29話
そしてよく眠った翌日。
「アノイクイポルタトコスモス、トオノマサス、『バニエラ』!」
俺達は再び、例のコンピュータ世界……『バニエラ』へと向かったのだった。
「おお、ここが『バニエラ』か!……成程、トラペザリアに似てもいるが……どちらかと言えばピュライ寄りのような気もするな!」
ソラリウムではグロッキーだったオルガさんも、バニエラでは正常に活動できるらしい。何よりである。
「本当に戻ってきたのですね」
俺達は、小型飛行機を停めてある場所に直接『世界渡り』してきた。正常に活動できる状態でなら、ペタルは『世界渡り』での到着地点をミリメートル単位で制御することが可能らしい。
そしてそこでは、ノエルさんが小型飛行機を整備しているところだった。
「ええ。一度引き受けた事だもの。それに、私達の『信条』に照らし合わせれば、マスターコンピュータのシステムエラーを修正することは私達がやるべき事よ」
アラネウムの行動基準。
1、その世界での破壊や死傷を最小にすること。
2、その世界のあらゆる利害を考慮して行動すること。
3、『人』を優先すること。
4、最善を尽くすこと。
5、依頼者の依頼は必ず叶えること。
……今回のケースだと、4番目の基準によって、ソラリウムの干ばつの原因を排除することになる。
そして、それに伴ってこのバニエラで『世界の破れ目』を生み出したと思われるマスターコンピュータのシステムエラーを修正する必要があり……2番目の基準によってマスターコンピュータの利害とノエルさん達、バニエラの人達の利害、そしてソラリウムの利害を考えた結果……3番目の基準によって、『人』ではないコンピュータに割を食ってもらうことになる。尤も、コンピュータが自身のシステムエラーを喜んでいるか、というと微妙なラインだが。
「……よく分かりませんが、協力して頂けるならそれ以上は望みません。……ところで、そちらの方は?」
「オルガ・テレモータだ。よろしく頼む、ノエル……ん?」
オルガさんはノエルさんと握手して、不思議そうな顔をした。
「どうかされましたか?」
「……いや、何でもない」
だが、オルガさんはそれ以上特に何を言うでもなく、笑って誤魔化した。
……珍しい。
「では今回のルートですが」
何はともあれ、俺達は例のソファがたくさんある一室で3Dの地図を見ながらノエルさんの説明を聞いていた。
「この街の中心にマスターコンピュータのコントロールルームがあります。そして当然、セキュリティシステムはとても堅牢です。周囲にある8か所のガードルームが中央塔のゲートを守っています」
地図の中心には一番高い建物があり、その周囲に8つ、やや低い建物が円状に並んでいる。
……もしかして、この8か所を全部なんとかしないといけない、ということか?
「ですから、私達はこの8か所にあるガードルームにそれぞれ侵入し、内部のシステムにこのウイルスを」
「あ、ちょっとまって、ノエルさん」
ノエルさんは俺が予想していた通り、8か所のガードルームを全てどうにかする予定だったらしいが……ペタルが挙手でそれを遮った。
「あの、できるよ。いきなり中央塔に潜入、できると思う。その代わり、明日まで待ってもらった方がいいと思うけれど」
「……え?」
ペタルは。
ペタルは、こと『世界渡り』に関しては……類稀なる適性を持つ、らしい。だからこそ、ピュライの中でも珍しく『世界渡り』のブローチが使える訳だ。(俺は例外なのだ。あくまでも。)
そしてペタルはその素質と本人の努力故に……『ミリメートル単位の正確さで世界渡りをすることができる』。
つまり……移動したい場所が正確に分かっているのなら。また、それ用に対策されて結界が張ってあったりする場合を除けば。
ほとんどの場合において、『移動の問題は皆無』なのである。
ということで、俺達はノエルさんを連れてもう一度ディアモニスに戻ってきた。
……もしかしたら、バニエラからバニエラへ『世界渡り』することは可能なのかもしれないが、やったことが無い事をやるのはリスクだし、そのリスクを冒す必要が特段無い以上はこれが賢明な判断だろう。
行ったり来たり、若干冗長ではあるが……こればかりは仕方ない。
「不思議な場所ですね。私達の世界ではもう失われたものがたくさんある」
そしてノエルさんは、アラネウムの店内を興味深げに見て回っていた。
カウンターの奥に並べられた紅茶の缶、コーヒー豆、サイフォン、磨かれたケトル。
艶やかな木製のカウンター。壁に飾られたアンティークの壁掛け鏡。窓に嵌めこまれた歪みのある色ガラス。
「……綺麗」
ノエルさんは特に、カウンターの隅や窓辺に飾られた生花に興味を示した。
そういえば、バニエラでは(いや、ノエルさんの居る街だけなのかもしれないが)、『薔薇』はもう失われているのだったか。
ノエルさんは無表情で落ち着いていて冷静で……いっそ無機的なかんじすらする人だが、こうして花を見ているところを見ると、その印象が和らいだ。
「……どうしましたか?」
「いえ、なんでも」
ノエルさんの横顔を見ていたら、不審がられたらしい。尤も、ノエルさんの表情は無表情に限りなく近いものだったが。
……だが、花を眺めていたノエルさんを見た今となっては、彼女の『不審がる』様子に、どこか彼女の人間性を感じられるのだった。
「そうだ、折角だから一緒に食事を摂らない?どうせ魔力充填まで時間がかかるのだし……」
アレーネさんが早速ケトルにお湯を沸かし始めながらそう提案すると、ノエルさんは花から視線を外し、首を傾げた。
「魔力充填?それは時間がかかるものなのですか?」
「うん。空中にある魔力を集めなきゃいけないから……ディアモニスでなら、6時間もあれば片道分は大丈夫なんだけれど……」
ノエルさんは考えるように沈黙した後、腰のベルトに付いているポーチから、小さな白い四角形の物体を取り出した。
白い四角形は親指2本を横に並べたくらいのサイズだろうか。端に銀色の部品が付いているが、これは一体何だろう。
「でしたら、これを。バッテリーパックです。一般的に市販されているものですが」
……つまり、電池か。いや、魔力池か。
成程。バニエラはピュライで言うところの魔力を俺達で言うところの電力のように用いている世界だから、当然のように電池めいた代物もある……のか?
一応、ピュライでも充電池のようなものはあるし、それをペタルは使っているが、その充電池への充電にもかなりの時間がかかるという事は証明済みであり……。
「……試してみるね?」
ペタルが恐る恐る、といった様子でバッテリーパックの端の銀色の部品をブローチに当てると……ばちり、と一瞬、光が弾けた。
しかし、その後は落ち着いた様子で着実に、ブローチの中に星が浮かんでいく。
「うわあ……で、できちゃった……」
そしてバッテリーパックを7つほど消費した頃、ブローチの中には7つの星が輝くようになったのだった。
今までの苦労は一体なんだったのだろうか。
多分、俺の愕然はペタルの愕然のほんの何十分の一かなのだろうが……それでも十分に、愕然としている。
主に、初めて『世界渡り』した時に、この魔力充填の待ち時間のせいでペタルの兄と邂逅して危うく殺されかけたという経験のせいで。
「ははは、これが異世界間ギルドの醍醐味なんだよなあ!」
「そうね。……まさか、ここまで都合よくピュライと相性のいい世界に出会えるとは思っていなかったけれど」
……もしかしたら。
俺は今後、特に使用回数の制限なんて考えずに、ピュライの魔道具を使えるようになるかもしれない。
ということで、俺達は再び、バニエラへ向かうことになった。
勿論、移動する先はさっきノエルさんが説明してくれた中央塔の中だ。
「中央塔の内部へ侵入することができたとしても、内部にもセキュリティボットはあります。当然、侵入者である私達を抹消しようとするはずです。しかし相手はボットです。遠慮なく破壊して下さい」
「そうね。……私達、できれば死傷や破壊は最小限にしたいのだけれど、今回ばかりは襲ってくるボットの破壊は『最小限』の中に入りそうだわ」
アレーネさんがため息を吐きながらそう言うと、オルガさんがガッツポーズをした。嬉しそうで何より。
「どんなに長くても、10分で作業を終了させますので、その間の戦闘はよろしくお願いします」
「ああ!20分でも30分でも問題ないぞ!」
「まかせてー!」
ノエルさんはこうして一通り説明を終えて、広げていた地図を片付けた。
「……ああ、それから、ですが……システムエラーの修正が終わりさえしたなら、私の身は守って頂かなくて結構です。私に何かあった場合は……そうですね、皆さんにお預けしているものを報酬としてそのままお譲りします」
……少し引っかかるが、とりあえず、ノエルさんに何かあった時は俺の光線銃と泉のナイフ、ペタルに渡された大量のバッテリーパック、そして俺とペタルが着けている『偽造パーミッション』が報酬になる、ということか。
光線銃は素直にありがたいな。少なくともディアモニス内では使えそうにないが、他の世界は大体銃刀法が無いか、あってもとても緩い。異世界間よろずギルドに所属する身としては、別に自分の世界で使えないからといって、その武器を使わない理由も無い。
疑似コイルガンが壊れてしまった今、新しい武器は欲しかったし、丁度いいかもしれない。
……勿論、ノエルさんに『何かあった時』なんて来ない方が良いのだが……やはり何か、引っかかるような気がする。
「分かったわ。……じゃあ、早速行きましょうか。ペタル、お願い」
「うん。アノイクイポルタトコスモス、トオノマサス、『バニエラ』!」
……そして、俺達は再び、バニエラへと向かったのだった。
いつも通り、落下している感覚の直後、俺の足はもう別の世界の地面を踏んでいた。
……いや、地面、と言うよりは、床、なのだが。
金属なのかプラスチックなのか、はたまた全く別の素材なのか。とにかく、人工的にまっ平らな床を踏んで、俺達はバニエラのマスターコンピュータのコントロールルームの中に居た。
目の前にそびえている箱は、暗く鈍い金属光沢を放つ金属でできている。
……目の前の巨大な金属の箱の数々は恐らく、コンピュータの部品なのだろう。だが、文系の俺には今一つ、それが何のための部品なのかは分からない。
「問題なく到着できたようですね……」
だが、俺が分からなくても問題ない。
ノエルさんは箱のうちの1つを動かして、そこに複数のモニターとゴーグルのようなもの、そしてキーボードのようなタッチパネルのような……操作端末らしいものを出現させた。
「では、申し訳ありませんが、10分程、よろしくお願いします」
そして、ノエルさんがゴーグルのようなものを装着して、操作端末を操作し始めると同時に……部屋の周囲の壁が開いた。
『未許可のアクセスです。未許可のアクセスです』
アナウンスとブザーが鳴り響き、開いた壁からぞろぞろと、機械の兵士が入り込んでくる。
『侵入者を排除します』
ぞろり、と、大量の銃口が俺達に向けられる。
「ふふふ……この程度でやられる『アラネウム』だと思うなよっ!」
そして、オルガさんが吠えるように叫んで床を蹴り、機械の兵士の中からレーザービームが放たれ……俺達の戦闘は幕を開けた。




