65話
幽霊嬢は、ドーマティオンの死者として、明らかに異質な恰好をしている、と。
……ディアモニスだと、髪の長い幽霊が白いワンピース、って、結構ステレオタイプなんだけどな……。
「そう、ね。確かに、それなら……」
幽霊嬢に聞こえないよう、こっそりアレーネさんに伝えたところ、アレーネさんは考え込んで黙ってしまった。
「……少し、気になった事があるのよ。多分、眞太郎君の情報と合わせれば、真実に近くなるんじゃないかしら」
「昨夜、私、町の酒場に行ったのだけれど」
「えっ」
いきなりの話だったが、別におかしな話でもないか。
皆が箱の部屋で寝静まった後に箱の部屋を出て、夜の町へ繰り出すことは十分可能だったし、アレーネさんがそれをやったことには何の違和感も無い。まあ、アレーネさん自身が夜の酒場の人だからな。
「そこで、気になる話を聞いたのよ。……今の桃子嬢の家、古い家でしょう?」
「ああ、はい」
確かに、そんな話を伝聞で聞いた。
桃子一家が引っ越してくる前から建っている、大層古い家だ、と。
「つまり、桃子嬢たちが引っ越してくる前に誰かが住んでいた、ということになるじゃない。……それで、輝尾一家が引っ越してくる前に住んでいた人について、聞いたのだけれど」
そこでアレーネさんは、ごくごく自然な表情で……つまり、会話の内容が聞き取れなかったなら、俺とアレーネさんがごく普通の世間話でもしているとしか見えないような表情で……言った。
「夜逃げ同然に、ある日突然、引っ越していってしまったらしいわ。そしてその引っ越し前日、怪しげな人とその家に居た人が話していたんですって。その夜には、家から何かの騒ぎらしい音も聞こえていたらしいわ」
「……怪しげな、人?」
アレーネさんは頷くでもなく、表情を変えるでもなく、言った。
「『翼ある者の為の第一協会』が侵攻している世界の一覧に、『ドーマティオン』も含まれていたわよね」
「……アレーネさんは桃子が『そう』だと?」
「いいえ?あくまでも可能性を考えて安全策を取っているだけよ」
つまり、だからこそ、桃子や幽霊嬢が聞いていないところで、俺とこうして話している、と。
「まあ、可能性は限りなく低いと思うわ。桃子や幽霊嬢が『翼ある者の為の第一協会』のメンバーだとは思いにくいものね」
「まあ、そうですよね」
桃子が『翼ある者の為の第一協会』メンバーならば、一晩家の庭で夜を明かしていた俺達に対して何もしなかったのはおかしい。
幽霊嬢が『翼ある者の為の第一協会』メンバーならば、俺達に姿を見せる必要が無い。俺達が『ユーレイミエール君』を装備したことはともかく、幽霊嬢自身が装備する理由にはならない。
2人ともグルだったとしても、やはり桃子は幽霊嬢の存在を俺達に教える必要が無いし、幽霊嬢の行動も今一つ理屈に合わない。
「だから、『翼ある者の為の第一協会』と2人……いえ、幽霊嬢になんらかの関係があるなら……」
アレーネさんはそこで口を閉じた。
その先を言うべきか迷ったようにも見えたし、俺もそれ以上は追及しなかった。
ただ、分かる、という意を込めてアイコンタクトを取れば、アレーネさんは複雑そうな笑みを浮かべて、1つ頷いた。
「少し、町の人達に聞き込みをしてみたらどうかと思うのだけれど、どうかしら」
そうして墓地を出たところで、アレーネさんが提案した。
「うん、いいと思う。このまま何もしない訳にもいかないし、可能性があるなら動くべきだよね」
「ま、いっか……んにゃ、ちょい待ち。この町の人、幾ら小さい町って言ってもそこそこいるんじゃ」
「ぼ、ぼく頑張る!」
アラネウムのメンバー3人がそれぞれに反応する横で、桃子と幽霊嬢もそれぞれに頷いてくれた。
「じゃあ、ペタルとイゼルは2人で聞き込みをお願い。リディアは桃子嬢と幽霊嬢と一緒に行って。眞太郎君は私とでいいかしら?」
そしてアレーネさんはさりげなくメンバーを振り分ける。
……当然だが、これに反対する人もおらず、聞き込みが始まった。
ペタルとイゼルは町の北の方。リディアと桃子と幽霊嬢のチームは南の方へ行った。
そして俺とアレーネさんは。
「これで2人きりになれたわ。ごめんなさいね、眞太郎君。付き合わせちゃって」
「それは構いませんが……行くんですか」
「ええ。謎を解くことが私達の仕事じゃないわ。でも、幽霊嬢について、知っておいた方が良いでしょう?」
俺も同意する。
少しばかり、他人の事情に首を突っ込みすぎるかもしれないが。
……だが、依頼者の依頼が優先事項だ。
これが桃子の、そして幽霊嬢にとって良い方向であるようにと願いながら、俺とアレーネさんは桃子の家に向かって歩き始めた。
「この辺りでいいかしら」
アレーネさんは桃子の家の近くで立ち止まる。
「家に入るんじゃないんですか?」
「入らなくても、『あるかないか』は分かるのよ」
そう言って、アレーネさんは何か、光り輝くものを懐から取り出した。
……糸巻きだ。
糸を巻いておくためのものではなく、糸を巻き取るためのもの。
銀色に輝く金属でできているそれを持って、アレーネさんはその場に屈んだ。
……そして、俺には理解できない何かを行ったのだ、と思う。
アレーネさんの糸巻きには、透明に輝く糸が細く細く、巻き取られていた。
「ああ……」
アレーネさんの声には、落胆か、或いは悲しみのような色が混じっていた。
「あった、んですか」
「……この糸は、記憶の残滓よ。きっと辿れば、あると、思うわ……」
糸巻きの糸は、緩やかに伸びて、桃子の家に向かっている。
桃子の家の、恐らく、地下に。
アレーネさんが桃子の家族に話をつけてくれ、俺も一緒に桃子の家に入る。
俺達は黙って糸巻きの糸を見ながら、桃子の家を歩きまわる。
「……ここ、かしらね」
ある部屋の床板が1枚、やや浮いていることに気付いた。
そして、糸巻きから伸びる糸は床下へと続いている。
「開けますか?」
「そう、ね。眞太郎君、お願い」
ならばやるべきことはただ1つだ。
俺は、床板に指をかけ、そっと、持ち上げ……。
「……あまり、予想が当たってほしくは無かったのだけれど」
そこにあったのは、見るも無残な死体だった。
死体は、俺の体より小さい。
所々に露出している骨の形を見る限り、女性のものだろう。
つまり、幽霊嬢の死体であると見て、間違いないと思う。
……幽霊嬢は、幽霊、と言うからして、死んでいるのだ。
そして、成仏できていない。(ドーマティオンに仏教があるとも思っていないが、まあ)
更に、幽霊嬢は『弔われた』人の証であるはずの青い衣服を着ていない。
ならば……殺されて、弔われずにどこかへ遺体を放置されている、という線は、濃いように思えた。
そして実際、その通りのものが目の前にあった。
「……多分、幽霊嬢は輝尾一家が引っ越してくる前にこの家に住んでいた子だったのね。他の話を聞く限りでは、輝尾一家が引っ越してくる前から幽霊嬢が居た訳ではなさそうだもの」
幽霊嬢が輝尾一家に対して行っていた(とはいえ無意識の行動らしいが)という、ポルターガイスト現象。
そんなことが起こっていたならば、近所でもっと話題になってもいいんじゃないだろうか。
そして、桃子はこの家に引っ越してきてから、怪奇現象に悩まされ始めた、と言っているから、桃子が引っ越してくる前から憑りついていたわけでもないだろう。
幽霊嬢が桃子の家に入れなかったのは……この家自体に、強い思い出があるからだ、とも考えられる。
「そしてそこで、虐待を受けていた、のかもしれないわね」
ここからは俺とアレーネさんによる、完全な憶測になるが。
……桃子の家での話。物置の棚の奥に、乾いたご飯があった、と言っていなかったか。
普通に考えれば、そんな場所にご飯があるのはおかしい。
何故そんなところに、と考えれば、そこでご飯を食べていた、と考えられ……では、何故物置なんかで食事を、と考えれば、閉じ込められていたからである、と、結論が出る。
そして何より。
「殺されてしまったのに、気づかれず、供養もされずにこんなところに居たんだもの。夜逃げ同然の引っ越しは幽霊嬢の死を隠蔽するためのものだったのでしょうね」
真っ当に可愛がられていたならば、墓に埋めるくらいはしてもらえたってよかっただろう。
隠されていなかったのならば、町の人達からもっと話がでても良かったはずだ。
そうでない以上、幽霊嬢は……家族か、単なる同居人だったのかは分からないが……この家に以前住んでいた人達から、碌な扱いをされていなかった、と推察できる。
「アレーネさん、幽霊嬢が死んだ原因は『翼ある者の為の第一協会』でしょうか」
そして気になるところは、『翼ある者の為の第一協会』とのかかわりだ。
勿論、幽霊嬢や桃子がメンバーだとは思わない。
2人が『翼ある者の為の第一協会』と関わっているとしたら……2人は『被害者』としてかかわっているのだろう。
特に、幽霊嬢は。
「……その可能性は高いんじゃないかしら。この家に住んでいた人が『翼ある者の為の第一協会』から異世界の武器を譲られて……使い方が分からなかったか、敢えて使ったかで、幽霊嬢が死んでしまった、というのはあり得る話しだと思うわ。或いは、元々ここに住んでいた人と『翼ある者の為の第一協会』とでトラブルがあった結果、とかかもしれないけれど」
直接の原因か、間接の原因かはともかく、『翼ある者の為の第一協会』が幽霊嬢にとって、悪い方面での関係者、ということになるのは間違いないだろうな。
「……なんか、やるせない、ですね」
「……そうね」
推測だから、間違っているかもしれないし、間違っていてほしいが。
だが、実際に幽霊となって彷徨う少女が居て、こうして俺達の目の前に凄惨な死体がある。
幽霊嬢も、この死体も……ひたすらに、寂しいのだ。
寂しい。悲しみも怒りも通り越して、寂しい。
夕陽の残滓が消えていく時刻のススキの丘のような。そこに吹く冷たい風のような。
どうしようもできないことが、どうしようもなく寂しい。
……やるせない。
しばらく、俺とアレーネさんは沈黙していたが、アレーネさんが気分を変えるように、パン、と手を打ち合わせた。
「さて。どうしましょうか。このままにしておくわけにはいかないけれど」
「やっぱり供養してもらうのが一番、でしょうか」
幽霊嬢の未練が何かは分からないが、やはりこのままにしておくのではなく、きちんと供養されたほうが良いように思う。
それに、幽霊嬢がどうであれ、現在、この家には桃子たちが住んでいる。そこの床下に死体を置いておくのも問題があるだろう。
「そうね。じゃあ、とりあえず布か何かで包んで……」
だが、アレーネさんがそう、言葉を続けた時だった。
バシリ、と、強い音が響いた。
……そして、床の一画から放射状に……床が、凍り付いていく。
「……幽霊嬢、そこに、居たのね」
返事は無い。姿も見えない。
だが、バシリ、と、ラップ音が1つ、答えるように響いた。




