タスキギーの足音⑬
《マル秘情報⑫》
翌日、ブレインは『マスターキー』を紛失したとして上司にみっちり絞られた。
てんこ盛りの始末書を書かされて死にかけて帰宅した後、ワトソンから返却された。
【同 死体安置室】
犯罪都市としての一面のあるリベックの安置所から死体を探すのは骨が折れるかと思ったが、ここが解放されていない軍の施設ということもあって簡単に見つけることができた。
梅毒やWウィルスが死体から感染することがないことから他の遺体と同様に保管されていた。
「シャーロック、遺体の情報をちょうだい」
私は通信機越しにいる同居人に声をかけた。医療の知識のある私が遺体の確認を、魔道具いじりに慣れているホームズが『マスターキー』を持って情報の引き出しをするように役割分担したのだ。
『名前はリカルド・スミス・シットウェル、42歳男性。プロフィールが抹消されてるな……待ってろ、マスターキーならすぐに分かるだろう。君はそのまま死体をいじってろ』
有り余った知性をもう少し言葉選びに仕えないモノかと思いながら、私はシットウェル氏の遺体を見た。
死後から推定で20時間が経過しており、末端部の腐敗は死後に進んだモノなのかそれともWウィルスの症状なのか迷ったが、その進行度合いから後者と断定した。その他の様子はおおよそホームズのメモと同じだった。
しかしひとつ気になったのは、梅毒より後にWウィルスが発症しているところだ。
同じ感染経路を持っているこの二つの病気はしばしば同時に発症する。免疫機能に障害を与えるWウィルスが先に来ることはあっても逆は珍しいどころか見たことがない。
そのことをホームズに伝えると、彼は上機嫌な声で返事をよこしてきた。
『そのことに関してシットウェル氏に面白い資料が出てきたぞ。彼の勤め先は『国立霊長類調査局』、人体実験の元締めとやらで陰謀論者のオモチャになってるところだ。資料によるとあながち陰謀論でもなさそうだ。シットウェル氏は『人道に反する行為を主導した罪』で起訴され、連行される寸前に自らWウィルスを注射して感染、2年前に感染していた梅毒との合併症に苦しみ、救護車で警察病院に移送中に乗員を殺害して逃走。その先がここリベックというわけだ』
霊長類調査局……、スミス……、どこかで聞いた名前だ。
私は昔を思い出し、アレックスの顔と同時にその正体にたどり着いた。
霊長類調査局のスミスは、私が参加した最後の任務、南部戦線でのアレックスたち人体実験被験者の救出作戦の依頼者だ。そうか、あのいけ好かない悪党はキチンと裁かれる運命にあったのか。法の裁きを前に死んでしまったのが悔やまれる。
『でだ、ワトソン』
ホームズはさらに鼻息を荒くした。
『このシットウェル氏の物語はここからが本番だ。いいや、ここまでに至る道のりが、と言った方が正確か……まぁどうでもいい。とにかくシットウェル氏の犯した罪の内容が面白い。彼が主導している人体実験はこの国の邪悪を煮詰めてその先に差別と偏見を加えたおぞましい代物だぞ』
言葉だけでは伝わりづらい、自分の目でも確認しろ、とホームズは通信機に一つのファイルを送ってきた。それは『タスキギー計画』と記されてあった。
タスキギー計画は、当初本格的な南部戦線の開戦に際し致命的な障害となるWウィルスのワクチンの迅速な開発するための、極秘裏の人体実験計画である。
その過程で『脳機能の一部破壊』という症状に着目したシットウェル生化学博士は『痛覚がない』『命令に従順』な兵士が造れると提言し、計画を主導していた参謀本部は計画の目的を『ワクチン開発』から『戦力補填のために魔術・科学技術を結集して戦力価値の低いマイノリティ人種および亜人を優れた強化兵士に育てること』へと舵を取った。
新たに計画の主任に就任したシットウェル博士はまず計画の被験者の拡大を図った。被験者は『戦地で流行る感染症のワクチン投与』と称されて『戸籍管理が拙い地域から徴兵した兵士(主に亜人やマイノリティ人種)』が集められた。
晴れて開始されたこの計画は、特区で培われた大学機関の医療技術によって「W・ウィルスによる脳の壊死の先延ばし」はすぐに成功したが、出来上がった強化兵士の戦闘評価は実験のコストに見合うモノではなかった。
そこで「痛覚がない」ことを利用し、常人なら激痛で数秒も持たない強化魔術を施した。それにより兵の寿命は最低数週間まで落ちたものの、戦闘評価はコストに見合うまでに上がった。
『タスキギー計画』は一部の政府・大学・軍関係者以外に知られることなく、運用されていた南部戦線終息後に停止された。
それまでに被験者となった亜人・マイノリティ人種は数万にもおよび、犠牲者は95%にのぼったが、計画の全貌は生き残りに伝えられることはなかった。
『君たちが参加していた作戦は全て非合法なモノだった。関わっていた軍関係者は全員処罰されたが、もし仮に従軍して経験したことを漏洩した際、一兵卒であっても厳罰に処されるだろう。君たちの今後の生活を守るため、そして何より祖国と死んだ戦友の名誉のために口外することを一切禁ずる』という旨の箝口令が敷かれたからだ。
そして一週間前、その沈黙は内部告発によって破られた。
体裁として人種平等を掲げる政府にとってこれは国家転覆に次ぐスキャンダルとして即座に告発とタスキギー計画の抹殺に乗り出した。
『それで、さっきのシットウェル氏の逮捕につながるわけだ』
ホームズは息継ぎなしで計画の全貌を語り尽くした。資料によれば、南部戦線終戦時に生き残っていた5%の被験者たちは次々にWウィルスの病魔に体を犯され、ほとんどが亡くなっており、生存者はアレックスを最後にしていた。
「シャーロック、彼女は……アレックスはどうなるの?」
『そのアレックスがそんな人間か俺は知らないが、少なくとも複数人の殺人容疑で逮捕されるだろうな。彼女は金も持っていないだろうからまともな弁護士も雇えないまま裁判にかけられて懲役刑になり、そのままどさくさに紛れて殺されるのがオチだ。その前に病気で死んだほうがまだマシってもんだろう』
ホームズは通信機越しに私の手が震えていることを察していた。
『助けたいか、彼女を?』
アレックスを助ける、ということは国と戦うということだ。
そのくらい分かっている。
私は一人の獣人として、善良な市民として、(動機はどうあれ)国に尽くし為すべき正義を行ってきた。
人助けがしたい、その信念が今も今までもこれからも揺らぐことはないだろう。しかし、私の信念や正義が国と相対する立場にある時はどうすれば良いのか。
あの南部戦線最後の任務の時、私は自分の信念を押し通そうとした所為で隊員全員と捕虜二人の命、そして任務事態を危険にさらした。今回危険にさらされるのはその比ではない。同じ正義を志す同居人と一人の女性、私を頼ってくれるスラム街の人々と未来で私に救いを求めるしかない人々……。
あまりにも多すぎる。
私の抱く正義は、果たしてそれらすべてを危険にさらしても押し通すべき価値があるモノなのだろうか。
「…………」
私は分からなくなっていた。
いや、怖くて自身の心に素直になれず、決意を口に出すことができなかった。
そんな私を察して、ホームズは優しく言った。
『ワトソン、君は善い奴だ。善くあろうと努力し、それを実践する。当たり前のことだが、意外とそれを押し通すのは難しい。だから俺は君を相棒にした。君がもし迷っているのなら、俺はいつでも君の背中を押してやる。だから、君は自分のするべきことをしろ。迷っているなら考えるな、直感を信じろ。君の直感は正しい。俺が保証してやる。もし非難されてもくじけるな。何があっても味方をしてやる。君を助けてやる。同居人としてではなく、一人の友人として、唯一の相棒としてな』
その言葉で、胸の奥からスッと重荷が取れたような気がした。アレックスを助けよう。私は私の信じることを信じ、それを実行する。それが私のするべき使命で、人助けが私の仕事だからだ。
「貴方に気を使われるなんて、私そうとう悩みこんでたみたいね」決意が固まると気分が楽になって、自然と顔に笑顔が戻ってきた。「さっきの質問の答え、イエスよ。だから助けて、私は何処に行けばいいの?」
通信機の先からホームズが笑うのが聞こえた。
『スラム街の救貧院裏の教会だ。今夜、アレックスはそこで内部告発のデータを回収する。俺の見立てでは、彼女は何かしらの組織にそれを譲渡し、その引き換えに治療を受ける魂胆だ』
それを聞いて、私はすぐにシットウェル氏改めスミスの遺体を元の位置に戻し、立ち去る前に周囲から痕跡を消した。
『警察のデータベースにアクセスした。たった今モラン率いる獣人部隊がそこに向かっているそうだ。クソッ、絶対マイクロフトがモランに知恵を吹き込んだな……。じゃなきゃあの警察が俺より先に見つけられるはずがない。ワトソンッ、急がないと一戦交える羽目になるぞ!』
「そのことは心配しないで、モランは私が説得するから」
『あの堅物を、君がか? 夜行性獣人が寝言を言うにはまだ暗すぎるんじゃないのか?』
「いいからこっちは任せて、貴女はすぐに留置場に戻りなさい。自分で保釈金なんて払えないでしょ」
私はそう言ってホームズとの通信を切ると、上着と靴を脱ぎ本能を解放させた。
今日二度目の獣人回帰、毛穴という毛穴から頑強な銀毛を生やし、顎と鼻が伸びて鋭い牙が屹立する。体中の筋肉は太く逞しくその熱まき散らして、身に纏った衣服がたちまち獣人の身体に適応を始めた。
今朝と異なるのは、体躯が一回り大きくなり、牙と爪がより鋭く体毛と筋肉はより太く強靭になっているところだ。一層私の内なる獣を完全に開放し、研ぎ澄まされた闘争心は私を人間よりも獣に近づけていたからだ。
私は雷のように喉を唸らせながら駐屯地の壁という壁をぶち破り最上部へと向かう。
理想郷リベック経済特区の全貌が見える先端部へと立ち、月夜に向かって遠吠えを轟かせた。
私の声は街中に響き渡り、街の人々やモラン率いる新設の獣人部隊にこの夜の支配者が一人の人狼であることを知らしめた。
さて、宣戦布告は終わった。
あとは私の人助けを果たすだけだ。
最後まで読んでくれてありがとう!
気に入ってくれたらブックマークや評価をしてください!
感想やレヴューも大歓迎です!
次回もお楽しみに!