78話
相手の目を見られないから、少女がどういう顔をしているのかを見ることはできない。
だが、声の調子を聞くだけで、明らかに少女が警戒していることは分かった。
それから、少女が困惑しているらしいことも。
……ということは、この状態は少女の想定外のことなのだろうか?
「私の目を見て正直に答えなさい」
少女は困惑しているらしいながらも、強気な態度を崩さない。こういう、警戒しながらも上手に出ようとするようなやり取りに慣れているようにも思える。
「ああ……すまないが、それはできない。目を合わせられないんだ」
「……どういうこと?説明しなさい」
だが、俺が返答すると、少女は益々困惑したらしい。若干、声の調子が弱い。
俺の目的はこの少女を困らせる事ではないので、早速、説明を始める。
「ええと、まず、ここは俺にとっては多分、夢の中だ」
それから、俺は自分の状況を説明した。
俺は自分の部屋で眠っただけだということ。
恐らく、俺は夢の中でここに来ている、ということ。
ここに来るのはこれが3度目で、前回は声を掛けた瞬間に目が覚めてしまったということ。
少女と目が合うと目が覚めてしまうらしい、ということ。
相手の目を見ないようにしながら話して、なんとか大まかな部分を説明する事に成功した。
……仕方ないとはいえ、相手の表情が見えないと、なんとなく喋りづらいな。
「……ということで、俺が何かしたわけじゃないんだ。俺は何もせずに、ただ眠っただけでここに来ていた」
「そう。じゃあ、誰も何もしていないなら、どうしてお前がこんな風にここに来るの?」
説明を終えた後、少女から発された問いは、懐疑の色を含んでいた。
まあ、当然なのだが。
……そこで俺は、俺が持っている推理材料を出すことにした。
「そこの水晶玉に映っていた景色は、俺の記憶だ。きっと、そっちで何かしていたんじゃないか?」
少女が眺めていた水晶玉。その中に映っていたディアモニスの景色。俺の記憶の一場面一場面。
それと、俺がここに来たことに関連が無いとは思いにくい。
だが、少女からは不満げな声が上がった。
「確かに私は異界の者の目を借りる術を使っていたわ。でも、夢の中に入り込む術ではないし、昨夜、お前の声が一瞬だけ聞こえたから、念のため結界も張っていたの。私が行っていた術だけでお前が来られる訳がないのよ」
成程、少女が行っていたのは『異界の者の目を借りる術』だったらしい。
その『異界の者』として俺が選ばれた理由は分からないが、とりあえず、これで水晶玉の中に俺の記憶の景色が映っていた理由は分かった。
「そうか……だが、俺にも心当たりは無い。なら、何かの偶然が重なった結果なのかもしれない、な」
……そして、俺は嘘をついた。
心当たりはある。
「偶然ね。……まあ、そういうことにしておいてあげてもいいわ」
……俺の部屋に大量に置かれた安眠グッズから安眠グッズではないものまで、数多くの異世界の道具。
あれらが何らかの作用を引き起こして、少女が張ったという結界を破ったとしても、おかしくは、ない、よな……。
いや、何にせよ、結界を破った破らない以前に、『そもそも俺がここに来てしまった理由』があるはずだから、必ずしも安眠グッズだけのせいとは言えないのだが……。
「ところでお前が目を合わせられない理由は分かったわ。許してあげる。……でも、いつまで名乗らないつもりなの、この無礼者」
俺が考えていると、少女から機嫌の悪そうな声が発せられた。
そういえば、名乗っていないな。
……夢の中で名乗る、というのも妙な話ではあるし、万一、名乗ることで何らかの魔法を発動されたりすると厄介ではあるのだが……。
「眞太郎だ。峰内眞太郎」
だが、俺は名乗ることにした。
このまま目を覚ましても、収穫は0に近い。
ならば、もう少しこの少女と話す時間があった方が良いだろうし、そのためにも本名を名乗って信頼を得た方が良いだろうと思われた。
一番の理由は、少女に悪意があるようには思えなかったからなのだが。
「そう、ミネウチ、ね。分かったわ。……私、名乗られて名乗らない程礼儀知らずじゃないわ。名乗ってあげる」
少女はやや、笑いを含んだ声でそう言って、続けた。
「私の名前はホン・フェイリン。王の娘よ」
王の娘。
……つまりこの少女はお姫様、ということか。
それなら、色々と納得がいく。
この部屋の品の良い絢爛さも、少女が纏っているらしいドレスの艶やかな刺繍も、王女の持ち物であるならなんらおかしくない。
それから、この少女……ホン・フェイリンの、態度の大きさについても納得がいくな。
「さあ、ミネウチ。お前はこの世界の人間じゃないのよね?」
「まあ、多分そういうことになる、と思う」
俺が答えると、ホン・フェイリンはたっぷり一呼吸、二呼吸ほど置いてから、明るい声を発した。
「じゃあ、お前の話を聞かせなさい。どうせ夢ならそのくらい構わないわよね?」
「話?」
「そう。お前はこの世界ではない世界の事を知っているんでしょう?その世界の話を聞きたいの」
急な展開に困惑していると、お姫様は急くように答える。
どうやら彼女は、異世界の事を知りたいらしい。
……なんというか、ホン・フェイリンが水晶玉を覗き込んでいたことと繋がるな。
多分、この少女は水晶玉で異世界の風景を見て楽しんでいたのだろう。異世界に興味があったのかもしれないし、或いは……或いは、もう少し、違う理由なのかもしれないが。
そしてたまたま、何の気まぐれか、俺が実際に来てしまった。
ならば渡りに船、ということで、俺から直接、異世界の話を聞こうと思ったに違いない。
「ねえ、いいでしょう、ミネウチ?」
「ああ、分かった。話すよ」
俺が答えると、明らかに喜んでいるらしい気配が伝わってきた。
余程、嬉しいのか。
「それから、眞太郎、でいい。俺の周りの人達は俺のことを姓じゃなくて名前で呼ぶから」
顔が見えなくてもどういう表情をしているのか分かりやすいお姫様に少々苦笑しつつ、呼び方について注文を付けてみた。
思えば、俺はアラネウムに来てから、ずっと名前の方で呼ばれている。
……多分、『ミネウチ』は発音しづらいんだろうな。オルガさんや泉は『眞太郎』が発音できないのか、『シンタロー』と呼んでくるし。
「シンタロウ?……そっちが名前なの?名前……名前で……」
若干、ホン・フェイリン嬢は困惑したのか、脚を組み替えたり、足首を動かして足をぱたぱたさせたりしていたが、すぐに先程の調子を取り戻した。
「わ、分かったわ。名前で呼んであげる。感謝なさい、シンタロウ。……それから、私の事をフェイリンと呼ぶ権利を与えてあげるわ」
「ああ、分かった。フェイリン、だな」
「……え、ええ。そうよ。それでいいわ。……夢の中から来た異世界人なんかと折角、偶然出会ったのだもの。気まぐれに付き合ってあげるのも、悪くないわ。さあ、シンタロウ、異世界のことを話しなさい」
ころころと表情を変えているのであろうフェイリン嬢を想像して、少々おかしく思いつつも、それを悟られないように俺はディアモニスの話をし始めた。
それから俺は一頻り、自分の世界の話をした。
いや、俺が話した、というよりは、フェイリンからの質問にひたすら答えるような形だったが。
フェイリンは水晶玉を覗き込んで見たディアモニスの景色について、ひたすら質問してきたのだ。
例えば、道を走っていたものは何だ、とか。(つまり、自動車だ)
道に立っている柱にはどうして糸が張ってあるんだ、とか。(電信柱と電線の事だ)
飲食店で出てくる黒い飲み物は何だ、とか。(アラネウムのコーヒーの事だろう)
俺から一方的に話して聞かせるのだったら、話の内容に困っただろうが、そんな調子だったので、時間はあっという間に過ぎていった。
「はあ……変な場所ね、お前の世界は」
フェイリンは満足げにため息を吐きつつ、そんなことを言う。
……だが、どうやらこれはフェイリンなりの褒め言葉というか……少なくとも、悪意がある訳ではないらしい、ということは、この短い間でも十分に分かった。
このお姫様は少々、ひねくれているというか、素直ではないらしい。少なくとも、口に出す言葉については。
何せ、『変な場所だ』などと言いながら、至極楽しそうに質問しては、俺の回答に驚き、笑い、感心したように息を漏らし……と、ころころ目まぐるしく反応していたのだから。
「……ああ、もうこんな時間。空が白んでるわ」
そうしてひたすら、異世界の話をしていたところ、露台から見える山々と空の境界線が、白っぽく明るくなってきていた。
「じゃあ、そろそろ俺は戻るよ」
なんというか……夢の中でも時間が等倍速で流れているのかは分からないが、流石に……夢の中で話し続けてそのまま徹夜(徹夜、なのだろうか?)というのは、流石に健康に悪い。
特に、明日(もしかしたら今日なのかもしれないが)、イェンジュさんの世界へ行く、ともなれば尚更だ。
「そう……戻ってしまうの」
俺が暇乞いをすると、フェイリンの声が沈んだ。
「……まあいいわ。暇つぶしとしては上出来だったわよ、シンタロウ。褒めてあげる」
「それは光栄だな」
だが、すぐにフェイリンは強気な声で尊大な物言いをして、沈んだ声を打ち消した。
短い時間だったが、このお姫様がどういう人柄なのか、なんとなく分かったな。
「……だから、また来なさい、シンタロウ。命令よ」
「ああ、また、偶然が味方してくれれば、な」
なので、最後に掛けられた声にも素直に返した。
そして俺は、顔を上げる。
そこで、フェイリンと視線が合う。
……ぱつり、と切りそろえられた黒髪に縁どられた顔の中に収められた、黄金細工の瞳。
その瞳が柔らかく笑みに細められているのを見て、俺の夢は終わった。
「寝た気がしない」
カーテン越しに、窓から日の光が差し込んでいる。
だが、俺は寝た気がしない。
当然だ。夢の中で夜通し話していたのだから。
……まあ、不思議なもので、体は専ら元気だった。体は休まっていたらしい。
ただ、心というか、気持ちというか……そういうものが今一つ、寝た気がしない、というか……。
……仕方ない、か……。
それから支度をして、俺達は喫茶店内に集まった。
「おはよう、眞太郎。よく眠れた?」
「まあ、ぼちぼち、だな……また夢を見たが、今度は上手くいったよ。話してこられた」
そこで早速、ペタルに声を掛けられて、苦笑いしつつ言葉を返す。
「ええと……その顔を見る限り、大丈夫だった、っていうことでいいかな?」
「ああ。まあ、楽しい会話だったよ」
微妙な笑みを返すと、ペタルは不思議そうにしつつも、「それはよかった」と、笑みを返してくれた。
「じゃあ、いくよ。アノイクイポルタトコスモス、トオノマサス、『コジーナ』!」
そして俺達はいよいよ、イェンジュさんの世界……『コジーナ』へと向かった。
俺達の手には、念のための武具。
そして大量の食事だ。
とりあえず、コジーナに着いて最初にすることは、食事の配布だな。
……いつもの落下感の後、俺達は地面を踏んでいた。
枯草がまばらに生えた土の上に立ち、俺達はあたりを見回した。
村だ。
寂れた、弱った村、という印象を受ける。
畑には麦らしき植物やその他の野菜らしいものが植えられているが、それだけだ。
家屋は古びて所々修繕が必要なまでに壊れ、しかし、手を入れる余裕も無いらしく、修繕も適当に行われている。
慎ましやかな生活すら脅かされている、というのは本当らしい。
「これは酷い、ね……」
「ソラリウムのみんなを思い出す、なあ……うう」
ペタルが眉を顰め、イゼルが過去の自分達の状況を思い出してか、悲し気な顔をする。
「これが私達の村の現状なのだ。種籾の確保すら難しい有様で……早く皆に食事を食べさせてやりたい。いいだろうか」
イェンジュさんは礼儀正しく、慎み深い人なのだろう。そう言いつつ、申し訳なさそうな顔をしてもいる。
「うん、勿論だよー!私達、そのためにご飯作ったんだもん!」
「ああ、本当に、ありがとう……」
泉が底抜けに明るく言葉を返すと、イェンジュさんはほっとしたような顔をして、強く頷いた。
さて、それでは食事を持って村を回るか、と、思ったところでだった。
「……ところで、ええのん?オルガちゃんとニーナちゃん、ダウンしてるけど、ええのん?」
リディアさんが指さしたところでは、立ったまま強制終了したらしいニーナさんと、ぐったりしているオルガさんの姿があった。
「……あああ……コジーナって、機械類と相性、悪いみたいだね……?」
……どうやら、世界との相性が悪かったらしい。
「……それから、ええのん?多分、あっちに見えてるの、軍隊だけど……これ、ヤバいんじゃーない?ん?」
……そして更に、俺達は早速、窮地に立たされることになったらしい。




