ルーンゲルド その9
「なぁ、このまま飛んで逃げればいいんじゃねーの?」
「わしはそれでも構わぬが、奴が浮遊魔法を使えるとすれば、わしか奴のどちらかの魔力が尽きるまで高速飛行で逃げ続ける事になるじゃろう。無論、魔力量で負ける気はせんがその間、お前はその細腕で振り落とされずにずっとしがみ付いていられるんじゃろうな?」
「……ふん。無理じゃねーけど、じじいは大魔導士なんだろ? んな泥仕合みたいなみっともねーやり方しかねーのかよ。それともその程度の実力か?」
「なんじゃとッ!!」
「はッ! だったらスマートに切り抜けて見せろよ?」
「ぐぬぬ……ッ! 吠えおって小童がッ!!」
「で、どうなんだ? 手はあんのかよ」
「……なくもないわい。じゃが、空間転移ゲートの魔法はわしでも構築に時間を要するのじゃ。しばらくは時間稼ぎをせねばならん」
「はぁ? それって別の場所に移動できる魔法だろ? だったらなんで最初っからその魔法を使わなかったんだよ! 馬鹿か?」
「馬鹿はお前じゃ! あれほどの魔力を要する魔法、構築するだけで近づけば魔力感知能力が低い者にすらバレバレじゃわい!! そもそも奴がお前についていたのは完全に想定外なんじゃ! その時点で気づかれる前に逃れるのが最良じゃったんじゃ!」
「あーもう、耳元でうっせぇな。わかったわかった! じじいがそう興奮すんじゃねぇよ。で、どうすんだ?」
「お前を抱えていては足手まといじゃ。いったんお前を屋根の上に下ろす。なんとか奴を抑えながら空間転移ゲートの魔法を構築するほかあるまいて。それまでお前は動かず待っておれ!」
「おとなしく縛につけ。ルーンゲルド!」
ルーンゲルドの前に浮遊魔法で浮き上がったエルガンが立ちはだかる。
「来おったか、やはり浮遊魔法を……。よいな、その場で動くでないぞ!」
あらかじめ構築していた魔法の発動と同時に、ルーンゲルドはレンジを下へ突き落とした。
絶叫を上げながら屋根の上へ落下したレンジは衝突の瞬間、魔法によってふわりと浮き上がるとやさしく着地した。
「ざ、ざっけんな! じじい! わざとかてめえ!!」
下から聞こえてくる罵詈雑言を無視してルーンゲルドは空間転移ゲートといくつかの魔法を平行して構築し始める。
「おぬしは先日、王との謁見を済ませブリトールへ帰ったはずじゃろう? 何故いまここにおるのじゃ、エルガン・エスカフォードよ!」
「旧友に頼まれてな。ちょっと騎士団の訓練を手伝っていたんだ」
「ぬぅ……。ルーギンス陛下との謁見も叶わず、予定外のおぬしの妨害と、まったくわしの運は底をついておるのかのう。レンジの保護も王国騎士団団長の差し金であろうな?」
「そうだが。おしゃべりは魔法を紡ぐための時間稼ぎか?」
突進してきたエルガンの鋭い右ストレートが空を切る。
「ぐぬっ、否定はせぬ! じゃが、半分はおぬしと語らいたかったのじゃ」
ここは城外であるし相手は王城の仲間ではない。
ルーンゲルドは遠慮なく殺傷力のある風と土の混合魔法を発動し、エルガンの体を吹き飛ばす。
錐揉みながら数m先で止まったエルガンの両手から無数の石の刃が零れ落ちる。
暴風に乗って対象を切り刻むはずだった石の刃は、すべてエルガンの両手に掴み取られていた。
無傷とは流石に想定外だったルーンゲルドは驚愕し、内心悪態を吐きながらも、やはりこの男は手の抜けない相手だと再認識する。
そしてより強力な攻撃魔法の魔力図を構築し始めた。
「おぬしは天魔戦争をどう捉えておるのじゃ!」
構築済みの射出魔法を放ち、遠距離からエルガンを牽制しながらルーンゲルドは疑問を投げかける。
もしエルガンが説得に応じれば、それは又と無い強力な剣を手にするに値するのだ。
そしてルーンゲルドには僅かだが説得の糸口があった。
それはエルガン・エスカフォードがブリトールの冒険者ギルドマスターを引き継ぐという事である。
ブリトールといえば、地理的な理由から天魔戦争の際に常に最前線となる街である。
そのような街の冒険者ギルドマスターへの就任を受け入れる者ならば、天魔戦争に対して一家言あるに違いないと読んだのだ。
「俺の時代に攻められたなら、俺の持つ全力でもって奴らを迎え撃ち、大切な街や人々を護る。それだけだな」
エルガンは高速で射出される岩や氷の刃を素手で弾き飛ばし、浮遊魔法を巧みに操って火球を避けながら、逃げるルーンゲルドを追いかける。
「王に英雄と認められし者が随分と消極的じゃのう! おぬしはこの不条理を終わらせたくはないのか?」
ルーンゲルドは大きく展開した射出の魔力図から自身よりも大きな岩石を撃ち出す。
「終わらせられるならな。だがそれは無理だろう。俺達は魔界について何も知らな過ぎるのだ。ぬんッ!」
足を止めたエルガンは迫り来る岩石を蹴り足1つでいとも容易く粉々に打ち砕いた。
「魔界の情報はあるのじゃ! 我が偉大なる先祖ミューゼ・ケフストラトが500年前に魔界に入り、彼の地での数年に渡る隠匿生活を記した日記があるのじゃ!」
「なんだと!?」
人界の国々を旅した事のあるエルガンにしても、それは驚きを隠せない話であった。
彼の知る限りではそのような人物は過去の歴史に於いてもひとりもいなかったし、そもそも魔の平原に現れる魔界の門は天魔戦争の時にのみ、その姿を顕現し扉が開かれるのだ。
そして地理的な問題と合わせて、魔の平原に近づくほどに強力な魔物が無数に跋扈していることから、平時であっても近づくことすら困難とされているのである。
宮廷魔術師団元団長のルーンゲルドの言でなければ、エルガンにしても笑って受け流したに違いない。
「わしの計画通りに進めれば、数百年、いや数十年のうちに魔界へ進軍し、天魔戦争の元凶を絶つ事が可能なのじゃ! 太古より連綿と続く、この呪われた血の大祭に終止符が打てるのじゃぞ!!」
逃げながらルーンゲルドは鋭い風の刃の魔法を連続して放つ。
エルガンは腰に下げた剣を鞘から抜かぬまま手に取ると、神速の剣捌きで風の刃を受けきった。
「なるほどな。それは確かに興味深い話だが……悪いが賛同はできんな」
「何故じゃ! 何故ラウゼルもおぬしも、わしに賛同せぬのじゃ!!」
エルガンはルーンゲルドが行った勇者召喚が任意だからといっても、強制召喚と大差ないと考えていた。
彼の経験からも初志貫徹が出来る者などそうはいないのだ。
ましてエルガンのレンジに対する印象は、そのような芯の強さからはかけ離れたものだった。
「人は後悔する生き物だからな。それにあの青年は駄目だな」
「レンジはこれからわしが育てあげるのじゃ。いまは力がないじゃろうが、数年後にはわしと同等の魔導士となっておるじゃろう」
エルガンはそういう意味で言った訳ではなかったが、あえて反論はしなかった。
ルーンゲルドの計画については、レンジの保護を頼まれた際に騎士団の団長からひと通り聞いていたが、仮に最強の魔法師団が結成されたとしても魔界を滅ぼすなど不可能だとエルガンは結論付けていた。
それは冒険者なら誰でも知っている常識。魔物は交配によって生まれるのではなく、自然発生するという事に起因する。
魔素溜まりから何らかの原因で魔核が形成され、その魔核を中心に魔素が集まる事で魔物が生まれるとされており、それは人界に散らばる迷宮やダンジョンが研究された結果導き出された、信頼性の高い説だった。