ルーンゲルド その5
「何故ルーギンス陛下は法廷の場に現れなかったのじゃ……」
無論、すべての裁判に王が出席する訳ではない。
大事を除けば欠席するのが通例であったが、今回は裁かれるのが他でもない宮廷魔術師団団長のルーンゲルドなのだ。
事の大きさを鑑みても王の出席は間違いないはずだった。
冷たい牢獄へ戻されたルーンゲルドはルーギンスが姿を現さなかった理由に思考を働かせたが、いくら考えても答えは見つからなかった。
「ふぅ。埒のないことをいつまで考えても仕方があるまい。このままではわしは明日、処刑されてしまうのじゃ。こうなれば直接陛下を説得するほかあるまい。まずはこの厄介な魔道具じゃな」
並みの力ではこの拘束を解く事ができないことは、そうした本人であるルーンゲルドにはよくわかっていたが、それと同時に弱点もよくわかっていた。
「ほっほ。皆は知らぬが、この魔道具には1つだけ欠陥があるのじゃ。ちと賭けになるがのう」
体内に残されている必要最小限の魔力を放出する。
すぐに限界を超えた魔力の消失に身体が悲鳴をあげ始めた。
「ぐぬぬ……まだ届かぬか」
さらに魔力を放出すると、苦痛の限界を超えてルーンゲルドは意識を失った。
――数刻後、意識を取り戻したルーンゲルドは自身の魔力の回復を実感する。
「ぐ……どうやら成功したようじゃ。しかし魔力喪失による失神なぞ何十年ぶりじゃが、きっついのう」
ルーンゲルドは気を失っていた間に回復した僅かな魔力を使って開錠の魔法を発動すると拘束具を解除した。
自由になった両手を労わるように揉み解す。
「この拘束具には対象の魔力が限りなくゼロになったときにエラーを起こして効果を停止する不具合があるのじゃ。いや、不具合というよりは人命を守るセーフティなのやもしれぬが、まあそんなことはどちらでもよいことじゃ。それにしてもラウゼルのヤツめ、ほっほっほ、迂闊じゃのう。魔法の施錠も暗号キーを変更しなければ、マスターキーを知っているわしには無意味じゃて」
誰に言って聞かせるでもなく、上機嫌に語りながら手馴れた手つきで魔法を使い分けながら拘束具を分解していく。
そして目的の魔核を取り出すことに成功すると、奪われた自身の魔力を取り戻した。
「むぅ、他者の魔力が少し混じっておったか。じゃが、わしの圧倒的な魔力量に薄められておるな。少々気分が悪いがこの程度の拒絶反応ならばすぐに治まるじゃろう」
幻影魔法を発動させると、足元に拘束されて横になっているルーンゲルドが現れる。
「夜まででよい。これで時間が稼げるじゃろう。それまで街の宿で休み、魔力のさらなる回復に努めるとするかのう」
幻影魔法を自身にかけて姿を眩ますと、壁抜けの魔法と浮遊魔法を使い、誰にも気づかれぬよう静かに王城を脱出する。
街の路地裏に降り立ったルーンゲルドは、魔法を解除すると幻影魔法で姿を旅の商人に変え、安宿を目指して歩き出した。
――その頃、牢に向かう2人の男の姿があった。
男のひとりを目にした牢屋番の兵士が椅子から立ち上がって敬礼する。
「問題はないか」
「はっ! 静かなものであります。ラウゼル副団長!」
「うむ」
「うへぇ、城の地下牢ってまじこんな感じなんだな」
「黙って歩くのだ。本来、関係のない者が足を踏み入れる場所ではないのだぞ」
「関係ならあんだろ? 俺はお前達に呼び出されたんだぜ」
「それは違う。呼んだのは我々ではない。大罪人ルーンゲルド個人なのだ。この国における住民権と生活保護は我が王の温情によるものぞ。我々にはお前に詫びるような負い目など1つもありはせぬ。勘違いするでないわ」
「ちっ、んーだそりゃぁ……」
鉄格子の並ぶ通路を進んでいくと、最奥の牢屋の前で足を止めた。
「おい! じーさん起きろ!! 話があんだよ!」
レンジが鉄格子に掴みかかって声を掛けるが、寝そべったままのルーンゲルドは微動だにしない。
「待て。おかしい。発動中の魔力の波動を感じる。まさか……!」
ラウゼルは幻影魔法を破る魔力図を構築すると眼前のルーンゲルドへ向けて発動した。
2つの力がせめぎ合うかのように寝そべるルーンゲルドが揺らめくと、やがて煙のように溶けて消えた。
「お、おい! じーさん消えちまったじゃねーか!」
「やはり幻影魔法だ。奴は既に脱獄していたのだ!!」
ラウゼルは思考を巡らせる。そしてルーンゲルドが終始、王への謁見に拘っていたことを思い出した。
「国王陛下の御身が危うい!!」
レンジをその場に放ったまま、ラウゼルは王宮へ向かって駆け出した。
「おい! ちっ、なんなんだよまったく。全然楽しくならねーじゃん。俺の異世界転移なのによお~」
レンジはひとり憤慨していたがすぐにこの場にいても意味がないと気づき、悪態をつきつつ、来た道を思い出しながら元いた部屋へ帰ろうと歩き出した。
「――あー、くそ! こんなとこ通ったか? 造りがわっかりづれーんだよ。迷路かっつーの!」
明らかに来たときよりも長く歩いていることに気づいたとき、レンジはようやく自分が迷子になっていることを認めることができた。
仕方なく廊下を走り回る兵士を呼び止めて案内させようと試みるが、声を掛けても一様に「それどころではない!」と一蹴されてしまうのだった。
そうしてさらに小一時間ほど歩いた頃、もともとインドア派の彼は体力の限界を迎えて壁を背もたれに廊下に座り込んだ。
「足が痛ぇ……。つか、んーだよもう。こんなことなら召喚なんかに応じるんじゃなかったぜ。頼まれたから来てやったってのによぉ。この待遇はありえねーだろ。もっと国を挙げて歓迎するとか、豪華な食事や美女を振舞うとかじゃねーの? 期待外れすぎんだろ」
そう零すものの、元の世界へ帰りたいとまでは思っていなかった。
何故なら彼の日本での暮らしは凄惨たるものであったからだ。
一般的な中流家庭に健康な身体で生まれ、平均的な学力を有する彼は、客観的に見ても贅沢を言わなければ不満があるはずがない境遇であった。
そんな彼の生活を凄惨たるものに貶めていたのは、ひとえに彼自身の尊大過ぎる性格によるものであった。
レンジ・カナムラサキは自分の失敗を決して認めることはしない。
もし失敗しても、それは周りの何かの、自分以外の誰かのせいとしていた。
自分を正当化し、周りを貶めることでちっぽけな自尊心を保っていたのだ。
さらに他者の失敗に対してはこれを徹底的に叩くものだから、中学の同級生達の彼を見る目がどのようなものであったかは容易に想像がつく事だろう。
やがて誰からも相手にされなくなった彼は、けれどちっぽけな自尊心が邪魔をしてその理由を正しく理解できないまま、いつものように原因はクラスメートにあると主張し続け、中学3年生の夏休みを機に、ついに学校という社会と決別してしまうのだった。
登校拒否し、自宅での引き篭り生活を始めた彼は孤独の寂しさを紛らわすようにネットにはまりはじめる。
四六時中、SNSや掲示板に張り付いては他者を貶める書き込みを続けた。
そんな中、貶めた相手からブラクラの反撃を食らった彼は激高する。
自らが受けた屈辱の倍以上に相手を貶めてやりたくてスクリプトやウィルスについて勉強し、見事にその怨みを晴らした。
そしてそのことは彼の尊大さをさらに増長させることになる。
所詮はモニター越しの手の届かない、文字だけのやり取りだった罵り合いの攻防に、より具体的に相手を傷つけられる電子の刃を手にしたようなものだったからだ。
それは丸腰の相手を拳銃で追い回すようなものであり、圧倒的な優位は彼の自尊心を大いに満足させるものだった。