75話
「回収予定、って……」
不安げな表情で考え込むペタルを前に、ふと、俺は思い出した。
「そういえば、ペタルは『翼ある者の為の第一協会』に居た時、アレーネさんと一緒だったんだよな」
確か、そんなようなことを聞いた気がする。
ペタルとアレーネさんは一緒に『翼ある者の為の第一協会』から逃げてきたはずだ。
「ああ、うん、そう、なんだけれど……アレーネさんがどうしてあそこに居たのか、知らないんだ」
だが、ペタルの表情は芳しくない。
「そもそも、アレーネさんがどの世界の出身なのかも知らないから……なんで『翼ある者の為の第一協会』に捕まっていたのかもよく分からなくて」
……あれ?
「ちょ、ちょっと待ってくれ。アレーネさんは……ピュライの出身なんじゃ」
「え?ううん、違うよ。少なくとも、ピュライでもアウレでもトラペザリアでもないみたい」
……てっきり。
てっきり、アレーネさんは、ピュライの出身だと、思っていた。
だから、ピュライの『翼ある者の為の第一協会』と何らかの因縁があったのだろう、と。
だが……ペタルの話を聞く限り、アレーネさんはピュライ人じゃない。
なら、『翼ある者の為の第一協会』にとっては、異世界人だったはずだ。
「……アレーネさんって、そもそもどうやってピュライにたどり着いたんだ?」
「さあ……そのあたりの話、なんとなく聞けなくて。アレーネさんもあんまり話したくないみたいだったから」
詳しいことはよく分からない。
だが、アレーネさんと『翼ある者の為の第一協会』の関係は、俺が今までうっすらと想像していたものより、遥かに深いもの、なのかもしれない。
「……もしかしてアレーネさん、急に不在にすることにしたのって、『翼ある者の為の第一協会』のせい、なのかな」
「どうだろうな。今回、『翼ある者の為の第一協会』を捕まえられたのも、イゼルの鼻のおかげだし、ほとんど偶然だ。……それに、アレーネさんがもし、俺達に何かしてほしいと思っていたなら、俺達に何か言ってから出ていくと、思う」
「うん……そう、だよね。アレーネさんが何も言わずに出ていったなら、私達が気にしなくていい、っていうこと、だよね」
アレーネさんが何を思って、アラネウムを空けることにしたのかは分からない。
だが、アレーネさんが何も言わずに出ていった以上、アレーネさんの意図は『俺達の関与を必要としていない』ということだ。
……信じて待つしかない、な。
アレーネさんへの心配が募る一方、喫茶アラネウムとバー・アラネウムは順調に経営されていた。
俺はバーの方には顔を出していないから分からないが、少なくとも喫茶の方は、俺がアラネウムへ来た時よりも遥かに客が増えた。
完全に裏方に徹しようと思っていた俺がウェイターとして、或いは調理の補助として入る必要が出てくる程に。
……大体、喫茶の方はペタルと泉、イゼルとニーナさんと紫穂、そして俺、というメンバーで運営していた。
大体はペタルとニーナさんが調理、他がウェイトレス、といった働き方。
一方、バーの方は、オルガさんとニーナさんとリディアさんの3人で運営されていた。
……こちらには、時々、俺が手伝いに入った。
何せ、ペタルも泉もイゼルも紫穂も、明らかに見た目が未成年だからだ。というか、見た目だけでなく未成年だ。ただ、妖精だったり獣人だったり幽霊だったりはするが。
よって、バーで働けるのは俺だけ、ということになり……そうなると、俺は夜と朝の間か、昼下がりの暇な時間、夕方、といった時間に睡眠を摂ることになる。
結果、俺は幾分、睡眠不足気味になっていた。
アレーネさんの不在6日目。
俺は喫茶アラネウムで調理の補助を行いつつ、眠気と戦っていた。
「眞太郎、大丈夫?」
「ああ……まあ、なんとか」
「眠いなら寝てて大丈夫だよー?」
「いや……どう見ても、俺が働かないと間に合わないだろ、これ」
だが、アラネウムは稀に見る程度の人の入りであった。
商売をしている以上、忙しいのは良い事なのだが。
「しかし、眞太郎様の体調は悪化しています。一度、まとまった睡眠を摂る事を推奨致します」
「ニーナさんも出ずっぱりじゃないですか」
「私はアンドロイドですから」
そんな話をしつつ、俺はひたすら頑張っていたのだが……遂に眠気に限界が来たらしい。
がしゃん、と、剣呑な音が響いて我に返ると、シンクの中で皿が一枚割れていた。
……洗う時に取り落として割ったらしい。
「……眞太郎、やっぱり寝た方が良いよ。大丈夫、後は私達でもなんとかなるから」
「ああ……ごめん、そうする」
睡眠不足にしても、余りにも倦怠感が強すぎた。
頭が上手く働かない。
この状態で手伝っていても、足を引っ張ることになりかねない。
任されてくれるペタル達の言葉に甘えて、俺は部屋に戻って寝ることにしたのだった。
部屋に戻ってベッドに入ると、すぐに眠気が襲ってきた。
眠気に抗うことなく目を閉じて、そのまま眠ってしまった……のだと思う。
勿論、自分が眠ったかどうかなんてはっきり分からないものだし、もしかしたら、眠りと覚醒のあわいで意識をふらふらさせているだけなのかもしれない。
……だが、1つ言えることがあるとすれば……俺は、夢を、見た。
ぼんやりとした夢だ。ただし、『これは夢だ』と分かった状態での夢だ。明晰夢、という奴なのかもしれない。
俺は知らない場所に居る。……露台、だろうか。
空は暗いが、大きな月が2つ浮かんで輝いている為、視界が利かない、ということも無い。
朱塗りの柵から身を乗り出して、月明かりに照らされた景色を眺める。
……眼下に広がる景色は、きっちりと区画整理された都だった。そして、その向こうには山があり、川がある。
都には美しく華やかな暮らしがあるのだろう、と思わされる。その一方で、山や川には雅やかな自然の美しさがあった。
どこか古めかしく異国情緒を感じさせる風景を一頻り眺めて、俺は露台を後にする。
薄絹のカーテンを潜ると、そこには豪奢な部屋があった。
露台の方から薄絹越しに差し込む月光に照らされて、室内の調度がぼんやりと浮かび上がっている。
絢爛な絵がつけられた磁器の壺。磨き抜かれた紫檀の机。オリエンタルな木枠の嵌まった丸窓。
……そして、薄絹を幾重にも重ねた豪奢な天蓋の中、寝台の上に、1人の少女が座っている。
少女の前には繊細な細工の香炉らしきものや、水晶の玉らしきものが置かれており、そこから何らかの……魔法的な力を感じた。
少女はそれらを前に、目を閉じて座り、何かに集中しているらしかった。
……ふと、少女の手が動く。
少女の手が水晶玉に触れると、水晶玉が輝いた。
そして、水晶玉の中に、見覚えのある風景が映りこむ。
タイルで舗装された並木道。ノスタルジックな裏路地。やや遠くに見えるビル街。やたらと緑の多いキャンパス。見覚えのある喫茶店。品の良い内装。それから……。
……それは、ディアモニスの景色。
俺自身よく見覚えのある、俺の世界の景色が、水晶玉の中に映っている。
少女は目を伏せながら、水晶玉の中を覗いて口元を綻ばせていた。
どこか、寂しげに。或いは、悲しげに。
そしてふと、少女が水晶玉から手を離す。
すると、水晶玉の中の景色は掻き消え、元通り、ただの水晶玉があるばかりになった。
……そして少女が、ゆっくりと振り向く。
黄金色の瞳が、俺を……。
……見る前に、俺は目を覚ました。
気がついたら中華テイストな部屋はどこにもなく、いつも通り俺の部屋があるだけだったし、俺は自分のベッドに寝ていた。
体力は……幾分、回復している。これならまた、アラネウムの手伝いができるだろう。
……不思議な夢を見た。
だが、夢は夢だ。夢をどうこうする訳にもいかない。
何となく、夢の内容が頭の片隅に引っかかりつつも、俺はベッドを出て、アラネウムの手伝いをしに行くことにしたのだった。




