タスキギーの足音⑪
《マル秘情報⑩》
レストレード警部がスキンヘッドにしたのは4年前、妊娠が発覚する前のこと。
きっかけは、夫が禿げ上がったことを気にしてカツラを買い始めたこと。それを知った彼女は「夫婦で揃えれば一種のオシャレになるだろう」と提案した。
ちなみに警部の夫の職業は建築士、リベックの都市開発の仕事をしている。
【20時間後 廃工場】
アレックス・リーは病魔に侵されて小枝のように細くなった肉体に似つかわしくない怪力を有している。
拳を握れば鈍器に、振るわれる肘は鉈、砥がれた爪は槍、首に巻き付いた腕はたちまち頑丈な縄に変わる。
最新鋭の魔術と装備を身に纏った筋骨隆々の軍人など、彼女の力の前では赤子も同然だった。
彼女の身柄を抑えんと廃工場に突入した軍人は8名。
靴のサイズから全員が190㎝100㎏超えの巨漢揃い。よく訓練された部隊だと足跡で分かる。
装備は銃火器ではなく非殺傷の麻痺魔術が付与された棍棒と衝撃吸収の個人結界魔術で覆われた鎧、正面から戦うのは無謀かと思われた。
部隊が侵入し、アレックスを探しに満遍なく分散したところで彼女は動いた。
まず狙ったのは最後尾にいた隊員だ。アレックスは背後から後頭部目掛けて拳を振り下ろしたが、その殺人的な衝撃は衝撃吸収の結界に阻まれて失敗した。だが、そこでひるむ彼女ではない。
目が合い、敵が増援を呼ぶよりも早くアレックスは的確に敵の喉に手を伸ばした。結界に吸収されないようにゆっくり力を込める。己の重さに耐えられなくなった大木のように鎧と喉はギシギシと音を立て、そしてべしゃりと握りつぶされた。
激痛に悶える隊員に追い打ちを仕掛ける。即座に背後にまわり羽交い絞めにして、ものの数秒でその意識を刈り取った。
音をたてないようにゆっくり地面に寝かせると、アレックスは棍棒を手に取った。
スイッチを入れて麻痺魔術の威力を確かめると、彼女は次の標的を定めた。
怪力と体重の軽さに裏付けられたその身体能力で廃工場を縦横無尽に駆け回り、獣のように忍び寄るとアレックスは二人の隊員をまとめて相手取った。いかに結界が棍棒の猛撃を無力化してもそれに付与された麻痺魔術を相殺できるわけではない。
素早く振るわれた12㎏の棍棒は二人の隊員の手足の自由を奪い、先ほどの度を潰した要領でアレックスは結界を展開するために欠かせない核を的確に握り壊すと、無防備となった頭部をぶん殴って二人の頭をつなぎのないハンバーグにした。
この戦闘音を聞きつけて残った隊員が5人集結して反撃の体勢を整えていた。しかし運が悪いことに、その集結地点の真上のフロアには放置された鉄筋の廃材の山があった。
アレックスは持ち主のいなくなった3本の棍棒のうち2本を天井に投げつけ、廃材の山を支えていた天井と柱を破壊し、鉄筋の雨あられをお見舞いした。
結界魔術はある程度降り注ぐ鉄筋の衝撃を耐えていたが限界を迎えほとんどの隊員の核がオーバーヒートして機能を停止、無残に廃材と死体の山を築き上げた。
運よく格が破壊されなかった一人の隊員が山から這い上がってきたが、それ以前の3人と同様、駆け寄ってきたアレックスに核を引っこ抜かれて棍棒で串刺しにされて下に眠る4人の墓標となった。
見事脅威の排除に成功したアレックスは次の標的に、外で待機していた部隊の指令車両を狙った。
そこには一般的な政府の自動車に魔力計測器と通信機、それらを扱う情報分析官と指令を出す部隊のリーダーが二人乗っていた。部隊の全滅を知るや否や指令車両はすぐにエンジンを始動して逃走したが、アレックスは自慢の速力で簡単に追いつきブレーキ機能だけを的確に破壊すると、スピードに乗った車両は止まることができず転覆。
乗員二人は燃えカスになった車両の中から焼死体で発見された。
というのが、現場を検分したホームズの見立てだ。
廃工場での戦闘跡が発見されたのは私たちがアレックスの捜索を始めてから4時間後、ホームズが労働組合の経営する宿から少ない痕跡を見出してようやく居場所を見つけ出したというのに、またもや先回りされ状況は空回りしてばかりだった。
高い知性と恵まれた才能の代わりに精神年齢が少年のままになっているホームズが苛立つのは当然のこととして、こうも凡人相手に後手後手に回ってしまえば私だってフラストレーションがたまってくる。それに十分な証拠を集める前に『保健局を名乗る軍人』たちがまた現場に現れ隊員らの死体を回収し、現場を封鎖してしまった。そのせいで私たちはおろかレストレード警部ら警察も立ち入ることができなかった。
苛立つ心を落ち着かせるためにカフェでホットチョコレートを買って(小銭がないので帰ろうとしていたレストレード警部から借りた)戻ってくると何やらホームズは背広を着た老紳士と言い争いをしているようだった。
老紳士は私を見ると
「おぉ、貴女がドクター・ワトソンですな。お噂はかねがね」
上品に笑って握手を求めてきた。
「はい」
久しぶりに好印象な人物に会えてうれしかった。
「私がドクター・ワトソンです」
「まだ医師免許を取っていないけどな」
ホットチョコレートを飲んでもまだ機嫌が直らないホームズが水を差した。紅茶がなかったのがそんなに気に入らなかったのか。
「四捨五入すればドクターです」
「もし仮に四捨五入するなら、君は一般人だ。ちょっと毛深いだけのな」
「それ問題発言だからね、獣人差別反対―――」
「―――オホン」
幼稚な言い争いを始めた私たちに老紳士は咳払いであしらった。
「話を続けてもよろしいですかな」
穏やかな笑顔のまま威圧してくる彼に私たちは背筋を伸ばした。この感じ、どこか身体に覚えがあったが答えはすぐに分かった。
「私はマイクロフト・ホームズ、シャーロックの実の兄です」
曰く、老紳士マイクロフト氏はホームズの12歳年上の実兄で、小役人の身分ながらその卓越した頭脳を買われて密かに政府の要職についているらしい。
どう見ても彼の見てくれは60か70の老人のようにしわが深く腰が曲がり声がしゃがれていたが、ホームズの様子から実年齢が40歳手前なのは嘘ではないとみた。
「それで、隠れた政府の高官がどうしてこの街に? 国の方針は『なるべく大学と自治体に任せる』んじゃなかったんですか?」
「その通りです、ドクター。だから私が寄こされたのです。『保健局』の連中は私が個人的に所有している傭兵たち、いわば私設部隊です。任務内容は国家機密なので話せませんが」
「その機密とやらがWウィルスと関係があるんですね?」
マイクロフト氏はWウィルスの言葉に瞳を丸くした。
「流石にたどり着いていましたか。貴女の経歴なら当然でしょうな。であれば、この件がどれだけ重要なのかお分かりですね」
「分かっているともッ」
そう口をはさんできたのはホームズだった。
「政府がどれだけ人道に反する行為をしているのは知っていた。今回も同じようなブラックボックスだろう、だからこそ首を突っ込んだんだ。あんたの面くらった顔が拝みたかったからな」
「そのひねくれた性根はどうにかならんのか。高度な政治問題に兄弟げんかを持ち込むな」
「高度な政治問題だと? 馬鹿言うな、デカい赤ん坊の粗相を処理してるだけだろうがッ! お前こそなんでも大げさに言う思春期病をどうにかしろッ!」
「赤ん坊なのはお前の方だ、シャーロック。このことを母上が知ったらどう思われるか―――」
マイクロフト氏の言葉はここで途切れた。ホームズに殴られたのだ。周囲の時間が一瞬で凍り付き、瞬く間に私とホームズは『保健局』に取り押さえられた。
「赤ん坊なのはあながち比喩ではなかったようだな。公務執行妨害に傷害、十分な拘束理由になる。それが分からんお前ではなかろうに……」
マイクロフト氏は治療に駆け寄った部下の申し出を断ると、ポケットから取り出した絹のハンカチで血をふき取った。
「今日一日、牢屋で頭を冷やせ。兄弟のよしみだ、一度くらい弁護士を呼ぶチャンスをくれてやってもいい」
マイクロフト氏の合図で、手錠をかけられた私たちは『保健局』の自動車に押し込められ、彼が管理する施設へと連行された。
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