38話
広場が歓声に包まれる。
それから、おめでとう、おめでとう、とも。
身長150cm程度になった泉は、きゃーきゃー喜びながらアラネウムのメンバーに抱き着いて飛び跳ねている。
……もしかして。
もしかして、妖精って……1人前になると、でかく、なるのか……?
「うん。そうだよー」
気になったので聞いてみたら、本当にそうだった。
「あ、でも元のサイズにもなれるから大丈夫!」
そう言うと、泉はまた身長15cmのミニチュアサイズに戻って見せてくれた。……便利そうだ。
「だから、アラネウムではまだまだ戸棚の中に住むからね!私好みに頑張って改造したんだもん!今更あそこからお引越しするなんてやだよー!へへへ」
泉は至極楽しそうに、大きくなったからアレができる、コレができる、と口にしながらにこにこしている。
「ああ、そうそう、私、アウレ以外の世界でお洋服買ってみたかったんだー!ディアモニスの服もピュライの服も可愛いもん!へへへ、やーっとお買い物できるよー……あああ、楽しみだなあ、楽しみだなあ!」
……まあ、サイズが一気にこれだけ変わったのだから、色々と勝手は違うのだろうが……本人は楽しそうだし、諸々の変更点は徐々に慣れていけばいいだろう。
それから、泉の『試験』合格祝いということで、またケーキさんの所でケーキを買って行こうか、と話していた時。
「泉!」
泉を呼ぶ声が人垣の向こうから聞こえた。
「あっ、お姉ちゃん……!」
泉が声のする方へ振り向くとほぼ同時に、人垣を掻き分けて、3人の女性が現れた。
前回、アウレに来た時、帰る間際に会った人達……つまり、泉のお姉さんたちだ。
「泉!おめでとーう!」
お姉さんの内の1人が駆け寄ってきて、泉に抱き着いた。
「もう、連絡してくれたっていいじゃない!」
もう1人も歩いてくると、抱き着いた。
「心配したのよ?泉」
そして最後の1人もやってきて、抱き着いた。
ぎゅうぎゅう、と3人のお姉さんに3方から抱き着かれて、泉は若干苦しそうに見える。
「うふふ、海お姉ちゃん、滝お姉ちゃん、川お姉ちゃーん。苦しいよー。えへへへー」
だが、それ以上に嬉しそうなのは言うまでもない。
泉が笑いながら抗議すると、お姉さんたちも笑いながら泉を解放した。
「ふふふ、ごめんなさい。だって泉ったら、今まで何の連絡もくれなかったんだもの」
お姉さんたちは皆笑っているが、少し寂しそうでもある。
その顔を見て、泉もまた、しゅんとしてしまった。
「うー、ごめんなさい……」
「まあ、無事だったからよかったけどねー。何かあったんでしょ?」
だが、お姉さんの1人が何気なく発した言葉に、泉ははっとした。
「……泉?どうしたの?」
泉の様子に、お姉さんたちも皆、何かある事を察したらしい。
静かに泉の言葉を待つ。
「あのね、お姉ちゃん。……私ね」
そして泉は、意を決したように言った。
「私、アウレじゃない世界に住むつもりなの」
それから泉は、アラネウムの事を話した。
今、アラネウムに住んでいること。アラネウムがどんな場所か。アラネウムで行っている仕事。色々な世界の話。泉がどんな活躍をしてきたか。
……泉のお姉さんたちは、皆聞き上手だった。
泉の話を静かに聞き、異世界の話を聞くときは目を輝かせ、泉の活躍を聞く時は自分のことのように喜び。
そうして泉は、一通りアラネウムについて、アラネウムでの自分自身について話し終わった。
「……だからね、私、アラネウムでまだ、働きたいと思ってるんだ。勿論、バイオリンの練習はするし、妖精としての仕事の時にはちゃんとアウレに戻ってくる!こっちを疎かにするつもりは無いよ!だから……えっと……」
泉の言葉は、ここで尻すぼみになってしまった。
それを見てか、お姉さんたち3人は、3人で顔を見合わせて何かをひそひそ、と話して頷き合う。
泉は恐る恐る、お姉さんたちの様子を窺っていたが……ついに、一番上のお姉さんと思しき人が口を開いた。
「3つ、泉にやってほしいことがあるの」
「うん!なんでもいいよ!私、頑張るから!」
お姉さんの言葉に意気込む泉を見て、お姉さんたちは……笑顔を浮かべた。
「絶対に私達への連絡は欠かさないこと」
「時々はこっちに帰ってきて、私達と一緒にカルテットしてくれること」
「それから、どんな世界に行っても、精一杯楽しんでくること。……これで3つよ」
「そ……それって」
泉の目に、みるみる涙が湧き出てきて、ついにこぼれ落ちた。
「ええ。行ってらっしゃい。だって泉、あなたもう、一人前なんだもの」
何も言わずに泉が抱き着くと、お姉さんたちはまた3方から泉を抱きしめた。
「アラネウムの人に迷惑かけちゃ駄目だからね!」
「これからも練習して、立派なレディになるのよ」
「今度はいつでも頼ってね。私達はあなたのお姉ちゃんなのよ」
お姉さんたちがそれぞれ言葉を掛けると、泉は頷きながらより強く抱き着いた。
「うん……川お姉ちゃん、滝お姉ちゃん、海お姉ちゃん……」
俺達は泉たちの様子を、少し離れたところから見守っていた。
「いいなあ、泉ちゃん」
そんな折、ふと、ペタルがほとんど無意識のようにそう小さく呟いた。
……そしてそれきり、ペタルがそれ以上何かを言うことは無かったが。
泉たちは、少し離れた場所から見ていても分かる程に仲睦まじい。
ペタルは……自分の兄のことを思い出しているような気がする。仲睦まじい、という言葉とは真逆にあるような兄弟のことを。
嫉妬も憎悪も無く、ただ純粋に、少しだけ羨むような、そんな寂しげな笑顔を浮かべて、ペタルは泉たちを見つめていた。
それから泉は、お姉さんたちと広場でカルテットを始めた。
泉が「ごめん!1時間だけ時間をちょうだい!」と頼んできたのである。勿論、俺達はそれを断る理由も無かったし、むしろ、是非そうした方がいいと思っていた。
折角、久しぶりに姉妹が揃ったのだ。むしろ、1時間だけでいいのか、とも思うが……泉としては、そこは譲れないらしい。姉妹水入らずは、『依頼が完全に達成されてから』だそうだ。
そうして始まった弦楽四重奏。お姉さんたちの弦楽三重奏も美しいものだったが、そこにバイオリンが入って、アンサンブルは華やかさを増していた。
しばらく会っていなかったというのに、泉とお姉さんたちの息はぴったり合っていた。これが妖精としての力なのかもしれない。
4つの音が混ざり合い、いよいよ、曲の盛り上がりが最高潮に達する、という時だった。
「ああ……すごい」
ペタルが、宙を見上げて目を見開いていた。
俺もペタルの視線を追って空を見上げて……そこで俺は、魔法を見た。
透き通った水が空に浮かび、形を作って舞う。
水の魚が泳ぎ、跳ねて水飛沫となって消え、水飛沫が蝶となって舞い、集まって大きな鳥となって優雅に旋回する。
鳥が飛んだ後には柔らかく霧が満ち、抜け落ちた鳥の羽から水の花が咲き、鳥のさえずりが弦楽四重奏と合わさって1つの音楽になる。
「泉の仕事って、こうやって魔法を使う事だったんだ……」
4つの弦楽器が最後の音を高らかに奏でると共に、鳥は大きく鳴き、音楽が終わると同時に無数の小鳥へと変わって散り散りに飛んでいった。
……こうして飛んでいった鳥達は、アウレの海、滝、川、そして泉へと向かい、水に溶け込んで、その水を守る役割を果たすのだそうだ。
つまり、泉たちはそれぞれの名の示す場所を守るために音楽を奏でるのだと。
「こんな綺麗な魔法、初めて見た」
ペタルは、魔法の魔法としての術式の完成度や効果の大きさについても感動しているのだろうが……残念ながら、俺はそのあたりはよく分からない。
だが、『綺麗』であることは感じることができた。
演奏が終わってすぐ、泉は俺達と一緒にディアモニスに戻ってきた。
「本当に良かったの?1晩くらい、泊まってきても良かったんじゃないかしら」
「うーん、いいの!だって私はアラネウムの泉だもん!……それに、次に会う時は、自力でアウレへ行けるようになった時、って決めてるから!」
そう。これから俺達は、泉が俺やペタルの力を借りなくても『世界渡り』できるような手段を考えなくてはいけない。
「一番速いのは、私の中にあるマスターコンピュータのデータから『オーバーラテラルゲート』の作成の項を調べることでしょうか」
そして、これは一応、解決の目処が立っている。
ニーナさんの世界、バニエラでは、小さく不安定ながらも世界渡りのゲートを生み出す方法を既に構築している。それによって、ソラリウムでイゼル達が干ばつの憂き目に遭っていたのだから。
「そうだね。……ええと、バニエラのエネルギーって、ピュライの魔力とすごく似てるみたいだから……もしかしたら、ピュライの技術も組み合わせて、泉用の小さなゲートを作れるかもしれないよね」
一方、ピュライの方でも『ゲート』を作成する方法については研究がされたいた。が、今はそれを調べる由も無い。
……理由は簡単、俺達がその『ゲート』を爆破したからである。
まあ、『翼ある者の為の第一協会』で研究されていた『ゲート』は相当大規模なものだったようだし、身長15cmになれる泉にはそんなゲートは必要ない。
そもそも、悪用されるリスクを考えたら、自由に行き先を決められ、かつ、大規模な輸送が可能な『ゲート』を作るのはあまりにも危険すぎるだろう。
その点、『オーバーラテラルゲート』は……規模が小さい上、フィルタリングもある程度できるようだ。
俺達が見た『オーバーラテラルゲート』は、マスターコンピュータの不具合によって生まれたものだったからか、不安定な代物だったが……ニーナさんとペタルが研究すれば、そこも改善できるかもしれない。
「さあ、お話はそこまでにして、ご飯にしましょう。泉が一人前になって、晴れてご家族公認でアラネウムのメンバーになったお祝いよ」
だが、とりあえず今は、泉の『試験合格』をお祝いしてもいいだろう。
泉自身もとても喜んでいるし……。
「……あああああああああ!」
が、突然、泉が叫んだ。
「ど、どうした!?」
泉は愕然とした表情で……続けて、叫んだ。
「ケーキ買ってくるの、忘れたああああっ!」
……そういえば、すっかり忘れて帰ってきてしまった。
結局、ケーキはアレーネさんが焼いてくれた。
チョコレートケーキの間に生クリームとバナナのスライスをたっぷり挟んだチョコバナナケーキは、やはり泉の好物らしい。
「えへへ、おいしーい!しあわせー!」
泉はというと、身長150cmになっても、食べる量は変わらないらしかった。……というより、身長15cmの時点であり得ない程食べていたあれは、身長150cmでの適量だったらしい。成程、妖精のシステムはよく分からない。
それから、数日。
アラネウム楽団の練習は無くなったのだが、ペタルはニーナさんと一緒に『オーバーラテラルゲート』の研究をしているため、俺は相変わらず喫茶アラネウムのウェイターを続行していた。
……そして、俺以外にも。
「いらっしゃいませー!あちらの席へどうぞー!」
ぴょこぴょこ、と跳ねるようにして元気よく動き回る泉もまた、ウェイトレスとして喫茶アラネウムを手伝い始めた。
泉が『一人前になったらやりたかったこと』の1つだったらしい。
……泉曰く、「今まで小さくてできなかった事、たくさんあったし、そのせいでアラネウムの皆の役に立てないこともたくさんあったでしょ?でも、これからはもっとたくさん役に立つからね!」とのことだ。
身長150cmと15cmを行ったり来たりしながら、泉は元気に、そしてそれはそれはもう楽しそうに働いている。
やはり、泉はここが大好きなのだろう。
「オーバーラテラルゲートなのですが」
そして、あくる日の夕食時。
食卓の席で、ニーナさんから報告があった。
「てんで駄目です」
……。
「てんで、駄目です」
二度言われる程に駄目らしい。




