41話
「皆、大丈夫!?」
だが、炎が噴き出したのも一瞬の事、すぐに炎は阻まれた。
炎を阻むのは、幾重にも重ねられた光る花弁。ペタルの魔法である。
「……っ、駄目、あんまり長く持たないや……!」
だが、花弁は徐々に、炎に削られて熔かされていく。ペタルの表情も苦しそうだ。
……その一方、アレーネさんは1人、楽しそうな表情を浮かべていた。
「ペタル、あと何秒持つかしら?」
「1分!」
「上出来ね。……泉、あなた1分あれば、あの中に居る魔物、寝かせられるでしょう?寝かせる時間は10秒でいいわ」
「うん、任せて!」
泉がバイオリンを弾き始めると、徐々に、花弁の向こう側……部屋の内側に、水でできた羊が現れ始める。
「じゃあ、イゼル。眞太郎君。『俊足のチョコレート』を食べて頂戴。あなた達は、この炎が止まった時、部屋の中に突入して頂戴。部屋の奥に何かあるわ。あれを可能な限り、取って戻ってきて。サポートはペタルと私が行うわ」
「う、うん。分かった!」
「分かりましむぐっ」
イゼルは懐からチョコレートの包みを取り出すと、1つを自らの口の中に放り込み、もう1つを俺の口に押し込んだ。
『俊足のチョコレート』はアウレのお菓子だ。その名の通り、食べた者に『魔法的な俊足』をもたらす。
元々足の速いイゼルが食べれば、それこそ、目にも留まらぬ速さで動くことができる。
凡人程度の足の速さの俺が食べる場合は、『速さについていく思考能力』を得られることが大きい。ジェットパックを最大出力で使っても制御しきることができるだろう。
「……さて、オルガ。分かっているわね?」
「ああ、任せろ。あのデカブツは私がぶち殺してやるよ」
「ニーナはオルガの攻撃の余波から私達を守って頂戴」
「かしこまりました、マスター・アレーネ」
最後にオルガさんがにやり、と笑い、ニーナさんがごくごくわずかに口角を上げれば、準備完了だ。
「……あと10秒!」
ペタルの声が響くが、声に焦りは無い。
「泉、間に合いそうね?」
泉からの返事は無いが、泉の表情が自信を物語っている。
そして。
5、4、3、2、1。
ぱりん、と、花弁が砕け……それとほぼ同時に、炎が止んだ。
「イゼル、シンタロー!行って!」
泉の演奏も終わり、声が飛ぶ。
俺とイゼルは、それを合図に壁の中へと飛び込んだ。
ごく短い時間でしかなかった。恐らく、精々10秒か、長くても20秒未満の。
だが、俺の思考は引き延ばされ、一秒一秒の隙間を動くことができるようになる。
俺とイゼルは部屋の中に飛び込み、真っ先に部屋の奥へと飛んでいった。
部屋の中に居たのは、巨大なドラゴン。
硬い鱗に覆われた体。巨大な翼。鋭い牙と爪。
……だが、そのドラゴンはあろうことか、舟を漕いでいる。泉のバイオリンによるものなのだろう。
俺達はほんの一瞬、ドラゴンを見ただけで、その横を通り抜けた。
目指す先は部屋の奥に詰まれている宝箱だ。
狼に変身したイゼルがいち早く宝箱に到達すると、小ぶりな宝箱を選んで咥え、勢いよく後方へ放り投げた。
正確な狙いを持ってして投げられた宝箱は、そのまま壁の切れ目に向かって飛んでいき、その先でペタルの魔法か、アレーネさんの技かによって受け止められる。
俺もまけじと、宝箱を掴んでは放り投げる。
放り投げる。放り投げる。
「撤収!」
……そうして、俺は3つ、イゼルは2つの宝箱を放り投げ、残る宝箱が2つになると、アレーネさんの声が響いた。恐らく、ドラゴンが起きるのだろう。
残っていた宝箱の内、小ぶりな方をイゼルが咥えて走り去り、大きい方は俺が抱えて、ジェットパックで飛んで戻る。
「よし、上出来だ!あとは任せろ!」
戻る俺達と入れ違いに入ってきたのはオルガさんだ。
オルガさんの右腕は、明るいオレンジ色の光を煌々と灯し、輝いている。
……ぐおん、と、低く唸る音が背後で聞こえた。
そして、俺とイゼルは、壁の切れ目から再び階段通路へと飛び込み……。
爆風。
「うわっ!?」
「きゅっ!?」
俺達は背後から爆風を受ける形になり、そのまま階段通路の反対側の壁に激突した。
「シールド展開!」
だが、そこに爆風や爆炎の追撃を受けることは無かった。ニーナさんが『シールド』を展開したらしい。
後で聞いてみたところ、ピュライの魔法をバニエラのN-P025型アンドロイドが持つ防犯・防災システムに落とし込んだ代物だったとか、なんとか。
とにかく、壁の切れ目にはシールドが張られ、俺達はシールド越しに壁の中の様子を窺う事になった。
「……うわー……」
泉が絶句するのも無理はない。
そこにあったのは、地獄絵図だった。地獄絵図。
いっそ狂気じみているとさえ言えるであろう笑みを浮かべながら、ドラゴンの右翼を蹴りでへし折るオルガさん。
オルガさんに向けて、しなる尾をぶつけるドラゴン。
飛んできた尾を逆に捕まえて、振り回すオルガさん。
振り回されながら炎を吐いてオルガさんを燃やそうとするドラゴン。
炎に包まれながら、何らかの銃か何かを放つオルガさん。
爆炎と自身の炎に巻き込まれながら、爪を繰り出すドラゴン。
レーザーナイフでドラゴンの爪と競り合うオルガさん……。
……地獄絵図である。
部屋の中は炎と爆炎、そして飛び散るドラゴンの血や血じゃないもの。
その中でひたすら殺し合う1頭と1人。いや、1台。
だが、オルガさんの表情は狂気じみて好戦的な笑みであったし、ドラゴンの表情は恐怖と焦りであった。
そして何より、オルガさんの戦い方は……非常に、効率的であったと言える。残酷なまでに。
……結局、決着が着くまで、そう長くは掛からなかった。
「待たせたな!」
そして部屋の中から出てきたオルガさんは、すっかりボロボロになっていた。
「ぎゃっ!……お、オルガさあん!」
それはもう、泉がそんな悲鳴を上げる程度に。
「ははは、すまんな、人工皮膚が一部燃えた。内部は問題ないんだが。アレーネ、これ、労災下りるか?」
「そんな制度は無いけれど、特別手当は出しましょう」
オルガさん自身は至極楽しそうであるし、アレーネさんやニーナさんは涼しい顔をしている。
だが、泉やイゼルは震えあがって悲鳴を上げ、ペタルや俺は、悲鳴こそ上げないものの、戦慄した。
……オルガさんの姿は、ホラーそのものであった。
体の半分の皮膚が消失し、その下にある金属の骨格やパーツ、筋肉めいた部品などが露出しているのだ。
……俺の頭の中で、ふと、『笑う人体模型』という、学校の七不思議にでもありそうな単語が沸き上がってきた。
ああ、オルガさんの姿は正にそんなかんじであった。
「ふー!とりあえずこれで!これでとりあえずは!でも、帰ったらすぐに治してね、オルガさん!」
「ははは、ありがとう、泉」
結局、オルガさんのホラーな見た目については、泉が上から幻覚を被せることでカバーした。
器用に操作された幻覚によってホラーな部分を覆い隠されたオルガさんは、とりあえず、イゼルが直視しても悲鳴を上げない程度になっている。よかった。
「……オルガさんの体は私の魔法じゃ治せないんだよね……とくに表面的な奴は」
「そうね。ペタルの魔法は、あくまで『生体』を治すためのものだもの。仕方ないわ」
ペタルは人の傷を癒す魔法を使えるが、それはあくまで、『人体の』とでも言うべき部分に限られる。
つまり、サイボーグであるオルガさんは、その体の大半がペタルの魔法の効果範囲外、らしい。
「むしろ、ドラゴン相手で損害がこれだけで済んだのは奇跡的だわ。誰一人として致命傷を負っていない訳だし、宝物の回収もスムーズに完了したし、このくらいはね。……さて、早速見てみましょうか」
アレーネさんがそう言って、手近な宝箱を開け始めた。
宝箱は全部で7つ。うち3つが小ぶりで、残り4つが中くらいから一抱えくらいのサイズである。
小ぶりな箱3つの内1つには、ワイングラス、のようなものが入っていた。
金細工の装飾が施されているし、グラス自体は恐らく、ガラスではなく、削りだした宝石でできている。とてつもなく高価なものである事だけは俺にも分かる。
もう1つは内部が絹張りになっていて、そこには肘から手首くらいまでのサイズの砂時計のようなものが入っていた。
金と銀と細かな宝石とで装飾された砂時計は透き通った藍色をしている。内部に時折、チラチラと虹色の光が瞬いている。この光が砂の役割を果たしているのだろうか。
最後の1つには、手袋が1組入っていた。
黒い革製で、シンプルな作りだ。手首の部分にベルトがついているのが特徴だが、特に珍しくもない……ディアモニスで見てもおかしくないような代物である。
続いて、大きめな箱4つも開けていく。
1つ目には、薄青い金属でできた鏡が入っていた。
鏡自体が薄青いので、映るものも全て薄青く染まって見える。
2つ目には、箱が2つ入っていた。
……箱に箱である。入っていた箱は飴色の艶やかな木製で、留め具や蝶番に装飾が少しある程度だ。
ただし、箱内部には銀の象嵌が施されており、複雑な模様を描いている。
3つ目の箱はやたらと細長い箱だったのだが……それもそのはず、杖が入っていた。
「わ……すごい」
ペタルは瞳を輝かせて杖に見入っている。
杖は艶のある漆黒の柄に銀の蔦が巻き付いたようになっている。杖の先端で銀の蔦は大きな菫色の石を抱き込んで固定している。ペタルの身長近くある、長い杖だった。
「これはペタル行きでしょうね」
アレーネさんが横から顔を出してにっこり笑った。
ペタルに合う杖なら、是非そうすべきだと思う。ピュライの杖を使えるメンバーはペタルだけなのだし。
そして、他3つと比べて小さ目な、4つ目の箱には。
「わー、宝箱ってかんじ」
「きらきらしてる」
……大量の古代貨幣と装飾品、そして宝石類がたっぷりと詰め込まれていた。
道理で重かった訳である。
「……さて、ニーナ。この中に、『魔力を貯めて置く装置』として働きそうなものはあるかしら?」
「……どうでしょう。これらの道具はピュライの古いフォーマットで作られたもののようです。私の持つデータベースと照合しても効果が不明瞭な物が多いので、正確には分かりません」
ああ、成程。ニーナさんはピュライの『今の』魔法については網羅しているが、古代魔法についてはその限りではないのか。それは仕方ないな。ペタルの話を聞く限り、ピュライに置いて古代の魔道具はとても珍しい物らしいし。
「うーん……私が見る限りでは、この藍色の砂時計、それっぽく動きそうな気もするんだけれど……眞太郎、どうかな」
ペタルにはなんとなく、未知の魔道具でも見当がつくらしい。
ペタルは首を傾げながら、俺に砂時計を示してきた。
「俺?」
「うん。眞太郎は現存してるオノマすべてに適性があったでしょう?だから、もしかしたら用途が分かるんじゃないか、って思って」
確かに、俺はピュライの魔道具は(少なくとも確認している限りでは)全て使う事ができる適性がある、らしいが。
……まあ、少なくとも、触っただけで壊れるようなことは無いだろう。
俺は藍色の砂時計を手に取った。
「……眞太郎、眞太郎、大丈夫?」
気が付くと、目の前に天井と、皆が覗き込んでくる顔が見えた。
……気絶したらしい。
「……俺、何をした?」
「眞太郎はこの砂時計を手に取っただけだよ。でも……多分、当たり、だと思う」
ペタルはそう言いながら、砂時計の上面の板……複雑な文様が彫刻されている部分に触れた。
「っ!」
「おい大丈夫なのか?」
ペタルが触れると、一瞬、彫刻の文様が虹色に輝いた。
そしてそれきり、虹色の光は砂時計の内部へ吸い込まれるように消えていく。
「……この砂時計、多分、魔力を吸い取って貯める為のものだよ」
それから俺達は帰還することにした。
理由は簡単で、まず、荷物が増えたのでなんにせよ一度戻りたい、ということ。オルガさんの治療というか修理をしたいということ。
そしてなにより、ドラゴンを倒した部屋がどうやら古代遺跡のかなり中心に近い部分にあったであろう、ということだ。
つまり、おそらくここが『最深部』かそれに近い部分だったのではないか、ということだ。ショートカット恐るべし。
……ちなみに、このショートカットについては、恐らく『デバッグ用』だったのではないか、という結論に至った。つまり、この古代遺跡の制作者自身が、この古代遺跡の調整を行うために使っていた通路なのでは、と。
そうでもなければこのような抜け道を用意しておく必要は無いし……或いは、抜け道を用意しておくにしても、もっときちんと『抜け道』として用意しておくだろう。
今回、壁を破ったオルガさんのレーザーナイフは、ピュライの魔法を丸無視できるトラペザリアの武器だ。
逆に言えば、ピュライの人は異世界に行きでもしない限り、ほぼ、この壁を破壊できなかったということになる。それこそ、制作者でもない限り。
「あーあ、私の魔法、別に使わなくても大丈夫だったねー」
そして俺達は、泉の魔法でスタート地点へ戻ったが……使わなくても良かったかもしれない。
何せ、ショートカットにショートカットを重ねたせいで、スタート地点へ戻るまで、歩いてもさほど長い道のりでもなかったのだから。
「まあ、安全対策は大事だから……じゃあ、いい?戻るよ。『テリオス』!」
俺達は和やかな雰囲気のまま、スタート地点の石の板に乗り……そして、古代遺跡を脱出したのだった。
それから『世界渡り』でディアモニスはアラネウムの喫茶店内へと戻った。
「はー、ただいまただいまー!」
「やっぱり戻ってくると落ち着くな!」
とりあえず、持ち帰った古代の魔道具や宝物類を床に下ろして、俺達はそれぞれ伸びをしたり、椅子に座ったりした。
なんだかんだ、緊張したし、実際に体も動かす羽目になったわけで、疲れていない訳がないのだ。予定より凄まじく速く帰還してしまったが。
「では、私はペタル様とこの砂時計の効果の検証を行います」
「そうだね。予想では、この砂時計の上部に触れたものから魔力を吸い取って内部に溜める、ひっくり返したら放出する、ってかんじだと思うんだけど……うん。泉ちゃん、待っててね。案外すぐに『オーバーラテラルゲート』、できるかも」
ニーナさんとペタルは砂時計を抱えて、恐らくペタルの部屋へ向かって行った。
「……なんか、思ってたより簡単だった、かも」
ペタル達が去った後で、泉は椅子に腰を下ろしてため息を吐いた。
「もっと早く相談すればよかったなー」
だが、そう言う泉の表情は非常に晴れやかでもあった。
そうして、翌々日。
俺達はアラネウムの居住空間内の奥に集まり……泉の部屋となっている戸棚の、上の段を覗き込んでいた。
「さあ、泉ちゃん、入ってみて」
「う、うん」
そこにあるのは、アンティークの写真立て。だが、本来写真を入れておくべき場所には、奇妙に揺らぐ四角形が収まっている。
『オーバーラテラルゲート』だ。
俺達が固唾を飲んで見守る中、泉は写真立ての中に入っていき……見えなくなった。
……そして俺達はじっと、その後も写真立てを見つめ続け……。
数分の後、ぴょん、と、また泉が写真立てから飛び出してきた。
泉の手には、暖かい黄色をした花が一輪握られている。見覚えがある。アウレの花だ。
ということは……。
「だーいせーいこーう!」
そして泉は大きな声でそう言うと、満面の笑みで俺達に飛びついてきたのであった。
……こうして、どうやら無事に、ディアモニスのアラネウムとアウレの泉の家とを結ぶ、小さな小さな『オーバーラテラルゲート』は完成したのだった。




