63話
ススキを掻き分けながら丘を下りていく。
「わ……暗くなると、本当に寂しいかんじがする。ちょっとディアモニスに雰囲気が似てるかもね」
ペタルの感想には概ね同意する。
陽が落ちて暗くなった中で、ざわざわと風に揺れるススキ。
ここに1人で居たら、寂しいなんてものじゃないだろうと思う。
「ここから見ると、町が余計に賑やかに見える」
そして、そんな中で見るからこそ、丘に下に見える家の並び……小さな町の様子は、とても明るく、暖かく見えるのだ。
「ちっちゃな町なんだけどねぇ。でも、町の人は皆良い人だよ。えへへ」
「そうね、そんなかんじがするわ」
「……美味しそうな匂いがする。ご飯、作ってるのかなあ……」
ススキの丘に立っていたら寂しいだけだっただろうが、暖かな灯りの方へと歩いていくのならば、それは、夕方になって家路を歩く小学生かなにかの気分にも似た何かになる。
「……うーん、でも、お家に幽霊連れて帰ったら、びっくりされるかなぁ……」
だが、桃子はそんな気分になる暇も無いらしい。
……桃子は、ちらちらと幽霊嬢の方を見ながら、できるだけ近寄らないようにしているらしかった。やはり、怖いらしい。
幽霊嬢の方も、怖がらせることを申し訳なく思っているのか、単に幽霊嬢自身が人見知りなだけなのか、俺達から少しだけ離れて……特に桃子からはできるだけ離れられるような位置どりをして、俺達に付いてきていた。
「今回の依頼は桃子ちゃんの依頼でもあるし、ある意味、幽霊嬢の依頼でもあるわ。どちらも大切にするつもりよ」
アレーネさんがそう言うと、桃子は安心したような、納得したような、割り切ったような、そんな表情で頷いた。
「……私も、です、か……?」
一方、幽霊嬢の方は、不思議そうにしている。
「ええ。貴方、いつまでも記憶も無く、なのに未練を残したままで居るのは辛いでしょう?……勿論、貴方がそう望まないのなら話は別だけれど。でも、どちらにせよ、貴方が桃子ちゃんから離れられるようにはしなくちゃいけないでしょうね」
幽霊嬢は、ふわふわと宙に浮きながら首を捻り……それから、ぽつり、と、零した。
「……なんで、私は……忘れちゃった、のでしょうか」
……幽霊嬢が言外に言いたいことは分かる。
アレーネさんも同様に、意味をくみ取ったらしい。
「そうね……どうして忘れたのかも含めて、思い出したいかそうでないか、決めるのは貴方よ。……もしかしたら、忘れたくなるくらい酷い記憶、酷い未練だったのかもしれないものね」
幽霊嬢は、アレーネさんの言葉を聞いて、また考え込み……そしてようやく、1つ、頷いた。
「……それでも、知りたい、です。酷い未練が、あったとしても……あなた達なら、なんとかしてくれそうな気がする、のです……」
「……そう。なら、私達は貴方に協力するわ。任せて頂戴ね」
アレーネさんはいつもの艶やかな微笑みを浮かべ、幽霊嬢に向けた。
……だが、幽霊嬢の死角で、ふと、表情を曇らせもした。
丘の麓の町までやってくると、辺りは幾分明るくなった。
そして何より、静かさの種類が違う。
さっきまでは寂しく暗く冷たく静かだったが、今は暖かく明るく穏やかに静かである。
時折、往来を人が行きかうこともあり、さっきまでの寂しさは感じられない光景だった。
「やっぱり、ちょっとディアモニスに似てる、よね?ねえ眞太郎、本で読んだことがあるんだけれど、昔のディアモニスってこんなかんじじゃなかったっけ」
「ああ、かなり近いと思う」
……町の様相は、かなり『和風』であった。
木材と漆喰で建てられた家。屋根は瓦ではなく板葺きだし、障子のようなものには紙ではなく布を張っているようだし、細部は何かと異なるが……しかし、ディアモニス人の俺からしてみれば、どこかノスタルジックな眺めである。
桃子が茜色の着物を着ていることからも予想がついたが、この世界は『和風』な世界なのだろう。
「ちょっと変わったとこねー」
「ぼく、この世界の匂い、好きだよ」
この世界……ドーマティオンは、俺も好ましい世界だと思う。
「ただいまー!」
そうして俺達は町はずれの小さな一軒家にたどり着いた。
桃子が進み出ると、ためらいもなく玄関のドアを開ける。
「ああ、桃子、何所へ行っていたの!……あ、あら?この人達は?」
すると、中から1人の女性が出てきた。
桃子に似ている人だ。恐らく、母親だろう。
「うん、この人達、幽霊を何とかしてくれる人だよ!」
「幽霊、って」
「ここに居るのがその幽……あれぇ?」
……だが、そこに幽霊嬢の姿は無かった。
「……ええと、幽霊は?」
「いない、ね……?」
見回しても、幽霊嬢の姿は無い。
「……そうね、きっと、少し遠くへ行っているのでしょう。その間に、中でお話を伺ってもいいかしら?」
だが、アレーネさんはそう言って、桃子の家に入っていく。
……そんな時、ふと、俺の袖が引っ張られるような感覚があった。
成程、幽霊嬢は『ユーレイミエール君』を外して、俺達の目に見えない状態になったのか。
俺の袖は家から離れた方に向かって引っ張られている。
「あ、すみません、俺、ちょっと外で待ってます」
俺がそう言うと、俺の袖を引っ張る力が弱まった。
「そう。分かったわ。……よろしくね、眞太郎君」
アレーネさんは俺の状況が分かったらしく、いつものように笑みを浮かべて、桃子の家へと入っていった。
他のメンバーたちも桃子の家へと入っていき、玄関の扉が閉められる。
「……もう出てきても大丈夫だぞ」
どこへ声を掛けて良いものか分からず、とりあえず正面を向いたまま声をかけると、俺の右斜め横あたりの空気が色づき、幽霊嬢がふわり、と浮かんだ。
だが、幽霊嬢はどこか気まずげに視線を彷徨わせているばかりだった。
「あ……その……」
「家に入りたくなかったんだろ?」
俺が先回りして言葉を拾うと、幽霊嬢は我が意を得たり、とばかりに頷いた。
「何か思い出したか?」
「……思い、出した、んじゃなくて……よく分からないけれど、ここには入りたくなかった、です」
だが、幽霊嬢は特に、記憶を取り戻した訳ではなかったらしい。
尤も、『よく分からないけれど家に入りたくなかった』のは、大きな情報かもしれない。
少なくとも、これすら情報になるくらいには、幽霊嬢に関する情報が不足しているのだから。
「なんで、でしょう。あったかくて、明るくて……それが、苦しい、です」
幽霊嬢は、胸を強く抑えながら、灯りの漏れる桃子の家を眺めていた。
まるで、近づけば焼け死ぬと分かっていながらも火の明るさに焦がれる蛾のように。
「おまたせ、眞太郎君、幽霊嬢」
しばらくして、桃子の家から皆が出てきた。
「ああ、やっぱり、姿を消していただけなのね」
アレーネさんが幽霊嬢を見て微笑むと、幽霊嬢は申し訳なさげに縮こまる。
「いいのよ、気にしないで頂戴。……それで、眞太郎君。お話をいくらか聞いてきたのだけれど、その整理も含めて、この後の探索は明日以降、ということにしようと思うのだけれど。いいかしら」
「はい。いいと思います」
つまり、もう暗いから、幽霊嬢の記憶をとりもどすきっかけ探しもとい、幽霊嬢の生前の様子探しは効率が悪いだろう、という判断なのだろう。
陽が沈んで、辺りはすっかり暗くなっているし、どことなく懐かしく古めかしいかんじのするこの町は、夜になればそれ相応に暗くなる。
こんな状態で、ドーマティオンの探索が捗るとは到底思えないし……それに、少々肌寒いしな。あまり動きたくない。
「ほんなら、部屋出しちゃっていい?いい?」
俺が同意すると、リディアさんがわくわくとしながら、鞄から箱を取り出した。
……それは。
「じゃーん!ポータブル・部屋!」
リディアさんが取り出した箱は、グラフィオの古代遺跡から拾ってきたあの『入れた容器の中の空間を圧縮空間にする宝石』を使って作った、『箱の部屋』であった。
「ささ、桃子ちゃんから庭を使う許可は貰ってるし!ここで野営らしからぬ野営といきましょ!」
うきうきと箱を並べていくリディアさんは、明らかにこれを楽しみにしていたように見える。
……気持ちは分からないでもない。
野営、というものにはそれ相応の不便と同時に、それ相応のわくわく感があるものだし、その『不便』が箱の部屋のおかげでかなり軽減されるのだから……まあ、後にはわくわく感しか残らないな。
「ええと、じゃあ私はこの箱、借りるね」
「ぼくはこっちの箱にするよ」
「んじゃー私は真ん中!」
「なら、私がその隣で、幽霊嬢がさらに隣。眞太郎君は一番端、でいいかしら?」
「あ、はい……」
「はい。構いませんよ」
部屋(箱)割りもさっさと決まってしまい、あとは各々、挨拶とともに、慣れた様子で箱の中へ入っていく。幽霊嬢は箱の中の広い部屋に驚いていたが。
……あ、これ、もう野営っぽくもないな……。
箱部屋の中には食料なども備蓄してあったので、それを適当に食べながら、考える。
幽霊嬢は何故、桃子に憑りついているのか、と。
完全に俺の予想になってしまうが……幽霊嬢の口ぶりから予想して、恐らく、幽霊嬢は桃子と何らかの関係があるはずだ。少なくとも、完全な通り魔的憑りつきではない、と思う。
だとすれば……真っ先に思いつくのは、桃子の血縁、なのだが……それにしては、桃子があまりにも幽霊嬢のことを知らなさすぎるか。
それからもう1つ気になることがあるとすれば、幽霊嬢には記憶が無い、という点だろう。
忘れたくなるほどの記憶だった、ということなのか、何か、記憶を失う程の衝撃があった、ということなのか。
未練があるのにその未練すら忘れてしまった、というあたりを考えれば……どちらにせよ、未練を思い出すことが幽霊嬢にとって必ずしも良いことだとは言えない、と思えてくる。
これについてはアレーネさんが既に幽霊嬢自身へ確認を取っているから、今更躊躇わないが……それでも、幽霊嬢に対して、思うところが無い訳ではない。
記憶を思い出したり、未練を思い出したりしても、幽霊嬢ができるだけ傷つかなければいいと思うし、もし幽霊嬢が辛い思いをすることがあれば、幽霊嬢が期待していた通り、アラネウムが解決できればいいと思う。
……と、まあ、ここまでほとんど、俺の予想な訳だ。
予想より確かな情報は、明日、アレーネさん達から話を聞けば分かるだろうし……それに、何より、ほぼ確実に言えることがある。
きっと明日、この町の墓場を見れば、幽霊嬢の手掛かりが得られるはずだ。




