58話
現在、アラネウム裏手の居住空間には、俺とペタル、泉、イゼル、ニーナさんが生活している。アレーネさんは別の建物を専用で使っているから、厳密には同じ家に住んでいない。
そして、オルガさんは実は、別の場所でアパートを借りて生活しているらしい。
理由は、『狭いから』。
……確かに、オルガさんの体躯では、ここの居住空間は少し狭いか。
泉は部屋を使っておらず、相変わらず棚を部屋として使っているわけだが、それでも部屋は満室だ。
「私が物置へ移れば何ら問題は無いのでは?」
「駄目よ、ニーナ。悪いけれど、私はあなたを不必要に物として扱う気はないし、そうでなくても、リディアの他にもう1人増えたらどうするの?」
ニーナさんは未だに、自分を人間扱いめいた処遇に置きたがるアラネウムの面々の対応には慣れないらしい。
本人というか本アンドロイド自身がそういう認識でいるのに俺達がニーナさんを人間のように扱うのはおかしなことなのかもしれないが……それでも、俺達はニーナさんを人間扱いして、1部屋を使ってもらう事に異論は無い。
……ニーナさんは、ベランダのついている部屋で生活している。そして、ニーナさんはそのベランダに、植物の鉢を置いているのだ。やはりというか、ニーナさんは植物、特に花に興味があるらしい。
そんなニーナさんを、ただの物だと思え、というのは……中々に難しい話だろう。
「これからももしかしたら、メンバーが増えるかもしれないもんね。そうしたら、うーん……どうしよう」
そして何より、『今後メンバーが増えたらどうするか』は問題だった。
「私が住んでるアパートに来るか?」
「オルガはアパートの大家さんに気に入ってもらえて、無条件でアパートに置いておいてもらえているからいいけれど、普通の手続きをしようとするなら、戸籍の無い異世界人にアパートは貸してくれないでしょうね」
そういえばそうだった。
異世界人には戸籍が無い。
当然のように忘れていたが、当然のように異世界人には戸籍が無い。
住所不定。職業不詳。……絶対に賃貸物件を借りられないな。
「じゃあ、いっそ家を買っちゃう!」
「それも手、かしら……でも、そうなるとこの辺りでは難しいでしょうね。この辺りは近所同士での付き合いが多い地域みたいだから」
……成程。
近所同士の付き合いが多いなら、家を買った後、その周辺の人達と付き合う必要がある。それはアラネウムの仕組みからすると、非常に面倒だ。
というか、『明らかに不審な』人達が出入りする家があったら、下手したら通報されかねない。
……日本人である、と偽れるメンバーは正直、居ない。ニーナさんが偽造してやっと、といったところか。
どんなに好意的に考えても全員外国人だし、泉なんかは紺色の髪をしているから、ただ外国人だから、という理由で通すのも難しい。
そして何より、イゼルの耳はどうしようもない。
……うん、そこら辺をなんとかできたとしても、やはり、近所の目、というものは厄介そうだな。
「……あ、あの、ぼく、お庭で寝られればそれでいいよ?お部屋が無くても平気」
悩む俺達の中で声を上げたのは、イゼルだった。
「いや、流石にそれは」
「だってぼく、ソラリウムでは外で寝ることもあったよ?」
だから大丈夫、と必死になって主張するイゼルだが、やはり、イゼルを庭に放り出すのも気が引けるし、そもそもさらにメンバーが増えたらやはり間に合わなくなる。
「あの、なんなら、袋か何かあったら、ぼくはそれで平気だから」
イゼルは耳をへたり、と垂れさせながら、健気な主張を続けているが、俺達も困ってしまう。
「……袋、ね」
だが、アレーネさんは何かに思い当たったらしかった。
「ねえ、リディア」
「ほいな」
「あなたが持っている鞄、少し見せてもらってもいいかしら?」
リディアさんの鞄は、グラフィオで見せてもらったアレだ。
質量も体積も無視して、たくさんのものを詰め込んで運べる鞄。
……確かに、そんな鞄になら、『住める』かもしれないが……。
「え、え、え?も、もしかしてこの鞄に住もうとでも?」
「ええ。そうよ」
アレーネさんが頷くと、リディアさんは慄いた。
「っひゃー……いや、いやいやいや、でも確かにアリっちゃアリ……?いや、いや、でもこれ、結構危ないし」
「危ない?」
ペタルが聞き返すと、リディアさんは解説してくれた。
「この鞄の中に入ると、鞄の中で小人になったよーなかんじになって」
「小人?」
「ん。入ったはいいけども、鞄の入り口は遥か上空だわ、鞄の中に入ってる物登って脱出しようとしたら荷崩れしてまた鞄の底に戻されるわ……えらい目にあったもん」
ああ……『入ったら出られなくなる』と言っていたのは、リディアさんの実体験によるものだったのか。
「えーと?つまり、リディアの鞄の中に入ったものは小さくなるのか?」
「或いは、リディアの鞄の中には鞄数億個分の空間が圧縮されているのかもしれないわね」
……よく分からないが、とりあえず、『鞄の中は相対的にとても広い』と考えておけばいいか?
「ふーん。よし、ちょっと入ってみるか!駄目そうだったら引き上げてくれ」
そして全員でリディアさんの鞄を囲んでいた所、突然、オルガさんがそう言いながら鞄の中に入っていってしまった。
「おおおっ!本当に入れる!なんか妙な感覚だな!」
オルガさんの足が鞄の中に入ると同時に、見えなくなる。
そしてそのまま、上体、頭、と、鞄の中に入っていき……見えなくなった。
「オールガさーん!」
泉が鞄の中を覗きこんで、首を傾げた。
「……見えない」
俺も覗いてみるが、鞄の中は、急に遮られたかのように見えなくなっていた。
「これ、横に穴開けたらどうなるんだろ」
「ちょ、やめてね!?やめてね!?この鞄お気に入りなんだからねーっ!?」
リディアさんが止めるまでも無く、泉も本気で鞄の横に穴をあけるつもりでは無かったようだが……確かに気になるな。
つくづく、妙な鞄だ。
「不思議な鞄ね。……リディア、この鞄はどこで手に入れたのかしら?」
アレーネさんが問うと、リディアさんは、うーん、と唸りつつ首を傾げた。
「やー、実はこれ、気づいたらこうなってて」
……。
「元々は只の鞄だったはずなんだけどー……あー、なんか、遺跡の奥に変な宝石がざくざくあって、その内の1つ拾って鞄に突っ込んで、それで遺跡から脱出した後で確認したら、こうなってた!」
……ということは、その『変な宝石』とやらが、この不思議な鞄の元なのだろうか。
少ししたら、鞄からオルガさんも脱出してきた。
流石オルガさん、と言うべきか、難なく自力脱出してきたらしい。
「入り口こそ変だが、中は真っ当だったな。住もうとすれば住めるぞ!」
「やめてね?私の鞄の中に住まないでね?頼むからね?」
オルガさんは呵々として笑っていたが、リディアさんは複雑そうな顔をしている。当然か。
「そう、ね……ねえ、リディア。その『変な宝石』があった遺跡、行くことはできるかしら?」
「え?うん。だってグラフィオの遺跡だし……あ、行くん?」
リディアさんが尋ねるまでもなく、アレーネさんの表情はやや悪戯めいた微笑みに染まっていた。
「ええ。……ねえ、その『変な宝石』がこの鞄の空間を生み出したのなら……その宝石を部屋に使ったら、どうなるのかしらね?」
それは……きっと。
「私も住めるな!」
きっと、とてつもない広さの空間が生まれるに違いない。
その日はゆっくり休んで、翌日。
「じゃあ、いくよ!アノイクイポルタトコスモス、トオノマサス、『グラフィオ』!」
俺達はまた、グラフィオへと戻ったのだった。
「はー……まさか、自分の世界を出た翌日に帰るとはなー……」
リディアさんが、複雑そうな顔をしている。
恐らく、『旅立った翌日に故郷へ戻ってきた』という徒労感と気恥ずかしさがあるのだろうが。
「ん、まあ、私も自分で済む部屋は自分でなんとかしたいし、ま、いっか!よーし!」
だが、リディアさんはさっさと表情を切り替えると、空に向かって拳を突き出した。
「『私が侵入して宝石盗んできたものの最奥の化け物に追いかけられながら逃げてたせいで通路が壊れて入り口が埋まってる遺跡』にレッツゴー!」
……ちょっと待って頂きたい。
それ、つまり、遺跡に行っても、中に入れない、ということでは……?
「ま、遺跡の事だからどーせ別ルートあるし、そこの心配は大丈夫!」
心配するだけ無駄だったか。
複数のルートがある遺跡なら、道が埋まっていたとしても問題ないだろう。
「ただ……」
だが、リディアさんはそこで一度、言葉を濁しながら、続けた。
「私が通った道とは別のルートしか通れない訳だから……まあ、遺跡の中での道案内ってか攻略は、期待せんでね?」
つまり、これから向かう遺跡は複雑な道で、攻略が必要な場所、なのか。
恐らく、モンスターが居たり、パズルがあったりするのだろうな。
……あれ、何か、何か、デジャヴのようなものが……。




