ルーンゲルド その6
そうした生活を続ける中、とうとうレンジはやり過ぎてしまう。
問題は大きくなり、刑事事件にまで発展した結果、初犯で未成年ということもあり刑務所送りは免れたものの、ネット上での日々の悪行も含めて彼の両親の知るところとなった。
監督責任だからとスマフォやパソコン、ネット環境も取り上げられた彼は、何もすることがなく、将来の展望もなく、自分をそこへ追いやった両親や周囲の人々を呪いながら無為な日々を送っていたのだった。
彼に異世界への誘いが訪れたのは、そんなときだった。
だから彼は帰りたいとは思わなかった。
元の世界にも、あの生活にも、クラスメートも両親も、微塵も未練などなかった。
むしろマイナスの感情に占められてさえいた。
レンジにとってこの異世界転移は、まさに人生のリセットであった。
自分を知るものがひとりもいない空白からの……いや、優秀な魔法の資質を持った状態からのやり直しのチャンスなのだ。
魔法を教わり、力を手に入れたなら、まぁ魔界を滅ぼす手伝いはしてやってもいい。
圧倒的な魔法の力で軽く滅ぼしてやろう。
そしてその後は人々の賞賛の中、薔薇色の人生が開かれるのだ。
皆がレンジに注目し、感謝し、その力を畏れ羨み、王すら平伏す。
有能有望な彼を世の美少女達は放っておかないだろう。
恋人を取られた男達は悔しがるがレンジには敵わない。影で歯軋りするだけなのだ。
そんなこの世界の主役として生きていく姿を想像してレンジは口元を緩めていたが、やがて奥歯をかみ締めた。
「だってのによぉ。あのじじい、俺を置いてどこいきやがったんだ! まだ魔法の使い方を教わってねーぞ!!」
床を殴りながら悪態をつくレンジの前に、大きな剣を1本腰に下げた筋骨逞しい大柄な男が立ち止まった。
「お前がレンジ・カナムラサキか?」
「そーだけど。おっさんだれ?」
「俺はエルガン・エスカフォード。お前を保護しにきた」
「ちっ、やっとお迎えがきたのかよ。おせーぞ!」
悪態をつくレンジに対し、眉ひとつ動かさずにエルガンは冷たい目で無視した。
彼の晴眼はひと目見てこの青年の本質を見抜いたのだ。
そうとも気づかないレンジは、これでやっとベッドで休めると内心喜んでいた。
――深夜。宿のベッドから起き上がったルーンゲルドは行動を起こす。
王の寝室へ直接空間転移ゲートを開くと、その枕元にひざまづいた。
「ルーギンス陛下、夜分にて失礼仕る」
ルーンゲルドの呼びかけにベッドの中の人影は微動だにしない。僅かな違和感を感じたその時。
「陛下はここにはおらぬ」
天幕の陰から男がひとり、静かに姿を現した。
「お前は……ラウゼル? 何故貴様がここに!」
「牢破りがあったと知ったからだ。例えあなたの幻影魔法であっても、私の目は騙しきれぬ」
「ぬぅ……。ここにきてわしの見る目の確かさを呪うことになろうとはのう。ラウゼル、おぬしは魔法に於いては間違いなく秀才じゃわい」
「ふっ、所詮は秀才止まり。天才のあなたには遠く及ばぬ」
「ほっほっほ。おぬしを秀才たらしめておるのは、その殊勝さも一因じゃろうて。ならば及ばぬおぬしがでしゃばってどうするつもりじゃ? 邪魔をするでないラウゼル! 答えよ、ルーギンス陛下はどこにおわすのじゃ!!」
「陛下はあなたとの謁見を望んでおらぬ」
「謀るか! ルーギンス陛下がわしとの謁見を拒否するはずがないわい!」
「わからぬのかっ、あなたの行いがどれほど陛下の御心を傷つけているのか!」
そして自分と部下達の心も!
ラウゼルの周りにいくつかの魔力図が構築されていく。
「おぬしでは話にならんわい。陛下の居所を教えぬというなら、力づくで吐かせてやるだけじゃ」
ラウゼルの魔力を感じ取ったルーンゲルドが複数の魔力図を同時に構築し始めた。
大魔導師級の2人は瞬く間に魔力図の構築を終えた。
「これ以上、陛下の御心を傷つけさせる訳にはいかぬ!」
ラウゼルがその1つを発動させると王の寝室が目も眩むまばゆい光に包まれた。
しかしルーンゲルドは読んでいた。既に遮光の魔法で目を守っていたルーンゲルドは次に来るであろう拘束魔法を予期し、デコイにするため床から太い石の棘を魔法で生やす。
ラウゼルは自身の魔法でやや目を眩ませながら、続けてルーンゲルドがいた場所へ向けて拘束魔法を放った。
鉄の鎖がデコイの石の棘に巻きついて捕らえる。
「やったか!?」
「甘いわい」
ラウゼルの足元に2匹の蛇が生えてくると、巻きつきながら身体を這い上がっていく。
蛇が首まで巻きついたとき鋼鉄に変わって相手を拘束する、ルーンゲルドが放った拘束魔法だ。
その魔法を熟知しているラウゼルは、手遅れになる前にあわてて風魔法を構築すると寸前のところで蛇の首を刎ねた。
身体に巻きついていた蛇の身体が消失して自由になる。
「ぐ、遮光の魔法か!」
眼球の痛みを堪えながら、ラウゼルは僅かに開いた瞼を震わせた。
「おぬしは使っておらんかったようじゃのう。自爆して隙だらけじゃわい」
「あなたとやり合うなら、小さな魔法1つ分とて、先んじるためには馬鹿にできぬのだ!」
互いに相手を縛る魔法を放っては、無効化するための魔法を構築して逃れる。
繰り返される攻防の劣勢を無謀と賭けで埋めながら、少しずつ身体を傷つけながらもラウゼルはルーンゲルドに食らいついて足掻く。
「何故じゃラウゼル。何故そうまでわしの邪魔をする!」
「それが陛下の御心なれば!」
「戯言を。それはラウゼル、おぬしの心じゃろう! これまでの天魔戦争でどれ程の血が流れたと思うのじゃ! どれ程の命が散っていったのじゃ!! この国を埋め尽くす程の死体を積み上げても尚続くこの脅威は、あとどれだけの死体を積み重ねたら終わるのじゃ! 答えよ!!」
「終わらぬ……! 積み重ねた死体の数がいくら増えようとも終わらぬ。魔界が存続する限り、天魔戦争は終わらぬ!!」
「然り! ならば魔界を滅ぼす以外に手はないのじゃ! よいのかッ、これから先も魔界からの進軍を受け続け、そのたびに多くの兵の命を散らし、時に愛する者の命すら失う! おぬしは太古より連綿と続く呪わしき天魔戦争の生贄を、未来永劫、捧げ続けていくつもりなのかッ!!」
「ぐ、いいわけがなかろう! 止められるならば私だって止めたいのだ!!」
「ならば何故邪魔をするのじゃ! わしと、わしの先祖達が作り出した新しい勇者召喚こそがこの世界を救う、救世魔法たるのじゃぞ!!」
「勇者召喚は我々の世界を救いはせぬ。新たな脅威を生み出すだけなのだッ!! 勇者ダスティンのような傑物は2度と現れぬ!」
「ええい! やはりおぬしでは話にならんわい! これ以上、王の寝室を血で穢すわけにはゆかぬ……!!」
ルーンゲルドは魔法の構築速度を速めた。
ラウゼルが拘束魔法から逃れ切る前に次の拘束魔法を畳みかけ、じわじわと、しかし確実にその機動力を削いでいった。
抗い続けたラウゼルも、やがていくつもの拘束魔法によって全身を縛り上げられ、身動き1つ出来なくなった。
ルーンゲルドはすぐさま胸元から魔法の拘束具を取り出すと、ラウゼルの両手に取り付けて魔法を封じた。
「ぐ、ここまでかッ!」
「さぁ言うのじゃ! ルーギンス陛下はいずこじゃ!!」
「言わぬ。だが1つだけ教えてやろう。陛下はラザーニ城にはおらぬ」
「貴様……! 空間転移ゲートを使って城外へ逃がしたのじゃな!!」
「陛下への忠誠心に誓って私は言わぬ。見つけたければ世界中を探し回るが良い!!」
「おのれぇ~!!」
ルーンゲルドは意趣返しとばかりに、脱力と沈黙の魔法を構築するとラウゼルへ放った。