36話
「ということで、私、фηoζНこと泉は!異世界間よろずギルド『アラネウム』に依頼します!」
その日の朝食の席で、泉はそう言った。
「分かったわ。じゃあ、依頼者、泉嬢。依頼の内容と背景を話してくれるかしら?」
恐らく、全員にぼんやりと話は通っているのだろう。アレーネさんの他も、特に誰も驚くことなく泉を見つめている。
「えーと、背景ー、背景ー……ええと、じゃあ、まず、私は泉の妖精です。ええとつまり、水がコポコポ湧き出る奴の妖精ってことだからね!……でも、私はまだ、一人前の妖精として認められてないの。本当だったらもう一人前になってなきゃいけないんだけど……アウレに帰っちゃったらアラネウムに来れなくなっちゃうし、妖精のお仕事めんどくさいし、バイオリンの練習もやる気でないし……ずっとすっぽかしてたんだ」
アラネウムに来れなくなる……と聞いて、やっと思い当たった。
そうか、泉は『世界渡り』ができる訳じゃない。
ペタルは1人でも自由に他の世界を行き来できるが、泉の場合、ペタルの送迎が無いと異世界間を行ったり来たりすることができないのか。
……それもあって、今までズルズルと『一人前の妖精になることをすっぽかしていた』のかもしれない。
「でも、お姉ちゃんたち心配してるし……それに、やっぱり私は『泉』だから!私、一人前の妖精になることにした!」
ある意味、泉は『泉の妖精』として生まれた時から、成るべきものを定められていることになる。
それに反発する気持ちもあったのかもしれない。憶測にすぎないが。
「それで、一人前の妖精になっても、アラネウムには居たい!だから、皆にはそうできるように手伝ってほしいの!……いい、かなあ?」
最後に少し、恐る恐る、という様子で皆の様子を窺っていた泉だったが……不要な心配だっただろう。
「勿論!お手伝いするよ、泉ちゃん」
「ははは、任せろ!……で、何をすればいいんだ?」
「ぼくにできることなら、何でもお手伝いするよ!」
「私がお役に立つなら、是非使ってください、泉様」
泉は皆の顔を見て、ぱっと表情を明るくした。
「……うん!ありがとう!皆!だーいすきーっ!」
そして俺達は朝食を摂りながら、作戦会議を始めた。
作戦会議、と言うには朗らかな内容だが、それだって、泉という1人の妖精の人生を決める物なのだ。全員、真剣かつ朗らかに……柔軟に、作戦会議に臨んでいた。
「……ってことは、とりあえず最初に、泉が一人前にならなきゃいけないんだよな?」
「うん。一人前の妖精だって認められるためには……」
オルガさんの疑問に答えるべく、泉は例の水のバイオリンを取り出した。
「立派に泉の妖精としての演奏ができるってことを証明しなきゃいけないの!」
成程、それで、バイオリンの練習、か。
……泉の妖精はバイオリンを弾くのが仕事なのだろうか。いや、多分そうなんだろうが。
「証明、っていうと、試験でもあるのか?筆記試験か?或いは実技で、審査員の居る前で発表とかか?ならその審査員をぶっ飛ばしたら駄目か?あ、カンニング用の機械ならトラペザリアにたくさんあるぞ!」
「ち、ちがうよー!あの、試験って言っても、ディアモニスの『じゅけんせんそー』みたいな奴じゃないから!っていうか、仮にそうだとしても私はズルする気は無いよー!」
早速、話の腰を危ない方向へ折ろうとするオルガさんに対して、泉が慌てて釘を刺した。
「ははは、冗談だ!」
オルガさんが言うと、冗談に聞こえない。
「じゃあ、どういう『試験』なの?」
「えっとねー、私の演奏が『認めて』もらうの。だれか1人に、じゃなくて、『アウレの皆』に!」
泉の言う事が、なんとなく分かった。
「つまり、大勢の人に認めてもらう、っていう事だよな?」
「うーん……まあ、大体はそれで合ってるよ!……でも……うー、何が問題って、私が皆の前でソロで演奏できるほど上手くないってことなんだよー」
気になったので、泉に演奏してもらうことになった。
「……期待しないでね?」
泉はそう言うが、内心、期待してしまっている。
風呂場で昨夜聞いた弦の音色は、とても綺麗だったから。
泉はカウンターの上に立って、ぺこん、と一礼してからバイオリンを構える。
……そして鋭く一呼吸すると、弓を大きく引いた。
瞬間、音が溢れる。
泉の小さな体躯とミニチュアサイズのバイオリンからは考えられないような、強く鋭い音が、アラネウムの店内に響いた。
伸びやかに響く音は、冷たく透き通った水。
細かい音の連なりは激しく波打つ水面。或いは、激しい奔流。
短調の、悲しくも強く躍動感に溢れる旋律が、湧き出ては俺達に刺さる。そんな錯覚すら覚える。
……感想としては、『驚いた』に尽きる。
その音の、旋律の美しさに。
そして何より、天真爛漫で無邪気な、小さな……幼いと評してもいいような小さな妖精が、このように強く激しく鋭い演奏をする、ということに。
真剣な泉の表情は、今まで見た事の無いものだった。
小さな妖精の演奏中、俺達はひたすらじっと、弦の音に聞き入っていた。
「……っていうかんじなんだけれど……どーかなー……」
そして泉の演奏が終わって、俺達は言葉が出なかった。
「……や、やっぱり、あんまし上手じゃな」
「いいえ。すごく上手かった……驚いたわ」
アレーネさんが拍手を始めると、全員が我に返ったように拍手を始めた。
「えっ、えっ、あの」
「安心しろ、泉!芸術に碌に縁の無い私でも美しいと思ったぞ!」
「素晴らしい演奏でした、泉様」
半機械と機械にも好評なのだ。泉はもっと自信を持っていいと思うのだが……。
「……ありがと、えへへ」
だが、泉はどうにも、あまり自信が無いらしかった。
「私のお姉ちゃんたちは3人一緒にアンサンブルして、3人同時に『試験を受けた』の」
つまり、泉のお姉さん3人が広場で演奏していたように演奏して道行く人達に聞いてもらう、ということが『試験を受ける』ことになる、んだろうな。多分。
「……私のお姉ちゃんたちはね、私の試験の時には4人でカルテットしよう、って言ってくれてるんだ。それで、1人前になった後も、4姉妹で演奏しながら過ごそう、って」
そしてここで、泉が『一人前の妖精になることをすっぽかしていた』理由がもう1つ、分かってきた。
「お姉ちゃんたちはすごく演奏が上手だから、カルテットで試験を受けたら、絶対に一発で試験に通ると思う。でも……私は、お姉ちゃんたちとカルテットして、ずっとアウレで過ごすんじゃなくて……アラネウムに居たいって思ってるから……だから、お姉ちゃんたちとやる訳にはいかないー、って、思ってるんだけど……私と組んでくれる妖精、居ないだろうから……」
試験に確実に受かる方法がある。姉たちもそれを勧めてくれている。そして恐らく、泉は姉妹仲が悪いわけじゃないんだろう。だが、その方法をとる訳にはいかない、と。何故なら、泉はアラネウムに居たいから。
……だが、泉は1人で演奏して『試験に受かる』自信が無い、と。
もしかしたらそれは、楽器の上手い姉3人へのコンプレックスや、『私と組んでくれる妖精が居ない』という事、そして、姉の誘いを断る罪悪感によるものなのかもしれない。
「……って、それはいいの。私が……頑張るから。頑張って、1人で、なんとか……って、そうじゃなくて!あの、みんなにはアラネウムとアウレを行き来する小さいゲート作りを」
「私、ピアノなら弾けるわよ」
泉が俺達に依頼内容の詳細を話している途中で、突然、アレーネさんが泉を遮ってそんなことを言った。
「……え?」
「ああ、アレーネさん、上手だよね。私は……うーん、フルートとクラリネット?なら、ピュライに似た楽器があるから、自信があるよ」
続いて、ペタルも。
「電子楽器の類でしたら完璧に演奏してみせますよ、泉様」
さらにニーナさんからも声が上がった。
「……ということで、泉。何も、ソロでやる必要は無いんじゃないかしら?大勢の前で演奏するにしたって、1人でやるよりは大勢でやる方が、気が楽じゃない?」
「それに、失敗した時は皆で恥ずかしいよ。ね、どうかな、泉ちゃん。アラネウムとアウレを行き来する方法についてもお手伝いするけれど、もし泉ちゃんさえ良いなら、私達、『試験』だって手伝うよ」
泉はぽかん、としていたが……表情を歪めて、泣き笑いのような顔をした。
「……いいの?」
「アラネウムがどういう場所かは、泉がよく知っているでしょう?」
アレーネさんが優しく言葉を掛けると、泉は大きく1つ、頷いた。
「なら、今回の依頼内容はとりあえず、『アウレとアラネウムを行き来する手段の作成』と『アンサンブルの協力』の2つ、かしらね。……私とペタルとニーナは楽器ができるけれど、他のメンバーはどうかしら?」
今回の依頼内容がざっくり決まってきたところで、アレーネさんが他のメンバーに問う。
すると、イゼルが元気に手を挙げた。
「ぼく、ジターレならできるよ!」
「ジターレ?」
恐らく、ソラリウムの楽器なのだろうが……俺達はそれを知らない。説明を求めて、ペタルがイゼルに紙と鉛筆を渡す。
「ええと……こういうの」
イゼルが紙に描いたのは……ギターと琵琶の間のような楽器だった。つまり、弦を『はじく』楽器だ。
成程、イゼルが泉の姉たちの弦楽三重奏に聞き入っていたのは、自分も楽器をやるからだったのか。
「わー、私が知らない楽器!どんな音がするんだろー……」
泉はすっかり元気になって、ソラリウムの楽器に思いを馳せているらしい。
試験云々を抜きにすれば、音楽は好きなのだろう。泉の目はひたすらに輝いている。
「オルガさんはどう?」
「私は動作プログラムを組めばなんとかなるか。ドラムとか、打楽器系ならいけるかな。人間の限界を多少超える程度なら問題ないぞ!」
そしてオルガさんですら、演奏の手段があるらしい。半分反則のような気もするが。
「眞太郎は何かできるか?」
……そして。俺は。
「1つだけ」
音楽には詳しくない。まともに音楽を習った事も無い。小学校ではリコーダーの低いドの音がまともに出せなかった。
だが、1つだけ、割と自信を持って演奏できるものがある。
皆の視線が集まる中……特に、泉から輝く視線を向けられて、俺は答えた。
「定規です」
却下された。まあ、アンサンブルに向く楽器ではない。というか、そもそも楽器ではない。




