82話
豪奢な服を身に纏った男性は、国王、らしい。つまり、フェイリンの父親、か。
でっぷりとした腹回りを揺らしながら部屋に入ってきた国王は、しかし……フェイリンとは似ていない。
強いて言うなら、国王の褐色の瞳は、フェイリンの黄金色の瞳に通じるものがあるか。
……顔立ちも体型も品の良さも、他はあまりにも似ていないのだが。
「ええ、パパ。元気よ。パパも元気?お仕事は大変じゃない?」
「ああ、少しばかり大変だがね。フェイリンの笑顔を見れば疲れも吹き飛ぶよ」
「ふふ、会いに来てくれて嬉しいわ、パパ」
国王は厭な目でフェイリンを見ている。だが、フェイリンはそれを気にするそぶりも見せず、にこにこと笑顔を浮かべている。
国王の話を聞き、笑い、驚き、時々拗ね、また笑う。
「フェイリン、お前に服を持ってきた。ほら、この細かい金糸の刺繍をご覧。きっとお前に似合うよ」
「わあ、綺麗……!ありがとう、パパ!」
そして時には無邪気な様子で国王に抱きつき、とびきりの笑顔を見せるのだ。
……非常に仲の良い親子のようにも、見える。
寛容で気前のいい父親と、少しばかり我儘で、しかし素直で無邪気な美しい娘。そんな、ある種の理想的な親子にも、見えるはずだ。
だが、フェイリンの高慢で、素直ではない様子を見ている俺からすると、何か、違和感がある光景だった。
……フェイリンの笑顔は艶やかな美しさと無邪気なかわいらしさが同居した、とても整ったものではあるのだが……整いすぎているが故に、何か、不安になるような気分にさせられる。
それからもフェイリンは国王と話し、国王から服やアクセサリーを贈られて喜び、と、終始笑顔で居た。
「ところで、フェイリン。お前が前、欲しがっていた銅色粟だがね、そろそろ収穫期らしい。一応、10袋程度、既に納めさせているが……あんな不味い物をどうするんだい?」
「あら、パパ。違うの。私は茎が欲しいのよ。占いの道具にするの。だから実は要らないわ。銅色粟を納めさせるときは綺麗な茎だけ選りすぐって納めさせてほしいわ」
よく分からないが、食べ物らしいものの話をしたり。
「お前に新しくつける召使いだが、いいのは見つかったかい?」
「そうね、パパ。奴隷の女から良さそうなのを10人くらい見繕ったの。後で確認してくれる?」
「ああ、いいとも。しかし、また奴隷の女から選んでいいのかい?前回もそれで3日経たずに全員、都の外へ放りだすことになっただろう?」
「奴隷はたくさん居るのだもの。構わないでしょう?パパ?……それとも、我儘な娘は嫌い?」
「いいや、そんなことはないとも!」
召使いの話をしたり。
「ねえパパ。最近、少し疲れてるんじゃない?顔色が良くないわ」
「なに、大したことではないんだよ、フェイリン。……ただ、少し民草の様子がな。もしかしたら、大規模な鎮圧をしなくてはならないかもしれないんだよ」
……『大規模な制圧』の話をしたり。
俺はより緊張感を持って、のぞき見、盗み聞きを続ける。
罪悪感が無い訳ではないが、それ以上に今、緊張感が増してきている。
……さっき俺は、この国王に対して、何か既視感のようなものを覚えた。
それの正体が、少し、分かったのだ。
国王が着ている金襴の服に織り込まれた紋章に、見覚えがあるのだ。
イェンジュさんが居た村に攻め込んできた兵団が、この紋章を掲げていた。
……どことなく、空気が似ている、とは思った。だが、確証なんてこれっぽっちも無かったのだ。
フェイリンと会う時は夢の中だったし、夜だったし、室内だけだったし、外が見えたとしても、露台の下には都が広がるばかりだったのだ。
一方、イェンジュさんと会った時は昼間だったし、場所は村だった。
……いや、まだ、はっきりした訳じゃない。
紋章なんて、似たものはいくらでもあるだろう。だから、フェイリンが居る世界とイェンジュさんが居る世界が同じく『コジーナ』で、2人が対立する立場に居ると、決まった訳じゃない。
だが……。
「まあ、感づいたのは最近の事だ。動向がおかしいのもつい最近の事。今すぐにどうこうなる訳ではないだろうが……一度、兵士を集めておいた方がいいかもしれないな。どこだかの村に出した兵団からの連絡もまだ無いが……帰って来たら一度、大臣にでもまとめさせておこうか……」
国王はそんなことを言いながら、しかし、緊張感の無い顔をしている。
少なくとも、今すぐに革命を起こされるとは思っていないようだ。
「ねえ、パパ。政の話は難しくて分からないわ」
そんな国王に、フェイリンは拗ねたような顔を向ける。
「ああ、ああすまないね、フェイリン。何、お前は何も心配しなくていいんだよ」
「分かってるわ。だってパパが居るんだもの。何も心配していないわ」
拗ねたフェイリンの機嫌を取るように、国王が優しく言うと、フェイリンもまた、表情を笑みへと戻す。
「……ああ、そうだ、パパ!私、新しい踊りを覚えたの。どこかで宴を開いてちょうだい。私、パパの為に踊るわ」
「おや、それはなんと楽しみなことか!……そうだな、フェイリン。いつがいい?どうせ兵士や貴族を集めることになる。その時に披露してほしいんだが」
フェイリンは艶やかな笑みを浮かべて、ふと、露台の向こうに広がる空を見た。
……空には、やや満ち足りない月が浮かんでいる。
「……なら、満月の日。明日がいいわ。月明かりが明るい方がいいもの。……たくさんお料理とお酒を用意してね、パパ」
それから国王とフェイリンはまたいくらか話して、そろそろお開き、という事になったらしい。
国王は椅子から立ち上がった。それに合わせてフェイリンも席を立ち、部屋を出ていく国王を見送る。
「それじゃあまた来るよ、フェイリン」
「ええ。また来てね。待ってるわ。パパ」
扉の近くで2人は笑い合い……ふと、国王の笑みの種類が変わった。
「……ああ、フェイリン。お前は来月、18になるのだったね?」
国王の手がフェイリンの細い腰に回される。
続けて、国王のもう片方の手がフェイリンの胸元へと伸ばされると、フェイリンはやんわりとそれを押しとどめる。
「フェイリン」
「駄目よ、パパ。私、『まだ』子供なんだから。……あと1月、待っててね、パパ」
そしてフェイリンは恥じらうような、それでいて艶やかな笑みを浮かべると、国王からさりげなく身を離した。
「おやすみなさい、パパ」
「ああ、おやすみ。フェイリン」
そして、やや残念そうな国王が扉の向こうへ消えていっても、しばらくフェイリンは扉の前に立ち尽くしていた。
しばらくそのままだったので、俺は箪笥の扉を内側から小さく叩く。
こん、こん、と軽い音がすると、フェイリンはやっと、俺の存在を思い出したらしい。
「……ああ、シンタロウ。もう出てきてもいいわよ」
フェイリンは疲れたようにそう言うと、俺の方を見ず、寝台に身を投げ出した。
俺は衣装箪笥を内側から開けて、部屋に出る。
なんとなく、だが、できるだけ音はさせないようにした。
「……シンタロウ、何か言いたいことがあったら言いなさい。許すわ」
箪笥の扉を閉めなおした俺に向かって、こちらを向かずにフェイリンが言う。
「……何か、って」
「私、何か思われているのに言われないのが一番キライなの。……さっきの、聞いてたんでしょう?」
フェイリンはこちらを向かないので、表情を見ることはできない。
だが、ふて腐れたように、或いは疲れたように、寝台に寝転がったままこちらを向かない少女を見る限り……俺が言いたいことはそんなに多くない。
「なんで、言わなかったんだ?」
「……何を?」
フェイリンはこちらを向くことなく、少々強張った声で、しかし、如何にも平然とした様子で聞き返してきた。
「知っているはずだ。俺の記憶の景色を覗いていたなら。……もし、水晶玉では会話が聞こえなかったとしても、十分すぎる程の詳細が分かってるだろう?」
具体的に、何を、とは言わない。
だが……フェイリンは、知っているはずなのだ。
俺達が国の兵団を退けたことも。イェンジュさん達と一緒に、地図を広げて革命の段取りを確認したことも。
全て、俺の記憶を覗き見れば、分かる事なのだから。
「……私、贅沢が好きなの」
フェイリンは唐突にそう言うと、寝台から起き上がって、豪奢な敷物の上に降りた。
「毎日美味しいものを食べて、綺麗に着飾って、歌って、踊って。……だから、難しい事なんて分からないし、嫌いよ。政のことなんて尚更。女が口を出すものでもないもの」
ゆっくりと、フェイリンは室内を歩く。
特に目的も無く歩く様子が、どこか寂しい。
「女の仕事は、毎日綺麗にして、笑顔で居て、夫や父に従って、良き妻、良き娘で居て……父や夫と一緒に死ぬことよ。それが私には合ってるわ」
フェイリンの声は静かで、しかし、暗さは無かった。むしろ、穏やかな明るさすら感じられる。
だから俺は、言うのを躊躇った。
ただ一言、「逃げないか」と、言うのを躊躇った。
「じゃあね。シンタロウ。……暇つぶし程度にはなったわ」
気がつけば近づいてきていたフェイリンが、俺の顔を両手で挟んで前を向かせる。
強制的に前方を見せられた俺は、しっかりと、黄金色の瞳を見ることになった。
……そこで、俺の夢は覚めた。
「おはよう、眞太郎……眞太郎?どうしたの?」
目が覚めると、簡素な木の天井、木の床、簡素な布団。そして、俺の顔を不安げに覗き込むペタルの銀紫色の瞳があった。
「……なあ、ペタル」
「うん」
俺の言葉を待っているペタルの視線を受けながら、言葉を探して……結局、相応しい言葉も上手い言い回しも特に思いつかず、そのまま言う。
「この革命、ほんの少し、介入してもいいか」




