タスキギーの足音⑭
《マル秘情報⑬》
後世の歴史書によると、シットウェルが感染した後天性梅毒は当時人間男性の1割が感染していた恐ろしい病気である。
明確な治療法が乏しかったため、感染後5年以内の致死率は4割を超えた。
【道中】
建物の屋根を伝って、私はアレックスの元へと向かう。
下では仕事を終え酒をあおる人々や酔った勢いで喧嘩をする人々、そしてこれから仕事に向かおうと憂鬱そうな顔で出勤していく人々の姿が見えた。整頓されて充実したインフラから魔力を受け取る街灯は煌々と空に浮かぶ星々のように夜を照らし、人々の生活を彩っていた。
自動車よりも速い速度で夜を駆けていると、ふと視線を下ろした先にモランが乗りこんでいるであろうリベック警察獣人部隊の車両を見つけた。
車両の進行方向は私と全く同じ。
到着は私の方が早いけれど時間に余裕はないだろう。私は耳につけた通信機からモランの無線機に連絡を取った。無駄に終わるかもしれないが、うまくいけば説得できるかもしれないと思ったからだ。
『何者だ? どうしてこの回線を知っている?』
モランの口調は固かった。
「私よ、セバスチャン」
『ワトソン? なるほど、さっきの遠吠えをした馬鹿はお前だったか……。随分と派手な宣戦布告をかましてくれたな。おかげで警察は大慌てだ』
「それはお互い様じゃない。私は少しでもアレックスに向く目を逸らせればそれで良かったの」
『そうか、お前はやはりそうするのか……』
通信機の外からため息が聞こえた。
『ワトソン、彼女を助けたい気持ちはよく分かる。お前は正しい。仕事を抜きにすれば、お前に賛成だ』
「ならどうして彼女を殺そうとするの?」
『確かにアレクサンドラ・リーには国家反逆罪で処刑命令が出ている。だがそれは拘束に抵抗した時に限ってだ。俺と部下たちなら強化人間一人くらいなら殺さずに捕らえることができる。だから来るんじゃない、ワトソン。お前が彼女の味方をして敵対するなら、いくら俺でも手加減はできないぞ』
「珍しく嘘をついているのね。仮に貴方がアレックスを生け捕りにしても国が殺すわ。まるで売れ残って手に負えなくなった犬を殺処分するみたいにね。そんな国や政府よりも、私は彼女を助けたい。彼女は一生懸命に生きて、そして自分の正義を為そうとしているだけよ。もう二度とあんな人体実験が起きないように」
私は駐屯地で回収したタスキギー計画の全貌をモランに送信した。
少し間があり、モランは再び口を開いた。
『そうか、お前は自力で見つけたんだな……』
「知ってたの? いつ?」
『5年前、あの任務をスミスが持ってきた時だ。捕虜二人が人体実験を受け、人為的に強化魔術とWウィルスに感染させられ放置されていることも知っていた。その上で、俺はお前たちを爆撃に晒される直前に敵拠点へと連れて行った』
「どうして……そんなことを…………」
『そうするべきだと思ったからだ。俺は軍人だ。非公式だが獣人として国に仕えることを許された軍人だ。俺が模範的に仕事をこなしていれば、いつかその成果が認められて内側からこの腐った国を変えることができるかもしれないと思ったからだ。
ワトソン、考えてもみろ。
この国は戦争しかしていない。そのせいで今までさんざん見下してきた亜人たちに頼るまで追い詰められている。それに反発するのは簡単だ。だがもし戦争を俺たちの存在価値を示せる場所だと思ったらどうだ?
国が俺たちの頼り価値があると見出せば、国益のために俺たちの機嫌を取らざるを得ないはずだ。現に長い俺たちの奉仕に報いるために、その見返りとしてこの経済特区が生まれた。
俺たちが流した汗と血で、この理想郷が生まれたんだ。
課題は山積みで、まだまだ未完成だが、俺たちが人間たちと同じ町に暮らし努力すれば同じ待遇で雇われるチャンスを与えられた。小さすぎる成果だが、それでも確かな成果だ。
そんなところに国が違法な人体実験を行っていた、と報じられたらどうだ?
国は混乱に陥り、異なる人種・異なる種族の溝が深まってしまう。経済特区も荒れ果てて今までの努力が無為になってしまう。そうなれば今後30年、同じような特区は生まれないだろう。
だから、俺は政府を守る。どれだけ過去に人体実験を行っていようとも、俺は目をつむる。俺たちの民権運動が完全に達成されるその日まで、俺は一人の軍人として、善良な市民として、この腐った国を守り続ける。頼むからワトソン、この件から身を引いてくれ…………』
モランの言い分には、私も思うところがある。
この国の歴史は、周辺国家との戦争の歴史と言ってもいい。
他人のモノを奪い取りたいという略奪心と、自分以外の民族は皆価値がないというナショナリズムによって動機付けられた戦争の数々は、併合された国や人種・民族・種族に対する苛烈な差別を生み出した。そんな国で、多種族・多人種の歩み寄りが行われるのは、どんな理由であれ最初で最後かもしれない。少なくとも、今この経済特区が消滅すれば私が生きている内に同じモノができる確信はなかった。
それでも、それを理由にアレックスを見捨てることは、私にはできなかった。
あの任務の時以上のわがままだと自覚している。しかしそれをより多くの人々を助けるためだと割り切ってしまえば、私の中にある志が折れて消えてしまいそうに感じた。私が正義を為す善い私であることができなくなってしまうと感じた。
―――直感を信じろ。
―――もし非難されてもくじけるな。
一瞬現実にくじけそうになった時、ホームズの言葉を思い出した。
「本当、昔から私たちは意見が合わなかったわよね」
私は乾いた笑みを漏らした。
「自信を持ってセバスチャン、貴方は正しいことをしているわ。でも私にも譲れない矜持があるの。一人の医者として、善良な市民としてね」
モランからも似たような笑いが聞こえた。
『そうか。ならお互いに自分の仕事をするまでだ』
通信が切れると、モランら獣人部隊を乗せた車両はスピードを上げて目的地へと急いだ。
彼らは本気で自分の任務を達成するつもりらしい。
負けてられない、と私は脚部の爪に万力を込めて飛翔した。
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