22話
『世界渡り』の浮遊感にもそろそろ慣れてきた。何と言っても、本日だけで3度目なのだから。
例の如く、足元が消失するような感覚の後、俺達は落下して……そして、土を踏みしめていた。
「ここが『ソラリウム』……」
だが、俺達が踏みしめた土は乾いてひび割れ、生命の気配を宿していない。木は多いが、そのほとんどが枯れ木だ。
そんな中、枯れ木の枝の隙間から覗く空はひたすらに青く晴れ渡り、眩しすぎる程の陽光が燦燦と大地を照らしている。
「成程な。これは食料が足りなくなるわけだ」
「日照りだねー」
枯れた木も、痩せた土地も、干ばつのせいか。
……こんな有様でよく今まで生き延びられたな。
「……う」
辺りを見回していると、オルガさんが口元を抑えて蹲った。
「お、オルガさん?」
「だ、大丈夫だ。食道を封鎖した、吐きはしない……」
大丈夫、という言葉の割に、オルガさんの顔は青白い。
「……オルガは『ソラリウム』に合わないみたいね」
ああ、そういえば前にピュライに行った時、ペタルが言っていたか。
『その世界が肌に合わない人も居る』と。
……今回の場合、オルガさんは『ソラリウム』に体質が合わないんだろう。
「す、すまないが今回私は動けそうにない……」
「どうしよう。一回ディアモニスに戻る?」
「いや、そうしたらもう一度『世界渡り』して『ソラリウム』へ来るために魔力充填を待たなければいけないだろう?私は大丈夫だ、スリープモードに入っておけば多分耐えられる……」
オルガさんはそう言うと、俺達から少し離れた場所まで這いずっていき、そこで何かを設置した後、横になって目を閉じた。
……そして、それきり、すっ、と溶けるように見えなくなった。多分、『カメレオン・ステルス機能』なのだろう。
「寝ちゃったねー」
「オルガはこういう時に便利よね……」
成程、オルガさんは肌に合わない世界ではこうやって対処しているらしい。
「じゃあ、オルガには悪いけれど、オルガはここに置いていきましょうか」
「大丈夫なんですか?」
オルガさんを置いていく、という事は、この未知の世界の危険に晒す、ということになりかねない。
いつものオルガさんなら何ら問題ないだろうが、スリープモードのオルガさんを置いていって大丈夫なんだろうか。
「大丈夫よ。……ああ、眞太郎君。今、オルガの周りに近づいちゃ駄目よ」
「多分、いっぱい地雷とか設置してあるよー」
……成程。さっきオルガさんがせっせと設置していたのはそういうものか。
それから俺達はイゼルの案内で、イゼルの仲間たちが居る場所へと向かった。
少し歩き続けると、やがて、小さな集落のような場所に着いた。
……いや、集落『跡』、と言った方がいいかもしれない。
木と石で造られた簡素な建物は所々壊れ、どこかもの悲しく見える。
「集落、だな。イゼル。ここか?」
「ううん……昔住んでた場所だけど、今は別の所に皆いるよ……」
イゼルは警戒するように辺りを見回して、それから、足元を探り始めた。
俺達が見守る中、イゼルは地面に積もった枯れ葉や枯れ枝を退かし……その下にある木戸を開いた。
「ここ。急いで入ってね」
狭い木戸の中にまず俺が入り、次に食料を中に入れ、俺が受け取り……そして、最後にペタルと泉とアレーネさん、そしてイゼルが入りながらまた枯れ葉や枯れ枝を集めて、うまく木戸を隠しながら閉じた。
「こっち。皆、奥に居るから……」
イゼルが駆け出す方へ俺達も向かうと……そこには、またピュライとは違う方向へファンタジックな光景が広がっていた。
「みんな!ご飯!ご飯だよ!」
イゼルの声に起き上がる人達は、皆それぞれ、頭に色々と生えていた。
主に、耳とか、角とか。
……獣人、とでも言えばいいのだろうか。
「イゼル・ルー!どこへ行っていたの!?」
その中の1人……頭に白いウサギの耳が生えた女性が跳ねるようにやってきた。
「ロシュ・ラピ!……あの……よく分からない……」
「わ、分からないって事はないよね!?」
「ううん、そ、その……隣の、集落に行ってきたんだけれど……追いかけられて……気づいたら、この人達の所に……?」
ロシュ・ラピと呼ばれたウサギ耳の女性は、そこでやっと俺達に気付いたらしい。
「……ぴゃっ!?」
だが、非常に驚かれた。
ロシュ・ラピさんはびっくりして小さく飛びあがり、その後は豊満なボディを小さく丸め込んで、俺達を警戒し始めた。
……非常にウサギっぽい。いや、俺は実物のウサギなんて幼稚園生の時に行ったきりの動物園のふれあい広場で見て触った程度なのだが。
「あっ、あっ、悪い人じゃないよ!この人達、ご飯を持ってきてくれたんだ!」
だが、イゼルが運んできた食料のタッパーを1つ取り、ロシュ・ラピさんの目の前に置くと、ロシュ・ラピさんの反応は大分変わった。
「……大丈夫?本当に大丈夫なの?イゼル?」
「大丈夫だよ。私も一緒に作ったから、毒は入ってないよ」
タッパーを開くと、ふわり、と香ばしく焼けた肉の香りと香草の香りが混ざって広がる。
イゼルが持って行ったタッパーは鶏肉の香草焼きのタッパーだったらしい。
……1つ目のタッパーとしては、大正解だったかもしれない。
ふわりと広がった美味そうな香りは、地下に居たたくさんの獣人たちにも届き、彼らの興味を引き、彼らの警戒を薄れさせた。
「まだまだあるよー!」
泉が小さな体でぴょんぴょん跳ね回って、並べられたタッパーの蓋を次々に開けていく。
それに伴って、次第に俺達の周りには獣人たちがたくさん集まってきていた。
「たくさんあるから、遠慮せずに食べてね」
ペタルは魔法を使ってタッパーの中身を温め直しながら、獣人たちに手渡していく。
取り分けるように使い捨ての食器類も配ると、次第に人々の手には食事が行きわたっていった。
それからしばらく、俺達は彼らがひたすら飲み食いする様子を眺めていた。
イゼルの飢えかたを見ては居たが、それ以上に飢えている人も居たらしい。喋りもせず、一心不乱に食事を食べる姿は、どこか痛ましくもあった。
イゼルはと言うと、どうやら先程のミネストローネでは食べ足りなかったらしい。食事を見てもじもじしているのをアレーネさんが見つけて、一緒に食事を摂るよう促すと、すぐに獣人たちの中に入って、食事を頬張り始めた。
「お腹減ると元気でないもんねー」
その様子を眺めながら、泉は嬉しそうに、ほっとしたように、ため息とともに零した。
「私もすごくお腹空いたことあるからわかるよー。お腹減ると悲しいよね」
「そうだな」
俺は現代日本人故に、死ぬほど飢えた事はない。栄養失調になったことも……多分無い。
だから『ソラリウム』の獣人達の心境は計り知れないが、泉の言うところの『お腹減ると悲しい』はなんとなく分かる。
「はー、いっぱいお料理して疲れちゃったけど、がんばってよかったー!」
泉は実に素直な感想を述べると、干し草で作られたクッションの上にぽふん、と寝ころんだ。
……こういうところが泉の美徳なのだろう、と思う。
「……どうだろう。原因があるとは思うけれど」
「さっき、イゼルが言っていたことも聞いてみた方が良さそうね。『隣の集落に行って、追いかけられて』、だったかしら。気になるわね……」
そして一方、ペタルとアレーネさんは人々の輪から離れた場所で、ひっそりと話していた。
「どうしたんですか」
近づくと、2人は一瞬警戒したものの、俺だと分かると警戒を解いた。
「ああ、相談していたの」
相談。
……何の、だろうか。
「……そうね。眞太郎君にも聞いてみようかしら」
俺が不思議に思ったのが伝わったのか、それとも元々そうする気だったのか。アレーネさんは、俺に小さい声で話しかけた。
「眞太郎君。眞太郎君は、この『ソラリウム』。どうするべきだと思うかしら?」
「……どうする、って」
質問の意図を量りかねて聞き返すと、ペタルが小さくため息を吐いた。
「アレーネさんは端折りすぎだよ。……というか、眞太郎はそもそも、まだ正式にアラネウムのメンバーじゃないし……ううん、ここまで引きずり込んでおいて、それも勝手な話だけれど……とにかく、説明はしなきゃ」
「それもそうね」
ペタルとアレーネさんは2人で頷きあうと……アレーネさんは懐から、きらり、と輝く何かを取り出した。
「それじゃあ、改めて眞太郎君。こんな場所でアレだけれど、正式にアラネウムのメンバーにならない?」
アレーネさんの手のひらの上で輝くそれは、精緻な細工を施され、芸術品として不足の無い……小さな糸巻きだった。
ただし、ミシン糸などを巻く縦長の円柱形ではなく、平べったい……メジャーとか、セロハンテープとか、そういうものを思わせる形状をしていた。
円盤は親指一本分の直径も無い程のサイズだが、きちんと糸巻きとして機能しているらしい。円盤2枚の間には、きちんと糸……のようなものが巻かれている。
きらきら光っていたのは、巻かれた透明かつ極細の糸……のようなものだ。触れれば溶けるような感触があり、触っているのか居ないのか、よく分からない。糸の先端がどこにあるのかも、よく分からなかった。
「これは……?」
「アラネウムのメンバーの居場所を探すための物よ。世界を超えていても、ある程度時間を掛ければ必ず見つけ出すことができるの。……そうね、『アラネウム』のメンバーの証拠、みたいなものでもあるかしら」
よくよく見ると、糸巻きの円盤の装飾は、『蜘蛛の巣』をモチーフにしたものらしい。
「どう?もし眞太郎君にその気があるなら、受け取って頂戴。勿論、断ってくれても一向に構わないわ。それは眞太郎君の自由よ」
後ろでペタルが「また急な……」とため息を吐いているが……まあ、この際、はっきりしておいた方がいいだろう。
「受け取ります」
アレーネさんの手の上から、糸巻きを取る。
……すると、俺が手に握った糸巻きから、するり、と糸が飛び出した。
驚く間もなく、その糸は俺の指にするする、と絡み……そして、見えなくなった。
「これでオーケーよ。じゃあ、改めてようこそ、眞太郎君。『異世界間よろずギルドアラネウム』へ」
アレーネさんはそう言うと、いつもの妖艶な笑みを浮かべた。
「……で、説明だけど」
「そうね。これで心置きなく眞太郎君の意見も聞けるわね」
そして俺達は本題に戻る。
「眞太郎君は、『アラネウム』が世界の間を飛び回って依頼をこなすギルドだ、っていう事は知っているわね?」
「はい。それから、喫茶店で、バーで……『世界渡り』を悪用する連中と対抗する組織……ですよね?」
「そう。正解よ。アラネウムはそういう組織」
俺が答えると、アレーネさんは1つ満足げに頷いた。
そして、その唇に乗せた笑みを深めると……こう、言った。
「……でも、眞太郎君。よく考えてみてくれるかしら。私達がしていることは、『世界渡りの悪用』と紙一重だ、っていうこと」




