48話
ニーナさんの壊れた頭部の中で、緑の目が虚ろに俺を見ている。
頭部のパーツがバラバラに吹き飛び、壊れた壁の一部と共に飛んで、向かいの壁を突き壊しながらぶつかって止まる。
その様子をスローモーションで見ながら、俺の目は侵入者も同時に捉えていた。
土埃に霞む視界の端に映ったのは、巨体。
身長2mを超えるかという大きさもさることながら、身に着けられた装甲によって更に大きく見える。
要は、相手はサイボーグだった。
サイボーグの、機械的な顔面の眼窩が、俺を捉えて光った。
判断は一瞬だった。
俺はテレポートの魔道具を使って、俺の周囲一帯をテレポートさせた。
……俺の反応速度と、テレポートの発動には限界がある。どうしてもタイムラグが発生するのだ。
だから俺は先読みでテレポートを使った訳だが……。
テレポートの魔道具が発動する直前、サイボーグの巨体が俺に向かって突進してきたのが見えた。
……が、丁度発動したテレポートに巻き込んで、サイボーグもテレポートさせることに成功したらしい。玄関の方で凄まじい音がした。恐らく、サイボーグが俺を殴る代わりに玄関の壁でも殴る羽目になったのだろう。
だが、時間は無い。恐らく、相手が次の攻撃をしてくるまでに数秒掛かるかどうか、と言ったところなのだから。
……相手は強い。そしてとにかく速い。
ニーナさんは相手を感知していたらしいが、それでも回避できなかったのだ。
そしてなにより、ルナさんがシールドを張っているはずの工房の外壁を破って攻撃してきたという事実。この事実が恐ろしい。
つまり、トラペザリアでも最高に近いはずの防御システムを破ってきた、ということだ。それだけの破壊力だということなのか、それとも。
……逆に、何故俺は今生きているのか、ということが不思議なくらいだが、生きていることに疑問を感じている暇も無い。俺はすぐにまた、先読みしてテレポートを発動させた。
させた、はずだった。
確かに、テレポートを発動させて、もう一度サイボーグを玄関前へ飛ばして時間稼ぎするつもりだったのだ。
……だが、テレポートの時の空間が歪むような奇妙な感覚が肌を撫でた、と思った途端、それがプツリ、と途切れ……。
「っ!?」
衝撃。
俺は腹部に鈍く強い衝撃を感じ、そしてそのまま吹き飛ばされて、壁に叩きつけられた。
サイボーグに殴り飛ばされたらしい、という事は理解できた。
だが、それ以上のことは何も分からない。
肋骨が軋む。肺の中身が一気に押し出される。打ち付けられた頭部と、それによってちらつく視界。
生きているのが不思議なくらいだったが、それでも俺は生きていた。精々、酷い打撲傷、という程度で。
……ジニアさんの店で購入した防具の類は、確実に俺を守ってくれているらしい。
だが、どんなに優れた防具を着込んでいたとしても、これはどうしようもない。
……俺の目の前には、再びサイボーグが迫ってきていた。
振りかざされた機械的な拳を見て、俺は……『世界渡り』の呪文を紡いだ。
サイボーグは速すぎるし強すぎる。
このまま戦って勝てる相手ではないし、時間稼ぎどころでもない。
一度『世界渡り』でアラネウムへ戻って、応援を頼むか、ペタルに頼んで寸分狂わぬ『世界渡り』によって手術室へ直接『世界渡り』してもらって、そのままオルガさんとルナさんを回収するか。
何にせよ、一度アラネウムへ……ディアモニスへ戻る必要がある。
「アノイクイポルタトコスモス、トオノマサス、『ディアモニス』!」
だが、紡いだ呪文によって揺らいだ景色は、パッと切り替わるように消えて、揺らぎ一つない景色と……サイボーグの輝く拳が視界に入った。
……『世界渡り』できない。
俺が反応する時間は無かった。
精々、手で頭を庇う程度の事ができただけだった。
……だが、サイボーグの拳は横から飛んできた銃弾によって逸らされ、俺の横の壁を突き破るにとどまった。
その衝撃の余波に吹き飛ばされながら、俺は体勢を立て直す。
ダメージはほぼ無い。大丈夫、防具が働いている。
俺を仕留めそこなったサイボーグが、無機質な目で銃弾の発生元を見る。
そこには、頭半分を吹き飛ばされ、左肩をも破損させながら、右腕だけで長銃を構えているニーナさんの姿があった。
「……シ、タロ、ま……ピュ、イの、ネ、ギー……が……」
ニーナさんはブツブツとノイズ交じりの声で何か言うと、それきり、動かなくなった。
『世界渡り』が使えない。
危機的状況中、考え得る限り最悪のアクシデントだ。
状況は最悪だ。
俺は満身創痍だし、ニーナさんはもう動けないだろう。
オルガさんのオーバーホールはまだ終わっていないだろうし、ルナさんも手術から動けないはずだ。
敵はあまりにも強く、動ける味方は居ない。
テレポートも『世界渡り』も何故か使えず、逃亡手段すら断ち切られた。
あと、俺の手元にある武器は拳銃1つといくつかの爆弾。
ジェットパックと防具一式もあるが、『世界渡り』のブローチやテレポートの魔道具はもう使えないと見ていいだろう。
となれば、俺にできる事と言ったら、後は、何だ?
……サイボーグがゆっくりと、壁から拳を引き抜いて、俺に向き直る。
恐らく、あと数秒の間に俺は再び殴り飛ばされるのだろう。今度こそ、致命傷を伴って。
逃げるにはジェットパックだろうが、宙へ飛んだその一瞬の後にはジャンプしたサイボーグに捕まるだろうし、拳銃の弾丸1発程度でどうこうできる相手ではない。
ならば。
ならば、俺にできることは……ここでこのサイボーグに、少しでもダメージを与えて……オルガさんとルナさんの生存率を、少しでも上げること、だろう。
俺はポケットの中から両手でそれぞれに爆弾を掴んで、起動させて……俺に向かって踏み込んだサイボーグと、俺の間の、宙へ放った。
俺が爆発に巻き込まれることは一切考慮せずに。
サイボーグが爆弾に気付いた。
向かう先、攻撃しようと踏み出した先の、俺のすぐ前に爆弾が浮かぶ。
サイボーグの眼窩の奥で、一瞬、光が迷うように揺れたのが見えた気がした。
……そしてサイボーグは、爆弾を……。
避けなかった。
サイボーグは俺と爆弾に向かって踏み込みながら、殴るために振りかざした右腕と同時に左腕を突き出す。
奇しくも、爆弾を放る為に両腕を伸ばした俺と同じような恰好だ。
サイボーグの右手が一瞬煌めき……そして、そこから光の奔流が放たれた。
俺の眼前が圧倒的な光量に白く灼け、爆弾は爆発ごと光に飲み込まれて消え失せ、光の奔流が俺に迫る。
ふと、何かの言葉が頭をよぎった。
そして光の奔流は、俺の両手の先で『まるで反射したかのように』向きを変えて、サイボーグの右腕を消し飛ばしていた。
サイボーグはすぐに飛び退き、右腕以外が消し飛ばされることを避けた。
そして俺を警戒するように、大きく距離を取る。
……だが、そんな中俺は、俺が何をしたのかさっぱり分かっていなかった。
爆弾の効果ではないはずだ。
コートやインナーにこんな機能があるなんて聞いていないし、もし機能があったならオルガさんなりジニアさんなりが教えてくれていたはずだ。
ルナさんの室内トラップにも、説明された分ではこんなものは無かった。
確かに、ルナさんは『説明した以外にもトラップはある』と言ってはいたが……だが、それよりも今、『それらしい』ものがある。
俺が身に着けている物の中で唯一、『効果が分からない』代物。
ピュライの古代遺跡から持ち帰った黒の革手袋は、手の甲の上で光の文様を淡く浮かび上がらせていた。
手袋の甲に浮かんだ文様は、左右で異なる色をしている。
右は暗い青色、左は明るい橙色だ。
何か意味があるのか、と考えたが、正直、『ビームを反射』したようにしか見えなかったし、これが古代の魔道具だからなのか、頭の中に使い方が流れ込んでくるわけでもない。
……使い方が正確に分かっていないものを使うのはリスキーすぎるが、そのリスクを冒さなければこのサイボーグ相手に生き残ることはできないだろう。
と言うよりは、この『効果が分からない』手袋を使う事で、俺がこのサイボーグ相手に生き残る可能性が見えてきた、と言うべきか。
幸い、さっきのビーム反射によって、サイボーグの右腕は失われた。
これで相手の能力は大きくそぎ落とされただろう。これは大きな一歩だ。
……見えた起死回生のチャンスに、自暴自棄ではなく、力が湧いてくるような思いがした。
俺から距離を取ったサイボーグに向けて、爆弾を放る。
サイボーグは爆弾を大きく警戒して避ける。
そこにもう1つ、もう1つ、と爆弾を次々に投げ込みながら拳銃も使って、サイボーグの右腕の破損部分に追い打ちをかける。
このサイボーグは装甲こそ立派だが、破損した右腕の断面……つまり、装甲の破れ目からなら、攻撃が通って然るべきだろう。
サイボーグ自身もそれが分かっているのか、大きく機動力を欠きつつも、右腕を庇って立ち回っている。
……1発でもいい、あの右腕の断面から攻撃が入れば勝機はある。
俺はその為に爆弾と拳銃を使って、攻撃の手を緩めないようにする。
ひたすらサイボーグを追い詰め、追い詰めた先でボロを出させるように、と考えて……。
……そんな時だった。
ふと、サイボーグが妙な動きをした。
急に右胸に手をやったと思うと、その胸の内部に手を突っ込み、中から……サイボーグには似つかわしくない、金細工のワイングラスのようなものを取りだした。
俺は咄嗟に爆弾を投げたが、輝く壁のようなものに阻まれる。
その壁越しに見えたのは、サイボーグが金細工の杯を傾けて、その中に溜まっていたらしい光り輝く液体を、右肩に掛ける様子。
……そして、サイボーグの消失していた右腕が、復元された姿だった。
なんだ、今のは。




