70話
「魔法って、精神の顕現だと思うんだ」
俺の手の凍傷を治しながら、ペタルはそう言った。
ペタルの視線の先では、泉やリディアさんにじゃれつかれている紫穂の姿がある。
「精神が不安定なら魔法も不安定になるし、落ち着きすぎていたら威力が出ない。攻撃的な性格の人は強くて激しい魔法になるし、優しい人の魔法は柔らかくてあったかいんだ。……だから紫穂も、精神が安定したら、能力を自分の意思でコントロールできるようになると思う」
「それまでは俺達がサポートすればいいよな」
紫穂の霊能力の威力は、恐らく、単純な火力で考えれば、オルガさんに次いで2位か、或いは、オルガさんと同等か。
ゾンビを全員凍らせて、更に、闇の結界の奥に居たらしい『翼ある者の為の第一協会』の残党まで凍り付かせて逃がさなかった程の威力。コントロールできるようになれば、心強い戦力になるだろう。
「うん……そう、だね」
だが、ペタルは若干、沈んだ顔をしたまま、俺の手を両手で握った。
一度凍り付いた俺の手も、ペタルの回復魔法によってすっかり治されている。俺の手は、ペタルの柔らかい指先の感触を確かに感じ、血液の温かさを確かに感じた。
「……眞太郎って、意外と無茶するよね」
「え?」
ペタルは言ってから、俺と目を合わせることなく、白銀の睫毛を伏せて、俺とペタルの手に視線を落としている。
どこか困惑したように視線を彷徨わせるペタルの表情は、今までに見た事の無い表情だった。
「私のお兄様との時もそうだったし、オルガさんのオーバーホールの時も。強敵相手なのに、戦っちゃうでしょう」
「あれは……そうするしか無かった、というか」
勿論、嘘だ。そんなことは分かってる。
ペタルの兄との戦いの時は、逃げる事なんていくらでもできた。
逃げることでアラネウムが今後、動きにくくなるだろう、と思われたから無茶をしたが、逃げる手段はいくらでもあった。
そして、オルガさんがオーバーホールした時は、テレポートも世界渡りも封じられていたが……逃げようと思えば可能、だったかもしれない。
少なくとも、敵のサイボーグに出会ってすぐならば、逃げられただろう。すぐに撤退を判断しなかったから逃げられなくなっただけで。
つまり、『俺は意外と無茶をする』。その通りだ。
「今回も。……眞太郎、凍って死んじゃってても、おかしくは無かった、よね」
「……まあ、そう、だな」
俺が紫穂の手をとったのは、そうすれば紫穂が落ち着くと思ったからだ。そして結果として上手くいったが、上手くいく保証があったわけじゃない。
紫穂がよりパニックを起こして俺が全身凍らされていたとしても、おかしくは無かった。確かに、その通りだ。
「……うん、すごい、なあ。眞太郎は」
俺の手を握るペタルの手の力が強まる。
「命の危険にさらされたことなんて無い環境に居たのに、突然、こんなに、こんなにすごいことができちゃうなんて」
……言われてみると、自分でもそう思えてくる。
少なくとも、アラネウムに来た当初よりは……肝が据わった。
身の危険を正確に理性で測れるようになったし、そのギリギリまで行動する力も身についてしまった、ように思う。
それがディアモニス人として幸福な事かはかなり微妙な事だが(少なくとも、過去の俺が今の俺を見たら間違いなくいい顔はしない)……アラネウムに居る以上は、役に立つ能力だ、と思う。
……では、何故、こう変わってしまったのか、と考えれば、とてつもなくシンプルな答えでしかない。
「アラネウムのせい、だし、アラネウムのおかげ、だよな」
口に出せば、ペタルが俺を見た。
至近距離で見つめられてなんとなく気恥ずかしく、目を逸らす。
「アラネウムに来たから、命の危険とか、それ以外にも変な事に巻き込まれるようになった訳だし、巻き込まれている内に、自分から突っ込んでいくようになった。でも、それでも生きていて、また変なことに突っ込んでいけるようになったのは、皆のサポートがあったからだ」
誤魔化すように言ったが、だが内容にごまかしは一切無い。
全て、本当の事だ。
俺が生きているのは、異世界の道具のおかげだし、アラネウムに集った異世界人達のおかげである。
そして、彼女らの助けで、俺は今、こうなっている。
「……サポート、かあ……」
「現に、ペタルに治してもらってるし、な」
筆頭はペタルの回復魔法だろう。
傷を作る度、こうやってお世話になっているのだから。
……そういえば、俺がアラネウムに来て最初に体験した魔法は、ペタルの回復の魔法だったような気がする。
「……うん。そうだね。眞太郎以外にも、オルガさんも無茶する人だし、あれでもアレーネさんもかなり無茶する人だから。サポートしなきゃ、だよね」
「ああ、助かってる」
俺が言うと、ペタルは少し笑ってから……少しばかり、怖い顔をした。
「一番いいのは、あんまり怖い事しないでくれること、なんだけどな」
「悪いが、それについては約束しかねる」
「それ、オルガさんもアレーネさんも同じこと言いそうだよね……」
ペタルはやや膨れた顔をしながら俺を見て、ため息を吐いた。
「……うん。大丈夫。あんまり無茶はしないでほしいけれど、眞太郎が無茶する時は、私が……ううん、皆が、サポートするから。……うん、それが、私の役目。私が、やりたい事、だから」
ペタルはそう言って笑顔を浮かべて、俺の手をもう一度強く握ってから、手を離した。
「……なんかごめんね、変な話、しちゃった気がする」
「いや、別に変じゃなかったよ」
ならいいけれど、と、ペタルははにかむような笑みを浮かべて、ペタルを呼ぶリディアさんの声の方へと行ってしまった。
……魔法は精神の顕現である、と、ペタルは言っていた。
今の話が、ペタルの精神に良いものであったならいいな、と、思う。
……そして実際、数分後には、リディアさんを治すペタルの魔法が、力強く温かく、リディアさんを癒していくのを見ることができた訳だが。
「……さて、こっちは終わったわよ」
ペタルの治療を必要としていた俺と泉とイゼルとリディアさんを除いたメンバーは(オルガさんは負傷していたが、ペタルには治せないのだ)、『翼ある者の為の第一協会』のドーマティオン支部……つまり、ゾンビの壁の向こう側の空間を探索してくれていたらしい。
「成果はどうだった?」
「ええ……それなり、と言ったところかしら」
ペタルの問いかけに対して、アレーネさんはやや、ぼんやりとした答えを返してきた。
不思議に思いつつも、アレーネさんがひらひらと振って見せてくれた紙片を受け取り、覗き込む。
「……これは」
俺と一緒に覗き込んだペタルが、眉根を寄せた。
「ゾンビの作り方、と言ったらいいのかしらね」
「……『死者を使って、不死身の兵士を生み出すことに成功した』。『完全な不死者を生み出す魔法についてはドーマティオンの伝承を伝っても、解明に至らなかった』。……どういうことだろう。『翼ある者の為の第一協会』の目的は、完全な不死者を生み出すこと……?」
紙片は、ゾンビを生み出す魔法についての報告書であるらしかった。
仔細に渡って(俺にはよく分からないものの)ゾンビを生み出す魔法について書かれ、また、ゾンビを生み出す魔法が生まれた経緯についても記されている。
……そしてそこに出てきた言葉。
『完全な不死者を生み出す魔法』。
これは……どういうことなのだろうか。
「んー?不死?……そーいや、私、そういう道具、持ってたなー」
「えっ」
「えええっ!?」
俺達が首を捻ったところで、リディアさんがとんでもない事を言った。
「銀色のグラス。私の手元にあったのは1つだけで……ま、効果は簡単、病気を治す水を出してくれる、っちゅうモンなんだけどね、どーも、本来は3つセットで、3つ合わせて使えば不死の薬ができる、らしい、とかなんとかかんとか」
……水を出す、銀の、グラス。
「……それ、それ、さ。ね、ねえ、リディアさん」
「はいな」
俺達は顔を見合わせた。
……リディアさんが『翼ある者の為の第一協会』に狙われていたのは、もしかして……。
「それ、今持ってるのかな?」
「ん?あー……それなんだけど……どっかの世界で、みんな病気してる町があったから、そこに置いてきた!」
……それは……ほっとすべきか、そうでもないのか……?
もしかして、『翼ある者の為の第一協会』が狙っていたのは、リディアさんが持っていた『銀のゴブレット』だったのではないだろうか。
「しかし、3つセットのゴブレット、か……」
「ええ……間違いないでしょうね。アラネウムに2つ、こういうものがあったわよね……」
そして俺達が思い浮かべるのは、もう1つ。
ピュライの古代遺跡から持ち帰った、あの宝石のワイングラス。……女性陣の化粧水やら、風呂の水やらに使われている『美の水』を出す、あの魔道具。
そして、トラペザリアでサイボーグと戦った時に手に入れた、金細工のゴブレット。……サイボーグの傷を一瞬で修復する水を出した、例のアレである。
「3つセット、か、あ……」
ペタルが遠い目をしている。俺も遠い目をしたい。
……『翼ある者の為の第一協会』が狙っているもののうち、2つが、手元にある、らしいことが分かってしまった。
「……ということは、『翼ある者の為の第一協会』がドーマティオンでいろいろやっていたのは、不死者を生み出す魔法を探すため、っていうことだったのかな」
「ついでに私がグラフィオで狙われてたんは『3つセットで不死の薬!幻のゴブレットセット!』の内の1つを持ってたからってことなんかなー?」
「トラペザリアのサイボーグ、すぐに金のゴブレットを出した訳じゃなかったよな。あれ、もしかしたらどこかから一時的に『借りてた』んじゃないか?テレポートの魔法とかで。……ってことはやっぱり『翼ある者の為の第一協会』はトラペザリアの正規軍と繋がってるのか!?」
……何やら、色々と推測が進んでしまう。だが、これを只の憶測で片付けるには無理がある。
『翼ある者の為の第一協会』は今回、ドーマティオンで不死者の魔法を研究していたわけだ。
そして、恐らくは、リディアさんが持っていた『不死の薬を生み出すゴブレットセット』の内の1つを狙っていた。
つまり、『手段は問わないが、不死者を生み出す手段が欲しい』ということだろう。
「……不死身、ね。どうしてそんなものを追いかけているのか、分からないけれど」
アレーネさんが珍しく、苦い表情を浮かべている。
だが……『翼ある者の為の第一協会』は、異世界を侵略しようとしている集団だ。
彼らの手に『不死者を生み出す手段』が渡った時、碌な結果にならないことは明白である。
「これから先、気を付けた方がいいよね」
「まずはアラネウムにあるアレの管理だな!」
……ということで、俺達は『翼ある者の為の第一協会』の目的を1つ知ると同時に、自分達が持っているものの重さを知ってしまったわけである。
今後、本当に気をつけなきゃいけないよな……。いつ、アラネウムを直接襲撃されるか、分かったもんじゃない。
「さて。ドーマティオンでの仕事も終わったし、帰りましょうか」
「うん。じゃあ、いくよ。アノイクイポルタトコスモス、トオノマサス、『ディアモニス』!」
そして俺達はドーマティオンを後にして、ディアモニスのアラネウムへと戻ることになった。
いつも通り、『世界渡り』して、アラネウムの床を踏む。
「ただいまー!」
すっかり慣れ親しんだアラネウムの、コーヒーや紅茶、菓子類や若干の酒の香りが鼻を掠めて、『帰ってきた』実感が湧く。
「お帰りなさいませ、皆様……あら?」
そこではニーナさんが1人、留守番してくれていた。
そして、ニーナさんは、紫穂に目を止めると……。
「……強制終了します」
シャットダウンもとい、気絶してしまった。
……そうだった。
ニーナさんは、幽霊もといおばけが苦手なのだった……。




