ルーンゲルド その2
強さとは言葉にするのは簡単だが、定義するのは難しい。
条件を狭めれば可能だろう。例えば、腕力が強い者、といった具合に。
だが数十万、数百万の魔物と人と、時として天族とが武器を手に取り、矢が飛び交い、魔法が荒れ狂うこの世界の戦場における強さとはなんであろうか?
足が早く、腕力があり、体力が高く、機敏で、直感が働き、魔力も高く、知恵の働く者?
さらに言えば、戦場で実力を発揮できるくらい精神力の高い者ならば強いと言えるかもしれない。
しかしそれでは足らない。戦う技術を持たなければ意味がないのだ。
魔力があっても魔力図を知らなければ魔法を行使できないように、すばらしい資質があっても、それを活かす技術がなければ力を十全には発揮できないのだ。
ところが技術を定義付けることはできない。
ルーンゲルドは魔法使いであって武術には疎いことも理由の1つだが、魔法使いにしても臨機応変とはそもそも定義できるものではないのだ。
すべての状況への判断を1つ1つ条件付けていたら、その魔力図はこの街より遥かに大きなものとなる事だろう。
流石にルーンゲルドでも、それ程の大きさともなれば魔力の有効射程がまるで届かない。
魔力図の構築自体が不可能だ。
そこでルーンゲルドは高い身体能力の条件に加えて、”自分に弱点がないと考えている者”という条件をつける事を考えた。が、すぐに失笑にして捨てた。
完全無欠な者など、人の身ではありえないと知っているからだ。
何故なら大魔導士たる己でさえ、欠点は少なくないと自覚していたからだった。
「研究に身を投じた先祖達は完全な魔法の完成を目指しておった。じゃからこの難題に正面から挑んだのじゃろう。じゃが、欠点のない者はすでに人に非ず。神とでも呼ぶべき存在じゃ。そのような者が、己よりも劣る者のために、何の見返りもなく帰れぬ呼び出しに応じようはずもなかろう」
その考えに至った時こそが、ルーンゲルドにとっての契機だったのかもしれない。
思い出したように自信に満ちた笑みを浮かべると言葉を続けた。
「じゃが決して無駄ではなかったわ。ケフストラトの家名は祖父の代で潰えてしもうたが、受け継ぎ、繋いできたからこそ、500年の時を越えてこのわしの手に届いたのじゃからな。そしてわしに新しい方向性も示してくれたのじゃからのう」
人物選定条件を記す図形が迷いなく描かれていく。
それはシンプルに”高い魔力の資質を持つ者”という条件付けであった。
「この魔法が完成を見るのはこの魔力図でも、ましてこの一度きりの魔法でもないのじゃ! ここから始まるのじゃ。この魔法とわしの全てを以ってして最初のひとりを作り上げるのじゃ。そしてその者が意思を継ぎ、次の者達を召喚し、育てる! いずれ魔導士級の人材で構成された最強の魔法師団が結成されたとき、そのときこそが先祖の、延いてはわし自身の悲願が達成されるときなのじゃ!!」
構築を終えた巨大な魔力図に、木箱に残ったすべての魔核から膨大な魔力を注ぎ込む。
「ぐぬぅ……。計算上はこれで足りるはずじゃったが、この大喰らいめが!」
すべての魔核の魔力を使い果たしたルーンゲルドは、自らの魔力も注ぎ込み始めた。
これは彼の計算が間違っていた訳ではない。
小さな小さな誤差の範囲であったが、膨大な魔力値にとってのそれは、個人単位では無視できない程度に大きくなってしまっていただけだ。
周囲から賢人と謳われる彼にとってそれは想定内であり、自身の魔力量を以ってすれば十分に補えるという算段があってのことだった。
「さあ、異世界に住む勇者よ! 我が呼びかけに応えるのじゃッ!!」
魔法の発動と共に巨大な漆黒の魔力図が輝きだすと、青く発光した。
次の瞬間、膨大な魔力の波動が勇者召喚の魔力図を起点にして王都全土に広がっていった。
宮廷魔術師団の寮棟の自室で寝ていたラウゼル副団長は、突然の身を震わせる程の魔力の波動にベッドから飛び起きた。
「なんだ!? この尋常ではない魔力の波動はッ!!」
寝巻き姿のまま取るものも取らず、そのまま部屋を飛び出した。
ドアを蹴破るように宮廷魔術師団本部へ駆け込んだラウゼルは、そこに部下の姿を見つけると怒号を上げた。
「一体何事かッ!!」
「ふ、副団長! わかりません。我々も状況を把握するためにここに駆けつけたばかりです。まだ部下からの報告が上がってきておりません……!」
「遅いぞ! 緊急時に迅速に動けなくしてなんのための訓練かッ!!」
「「「も、申し訳ありません!!」」」
まんじりともせずに本部で待機するラウゼルと、その直属の部下である大隊長達の元に、しばらくすると続々と隊長達から報告があがってきた。
「王宮は無事なのだな?」
「はい。それは間違いないようです」
最も優先すべき王宮の無事を知り、ラウゼルはほっと胸を撫で下ろす。
問題が消えた訳ではなかったが、他に気を回す余裕が出来たラウゼルはここで初めて団長のルーンゲルドがいまだにこの場にいないことに気づいた。
「この様な事態にあって、何故ルーンゲルド団長は姿を現さぬのだ?」
彼にとって団長ルーンゲルドは師のようなものであった。
魔法の知識も、魔力制御のセンスも、こと魔法に於いてはラウゼルがただの1つも敵わない唯一の存在であった。
そのような男がこれほどの魔力の波動に気づかない道理があろうはずもない。
気づいていて現れないとすれば、その理由は1つしか思い浮かばなかった。
「まさか……いや、ありえぬ。そんなことはあってはならぬ!」
脳裏を過ぎる疑念を敬慕の感情が否定する。
されどラウゼルは誰よりも理解していた。
これほどの魔法である。行使できるとすれば大魔導士以外ありえない。
そしてこの国には彼が知る限り、大魔導士級の魔法使いは自分とルーンゲルドの2人しかいないのだ。
「……ありえぬが、確認は必要であろうな」
感情を理性で押し止め、努めて冷静に呟くと、腹心の部下に団長の部屋への使いを命じた。
それに大した意味がないことはわかっていたが、勘違いであって欲しいという思いが彼にそうさせたのだろう。
「いずれにせよ、探し出して直接団長にお伺いする他あるまい……」
ラウゼルは少し疲れたように小さく呟いた。
そして気を取り込むように大きく息を吸い込むと、力強く声を張りあげた。
「大隊長に命ずる! 魔力の波動を感じた場所と方向の情報を集め、魔法の発動地点を特定せよ!!」
「「「はッ!」」」
副団長ラウゼルの命を受け、慌しく宮廷魔術師団が動き出した。