タスキギーの足音①
【軽症者用医療テント】
医療テントでは、専ら戦場に現れたという軍属獣人の話題で持ちきりだった。
話の出どころは無論、昨日の大規模攻勢で負傷した黒人の兵隊たち。彼らは私の、ジョアンナ・ワトソンの二等兵の階級章と衛生兵の腕章、そして胸のふくらみで女と分かると、まるで武勲を掲げるように意気揚々と戦場の様子を語りだした。
「俺はこれといった宗教を信じているわけじゃあねぇが、あの時は思わず神に祈っちまったよ。血が滴る牙と口に、坂巻く体毛、ギロリと血走った眼からは視界に入るやつみんなぶっ殺そうっていう格好はまさに悪魔そのもの……。隣にいた相棒なんて腰を抜かして小便漏らしてたぜ。俺はそんな相棒を担いで急いでその場から離れたんだ。この傷はその時ついた傷さ」
兵隊はきつけに服用した昨日の強壮剤がまだ残っているようで、かなり痛むはずの銃創をベチベチと叩きながら笑っていた。
「それはすごいわね」付き合ってられない、と私は愛想笑いをして言った。「それにしても、敵も獣人を投入するなんて意外ね。最近人種分離政策に躍起になってたそうじゃない。なりふり構ってられなくなったのなら、ここももうすぐ終戦かしら」
「敵も?」兵隊はきょとんとした顔を浮かべている。
「ごめんなさい。こっちの話よ」
いけない、口を滑らせた。私は急いで訂正して立ち去ろうとしたが、兵隊は何かに気が障ったのか血相を変え、グイっと私の手首をつかんできた。
「何か勘違いしてるようだが、俺が見た怪物は友軍だった。女のあんたからすりゃあ獣人の軍人も納得がいくんだろうが俺は違う。今はハイだから笑い話だが、本当ははらわたが煮えくり返りそうだ。なんせ、俺たちの戦場に異物が混ざって一丁前に戦果を上げてんだからな」
男はそう言って手に力を込めた。その力は骨が軋む音が聞こえてくるほど強く、声は興奮した獣のように低かった。
「離して」私は兵隊の敵意に呼応するように態度を冷たくして、掴むその手を引きはがした。「処置は終了よ。帰る前に軍医のマルルク少尉からサインを貰って」
これ以上あの兵隊と関わりたくなかったので、私は逃げるようにテントを出た。苛立つ心を落ち着かせようと急いでポケットから支給品のタバコに手を伸ばす。長らく放ったらかしにしたせいでカビが生えたそれにため息を漏らしながら火をつけ、深く息を吸った。
「…………」
久しぶりの煙に驚いた肺を意地で黙らせて一口、また一口と灰を溢していると一人の若い兵隊が近づいてきて言った。「ワトソン二等兵ですか?」
「えぇ、そうよ。何か用?」答える私の声にはまだ苛立ちが残っていた。
「セバスチャン・モラン軍曹がお呼びです。どうやら急を要する任務だとか……」
「そう……」
私は目が泳でいる彼の肩を「連絡ご苦労様」と言って叩き、先程とは裏腹にゆっくりとその歩を進めた。居場所がなくなったカビ付きのタバコは、持っていても仕方がないので火が付いたまま握りつぶして若い兵隊の足元に捨てた。
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