4本目 スキル発現
意識を向けると、吐息は確かに聴こえる。もっと言えば左から聴こえる気がする。
片目をあけて確認する。けれどもそこにはなにもなかった。
近くではもふが一体浮いてはいるが、わたくしの右にいる。
もう一度集中する。確かに感じる吐息。人がいるという気配。
「人がいる……?」
少し考えるが、これは確かに人だ。人が近くにいると聴こえるであろう音たちが集まって、気配として感じられる。
感じるのは違和感。
この森に、人がいる?
しかも、かなり近くに?
蛇の動きに気を使いながら、歩き回って人の気配の正体を探す。
わたくしがゆっくり動けば、気配もゆっくりと動く。
わたくしが、素早く動けば、気配も素早く動く。
「もしかして……」
もふには目も口も無いが、わたくしにはもふの向いている方向がなぜかわかる。
そこで、私と同じ方向にもふを向かせる。そしてもふを右に動かすと、人の気配は左の方向に動いた。
最初、これはもふから感じられる気配かと思った。
けれどもそうではないかもしれない。
わたくしが右に動くと、人の気配も右に動く。
「あーあーあー」
わたくしが喋ると、わたくしの声がいつもとは違うように聞こえる気がする。
もふに近づくと、薄っすらと感じられる人の気配も近づいてくる。
「そういうことでしたのね」
これは、もふが感じている気配だ。離れて浮いているもふが聴いている音が、耳元のもふもふを通して聴こえている。
「あなたたちはイヤーマフではなくて、ヘッドフォンでしたの?」
そう認識した途端、しびれるように脳へと流れ込んでくるスキル発現の感覚。
「スキル名は【ウインドスクリーン】、マイクに吹き込む風を防ぐための付属品のことですわね。もふもふした毛玉タイプのウインドスクリーンもありますけれど……え、そういうことでしたの!?」
つまりはこういうことだ。
浮いているもふもふはマイクで、耳のもふもふはヘッドフォンだったのだ。
衝撃の事実である。
「スキル説明を見ましょう。『一体をマイクとして、別の個体を受信機兼再生端末とするスキル。受信機を二体にすればマイクとした個体の左右の音を再生することができる』ですか。音しか聴こえないホバリングドローンみたいなものですわね」
ようやくもふもふの正体がわかった驚きは大きいが、今は詳しく考察している余裕はない。
蛇の攻撃が一撃でも直撃すればわたくしは体力がゼロになるだろう。
「よし、お願いいたしますわ! もふ!」
浮いているもふを、先ほど蛇を最後に見た方向へと動かす。出せる速度限界まで出して動かす。
俊敏に動くもふが木々の合間を飛び回り索敵をする。もふが蛇に近づけば這う音や枝葉を揺らす音、それから蛇の息遣いが聴こえるはず。
探せ。探せ。どこかに必ずいる。
――聴こえた。
「そこですわねっ!」
聴こえた音からある程度位置を予想して素早くクロスボウを撃ち込む。この一撃は当たらなくてもいい。
「あなたはとても慎重なモンスター」
クロスボウに矢を装填する。もふを動かしながら別の作業をするのは難しいが、わたくしもいっぱしのVRゲーマーだ。それくらいはやってのけてみせる。
「あなたは最初、わたくしに脅威を感じた時点で森の中に逃げ込み、ヒットアンドアウェイ戦法に切り替えましたわね」
クロスボウを構え、すぐに動き始める。わたくしから蛇へと近づいていく。
「そしてその慎重さがうまく機能し、先ほどまではわたくしから攻撃を受けることなく一方的に環境を支配していました」
かの蛇が支配していたこの森に、徐々に私の領域を増やしていく。安全地帯を増やし、敵を追い詰める。
「しかし、そんなあなたがもし気づかれていないはずの場所で矢を撃たれたら、あなたは不審に思い急いで距離を取ることでしょう」
もふで蛇を追跡する。一度音を明確に捕捉すれば、FPSで鍛えた感覚でその位置を追い続けることなど容易い。
「これまでできるだけ音を立てないように潜んでいたのでしょうが、焦ったあなたは音なんて気にせず逃げ始めてしまいましたわね」
もふから聴こえる音からすると、蛇は木に登り始めたようだ。木々を伝って撹乱しようというつもりだろう。
「ですが……そのムーブはあなたのミスですわ」
ずるずると木を登る音。がさがさと木が揺れる音。
遠距離武器を持つわたくしから距離を取るという意味において、たかだか木の高さ程度の上下移動に意味はない。むしろ、いる場所の可能性が狭まる分マイナスだ。
「見つけましたわ」
木の幹から枝へと移ろうとした蛇を見つけ、クロスボウを撃つ。
「キシャアアァァッ!」
蛇は体をくねらせて悲鳴を上げる。そしてすぐに大きくジャンプしてわたくしから見えない位置へと移動した。これまでだったらこのまま逃げられていただろう。
しかし、ダメージを受けた蛇はとっさのことでそこまで遠くまで逃げられなかったようだ。わたくしの位置からも、蛇が地面に着地して身体を滑らす音が聞こえた。
「わたくしが聴いた着地音と、もふから聴こえた着地音、それからわたくしともふの位置から計算するに……」
クロスボウを構える。簡単な問題だ。
わたくしともふの距離がわかっており、わたくしから音への方向、それからもふから音への方向がわかっているならば、相手の場所は一箇所に定まる。すなわち、三角測量を音を用いて行うだけである。これも、体感型∨Rの集中状態だからこそできることだ。
「そこ!」
「ギシィイシャアァッ!」
悲鳴が聴こえた。ヒット。
苦し紛れの反撃か、魔法を撃ち込んでくる。しかし魔法の発動には魔力光と呼ばれる光を伴う。暗い森の中では目立つことこの上ない。
「そんなの食らいませんわよ!」
わたくしはすぐに回避をする。その間にも、もふに蛇を追跡させる。
「蛇! あなたがハンターのつもりでしたかしら!?」
木々の間を駆けて蛇へと距離を詰める。射程範囲に入れば流れるように撃つ。
「わからないですわよね蛇さん! どうして自分が撃たれているのか!」
集中力は維持したまま、テンションが上がっていく。おそらく私は今、ゲーマーズハイと呼ばれる状態にある。
それは、緊張と興奮が絶妙に噛み合ったときにゲーマーが入ることのできる『ゾーン』の一種だ。
「さあ愚かな蛇さん、偽物のハンターさん! 本物のハンターに追われるお気持ちはいかがかしら! おほほほっ!!!」
もふを操作し、手を動かし、足を動かし、二人分の音を聴き、空間を把握し、蛇を狙う。いくつもの複雑で並行的な処理を、わたくしは平然とこなせていた。これが想いの力だ。脳が持つ潜在能力だ。
何発撃ち込んだだろう。これぞVReスポーツゲーマーの真骨頂だ、と言わんばかりの猛攻だったに違いない。
何度か攻撃を食らいそうになることはあったが、限界を超えた集中力で回避し続けた。
「ギシャアアアアァァァォォォ……」
そして、蛇がこれまでとは異なる、弱々しい叫び声を上げた。
「はあはあ……終わりまして?」
蛇の赤と黒のオーラは霧散し、蛇自体は宙に溶けるように消えていく。
その光景を見つめていると、空中ディスプレイによるアナウンスがあった。
「戦闘終了。終わりましたのね」
ディスプレイには、今回のボス討伐報酬がずらりと書かれている。
「災厄蛇の皮に災厄蛇の牙……災厄蛇って言うんですのね。あの蛇さんは」
災厄と名のつくモンスターは初めて見た。災厄龍と何かつながる部分があるのだろうか。
ストーリークエストというだけあって、色々と裏があるように感じられてならない。
「ところで噂で聞いていた武器が無いんですけれども。おかしいですわね」
色々と貴重そうな素材は手に入ったが、肝心の武器が無い。
「もしかして周回しないとダメなやつでして? 嫌ですわよ。あんな陰湿な蛇さんとまた戦うのは」
戦闘が終わり、軽口を叩く余裕が出てきたので配信のコメント欄を見る。
『おめでとう!』といった言葉に混じって『クリスタルってアイテムは無い?』といったクリスタルについて言及するコメントが見られた。
「クリスタルですの? うーんと、あ、これですわね。ありますわよ。これがどうかなさいまして?」
そう言いながらクリスタルの説明を開いてみる。
その内容こそが、わたくしの求めていたものだった。
「『災厄蛇の魔力クリスタル(紫)は消費することで新たな武器の素体となる』ですか。これですわ!」




