87話
城の外からぐるり、と回って、龍は城の上空を大きく旋回した。
城の中庭で、門の前で、露台の上で、革命軍も王の兵団も、皆が指をさし、口を半開きにして、漆黒の龍が空を舞う様子を眺めていた。
そして、城中に収まらず、都中の視線を欲しいままに集めた龍は、城の上空で大きく咢を開き、一声啼いた。
他のどんな生き物の声とも似つかない、高く澄んだような、鋭い声。
金属の板同士がぶつかったような音でもあり、ガラス細工が割れ砕けたような音でもあり、電子音か何かのようでもあり……背筋が震えるような、恐れのような畏れのような、そんな感覚を覚える声だった。
人々が龍の咆哮に竦み、或いは茫然とする中、龍は悠々と城の上を飛び……急降下して、城の屋根すれすれに突っ込んでいった。
そして、屋根から降ろされて燃やされようとしていた中から、ホン王家の紋章が入った旗を1枚咥えてまた飛び去る。
……そうして漆黒の龍は、ホン王家の旗を悠々と空に掲げながら、また大きく城の周りを旋回し……空の彼方、都を離れて遠くへと、飛んでいくのだった。
城が、都が、眼下を流れていく。
俺はフェイリンが転じた漆黒の龍に掴まれたまま、都の上空を飛んでいく。
「……うわあ」
振り返って、改めて城を見てみると、既に王家の旗は降ろされ、或いは燃やされており、ホン王朝の終わりが示されていた。
しかし、空飛ぶ龍は王家の紋章を咥えて飛び去ったのだ。
……今、城ではどんな推測がされているのだろうか。
神の使者がホン王家を守ったように見えたのか。それとも、民衆を守ったように見えたのか。更に或いは……1人、居たはずなのに死体が見つからなかった王女が龍に転じた、と、思われたかもしれない。
そう考えると、なんとなく痛快である。俺は脚で掴まれたままなのでフェイリンの表情を知ることはできないが……恐らくフェイリンは今、機嫌の良さそうな、すっきりした顔をしているのだろうな、と、思われた。
やがて、小さな村の近くの森の中に着いた。
イェンジュさん達の村、つまり、俺達がつい1日前に居た村だ。
そこでフェイリンは着陸して、俺を離すと……俺が持っていた鞄を器用に咥えて、ぐいぐい引っ張る。
俺が鞄から手を離すと、フェイリンはそのまま森の奥の方へと進んでいった。
「フェイリン?」
どこへ行くのか、と声を掛けつつ足を踏み出すと、フェイリンは振り向き、その龍の眼でギロリ、とばかりに睨んできた。
……あ。
「悪い。着替えだな。鞄の中身適当に使っていいから。俺はこっち向いてるから」
忘れていたが、ドラゴンタブレットは装備品を考慮してくれない。
つまり、ドラゴン化(ドラゴンというより龍化だが)したフェイリンは、人間の姿に戻る時に服を着ていない、ということになる。
奇妙な緊張感をもってして、フェイリンが去った方向の反対方向を向いたまま直立不動で居ると、不意に、背後から軽やかな足音が聞こえてきた。
「シンタロウ、もういいわよ」
「ああ、さっきは悪かっ……どうしたんだその服」
安心して振り返ると、そこにはチャイナドレスめいた品の良い服を着たフェイリンが居た。
当然だが、俺はこんな服を自分の鞄に入れておいた記憶は無い。
「入れておいたのよ」
だが、フェイリンはさも当然、とでも言うように、けろりとしている。
「入れた、って……どのタイミングで」
「シンタロウが腰帯にそのよく分からないものを取りつけている間よ。当たり前じゃない」
……ああ、超安全ベルトにバッテリーパックを連結させている時、か。
信じられない。あのタイミングで、あの状況で、普通、荷造りできるか?
「私、死なないことにしたのよ?当然、生きていくために必要な物があるでしょう?それを用意するのは当然よね?」
いっそあっぱれ、と言いたくなるフェイリンの肝の座り方に、俺は最早黙るしかなかった。
「ところで、どうしてここに来たんだ?もっと遠くの方が良かったんじゃないか」
フェイリンの着替えも終わったところで、俺達は歩き始めた。
歩く方向は、村の方角である。
「この村はお母様の故郷なのよ」
俺の前を歩くフェイリンは、自信ありげな足取りでありながら、きょろきょろと辺りを見回している。
「聞いたお話だと、この辺りに……ああ、あったわ」
そしてある一点に目を止めると、そこに向かって走り出した。
それは、白い祠のようなものだった。
フェイリンを追いかけて祠に入る。
壁には一面、壁画が描かれ、中央には祭壇がある。
「お母様……」
フェイリンは祭壇の前に跪くと、恐らくきっと母親に向けて、祈りを捧げた。
その間、俺も一緒に祈るのも何か違うような気がして、壁画を眺める。
壁画は、この世界の神話なのだろう。
神の使者であるらしい龍が雲の割れ目から光と共に現れ、闇を払い、民衆を救う。そんな壁画が描かれている。
……ある意味、フェイリンは本当に神の使者そのものの働きをしたんじゃないだろうか。
これから先、コジーナがどうなっていくのかは分からないが……きっと、そんなに悪いようにはならないだろう、と、なんとなく思われた。
「……もういいわ。シンタロウ。待たせたわね」
「いや、気にしなくていい」
しばらくしてフェイリンが祈り終えて立ち上がる。
「さあ、行きましょうか、シンタロウ」
フェイリンはすっきりした顔で笑みを浮かべた。
恐らく、フェイリンの中で色々なことに片が付いたのだろう。
「ああ。……ところで」
だが。
「行く、って、どこへ?」
「……シンタロウ、お前は異世界から来たのよね?」
「ああ」
「私てっきり、お前は異世界の間を動き回れるんだと思っていたのだけれど?」
……さて、どうしたものか。
とりあえずフェイリンには、現在のアラネウムの状況と『世界渡り』について話した。
つまるところ、革命軍側に味方せざるを得ない状況にあるため仲間達はまだ城に居り、また、異世界(つまりピュライやアウレやトラペザリアやバニエラ、ということだが)の道具や魔法が使えない状況であり……つまるところ、現時点で俺とフェイリンが今すぐに異世界へ行く、および帰る、ということはできない、と。
「……随分と厄介なことになっているのね。少し見当違いだったわ」
フェイリンは文句こそ言わなかったが、渋面を作りはした。如何にも『作った』というかんじがするが。
「まあ、それは仕方ないと思ってくれ」
「ええ、許してあげる。……迎えに来てくれたことに免じて、ね」
フェイリンはそう言いつつ、そっぽを向いた。
……一応、これが彼女なりの感謝らしい。
「じゃあ、城が落ちたらお前の仲間達は戻ってくるんでしょう?それまでここで待っているのが一番よね?」
「合図を送れない訳じゃないから、まあ、ここに居ることは分かってもらえると思う」
ここは、イェンジュさん達の村の傍だ。
ジェット人参で合図すれば、ペタル達が気づいてくれるだろうし、それで合流できれば、問題なくアラネウムへ帰れる。
勿論、今すぐに城の方へ向かう、ということもできるのだが……フェイリンが今、民衆に見つかるとまずい。最悪の場合、彼女を殺そうとまた民衆が動きかねない。
よって、俺はフェイリンを隠しておきつつ、ペタル達にうまく連絡を取って迎えに来てもらうのが最善だろう。
祠の外はもう空が明かるんで、有明の様相を呈していた。
できれば、夜の方が人参が見えやすいんだろうが……仕方ない。
俺は空に向かってジェット人参を打ち上げた。
……人参はものすごい速さでオレンジ色に光りながら、空へと飛んでいった。
多分、ペタル達の事だ、『龍』が城から飛び去った時点で何が起きたかはなんとなく分かってくれているだろうし、もしかしたら、その龍の脚に俺が捕まえられていたのを見ているかもしれない。
その上で俺が合図するとしたら人参だろう、と見当をつけてくれているだろうから……つまり、俺達を見つけてもらえるのも時間の問題、ということになる。
とりあえず人参を打ち上げてから祠の中に戻ると、そこではフェイリンが俺の鞄を漁っていた。
「……あ、あったわ」
そしてフェイリンは、小ぶりな磁器の壺のようなものと、茶器一そろい、そして美しい細工の茶筒を取りだした。
当然だが、俺はこんなものを入れた覚えはない。
「……なんだそれは」
「お菓子とお茶の道具よ。この茶壺はお湯を勝手に沸かしてくれるのよ」
なにやら魔道具らしい茶器を使って、フェイリンはその場でお茶を淹れ始める。
磁器の壺の蓋を開けると、中には焼き菓子らしいものが詰まっていた。
……。
「言ったでしょう?私が城を出る準備をするのは当然よね?」
あとで俺の鞄の中身、全部洗いざらい出してみよう。
もしかしたら……今、俺の鞄の中身は俺のものよりフェイリンのものの方が多いかもしれない。なんとなく、そんな気がする……。
そうしてお茶を飲んで茶菓子をつまみつつ、雑談しつつ、俺達は待った。
……そうこうしている内に、外で微かに人々の歓声が聞こえるようになる。
「多分、帰ってきたな」
俺が祠の外に出て適当な木に登り、村の方を見ると……人々の行列が見えた。
そこには恐らく、ペタル達も居るのだろう。
俺はもう一度人参を打ち上げて、ペタル達を待つことにした。
ざくざく、と、森の腐葉土を踏みしめる音が近づいてくる。
確認すると、見覚えのある柔らかそうな銀髪の頭が見えた。
「ペタル」
「あ、眞太郎!」
小さく声を掛けると、ペタルはすぐに気づいて駆け寄ってきた。
「眞太郎、どうだった?」
「ああ、無事、ミッションコンプリート、だ」
不安げに俺の様子を窺っていたペタルは、俺が答えると途端に顔をぱっと明るくした。
「それじゃあ、フェイリンさんは」
「私はここよ」
名前を呼ばれたフェイリンはやや緊張気味ながらも堂々と、祠の外に出てくる。
「ああ、あなたがフェイリンさん!初めまして!」
すると満面の笑みを浮かべたペタルが駆け寄っていったので、フェイリンは面食らいつつも、ペタルの挨拶を受け入れていた。
ジェット人参がきれたので、防犯ブザーを鳴らして合図にした。
すると、音を頼りにイゼルが走ってやって来て、それから泉とリディアさんと紫穂も合流した。
全員、とりあえず祠の中に入って、それぞれのサイドの報告を行った。
「……ということで、俺の方はミッションコンプリートだ。イゼル、お菓子、役に立った。それから紫穂のお札も。ありがとう」
「うん、よかったぁ」
「役に立ったなら、うれしい、です」
「それからリディアさん、道具、意外と役に立ちました」
「ほーらやっぱりぃ!」
……俺の方の報告を終えると、俺に道具を貸してくれた面々がそれぞれ嬉しそうな顔をした。
なんとなく、リディアさんの嬉しそう加減は別種なのだが。
「私達の方も……まあ、なんとか。イェンジュさんの依頼はこなせたよ」
それからペタル達の方の報告も聞く。
ペタルが言う『依頼はこなせた』とは……つまり、国王は殺せた、という意味なのだろう。フェイリンに気遣ってそういう言葉の選び方をしたらしい。
「死者はほとんど出てないよ。怪我人はできるだけ治したし……そもそも、あんまり戦闘にならなかったから」
「ふふ、兵士は皆、酔っぱらっていたものね?」
ペタルの報告の途中でフェイリンが自慢げな顔をして胸を張った。
「パパにも貴族たちにも兵士にもお酒を飲ませたのは私よ。蔵にあるお酒、ありったけ出させたもの」
……どうやら、今回の革命には、フェイリンがひっそりと、しかし多大なる貢献をしていたらしい。
「うん、とっても助かったよ。おかげで、兵士の無力化の為に殺さなくても済んだし。……やっぱり敵側の人だって、殺さなくて済むならその方がいいもんね」
ペタルの事だ、恐らく、兵士達も治したりしたのだろうな。きっと。
そうして報告が一通り終わった後。
「ああ、そういえばペタル。イェンジュさんから報酬は貰っているか?」
「え?報酬?……うーん、そういえば、考えてなかったね」
ペタルの言葉に内心ほっとしつつ、俺は提案した。
「じゃあ、龍の鱗を報酬に貰ってもらえないか。……元々の持ち主の娘さんに返してあげたいんだが」




