32話
ノエルさん改めニーナさんが正式にアラネウムの人員(本人は『所有物』だと頑なに言うが)になってから、俺達はバニエラの『オーバーラテラルゲート』によって被害を受けてしまった異世界へ向かって、環境の復旧に勤しむことになった。
ソラリウムのように日照りになっていた世界もあったし、バニエラのボットが迷い込んで暴れている世界もあった。
大体はひたすら『芽吹きの杖』を振るとか、火山に火種を放り込むとか、そういうことで済んでいたが……時々、バニエラのボットや現地のモンスターなんかと戦闘になることもあり、しばしばヒヤリとさせられた。
そんな日々を送っていると、嫌でも気づくことがある。
「ううう……ごめん、私は今回はパス、でいいかな……?」
拳で語り、筋肉で語り、汗と涙と血にまみれる世界に行ったときは、ペタルがダウンした。
「すまん、この世界は駄目だ……うっぷ」
砂糖の山に蜂蜜の川が流れ、金平糖の星が綿菓子の雲の合間に輝く世界では、オルガさんがダウンした。
「わーん!私だめ!これやだー!やだー!かえるー!おうちかえるー!」
どろり、と溶解したような容姿の生物がずるずると這い回る世界では、泉がダウンした。
「……ごめんなさい、ぼく、この世界、だめみたい……」
どこまでも何も無く、ひたすら鉄板敷きの床が続いている世界ではイゼルがダウンした。
「……」
「あ、ニーナさん、電源落ちちゃってるね……一回引き返そうか」
幽霊がふわふわ飛び交う世界では、ニーナさんが無言でシャットダウンしてしまった。
そんな中、俺はというと、一向に『駄目な世界』に当たらなかったのである。
「すごいよね、眞太郎。どんな世界でも平気なんだもん」
「シンタロー、お前、なんだってあんな甘ったるい世界で普通でいられたんだ……?」
「いや、何故、と言われても……」
幽霊が飛ぼうが、クリーチャーが這い廻ろうが、動植物が一切無かろうが、メルヘンに過ぎた世界だろうが、やたらと男臭い世界だろうが……俺は普通でいられた。
いや、流石に這い回るクリーチャーを見た時にはぞっとしたし、動植物が一切無い世界を見た時はかなり驚いたが……少なくとも、『立っていられない程のめまいや吐き気』だの、『生理的な拒否反応』だのは全く起こっていない。
……俺はどうやら、『相性の悪い世界』が無いらしかった。
「そうね。眞太郎君は……オールラウンダー、なんでしょうね。魔力が高かったり、身体能力に特段秀でていたりするわけではない代わりに、ありとあらゆることを全て少しずつできるんだと思うわ。ディアモニスの人であることが関係しているのかもね」
そう言ったのはアレーネさんであった。
「……マスター・アレーネ。ディアモニスの人は皆、眞太郎様のように全ての世界で生活できるのですか?」
「いいえ、ニーナ。そういう訳じゃないと思うわ。確かに、同じ世界の人なら苦手な世界の傾向は大体似るけれど、その人その人によって細かい違いはあるもの。……でも、ディアモニスが『中庸』であることは間違いないでしょうね。だから『アラネウム』はディアモニスに設置してあるのよ」
……言われてみれば、ペタルもオルガさんも泉も、イゼルもニーナさんも、アレーネさんも、皆ディアモニスで普通に生活しているな。
色々な異世界に行く度に誰かしらかがダウンすることが多い中、これは中々に珍しいことか。
「ま、確かにこの世界は割と緩いよな……」
オルガさんが頷いているが……緩いか?
「うん。ぼく、前お使いに行ったけれど、街の人皆、ぼくのこと怖がらなかった……」
……ああ、うん、緩いか。
何といっても、獣の耳と尻尾を持っているイゼルが道を歩いていても、『あらかわいい』ぐらいの反応しかないのだから。
恐らく、コスプレか、流行りの獣耳グッズか何かだと思われているのだろうが……そう考えると、大分、『緩い』。
銀髪に銀紫の瞳、という日本人離れした容姿のペタルも、『留学生かしら?』ぐらいの目で見られているし、逞しすぎる程度にガタイの良いオルガさんも『かっこいい姉ちゃんだな』ぐらいで済まされている。
泉は……見つかっても気づかれていないか、美少女フィギュアだと思われているのだろうし、ニーナさんは……青の髪を『オプティカル・トランス』なる機能で黒色に見せることにより、街に溶け込むことに成功している。この便利な『オプティカル・トランス』機能、燃費は良くないらしいのだが。
……ということで、なんだかんだ言って、ディアモニスも、俺も、異世界に対してまんべんなく相性が悪くない、という事が分かったのだった。
そういえば、アレーネさんも『相性が悪い世界』が無いらしい。
……アレーネさんについては未だに謎ばかりである。
そんなこんなで、文系大学生の暇をアラネウムでの活動で潰しながら生活していたある日の昼下がり。
「シンタロー、ちょっと時間ある?あったら下まで来てもらっていーい?」
アラネウム裏の居住空間内の俺の部屋に居たところ、泉が俺を呼びに来た。
「あ、うん」
俺の返事を聞いたのか聞いていないのか、ぱたぱた、と遠ざかる小さな足音を聞きつつ、珍しいこともあるものだ、と思った。
泉が用件をすぐに言わないことも珍しかったし、俺の部屋まで来ることも珍しかった。何と言っても、体の小さな泉は2階に来るのが中々どうして大変なのだ。
居住空間一階には、小さなリビングルームのような場所がある。
人数が増えた今、アラネウムのメンバー全員がここに収まることはできないので、食事などは全て店内の方を使っているが。
「あ、シンタロー!こっちこっちー」
そしてリビングルームの机の上では、待ちかねたように泉が飛び跳ねていた。
横のソファにはイゼルも座っている。
……珍しい組み合わせだな。
「どうした?」
「えっとねー、イゼルの装備、アウレに買いに行くんだけど。シンタローも、どーお?っていうお誘い!」
イゼルの装備。
……というと。
「えーとねー、イゼルって狼に変身できるでしょ?だからその状態である程度戦えるように、装備を整えよう、ってことになって」
成程。
確かに、現在のアラネウムで純粋な戦闘力を比較すると、イゼルの戦闘力は低い方……かもしれない。
何故なら、武器が無いから。
イゼルは狼に変身することで狼として戦うことはできるが、それ故に銃火器を使ったり、魔法を使ったりできる訳ではない。
その為、どうしても、他の面子と比べると戦闘力に欠ける部分があるのだ。純粋な運動能力だけならかなり高いのだが。
「イゼルがアウレと相性いいかは分からないけれど、アウレの道具の中には羽とか爪とかあるから、イゼルにくっつけたら戦いやすいかもねー、て」
……そう言われて思ったが、俺は『アウレ』……泉の故郷である世界に、行ったことがない。
泉のような小人がたくさん居る世界なのだろうか?いや、だとしたら、イゼルに合う装備が手に入るとも思えないのだが……。
「で、シンタロー、どう?興味ない?どうせまたアラネウムもカンコドリだし、一緒に行かない?行かない?」
……一度気になってしまった以上、どうにも収まりそうにない。
「行くよ。泉の故郷も見てみたい」
アウレ行きが決定した上で、俺とイゼルは泉からあるものを渡された。
「……ということで、これは絶対に外さないでね!」
渡されたのは、ミントグリーンの……綿、のようなものだ。細く柔らかな繊維が絡み合って、ふわふわとした感触を生み出している。
俺達はアウレに居る間、これを耳に詰めておかなくてはならない、らしい。
……理由はすぐに分かった。
「詰めたー?」
「詰めたよ」
「う、うん、大丈夫」
イゼルと俺がそれぞれ、ミントグリーンの綿を耳に詰めると、泉が確認してきた。
……綿が耳に詰まっているだけあって、音が若干聞こえにくい。
だが不思議なことに、圧迫感や熱のこもるかんじは全く無かった。
「じゃ、いくよー!……『泉』!……どう?」
そしてこの綿を耳に詰めておくと……。
「『泉』、と、聞こえた」
「ええと、ぼく、意味は分かったんだけれど、聞こえ方は……よく分からなかった。で、でも意味は分かったよ!」
……以前、泉が泉の本名をアウレの言葉で口にした時、全く聞き取れない上に、聞いているとだんだん頭がぼんやりしてきた。
だが、このミントグリーンの綿を耳に詰めておくと、アウレの言葉を聞き取ることができるのだ。
「あー、イゼルの耳はおっきいもんね。もうちょっと詰めた方がいいかなー……」
そして、言葉の意味は分かったものの音を聞き取ることはできなかったらしいイゼルは、頭に生えている狼の耳にもう少し綿を詰められて、泉の言葉の聞こえ具合を数度確かめられた。
そのうち、耳に詰める適量が分かったらしい。イゼルも無事、アウレの言葉を聞き取ることができるようになったらしかった。
「ということで、分かってると思うけど、アウレでこれ外したら、シンタローもイゼルも、頭ぼんやりらりらりぱー、になっちゃうから気を付けてね!」
「ああ、分かってる」
「う、うん。気を付ける……」
泉のアウレ語を聞いた時の感覚はよく覚えている。『頭ぼんやりらりらりぱー』とは言い得て妙、というか……字面の間抜けさも相まって、まさにそんなかんじである。
「じゃ、ペタルがお仕事終わったら4人でアウレ行ってこよー!」
「あ、ペタルも一緒なの?」
「うん!じゃないと『世界渡り』できないから!……えっ、何、シンタロー」
……一応、俺も『世界渡り』のブローチは使えるのだが……。
だが、あれはペタルの物だし、ペタルが一緒の方が何かと心強いか。
そしてそれから30分程度で、ペタルは喫茶アラネウムのウェイトレスの仕事から上がってきた。
夕方から夜にかけてはニーナさんがウェイトレスを務めているらしい。そういえば、ニーナさんは本来、接客・サービス業用のアンドロイドなのだったか。その割にはエラーのせいか、無表情な事が多いニーナさんだが。
「おまたせ。じゃ、行こうか」
ペタルの支度は5分とかからなかった。
部屋から出てきたペタルと合流して、俺と泉とイゼルとペタル、4人で手を繋ぐ。
「アノイクイポルタトコスモス、トオノマサス、『アウレ』!」
そしてお馴染みの落下感に身を任せて、俺達はアウレへ向かったのだった。




