冒す必要はないの」
「そんなことをする義理、あなたにはないでしょう。そう言って近づいてくる人はみんな、その言葉に裏がありました」
「あの時命がけで貴女たちを助けたでしょ、それだけじゃ足りないの? お願い信じてアレックス、急がないと警察が来る。貴女も知ってる獣人部隊よ。このままじゃあ私も貴女も殺されるわ」
少しの間を置いて、アレックスは警戒を解いた。
今日一日の襲撃の疲れのせいか、それとも今朝の火事に飛び込んだ私を信じてくれたのか。そんなことはどうでも良かった。大事なことは、彼女が私の指示に従ってくれる、ということなのだから。
「じゃあ急ぎましょ、裏口なら誰にも気づかれないわ」
アレックスの手を取って裏口を根ざして歩き出したが、彼女の歩が同調しなかった。
「アレックス?」
「シットウェルさんがいないと意味がないんです。取引相手は彼しか知らないんです。私は精々『モリアーティ』という名前しか……」
「アレックス、残念だけど彼はここに来れないわ。今朝亡くなったの。診療所でもらった連絡は相棒が彼の死体が出たのを知らせるモノだったの」
「そんな……なら私はどうすれば………」
「安心して、私とルームメイトは人探しが得意なのよ。その『モリアーティ』って人もすぐに見つけてみせるわ」
さぁ早く、と狼狽するアレックスを急かしたその瞬間、待合室の正面玄関が急にしまった。
急に月夜を取り込んでいた窓が全てカーテンに閉じられ、ボゥと薄暗い照明が灯った。
その中に一つの大きなコモドトカゲの獣人が立っていた。
身長は私よりも高い230㎝、肉体は分厚くその300㎏を超える体重を支える太い尻尾と筋肉が鱗を唸らせギラギラと照明を反射させていた。鋭い眼光と爪と牙は昂る殺意を迸らせ、漏れ出る吐息は得物を震え上がらせる恐怖の化身となって部屋中に充満していた。
「よう、ジョアンナ。お前が獣人の姿をしてるのは珍しいな」
モランの声は地面が震えるほど低く唸り、その覇気は私たちから隙をついて逃げるという選択肢を一瞬でかき消した。
「セバスチャン……」
「話し合う気は毛頭ないぞ」
口を開いた私をモランはきっぱりと突っぱねた。
「俺は説得しに来た。力尽くでな。だが同時にジョアンナ、お前を助けに来た。部下は教会の外で待機させている。お前やブレイン、ランペイジと違って真面目な奴らでな、俺の合図がなければ決して突入することはない。もう敵わないと思ったら、いつでもアレクサンドラ・リーを置いて逃げていいぞ」
「それで私がビビッて、『はいそうですか』って逃げるとでも思った? 馬鹿にするのもいい加減にして」
モランは笑みをこぼした。
「それでこそジョアンナ・ワトソン、俺が一度愛した女だ……」
私とモランは体勢を低くして、その唸り声を共鳴させた。
にらみ合うこと数秒。
密閉された部屋を照らす灯りが揺らいだその刹那―――静寂が破られた。
駆けだす獣に先んじて空中を舞ったのは、アレックスが投げつけた机だった。
木製の、重さ40㎏を下らなそうな机が、まるで紙飛行機を飛ばすかのように片手で放り投げられ、モランに直撃した。速度は高く威力は充分……しかしコモドトカゲの固い鱗には傷をつけることはできなかった。
それでいい。
元よりそれで倒せるとは思っていなかった。
私は砕ける木材の欠片にその身を隠して接近し、タックルでその身を密着させた。
臀部に腕を絡ませ、腹に肩を引っ付けて、その巨体を支える重心を少しずらしてから持てる脚力全てをつぎ込んで前へ前へと踏み込んだ。
待合室の椅子やインテリアは解体工事に巻き込まれたように触れる先から崩れていき、終局点となる壁に到達すると厚さ100㎝ほどの石壁にひびが入る代わりにその衝撃を全て吸収した。
壁と私で挟み撃ちになって動けなくなったモランは拳と膝打ちで抵抗するも厚い胸部の脂肪と体毛の所為で拘束からは逃れられない。このまま持ち堪えてアレックスが逃走する時間を稼ぐのだ。
だが、私の耳は自分殴りかかる衝撃音の他に近づいてくる軽い足音を捉えていた。
まさか、と踏ん張りが緩んだ瞬間、モランの尻尾が私の脚に巻き付いて藁人形のように放り投げられた。
空中に投げ出されて明らかになった視界には、5倍以上の体格差がある獣人に立ち向かっていく小さな人間の姿がしっかりとあった。
アレックスは常識からかけ離れたスピードでモランに肉薄し、獣人とそん色ないパワーで攻め立てた。
力強さと裏腹に小柄で小回りが利くので、モランはかえって彼女と相対する方がやりにくそうに思われた。
格闘技、近接格闘術、そのどちらとも類似点のない、ただ力任せの拳の嵐が無敵の獣人を襲う。
体勢を整えた私はすぐに加勢しようと試みたが、尻尾という五つ目の肢体を巧みに操るモランと歪な格闘戦を挑むアレックスとの間に介入する隙を見出せなくて、その場でやり場のない焦りと共に見ているしかなかった。
アレックスが密着した格闘戦を挑んでから十数秒、交わした拳の応酬は百を数えようとしていた。
息継ぎもする隙がないこの戦いでは、時間を味方につけるのは耐久力に定評のある獣人の方だ。拳を繰り出すごとに、一秒経っていくごとに、生物として限界を迎えている強化人間は不利になっていった。
明らかにアレックスの攻勢が揺らいだのを見切って、モランはその指先に凶悪な爪を煌かせた。
―――最近爪に毒を仕込んだ。素材は忘れたが、血液の凝固作用を阻害するモノだ。
その煌きを見て、唐突に5年前の彼の発言がフラッシュバックした。
「―――危ないッ‼」
私は思わず二人の間に飛び出した。
モランの毒爪が幾本かの人狼の銀毛と虚空を切り裂く。
モランはこれで勝負を決める腹だったのか、思ったよりも大振りで、そのおかげでアレックスを抱えて距離を置くことに成功した。
彼の顔には一瞬驚愕の色が見えたが、私と同じ過去を思い出したのだろう、すぐに納得して次のチャンスを見計らっていた。
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