3話
……という訳で、約束通り、ペタルに魔法で怪我を治してもらいながら、『オルガさん』の帰りを待つこと1時間弱。
「ただいまー!なんとか片付けてきたぜ!」
カラリ、とドアのベルが鳴ったかと思うと、女性が身を屈めるようにして入ってきた。
……そう。身を屈めるようにして。
入ってきた女性はとにかく、長身だった。俺よりでかい。年齢も俺より上だろう。
更に、インドア派の俺なんかよりも遥かに鍛えているのであろう肉体と相まって、視界の圧力を生じている。
ただ伸ばしただけ、というような乱雑な茶髪も、精悍と言っていいほどの顔立ちの中に収められた琥珀の目も、そして何より、非常に主張の激しい胸部も。
全てが肉食獣のような野性味あふれる逞しさと美しさに溢れ、兎角、視界の圧力を生じていた。
視界の圧力を生じていた。
「お?お前、新入りか?」
そして、俺に近づいてきて、俺を物理的に見下ろしつつ、にやり、と笑う彼女は……とにかく、圧力。圧力の塊だった。
「お帰りなさい、オルガさん」
「おう、ただいま、ペタル。……で、お前、さっき襲われてた奴だよな?」
「峰内眞太郎です。当分ここでお世話になりそうで……」
俺が自己紹介をしかけた刹那、俺の肩に硬いようで柔らかい腕が回されていた。
「分かった!つまりアレだろ!新入りだろ!」
なんか違う。
なんか違うが、訂正するよりも先に快活な笑い声が降ってきて、俺の訂正はキャンセルされた。
「これからよろしくな、新入り!……で、名前なんだっけ?」
「眞太郎です。峰内眞太郎」
「そうか!私はオルガ!オルガ・テレモータ!『トラペザリア』の人間だ!よろしく、シンタロー!」
……こうして俺はオルガさんとの邂逅を果たした。
成程、確かにこの人は強そうだ……。
「オルガさん、今からちょっと眞太郎と一緒に眞太郎の家まで荷物を取りに行ってくれないかな」
それからペタルが俺の現状をざっと説明すると、オルガさんは俺の家まで同行することを快諾してくれた。
見た目で結構びびったが、オルガさんはとても気の良い人らしかった。
ペタルは念のため留守番、ということで喫茶アラネウムに残り、俺とオルガさんだけで俺の荷物を取りに行くことになった。
「シンタローの家はどこだ?」
「えーと、正直、ここの場所がまず分かってないので……駅の東口の方なんですけれど」
「駅?ああ、ならこっちか。……シンタロー、道を覚えるのは苦手か?」
「いや、人並みだと思いますよ」
単に、アラネウムの場所を把握していなかったのは、俺自身が無我夢中だったせいと、ペタルが道なき道を通ってきたせいだ。
普通に頭が働く状態で普通の道を通れば、普通に道を覚えられると思う。
「そうか。ならしっかり道を覚えろよ?忘れたらアラネウムには二度と戻れないかもしれないからな!」
オルガさんは笑いながら俺を誘導し……。
「……ここ、道なんですか?」
「ああ!」
ペタルが通ったのと同じように、道なき道……ブロック塀の上や、民家の屋根の上など……そういう道を通り始めた。
……覚えられるだろうか。
そうして延々と道なき道を通った後、やっと見覚えのある場所に出た。
この駅前通りなら、俺もよく知っている。
「アラネウムはアレーネの魔法で隠されてるんだ」
「魔法」
案外、周りへの気遣いができるらしいオルガさんは、声を潜めて教えてくれた。
「だから、アラネウムは普通に行ける場所じゃない。特定の場所を通って魔法に従わないと、アラネウムには辿り着けない」
「……それ、喫茶店やバーとしては致命的なのでは?」
だがしかし、納得はできる。
昼間にもかかわらず、俺以外に来客の無かった喫茶店。あれはどう見ても閑古鳥だった。
「それが、上手い事できてるらしいな。私は魔法を使えるわけじゃないからよく分からんが。アレーネは、『お茶を飲みに来たい人とお酒を飲みに来たい人なら来られるわよ』ーって言ってたか?」
が、魔法は何でもアリらしい。
便利なフィルター機能を搭載しているとは恐れ入る。
「ということは、お茶ないしはお酒を飲みたい敵が居たら?」
「来る!」
ずっこけそうになった。
フィルター機能、駄目駄目じゃないか、それ。
「が。まあ、つまりそういう奴は案外話が分かる奴ってことだし、そうでなくても休憩を欲してる敵、ってことだからな。話し合いで丸め込むにしろ、実力行使で伸すにしろ、なんだかんだ上手くいってるぞ」
「……そんなもんですか」
「そんなもんだ!」
言って、オルガさんは快活に笑い声を上げた。
……『魔法』というものは案外、緩くできているらしい。
「あそこのアパートの103号室です」
「ボロイな」
「言わないでください」
そうこうしている内に、俺の家に着いた。
俺の家は安いワンルームアパートの一室である。
「何か運ぶものがあれば手伝ってやるが、部屋の中に入られなくないなら外で待ってるぞ。どうする?」
部屋の中にある物を思い出す。
……見られてまずい物はあまり無い。というか、そもそも物がほとんど無い部屋だ。
が、出しっぱなしにしている布団だとか、洗わずにシンクに放り込んであるままの食器だとか、そういうだらしない生活の片鱗が残っていることは間違いない。
「あー……外で待っていてもらってもいいですか?」
「ああ!シンタローも男の子だもんな!」
何か誤解されているが、快活な笑みを浮かべるばかりのオルガさんに言い訳しても、「いいっていいって分かってるから」みたいな反応をされそうだったので、せめてさっさと荷物をまとめてしまう事にした。
部屋の中に入って、とりあえず、布団を3つ折りにした。それから、シンクに放り込んであった食器類を簡単に洗って片付ける。
当分使わないことになるのだろうし、できるだけ部屋の中は綺麗にしていきたい。
それから、大学で使う教科書や筆記用具、ノートPCや充電器、といった道具を通学に使っている鞄に詰め込み、ここへ越してくる時に使ったキャリーケースに衣類や日用品、貴重品などを詰め込む。
詰め込む、と言っても、所詮は物の少ない部屋だ。そんなに時間もかからず、荷造りは終了した。
あまりオルガさんを待たせるのも申し訳ない。早く出よう。
……そう思って、荷物を持って玄関へ向かった。
途端。
「伏せろッ、シンタロー!」
玄関のドアが勢いよく開き、身を低くしたオルガさんが飛び込んできた。
「うわっ」
突然のことだったが、俺の頭上を越えていったオルガさんを見送るや否や、すぐに身を伏せることはできた。
……瞬間、衝撃。
窓ガラスが甲高い音を立てて割れ砕け、窓のカーテンがバサバサとはためき、部屋の中の少ない道具が吹き飛ばされ、俺自身もまた、凄まじい風と衝撃に晒された。
……突風と衝撃が収まって顔を上げてみれば、ちゃぶ台を盾にしながら構えるオルガさんが居た。
そして、オルガさんの眼前には、窓を割って入ってきたらしい人が2人。
2人が構えている刃物が、ぎらり、と光った。
「……シンタロー、道は分かるな?」
「……はい」
「そうか、なら行け。荷物は任せろ。後から運んでやる!」
オルガさんが言うや否や、俺は玄関から駆け出した。
背後で凄まじい音が響いたが、それもじきに遠ざかり、聞こえなくなった。
走るのは本日2度目になる。
そして、この道を通るのも、多分。
しかし1回目とは違い、今の俺は怪我は完全に治っているし、体力も回復している状態だ。
頭もちゃんと働いている。記憶はしっかりしている。オルガさんと通ってきたルートを、記憶を逆再生しながら辿っていく。
道とも言えない道なき道を飛んで走って駆け抜ける。
コンビニの裏、ブロック塀の上、ゴミ捨て場横の裏通り。
そして最後に、建物と建物の間らしい狭い道を抜ければ……。
「見つけたぞ!」
見えてくるはずの喫茶アラネウムは見えず、代わりに、頭上から声が降ってきた。
なんとなく嫌な予感がしてその場から離れると、直後、さっきまで俺が居た場所が炎上する。
「大人しくしろ、アリスエリア!」
そして俺の前方には、さっきの黒スーツの人ではなく、白いパーカーのようなものを着ている人。
考えるより先に、来た方へ向かって走り出すと、すぐにそちら側からも白パーカーがやってきた。
「逃げ場はないぞ?」
……挟まれた。
じりじり、と、距離を詰められる。
謎の人物に襲撃されるのも本日2度目だ。これはできれば二度と体験したくなかった。
「……1つ、先に言っておこう」
だが、2度目だ。
体験したくなかったけれど、2度目だ。
2度目ともなれば、1度目にはできなかったこともできるようになっている。
ましてや、『やれば生き残れる可能性が上がる』と、自分で信じられることならば、尚更。
「俺はペタル・アリスエリアじゃない」
「とぼけても無駄だ」
「ならばもう少し教えてやるよ」
……そう。
この状況で、俺が唯一やるべき事。
それは、時間稼ぎだ。
ペタルでも、オルガさんでもいい。
多分、正しい道を通ったのにアラネウムに辿り着けなかったのは、アレーネさんが何かしたからだろう。
なら、ペタルにもこの状況が伝わっていておかしくない。
オルガさんも、俺の部屋に襲撃してきた2人を片付け次第、追いかけてきてくれるだろう。
だから、時間を稼げば、とりあえず今のところ味方だと言えるであろう2人がやってくるはずだ。
……できるだけたっぷりと時間をとって、台詞を言う。
「俺は『ピュライ』の人間じゃない」
俺の前後から迫る白パーカー2人は、じりじりと迫りながらも、俺の言葉を慎重に聞いている。
長いような短いような時間を耐えて、耐えて、それから、更に次の台詞。
台詞はできるだけ、意味がありそうで無いものを選ぶ。相手にとって何が『意味ありげ』なのかも分からないまま、時間稼ぎのためだけに頭をフル回転させて、表情筋を律して、竦みそうになる足を叱咤する。
「更に言えば、アラネウムに所属してもいない」
……あとどのくらい時間を稼げばいいんだろう。
焦りばかりが募る中、時間が嫌にゆっくり過ぎていく。
「それから、俺は」
そして遂に、その時は訪れた。
「眞太郎!」
上空から声が降ってくるとすぐ、俺の周りに見えない何かが飛び、白パーカー2人を気絶させた。
倒れた白パーカーの脇に、ふわり、とペタルが着地した。
「眞太郎、大丈夫!?怪我は?」
「ああ、大丈夫。……助かったよ」
とりあえず助かった、だろうか。
安心したら気が抜けて、途端、ここまで走り抜けてきた疲労がどっとあふれ出してきた。
「間に合ってよかった。この辺りの事は全部、アレーネさんが感知してるから。すぐに飛んできたけれど、間に合わなかったらどうしようって……」
だが、俺以上にペタルの力が抜けてしまったらしい。
その場に座り込んで、ペタルはふにゃり、と笑みを浮かべた。
「とりあえずここから離れよう。すぐに次の奴らが来ると思う。あんまり数が多いと、私も対処できないから……」
1分に満たない程の休憩を挟んだら、すぐにペタルは立ち上がった。
「アラネウムまでの道はまたアレーネさんが繋げてくれると思……」
しかし、立ち上がるや否や、その表情を硬くする。
「眞太郎、こっち!」
そして、俺より小さな体が俺の体を引き寄せると、俺の背後を矢のようなものが飛んでいく気配があった。
「……随分、早いね」
俺が振り返ると、そこには白パーカーの連中が10人以上迫ってきていた。
白パーカーの連中は着実に俺達に近づいてきている。
そして反対側からも、もう10人程度。
ペタルの顔を見ると案の定、苦い顔をしていた。ついさっき、『あんまり数が多いと対処できない』と言っていたばかりだしな。
「……逃げるか?」
「ううん、ちょっと、走って逃げるのは現実的じゃ、ない、よね……」
逃げ道は無い。不意を突いて間を抜けられる程、白パーカー達も無能ではないだろうし。
「……でも、逃げるしか……じゃあ、これしかない、か」
ペタルは唇を噛むと、襟のリボンに着けていたブローチを素早く外して握った。
そして、もう片方の手で俺の手を強く握ると、俺の目を見つめる。
「眞太郎。今から、絶対に、私の手を離さないで」
何かが起こる予感はした。
だが、具体的に何が起こるのかも分からないまま、ただ俺はペタルの手を強く握った。
「行くよ、眞太郎!」
ペタルの銀紫の瞳の中に、一瞬、金色の光が走った。
「アノイクイポルタトコスモス、トオノマサス、『ピュライ』!」
……ペタルが鋭く叫ぶと同時に、俺の視界は揺らぎ、ぼやけ……そして、足元が消え失せ、俺達は落下し始めた。