ルーンゲルド その7
「こうなっては仕切りなおしじゃ。レンジ・カナムラサキさえおれば、計画の始めは予定通り進行可能なのじゃ。まずは奴を連れてラザーニ城を脱出せねばなるまい。大方、城内の宿泊所の1室にでもおるのじゃろう」
ラウゼルの手引きとすれば、昔から確執のある王国騎士団の宿泊所は考えにくい。まして王宮は論外だ。ならば残るは1箇所のみであろう。
ルーンゲルドはそう結論づけた。
幻影魔法で姿を眩ますと宮廷魔術師団の宿泊棟を目指し、ルーンゲルドはゆったりとした足取りで王の寝室を後にした。
取り残されたラウゼルは無気力にされた心に鉄の使命感で抗いながら、体内に僅かに残された魔力を振り絞り、光の初級魔法を構築し始めた。
普段であればこの程度の極小の魔力図は瞬きのうちに発動できるが、限界を超えた魔力の消失に身体が拒絶し、悲鳴をあげてくる。
苦痛に集中力も乱される中、まるで大魔法を紡ぐ思いで小さな小さな魔力図の構築を終えると最後の力を振り絞って窓へ向けて放った。
意識を失ったラウゼルを照らすように窓の外から赤い光が差し込んでくる。
それはルーンゲルドの進入と、自身の失敗を部下に知らせるための信号であった。
ラウゼルの指示を受け、遠くから王の寝室を見守っていた宮廷魔術師のひとりが赤い信号に気づいた。
伝令のために控えていた仲間がすぐに走り出す。
まもなく城内は蜂の巣をつついたような騒ぎに包まれた。
王国騎士団の宿泊棟の上階にある一室にて、レンジは憤っていた。
「なんだか騒がしいな。うるさくて眠れねーよ。おい、おっさん! あいつら黙らせて来いよ」
「俺の仕事はお前の保護だ。離れる訳にはいかん」
「ちっ、おっさんと個室に2人きりとか、うれしかねえんだよ。あ、仕事っつったか? そうだ、ならおっさんはクビにすっから、かわいい女の子と代われよ。どうせ見つめられるなら美少女の方が断然盛り上がるってもんだぜ」
「お前にその権限はない」
「ッだとこら! ……あぁ、おっさんあれだろ。雇われの下っ端だろ? 鎧すら与えられてねぇみてーだし。クククッ、そりゃおっさんには何の決定権もねーよな! 底辺だし、クククッ」
エルガンはレンジの下卑た笑いに反吐が出そうだった。
第一印象から好ましくなかったが、この短い時間の中で心底ウンザリしていた。
そもそもエルガンが軽装である事には理由があった。
彼が王都を訪れていたのは、今度ブリトールの冒険者ギルドマスターを引き継ぐ事になった由、国王陛下へ挨拶に来ていたためであり、その様な場に過剰な武装で現れれば彼の武勇と相まって、好ましく思わない者の邪な想像力を刺激するかもしれないと、彼なりに配慮した結果であった。
そのため、身を守るための剣以外の武装は全てブリトールに置いてきていたのだった。
尤も、国王より英雄と認められし者にしか与えられないエルガンのSランク冒険者という肩書きは伊達ではない。
彼にとって鎧など保険でしかなく、剣さえあればその実力にさして影響などないというのが実情だった。
ただ経験上、声高に騒ぎ立てる者達は中身ではなく外面にばかり目を向けることは往々にしてあることだったから、実際的な所は兎も角、目くらましとしては十分な効果があった事だろう。
「ちっ、無視してんじゃねーよ。それともプライドがねぇのか?」
「寂しい奴だな、お前」
「なっ、んだとおッ!!」
レンジは激高した。短いエルガンの返しは、それ故に無駄なく的確にレンジの急所を抉った。
それは言葉だけでなく、エルガンがレンジに向けた無表情で冷たい視線が、まるで価値のない物を見つめるそれだと感じられたからかもしれない。
事実、エルガンはこの青年に何も見出せていない。嫌悪感はあっても、何1つ好ましく思えるところがなかったのだ。
「底辺がこの俺を見下してんじゃねーぞ!!」
側にあった椅子を掴みあげたレンジは、それをエルガン目掛けて振り下ろした。
椅子はエルガンに触れる前に一瞬の内に砕け、木屑となって霧散した。
「は、はぁ!?」
「大人しくしていろ」
エルガンの腰に下げた大きな剣は鞘に納まったままだ。
粉のついた右拳を左手で払うエルガンを見て、レンジは素手による反撃を受けた事を理解した。
まったく見えなかった挙動。この男には逆立ちしても敵わない事を、レンジは否応なく臆病な心に刻み込まれた。
しかし、彼のちっぽけな自尊心はそれを認める事が出来ないでいた。
「て、てめーは俺を護らねーといけねぇんだろ。直接の手出しはできねぇはずだ」
レンジは震える手で机の上の武器になりそうな物を手にする。それは武器としては頼りない羽ペンだった。
「お前は何か勘違いをしているな。俺がお前を保護するのはルーンゲルドが現れた場合に奴を捕らえるためであって、お前を護衛するためではないぞ?」
「はぁ!? はぁぁぁ? 俺は囮だってのか!?」
無言のエルガンの視線をレンジは侮蔑として受け止めた。さらに怒りの炎が燃え上がる。
「俺はこの世界を救う勇者だぞ! 頭を下げて土下座でへりくだりやがれ! じゃねーと助けてやんねーぞ!!」
ここにきて、エルガンはようやくルーギンス王の真意を悟った。
王はこの事を懸念していたのだ。この青年に無類の力を与えることは危険すぎる。
「この国の王はお前にそのような偉業を求めていないぞ。せめて命尽きるまで平穏に暮らすことをお望みだ」
「じゃ、じゃあ! 俺に魔法を教えてくれるって約束はどうなる!?」
「必要ないだろう? 王の温情で生活保護が与えられるのだ。およそ戦闘とは無縁の生活が送れるだろうからな」
レンジは思案する。いくら資質があっても魔法が使えなければ自分はただの凡人に成り下がる。
それでは形が違うだけで日本での生活となんら代わり映えのしない人生が待っているのではないか?
この世界に召喚されて以来、ここまでの僅かな間に観て来た景色は、まるで中世よろしく、電気もなく、精密機械もなく、車の代わりに馬車が走っていそうな印象であった。
銃ではなく剣や槍を手にする兵士の装備からもそれが伺えたのだ。
少なくともパソコンやスマフォ、インターネットなどの文明の利器は、望むべくもないことが明らかだった。
これではまるで、すべてを取り上げられたあの小さな部屋の中とどう違うというのか?
なんのためのやり直しかわからないではないか!
「くっ、ざっけんな! お前らが俺を異世界転移させたんだろうが!!」
「俺が聞いた話だと、お前は同意の上で転移魔法を受け入れたはずだが?」
「うるせぇ! うるせぇ!! 約束と違うじゃねーか! 俺はもう元の世界に帰れないんだぞ! お前等のせいだ! どうしてくれんだよ!!」
「俺達のせいじゃないぞ。ルーンゲルド個人のせいだ。お前のその怒りこそが、奴が大罪人たる所以なのだ」
「んーだそりゃあ……くっそがぁ~!! 同じ世界の人間ならお前らにも責任があんだろうが! 俺が納得するまで償いやがれ!!」
「無関係の俺達が責任を負う道理はないな。この世界の責任が問われるなら、それはこの国の司法がルーンゲルドを大罪人として認め、罰することで果たされているはずだ」
「うがあああああ!!!! うるせぇ! 黙れッ!! ごちゃごちゃ言い訳すんじゃねー! お前らは俺が許すまで謝罪しつづけろ!! 俺は被害者だぞ!! くそっ! くそッ!!」
机やベッドに当り喚き散らすレンジをエルガンは哀憐の目で見つめていた。
十代後半といったこの青年がどうしてこうまで未成熟で、歪に捻じ曲がっているのか。
それはエルガンにしても想像がつかなかったからだった。