44話
治安が悪い世界、トラペザリアの中でも有数の、治安の悪い地区。
その内の1つがここ、『闇市』であるという。
昼間だというのに薄暗い通りの両脇には簡素な商店が並び、その隙間はいくつもの露店が埋めている。
雑多で薄暗く、人はこそこそと、またそそくさと、そんな風に振る舞っている。
まさに『闇市』らしい光景だった。
「そこのお姉さん。アルキナゾーネ、6錠で8000でどうだ。買わないか?」
急に、通りの横道から現れた人が声を掛けてきた。
……頭の半分が機械になっている。この人もサイボーグか。
「他をあたれ」
「後ろの2人はどうだ?精製済みだ。正規軍の医療コンテナから盗んできたもんだから、品質は保証できる」
「いらない」
「消えなさい」
何かの薬の売人らしきサイボーグは、舌打ちしながら通りの横道へと消えていった。
「あんなかんじだ。冷たすぎるぐらいに断れ。申し訳ないとか、思うなよ。堂々としてろ」
サイボーグを目で追いながら、オルガさんは俺達にだけ聞こえるくらいの声でぼそぼそと喋った。
……注意深く暗がりを観察すると、明らかに数人、俺達の様子を窺っている人達が見える。
カモだと思われたらたまらない。できるだけ堂々と、でも不自然にならないように、前を見て歩く。
……そうしていれば、トラブルに巻き込まれることも無かった。
いや、一度、オルガさん目がけてナイフを振りかぶってきたサイボーグが居たのだが、それはあっさりとオルガさんの拳1つで沈められた。
それが見せしめになったのか、そこからは本当に特に何も無く、俺達は目的としていたらしい店に到着した。
闇市のメインストリートから1本裏に入った細い道の突き当り。
積まれた鉄屑に同化するようにして、ひっそりと、薄汚れた扉があった。
「……よし、入るぞ」
オルガさんは周囲を素早く警戒してから、さっと扉を開けて、中に入った。俺とニーナさんも、それに素早く続く。
……店内は通り同様に薄暗かった。
窓の無い店内で、灯りは天井から吊り下げられた電球程度。
入ってすぐ、鉄格子で仕切られた窓口とカウンターがあった。
「久しぶりだな、サム」
「……おや。お久しぶりです、オルガ」
鉄格子の向こうから顔を覗かせたのは、この闇市に似つかわしくないほど、ぴしり、とスーツを着込んだ細身の男性だった。
その暗い緑の瞳に宿る鋭い眼光を見る限り……抜け目ない人なのだろうな、と思う。そして『人』というか、この人も恐らくはオルガさん同様の半機人……サイボーグなのだろう。そうでなかったら、男性としては頼りないほどの細身で、こんな闇市場で商売などやっていられないだろうから。
「……して、後ろの方々は?」
「信用できる。『いつもの』の入手に協力してもらってる」
オルガさんが答えると、サム、と呼ばれた男性は俺達を鉄格子越しにじっと見つめ……それから、肩を竦めた。
「分かりました。オルガの顔を立てましょう。……では、ご用件は?」
「買取をお願いしたい。『いつもの』だ」
オルガさんはカウンターの上に鞄を置くと、中からトマトを3つ、プロセスチーズの塊1つ、ワイン2本、ジャガイモ6つ、リンゴ4つ、オレンジ3つ、ハトロン紙の紙袋に入れた上白糖……を並べた。
「いくらで買う?」
オルガさんが胸を張ると、鉄格子越しにサムさんは「おお」と感嘆の声を上げながら、しかししっかりと、カウンターの上の食べ物を見つめた。
「……相変わらず、状態はいい、数は多い、そして正真正銘、本物のリアルフードですね……オルガ、毎回、一体どこで手に入れてくるのですか?」
「ははは、誰が教えるか」
「でしょうね。はあ」
サムさんはカウンター上の食べ物を一通り観察した後、カウンターの奥で何かを取り出し、帳面のようなものを捲って中を確認し、記録をつけた。
「……そうですね。では、合わせて40万でいかがですか」
「もう一声」
「……41万」
「50」
「43」
「49」
「……オルガ、あなたは45万あたりを狙っているのでしょうが、こちらが出せる限界は44万3000です。これ以上は出せません。リアルフードの流通には金も手間もかかりますのでね。これで勘弁して頂けませんか」
「ま、しょうがないか」
オルガさんが冗談めかすように肩を竦めると、サムさんはため息を吐きながらカウンターの上の食べ物をカウンターの内側に引き込み、それから硬貨が入っているらしい袋をカウンターの外に押し出した。
「ご確認を」
「ああ。……ん、問題ない」
オルガさんは袋の中の硬貨を数えて確認し、鞄の中にしまい込んだ。
「いつも悪いな」
「……まあ、持ちつ持たれつ、ということにしておきましょう。リアルフードは富裕層との取引の材料にも使えますから。やれやれ」
サムさんもカウンターの内側で食べ物をしまいこみ、それからまた何か、帳面に記入し始めた。
「……ところでオルガ、これほど一度にリアルフードを持ってきたのは初めてですが。これほどの量、相応のリスクが伴ったでしょう。もしや、何かありましたか?」
「ああ、単にちょっと先立つものが欲しかっただけだ。……いや、オーバーホールしようと思ってな」
オルガさんがそう言った途端、サムさんは目を眇めた。
「おや、遂にパーツ交換ですか?」
「いや、清掃と調整だけだな。換えるとしても精々ベアリングやギアの潰れたのぐらいだろう」
……オルガさんがふと、今まで見た事の無い表情を浮かべた。
優しげな、或いは、寂しげな。
「……まだ、気にしているんですか」
「……まあ、な」
しかし、オルガさんの表情はどこか満足げでもあった。
それから、サムさんの闇買取所を後にした俺達は、再び闇市場の通りを抜けて……小さいながらも明るい、入り組んだ地区に入り込んだ。
相変わらず、風景は土埃とコンクリートと金属だったが、そのどれもに人々の生活の痕跡が色濃く表れている。
コンクリートのひび割れには、後からセメントで補修したような跡と、そこについた掌の跡が残されている。
金属板には白い塗料で宣伝文句が書かれていたり、うち捨てられているにしても、つい最近まで人が何かの用途で使っていたらしい痕跡や、加工を試みた跡が残っていたり。
……かといって、治安が良いかと言われれば、コンクリートの壁に血痕かオイル痕かが残っていたり、道の向こうからは喧嘩らしい声が聞こえて来たりするのだが……。
「さて。ここが私がよく使ってるメカニックの作業場でな……おーい、入るぞ、ルナ!」
オルガさんが躊躇なく開けた扉には、『ルナ・ラジオの工房~改造・メンテナンス受け付けます~』と、看板が掛かっていた。そしてその上には、『店主出張中の為、休業中』とも。
……だが。
「ったく、何よこんな時に……って、あーら、オルガじゃない。本当にアンタは来るタイミングが良いっていうか悪いっていうか」
オルガさんが扉の中にずんずん入っていくと、奥から1人の女性が出てきた。
……銃を、構えて。
「ま、アンタでよかった。……一応聞いとくけど、私を殺す指令受けてる、とかじゃないでしょうね?」
「安心しろ、今日は私自身の体の事で来た」
「冗談よ。相変わらずねー、オルガ」
だが、女性は銃を下ろして笑った。
……鮮やかな紫色のショートボブ。同じく紫色の瞳は、右目に改造の跡が見られる。モノクルのようなスコープがそのままついているかんじだ。
この女性も、決して体格が良い訳ではないのだが……当然、右目以外も改造済みなんだろう、と思われた。
「久しぶりだな、ルナ」
「あー、はいはい。しばらくぶりね。ま、いいわ。さっさと入って。扉は閉めて。ついでにロックも掛けといて。表の看板見なかったの?『店主出張中のため、休業中』って」
「見なかったな!すまん!……って、ルナ、お前、何かやらかしたのか?」
「はいはい、やーらーかーしーまーしーたー。……ま、いいや、その説明は後で……ねえオルガ、後ろの2人は?」
「ああ、友人だ」
ここでようやく、俺とニーナさんが前に引っ張り出された。
「こちらのアンドロイドがニーナ。こっちはシンタローだ。……ニーナ、シンタロー、この派手な奴がルナ・ラジオ。私が良く使ってるメカニックだ」
「……で?もしかして、こっちのシンタロー君の改造依頼だったりする?」
「ああ、いや、違う。今回、この2人は……その、私の護衛を頼んでる」
オルガさんが若干歯切れ悪く言うと、ルナさんは目を見開いて、ヒュウ、と口笛を吹いた。
「もしかしてアンタ、やっとパーツ交換する気になった?」
「ははは、サムにも同じことを言われたがな、パーツ交換する気は無い。今回はオーバーホールを頼みに来ただけだ」
オルガさんが笑うと、ルナさんは肩を竦めた。
「ま、でしょうね。……にしても珍しいことに変わりはないけど。いつもだったら『オーバーホールしろ』って言っても構わず動き続けて、半スクラップになってからやっと私んところに来る、ってのが普通なのに。槍でも降るのかしら?」
「かもな」
ルナさんは両手を挙げて『降参』のようなポーズを取りながら笑い、そこで俺達を見た。
「で、ニーナちゃん、シンタロー君。一応聞いとくけど、アンタ達、オルガ守れるくらいの腕はある、って事よね?」
「ええ。勿論です」
「俺はいざとなったらオルガさんもルナさんも連れて逃げられます」
ニーナさんがさも当然、というように答え、俺は正直に答えた。
つまり、正面から戦ったら勝てない気がする。
「あら、そ。……ま、いいけど。いざとなったら私はトンズラこくし。ただ、アンタ達はオルガのこと、しっかり守んなきゃ駄目よ。こんだけ古い型のサイボーグなんて、オーバーホールに丸3日は掛かるんだから……はー、ユウウツ」
ルナさんはそう言いつつ、店の奥に入っていった。
何かの準備をしに行くのだろうか。
「……と、まあ、そういう訳だ」
そしてオルガさんは、そんなルナさんの様子を気にする様子も無い。いつものことだ、とでもいうような顔をしている。
「悪いが、ニーナ、シンタロー。私はかなり古い型のサイボーグなんでな、オーバーホールにも時間がかかる。丸3日、私は動けないと思ってくれ。……その後の1日は調整だ。その間も、マトモには動けないだろう。ま、自力でなんとか逃げるくらいはなんとかなるかもしれないが……」
「お任せください、オルガ様。完璧に護衛を務めます」
「ええと、何かあったら『世界渡り』で逃げますよ」
ニーナさんと俺が答えると、オルガさんは若干申し訳なさそうな顔で頷き……それから、声を潜めた。
「……これから詳しく聞くつもりだが、ルナも何かやらかしてる。多分、あいつも誰かに狙われてるんだろうな。……それから、あんまり言いたくないが、私を狙う奴も多い。すまんが、何かと気を付けてくれ」
『やらかしてる』。『私を狙う奴も多い』。
早速、不穏な雰囲気だが……。
「オルガー!ニーナちゃんとシンタロー君も!こっち来なさい、お茶くらい出したげるから!」
店の奥から、ルナさんの明るい声が聞こえてきた。
「……ま、茶でも頂きながら、詳しい話はしようじゃないか」
オルガさんは苦笑いしながら、俺達を伴って店の奥へと進んだ。




