37話
その日の内から、アラネウム合奏団の演奏練習が始まった。
使用する楽器はバイオリンを主軸にして、ピアノとフルートとエレクトリック・ピアノ、『ジターレ』と言うらしいアコースティックギターめいた楽器、ドラムセット一式。
曲はいわゆるシンフォニック・ロック、或いはプログレッシブ・ロックの分類に入るものだろう。
ケルト音楽調のバイオリン曲を上記の編成にアレンジしたようなもので、作曲は泉が行った。
アラネウムが営業を行っていない早朝と、喫茶店とバーの営業時間の間である夕方が主な練習時間だった。
また、それとは別に個人個人の練習をそれぞれが空き時間に行っていたようだったし、何かと全員の時間が詰まって、忙しい日々が過ぎていった。
そんな中、俺は何をしていたか、と言えば……定規の演奏、ではなく、喫茶アラネウムの手伝いだった。
……どういう仕組みかは分からないが、アラネウムにメンバーが2名増えてからというものの、喫茶店とバーへの来客が増えた。
今まで、喫茶アラネウムはペタルとアレーネさんで経営し、バーの方はアレーネさんとニーナさん、時々オルガさんも手伝う、という状況だったのだが……ペタルが楽器の練習をしたい、ということで、俺が代わりに喫茶のウェイターとして駆り出されることになったのだ。
しかしこのアラネウム、明らかに異世界の客人も訪ねてくるのだが……不思議なことに、店内ではそのあたりの違和感は一切消えてしまうらしい。
頭から花が生えている人の横のテーブルで、普通のサラリーマンらしき人がコーヒーを飲んでいる。
明らかに銃刀法違反であろう恰好をした人の横では、大人しそうな女子高生が読書している。
……まあ、そういうものなのだろう、としか言えないのだが。
俺はそういった人(時々、人ですらない生き物も来たりするのだ!)の間で給仕として働き、手が空いたらアレーネさんと一緒にカウンター内での調理作業を手伝った。
そうして俺は喫茶アラネウム内で働く傍ら、『異世界間よろずギルド』の方でも働いていた。
泉の依頼があっても、他の異世界からの客が来ない訳ではない。
そこまで難しい依頼が来なかったことも幸いして、俺とオルガさんとニーナさんだけで(オルガさんとニーナさんは自動演奏機のようなものなので、個人練習の必要が無い)大体は依頼をこなしていた。
迷いネコ探しだったり、宿題の手伝いだったり、1日恋人が欲しい、という依頼だったり。
……迷いネコについては、オルガさんが見つけてきた。
1日中異世界の街を駆けまわっていたというのだから凄い。
ちなみに、探し方は『とりあえずネコは全て手あたり次第に捕獲する』。
とある異世界のとある街では、その日、野良ネコが全て一か所に集結させられたことになる。
尤も、アラネウムの行動基準『1、その世界での破壊や死傷を最小にすること』に抵触するため、集めたネコは慰謝料としてニボシを与えられ、全てまた元の位置に寸分狂わず戻されたのだが。
尚、受け取った報酬は金とレッドベリルの指輪だった。
宿題の手伝いは俺がやった。
この依頼、依頼者の不正に加担することになるんじゃないか、と思ったが、アレーネさん曰く『このくらい、いいんじゃないかしら』とのことだったので、引き受けることになったのだ。
宿題の内容は、謎の植物の観察日記と工作。
謎の植物にはピュライの『植物栄養剤』を用いて急速成長させながら写真を撮り、観察内容を文章でつけた。
工作は『この木の板をひたすらつるつるに磨いてほしい』ということだったので、ホームセンターに行ってサンドペーパー数種類とハンドサンダーを買ってきて、ひたすらひたすら木の板を磨き続けた。
その甲斐あって、依頼者には大層喜ばれた。
尚、報酬として謎の植物をそのままもらった。今はアラネウムの中庭に地植えにされて、1日に2つ程度、桃とマンゴーの間のような味と食感の実をつけてくれている。
1日恋人が欲しい、という件については、ニーナさんが駆り出された。
……ニーナさんは表情に乏しい人であるし、振る舞いもどこか人間味が無いことがある。だが、そこがまた依頼者の好みにぴったりだったらしく……ペタルからブローチを借りた俺の送迎によって異世界から帰ってきたニーナさんは、異世界のドレスとアクセサリーと花束をプレゼントされていた。
尚、報酬はプレゼント一式だったのだが……それとは別に、ニーナさんが大量のプラチナを持って帰ってきた。
「あの世界においてプラチナは道端の石ころのようなものだったようです。どうやら、プラチナより扱いやすく、軽く丈夫で美しい鉱物が他にいくらでもあるようでした」
確かに、迎えに行った時、道はきらきら白銀に輝く粒で舗装されていたし、道の端には白銀に輝く塊がたくさん落ちていたが。あれ、もしかして全部プラチナだったのか……?
……もしアラネウムが財政難になったら、また行って拾ってこよう。
……という具合に、俺とサイボーグとアンドロイド、という3人組で、細かい依頼をこなし続けて、2週間程度。
「……いいんじゃないかしら。泉、どう?」
「……うん。いける、気がする」
遂にアラネウム楽団はその演奏を完成させたのだった。
その日の夜。
大学の課題を仕上げてから風呂へ向かった。
ペタル他女性陣が風呂に入り終わった事はもう確認済みだ。
……だが、俺が脱衣所に入ると、風呂場に明りが点いていた。
耳を澄ますと、風呂場の中から微かにバイオリンの音が聞こえてくる。
どうやらまた、泉が風呂の中で練習しているらしい。
「泉ー、入っていいか?」
風呂場のドアを叩きながら声を掛けると、バイオリンの音が止み、「いいよー!」と元気な返事が返ってきた。
なので、靴下を脱いでズボンの裾を膝下まで捲り上げて、風呂場へ入る。
「……あれ?シンタロー、お風呂入るんじゃないの?服着てて大丈夫?てっきり脱いでくるもんだと思ってたー」
「いや、流石にそれはちょっと」
泉はあれ以来、俺が半裸だろうが何だろうが、『とりあえず隠れる物が隠れていればあんまり気にしない』ぐらいのスタンスで居るらしいのだが、俺の方はそうもいかない。
「練習してたのか」
湯船の縁をざっとタオルで拭ってから腰かける。
泉は相変わらず、服を着たまま湯船の中に浸かってバイオリンを抱えていた。
「うん。……うー、今から緊張してる……」
泉は案外、繊細らしい。
少なくとも、自分の『妖精としての仕事』については。
「あーあ、失敗したらどーしよーかな……」
普段なら口にしないであろう不安を口にしながら、泉は口元まで湯に沈んだ。
……『失敗なんてしない』なんて、無責任なことは言えない。『失敗したらその時だ』なんてことは、泉だって分かっていることだろう。
何と言えばいいか、少し考えて、割とあっさり思いついた。
「その時は直後に俺が定規ソロ演奏して恥の上書きしてやる」
「……え?」
「或いは、俺が先に定規ソロ演奏して先に恥かいておいてやろうか」
「……えええー?」
「前座が酷ければその分上手く聞こえるだろ?」
泉はへにゃ、と、情けない顔をしていたが……遂に、吹き出した。
「ぷ……ふふふ、へへへへへ。そっかぁ、シンタローが1人で定規……アウレの広場の真ん中で定規……へへへへ」
泉はどこか力の抜けた笑い方で一頻り笑うと、くすくすへらへらしながら、俺の指先をつついた。
「へへへ、ありがとね、シンタロー。シンタローは優しいね」
「ああ分かった。前座か」
「ううん、いい。大丈夫。頑張る。頑張れるようになったから!……だってシンタローが変な演奏して笑われたら可哀相だもん。へへへへへ……」
その後、泉はへらへらくすくす笑いながら風呂場を出ていったので、俺は改めて風呂に入ることにした。
……が。
「シンタロー!シンタロー!タオルの準備はオッケー!?」
元気な声と共に、風呂場のドアが叩かれた。
慌てて持っていたタオルを巻いて返事をすると、泉が風呂場に入ってきた。
泉は着替えてきたらしく、Tシャツにショートパンツという恰好をしている。
「背中流すよ!」
……。
「じゃあ、お願いするよ」
思うところは色々あるのだが……泉の緊張がほぐれるなら、まあ、いいか……。
……それから泉は、ぴょこんぴょこん飛び跳ねながら全身運動するようにして、俺の背中を流してくれた。
終始楽しそうだったので、これで良かったことにする。した。
そうして翌日。
「皆、準備はいい?」
「オッケー!」
俺達……というか、俺以外のメンバーは全員、演奏用の衣装を着ていた。
泉は、薄桃色の硬めの布でできたチャイナドレスのような服の下に、白い薄布を幾重にも重ねたスカートを合わせたような恰好。
他のメンバーは、黒と白でそれぞれの恰好をしている。
ペタルはフリルブラウスにスカート。アレーネさんはいつものような黒のドレス。オルガさんはパンツスタイル。イゼルは襟と裾にレースがついた黒のワンピース。ニーナさんはすとん、としたシンプルなドレスを着ている。
そしてそれぞれの楽器も、それぞれの傍らに置いてあった。一緒に『世界渡り』して運ぶことになっている。
「さあ。折角の機会ですもの。楽しんできましょう。ペタル、お願いね」
「うん!……じゃあ、いくよ!アノイクイポルタトコスモス、トオノマサス、『アウレ』!」
アレーネさんが妖艶に笑うと、ペタルも、泉も頷き……そして、俺達はアウレへと向かったのだった。
俺達は再び、アウレの土地を踏みしめた。
場所は、前回アウレに来た時、泉のお姉さんたちが演奏を行っていた広場だ。
「……ここは素晴らしい世界ですね」
ニーナさんはアウレが気にいったらしい。無表情ながら、その瞳を輝かせて辺りを見回している。
「ぐ……相変わらずこう、空気が甘ったるい……」
オルガさんはアウレが苦手らしい。尤も、ダウンしないのだからその程度の苦手度合なのだろうが。
「あはは、やっぱりオルガさんはアウレ、苦手なんだねー」
「はあ、とりあえず武装回路の8割を切ったらマシになったぞ」
「今回はオルガが戦えなくても大丈夫よ。全員居るんだもの」
それに、アウレではそもそも、戦闘になりそうにない。
今も、明らかに不自然な『異世界人』が6人も居るのに、全く不審がっていない。
それどころか、ドラムセットやピアノ、キーボードといった楽器の存在に興味を示し、楽し気に集まってきさえするのだから。
「……さて、泉。準備はいいかしら?」
アレーネさんが見ると、泉は硬い面持ちで頷いた。
……俺は、正面から泉たちを見られる位置に移動した。演奏しないのだから、離れていた方がいいだろう。
広場に、行きすがりの人達が集まってくる。
楽器を持ち、それぞれ衣装を着ている集まりがあるのだから、何をしようとしているかは一目瞭然だろう。
そしてアウレの人達は、恐らくこういうことが好きなようだから、人が集まってくるのは当然とも言える。
「……あ、あの!」
人々の目が集まる中、泉が前へ進み出た。途端に、広場は静まり返って泉の言葉を待つ。
「……演奏するので、聞いて、ください……」
だが、挨拶が硬い。泉は緊張してしまっているらしい。
……なので俺は、ポケットから取り出したものを振って見せる。
「……?」
泉は俺に気付いたのだろう。目を凝らして、俺の方を見る。
今度は、定規を手の中で弾いてみた。
べよん。
手の中で弾いた定規は、ごくわずかに唸っただけだったが、泉は……。
「……えへへ」
顔をほころばせた。
す、と、泉が大きく息を吸うのが見えた。
「それじゃー聞いてください!私達、異世界アンサンブル『アラネウム』!泉の妖精『泉』のバイオリンに注目だよー!」
泉の元気な声が広場に響く。
直後、沸き起こった拍手が、アラネウムのメンバーたちの方へ戻っていく泉の背に降り注いだ。
楽器が構えられる。
再び広場が静まり返る。
空気がぴんと張り詰める。
……その空気に溶け込むように、演奏が始まった。
アコースティックギターめいた音色が華やかに広がり、フルートが緩やかに副旋律を奏でる。
ドラムセットのハイハットが控えめに鳴らされ、ピアノの細かな音が静かに滑り込む。
数小節、そんな前奏が続いた。
……そして、前奏が切り裂かれる。強く鋭い、バイオリンの音色によって。
小さな妖精が奏でる激しい旋律は、ほのぼのとしたアウレの空気には似つかわしくなかったかもしれない。
だが、だからこそ、アウレの人々はバイオリンの音色に引き込まれたのだろう。
激しく情熱的に奏でられるバイオリンの音は空も風も引き裂かんとばかりに響き渡り、バイオリンの音を支える他の音色が聴衆をますます煽り立てる。
音楽の性質としては、泉のお姉さんたちの演奏とはかけ離れている。
泉のお姉さんたちの演奏が最高の茶葉を用いた甘いミルクティーだったとすれば、アラネウムの演奏はリキュールだろう。
強さが違う。甘味も香りも苦味も、アルコール度数も、全部が強い。
強い。この音楽にまろやかな優しさは無い。
聴衆を惹きつけはしても、媚びることはない。
いっそ暴力的で、傲慢であるとさえ、言えるかもしれない。
……だからこそ、美しく、魅力的なのだ。
全ての音が同時に途切れ、広場に再び静寂が訪れた。
しん、と静まり返って、誰も、物音を立てない。
……だが、爆発するように沸き起こった聴衆の拍手によって、静寂はあっさりと破られる。
歓声の中心で、アラネウムのメンバーはそれぞれ、にっこり、だったり、にやり、だったりと、満足げな表情を浮かべ……その中で、泉は。
「……あっ」
突如、泉は……歓声と視線の真ん中で、光り輝きながら、宙に浮いた。
そして、溢れた光がその場に居た全員の目を灼いた。
「……え、あ」
光が収まった時、そこには1人の少女が立っていた。
紺色のツインテールが長く肩へ伸び、水色の瞳が瞬かれている。
薄桃と白のドレスのデザインはそのままだが……サイズが。
「あ……う、受かった!受かったよーっ!」
泉は、身長15cmのミニチュアサイズから……150cm程のサイズに変化していた。




