45話
「っきゃーっ!なにこれ!なにこれ!なーにこれーっ!すっごい!きゃー!」
ルナさんは、目を輝かせて満面の笑みを浮かべた。
「んーっ!おーいしぃーい!サイッコー!」
……ルナさんが食べているのは、アレーネさんが作ったエッグタルトだ。
さっくりとしたパイ生地の中に、とろり、ととろけるカスタードクリーム。確かに、美味いが。
「ははは、お気に召したなら良かった」
「うん!最高!最高よ、オルガ!……ああああ、やっぱりリアルフードってすっごく美味しい……しかもこれ、リアルフードの中でも高級品の類じゃないの?こんなのどこで手に入れてきたのよ、オルガ」
「ま、こっちのニーナとシンタローの伝手、とでも言っておこうかな?」
「そうなの?ああん、ニーナちゃーん、シンタローくーん、らびゅー!」
ルナさんはニーナさんと俺に投げキスを飛ばしながら、今度はドライフルーツ入りのパウンドケーキにフォークを入れて口に運び、そして至上の幸福、とでもいうような笑顔を浮かべた。
……成程。
トラペザリアでは、『リアルフード』……つまり、俺達が普通に食べている普通の食品が、とても希少な物だとは聞いていた。
だが、まさか……ここまでとは。
「ん、この茶、ハーフリアルか?」
「そうよ。正規軍が粗品として持ってきた奴。結構おいしいでしょ」
美味いな、と言いながらオルガさんとルナさんはカップを傾けているが……なんというか、不思議な味のするお茶だった。
渋味にまろやかさが無く、直接舌に刺さる。後に残る甘さには、妙な清涼感。そして最後に鼻を抜ける金属の風味とわずかな塩素臭。
つまり、『ハーフ』リアルフード、ということ、なのだろうが。
……これ、『ハーフ』ですらリアルでない食品は……どんな味がするのだろうか。食べてみたいような、絶対に食べたくないような。
「……で、ルナ。お前一体、何をやらかしたんだ」
ルナさんの興奮が一通り落ち着いた辺りで、オルガさんが尋ねる。
すると、ルナさんはフォークをぶらぶら、と手先で弄びながら答えた。
「ん?ああ、単純なハナシ。正規軍がメカニックとしてうちで働きませんかーって、勧誘に来たのよ」
「それ、どうしたんだ」
オルガさんが半分面白がるように聞くと、ルナさんは手先のフォークを宙に投げて、くるくる、と回転させてからキャッチして、にやり、と笑った。
「全員スクラップにしてやったわよ。はっ」
「はっは、それはいいな」
オルガさんもルナさんと一緒にあくどい笑みを浮かべて低く笑う。
物騒な……。
「……って、私はいいけど、アンタにとっちゃ笑いごとじゃないでしょ、オルガ」
一頻り笑ったあと、ふとルナさんは真顔になった。
「正規軍っていや、アンタの方がよっぽどヤバいじゃない」
『正規軍』。
……そういえば、ジニアさんの所でも、そんな名前が出ていた。確か、貢がせた挙句殺した、とか……うん。
推測だが……オルガさん達にとって、『正規軍』という相手が敵、なのだろう。
ただ、『正規』と名前が付いている相手だという事が気になるのだが……オルガさんは一体、何をしたんだろう。
「私はまだいいわよ。殺されそうになったら寝返る振りして生き残りでもなんでもしてやるわ。相手だって、私の技術が怖いからオファーに来たんだろうし。殺せって命令が出てたとしても、取引の材料にはなる。チンピラ共の情報を売ってやってもいい。……でも、オルガ、アンタは違うでしょう」
オルガさんの表情を窺ってみるが、オルガさんは微笑を浮かべたまま、動じた様子も無い。
ただ静かに、ルナさんの話を聞いている。
「たとえ私を殺す任務で来てた正規軍だって、アンタを見たらアンタに狙いを変えるでしょうよ。……わかってるんでしょうね、オルガ・テレモータ。別のメカニックを探すことはいくらでもできるはずよ」
ルナさんの話は……要は、『ルナさんを狙ってきた敵がオルガさんにも危害を加える可能性が高いから、別のメカニックの所へ行け』ということなんだろう。
だが、オルガさんは肩を竦めて笑った。
「それこそ危険だな。正規軍派のメカニックに当たってみろ、オーバーホールがそのままスクラップ処理だ」
オルガさんが椅子の背もたれに体重を預けると、ぎしり、と椅子が大きく軋んだ。
「ルナ。一体何人のメカニックが殺された?私の知り合いのメカニックは今やお前くらいだ。殺されてないメカニックだって、誰が寝返ったかわかりゃしない。メカニックを探している間に、ルナ経由でなくても私が見つかる可能性は高いだろうよ」
オルガさんが手をひらひらさせると、ルナさんは顔をしかめてため息を吐いた。
「……はー、まあ、そりゃそーね……ったく、こんな時によくもまあ、転がり込んできたわよね、ホントに……あ、オルガ!その椅子お気に入りなんだから、壊したら承知しないからね!」
ルナさんはそう言いながらお茶を飲みほして立ち上がった。
「……じゃ、ついてきて」
床を指さしながら。
「はーい、シンタロー君、そこ踏まないでね。踏むとシンタロー君のおみ足が吹っ飛ぶから」
「き、気を付けます」
ルナさんの言葉に盛大にビビりつつ、俺達はルナさんの工房の地下へ進んでいた。
「ま、見ての通り、ここはセキュリティもそこそこあるから、こっちまで踏み込んでくる不届きものが居たとしても、ある程度はぶっ殺せると思うわよ」
……俺達が向かっているのは、『手術室』。オルガさんをオーバーホールするための部屋だ。
当然だが、オーバーホールしている間は、オルガさんは勿論、ルナさんも動けなくなる。そんな無防備な状態を晒さなくて済むよう、ルナさんの工房には『3つ』仕事部屋があるのだという。
1つは、簡単な作業を行う為にある部屋。表向きの部屋である。
もう1つは、信用できない人を手術するための部屋。室内に大量の仕掛けがあり、ルナさん以外の人を全員射殺できるようになっているとか。
そして最後の1つが、今向かっている『手術室』だ。
攻撃よりも防衛に目的を置き、さらに防衛よりも秘匿に重きを置いた部屋。
誰かの密告でも無い限り、『正規軍』がその存在を知ることは無い、という。
また、道中のトラップに関しても時々アップデートしているとのことなので、万一情報が漏れていたとしても、ある程度はトラップにひっかけられるであろう、ということだった。
「ってことで、シンタロー君とニーナちゃんにはここのルートをきっちり覚えてもらわなきゃいけないのよ。ま、がんばって」
……そして俺達は、ルナさんの後に付いて『手術室』へ向かいながら、道中のトラップの位置を覚えているところだった。
さもなくば死ぬ、というのだから、覚えざるを得ない。
「さーて、着いたわよー」
「お、結構新しくしたな」
「勿論。常に最高の技術を提供できなきゃね」
着いた先には、俺が知る『手術室』とはかなり違う部屋があった。
壁一面の機械や薬品に囲まれて、中央に大きな手術台のようなものがあるところだけが『手術室』らしいだろうか。
だが、置かれている道具は医療器具ではなく明らかに工具類だし、置かれている薬品も、『生体部品保護用バッファー』であったり、『洗浄液』であったりする。
……そして、台の上に、機械が取り付けられた、大きなガラスの水槽のようなものがあった。
「これにオルガを入れておくことになるの。防弾ガラスでできてはいるけど、あんまり期待はしないで。そもそも、銃撃戦の中で作業することなんて想定されてないんだから」
『オルガさんを入れておく』、か。
「オルガさんの生態部品、ということですか?」
「そうよ。ま、主に脳味噌だけど。他に、作業してない時は部品をとりあえず全部ここに突っ込んどくのが安全かなー」
水槽の中に脳味噌が浮かんでいる様子を想像して、若干嫌な気分になってしまった。
……焼き場で焼かれた死体が骨になったのを見た時のような、そんな感覚だ。さっきまで体だったものが、似ても似つかない骨になってしまった時のような、そんな。
「ってことで、シンタロー君とニーナちゃんには、この部屋に何人たりとも入れないでもらいたいの。オルガは鉄の塊だけど、バラして脳味噌だけにしちゃったら、無防備極まりないからね」
「分かりました」
「完璧に任務を遂行してご覧に入れます」
ルナさんは俺達の返事を聞いて満足げに頷いた。
「よっし。じゃ、細かい説明とかはオルガを洗浄してる間に説明するわ。ってことでオルガ、アンタはそっちよ」
「ああ、分かった。ああそうだ、ルナ、代金は適当に私の鞄を漁ってくれ」
「相変わらずの太っ腹っていうか、適当っていうか……はいはい、分かったわよ」
オルガさんが部屋の奥へと消えていくと、ルナさんはため息を吐いて『やれやれ』とでも言いたげに肩を竦め、作業台の近くにあった椅子に腰を下ろした。
「はあ、ホント、執着が無さすぎるっていうか……ねえ、オルガって2人の前でもあんなかんじなの?」
ルナさんはどことなく不安げな顔をしながら、俺達に問いかけた。
「あんなかんじ、とは?」
「えーと……んん、こう、刹那的、っていうか、後先考えないかんじする、っていうか……そんなかんじ。ね、どう?」
ニーナさんに答えて、より一層焦りのような表情を強めながら、ルナさんは俺達の様子を窺う。
……刹那的、後先考えないかんじ。
どう、なのだろうか。
オルガさんを見て、大胆で快活で、力強い印象は受けているが……言われてみれば、そんな陰りもあったかもしれない。
「オルガ様は1人で戦う事をお好みのようです」
俺が考えている間に、ニーナさんはもう言葉を発していた。
無言でルナさんが続きを促すと、ニーナさんは表情を変えずに続けた。
「はじめは、私達の戦い方がオルガ様と合わないからだと考えていました。しかし、それ以上にオルガ様は1対1で敵と戦う事を好まれます。制圧ではなく、殺し合いであれば特に」
……バニエラでの、巨大ボットとの戦闘。ピュライでの、ドラゴンとの戦闘。
言われてみれば確かに、そういう節がある。
「あー……うん、ま、それはあれよ。あいつがあまりにも火力高すぎてワンマン・アーミーになってるからってのあるけど……いや、そもそも、火力高くしたのはあいつの選択か。うん。そうね」
ペタルの魔法やイゼルの変身と違って、オルガさんの銃火器っぷりは後天的なものだ。それも、おそらくは自分で選択してそうなったもの。
……ということは、あの、凄まじすぎる戦い方は、オルガさん自身の選択によるもの、ということになる、のか。
「シンタロー君はどう?」
「……正直、分からないです。オルガさんは大胆で快活で力強い人だと思ってましたし、今も思っています。でも、この街に来てから、少し印象が変わったような気もするんです」
トラペザリアでのオルガさんは、俺が今までに見た事の無い顔をしていることがあった。
「……そう。はーあ」
ルナさんは顔を顰めて、『やれやれ』のポーズをとった。
「オルガは金払いいいから、死なれるとちょっと惜しいのよねー。……ま、別にいいけど」
ルナさんはそう言いつつ、寂しげな顔をしていた。
「……で、まあ、別にそういう意図でさっきの聞いたわけじゃないんだけどね?今ので、シンタロー君とニーナちゃんがオルガと付き合いそんなに長くないみたい、ってのは分かった訳よ。つまり、オルガが狙われてる理由とか、誰に狙われてるとか、知らないんじゃない?」
表情をどこか悪戯めいたものへと変えたルナさんは、俺とニーナさんにそう言った。
「仰る通りです」
「でしょーね。っていうかね、あなた達、どっからどう見ても『いいとこのおぼっちゃんとその護衛』だからね。訳ありなんだろうから詳しく聞かないけど」
俺とニーナさんは思わず顔を見合わせる。
……やはりそういう風に見えてしまうのか。
「ちなみにどこでバレた、って顔してるから言うけど、リアルフード食べる時の反応ね」
ああ、そこか。
まあ……食べ慣れているものだから、なあ……。
「……ってことで、これからこの工房にある防衛機能の説明の他にそのあたりもざっと話しておいてあげる。じゃないと、誰とどう戦っていいかも分かんないでしょ?……ま、オルガが話したがってないみたいだから、そこらへんは適当にぼかすけど」
ルナさんはそう言って、俺達に椅子を勧めた。
俺達が椅子に腰かけると、ルナさんは壁の棚からタブレット端末のようなものを取りだした。
「とりあえず、2人が気をつけなきゃいけないのはこういう連中よ」
そして見せてくれた画像は、サイボーグの写真だった。
「これが『正規軍』のエンブレム。こいつは肩に着けてるけど、腕とか胸の奴も居るわ。当然、着けてない奴もね。でも、着けてる奴は全員『正規軍』よ。見つけ次第殺していい」
物騒な要求だが、これがトラペザリアでの『普通』なのだろう。
郷に入っては郷に従え、はアラネウムの基本理念だ。俺も腹を括ろう。
それから、特徴的なサイボーグの写真数枚も見せられて、強敵だと教えてもらったり、武器の写真を幾つか見せられて、対処法を教わったりもした。
この工房のトラップ配置図については、『これが工房のトラップ全てではないが、俺達が誤って作動させる恐れがあるものは全て教える』という前提付きで見せてもらった。
……到底覚えきれるものではなかったが、設置場所にはいくつかの規則性があったので、それだけ守れば大丈夫そうだ。
あとは、工房内で戦う事を考えて、相手をひっかけられそうな位置のトラップを覚えておくくらいか。
「ま、頑張ってちょーだいね。……あ、いざとなったら逃げられるんだっけ?なら、心配はいらないかしら?」
ルナさんは俺達の『世界渡り』の詳細を知らない。
なので、『逃げる』をどういう風に解釈しているかは分からないが……なんとなく違うものを想定されている気がしなくも無い。
「おーい、ルナ!洗浄終わったぞ!」
そんなこんなでオルガさんの方も終わったらしく、オルガさんは手術室内に戻ってきた。
『洗浄』ということだから、風呂に入ったようなものか。オルガさんは手術着のような簡素な服を一枚着ただけの恰好であった。
普段のオルガさんはジャケットやコートを着込んでいることが多いが……薄着のところを見て、改めて、オルガさんの体格の良さが分かる。……それから、まあ、体格が良くても女性なんだな、とも。
「オーケイ。じゃ、さっさと始めちゃいましょうか」
ルナさんが作業台の上に布を敷くと、オルガさんはその上に乗った。
「……ニーナ、シンタロー。じゃあ、すまないがよろしく頼む。万一のことがあったら、私は置いていってくれても構わない。くれぐれも、2人は2人自身を第一に考えてくれ。……じゃ、スリープに入る。後は頼んだぞ」
そしてオルガさんはそう言って笑うと、作業台の上に寝転んで、そのまま動かなくなった。
「……さて。じゃ、早速で悪いけど。シンタロー君とニーナちゃんはこの部屋の入り口を守ってちょーだいね」
ルナさんはエプロンを着て、手袋を着けて、右目の機械部分を弄った。
「分かったらさっさと出てった出てった。これから服も人工皮膚も剥いでバラしてくんだから。オルガだってこんなんでも一応女なんだからね!」
そして、にやり、と笑うルナさんの腕から、十徳ナイフのようにメスやハサミ、レンチやスパナやドライバーといった道具類が現れる。
「ルナさん、オルガさんのこと、よろしくお願いします」
俺が声をかけると、ルナさんは左目を閉じてウインクして(ルナさんの右目は機械なのでウインクらしくなかったのだが)、親指を立てて見せてくれた。
「行きましょう、眞太郎様。任務は遂行しなければなりません」
「ああ、勿論」
俺達は手術室を後にして、部屋の入り口……キッチンの床下の隠し扉を守るべく、武器をそれぞれ構えたのだった。




