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21話

「いらっしゃい。ペタル、お客様をご案内して」

「はい。いらっしゃいませ。こちらの席へどうぞ」

 アレーネさんがペタルに声を掛けると、ペタルは『お客様』に奥の席を示す。

 オルガさんと泉も落ち着いているし、これはよくある事なのだろう。

 少女の耳を見れば、明らかに『異世界人』であることは分かるし……『異世界間よろずギルド』のアラネウムへの客はこうやってアラネウムに来るらしい。

「あ、あの……ぼ、ぼく、お金もってないから……」

 だが、少女はおどおど、としたまま、半開きの扉の陰に隠れて店内に入ってこない。

 ……確かに、金を持っていそうには見えない。

 着ている袖なしのワンピースは薄汚れて、裾が擦り切れたり、何かにひっかけて破いたりしたようにボロボロだ。

 灰色とベージュの中間の色をした髪は長くぼさぼさとしており、碌に手入れしていないであろうことが分かる。

 ワンピースから覗く手足は細く、栄養状態が良いようには見えない。

 なのに、金色の瞳だけが警戒と困惑の色を湛えて光っていた。

 なんというか……少女の頭についている三角形の耳と相まって、迷子の犬か猫のように見える。

「大丈夫。ここはお金が必要な場所じゃないよ」

 ペタルが少女の手を優しく掴み、店内へ引っ張りこむ。

 そんなに強く引っ張られたわけでもないのに、少女はふらつくようにつんのめって、アラネウム店内へと足を踏み入れた。

「こちらへどうぞ」

 ペタルがもう一度座席を示すと、少女は困惑と警戒を強めながら、そっと、布張りの椅子に腰かけた。

「はい、どうぞ」

 座った少女の目の前に、アレーネさんがスープの皿を置く。

 野菜とベーコンを刻んでトマトで煮込んだスープ……ミネストローネだ。

 俺達の昼食にも同じものが出たから、それの余り、ということなのだろう。

「あ、あの、お金無くて」

「ああ、大丈夫よ。これはサービス。本題はこれを食べながら聞いて頂戴ね。ああ、『本題』の方は気が向かなければ断ってくれて構わないわ。その時も、スープのお代は請求しないから安心して頂戴」

 アレーネさんの言葉は、少女には今一つ伝わりにくかったらしい。

 若干、警戒よりも困惑を強めながら、少女はスープに手を着けないまま、身を固くしている。

「ええと、ね。……このスープ、君が食べなかったら、捨てちゃうんだ」

「えっ」

 だが、ペタルがそう話しかけると、少女は驚いたように反応した。

「私達も頑張って食べたんだけれど、食べきれなくて。だから、食べるの、手伝ってくれると嬉しいな」

 ペタルがゆっくり話す内に、少女は腑に落ちない様子ながらも、スプーンを手に取った。

 そしてスープの皿に鼻を近づけて、ふんふん、と匂いをかぎ……それから、恐る恐る、といった様子でスープを掬って、口に入れた。

「……!」

 その瞬間、少女の目が輝いた。

 先程まで警戒と困惑を湛えていた瞳は、今や喜びの色に染まり、きらきらと輝いている。

 それに合わせるようにして、少女の耳がぴこぴこ揺れ、ワンピースの裾からはみ出た尻尾らしい房がぶんぶん振られた。

 ……美味しかったらしい。




 とても感情が分かりやすい少女は、そのままの勢いでスープを平らげた。

 アレーネさんが用意したおかわりも平らげ、デザートに出されたパウンドケーキもしっかり食べ……すっかり満腹になったらしい少女は、椅子の下でふらふら、と尻尾を振りながら、満面の笑みを浮かべていた。

「美味しかったかしら?」

「うん!す、すごくおいしかった!」

「そう。なら良かったわ。食べてくれてありがとうね」

 アレーネさんは少女の反応に微笑み、そのまま少女の向かいの席に腰かけた。

「お名前を聞いてもいいかしら?ああ、話したくなかったら話さなくても」

「イゼル。イゼル・ルー」

 あっさりと名乗った少女を見て、隣でオルガさんがこっそりと俺に耳打ちした。

「世界によっては、名前を知られると死ぬ、とか、操られる、とか、そういう世界もあるからな。ああいうお客の時には、絶対に名乗らない自由も提示しなきゃいけないんだ」

「成程」

 確かに、そういう世界もありそうな気がする。ファンタジーには時々ある設定だし。

 ……下手すると、『赤いスープを出すという事は貴様を殺すという意思表示』とか、そういう文化の世界もあるのかもしれない。そういう時にはもう、お手上げなんだろうな……。


「じゃあ、イゼル。突然だけれど、今、困っていることはない?」

「え?」

 アレーネさんが本題を切り出すと、イゼルはきょとん、としてから、困惑したように首を竦めた。

「……どうして?」

「あなたを助けてあげられるかもしれないからよ」

 イゼルは依然として、困惑したままである。

「……ど、どうして助けてくれるかもしれないの?」

「趣味よ」

 趣味なのか。

 ……まあ、趣味じゃなきゃ、こんな事をしないか。

 単純に金を稼ぎたいだけなら、ディアモニスの食品をトラペザリアに持って行って売りさばけば、それだけで一生遊んで暮らせそうだし、ピュライにトラペザリアの技術を売りつければ、それでもやはり遊んで暮らせそうだし。

「しゅ、趣味……」

「或いは、使命、かしら」

「使命……そ、それがあなたの使命、なら……うん」

 イゼルは、『使命』という言葉に反応して、納得したらしかった。

 ……ピュライでの『預言』みたいに、『使命』が力を持つような世界の出身なんだろうか。

 アレーネさんの受け答えは、こういった異世界間のギャップを探る為のものなのかもしれない。




「それで、困っていることは無いかしら」

「うー、んと……」

 改めて尋ねると、イゼルは考え込んでしまった。

 ……話す内容をまとめているのか、或いは、『どこまで話すか』を考えているのか。

 どちらにせよ、話してくれることに変わりはなさそうだ。

 感情が至極分かりやすかったことからも分かる通り、このイゼル・ルーという少女は、とても単純で裏表のない性格をしているらしい。

「……あの……皆、お腹空いてる、から……食べ物が、欲しい」




「そう。分かったわ。じゃあ悪いけれど、オルガ、眞太郎君。食料を買ってきてくれるかしら?」

「了解!」

「あ、はい」

「ペタルと泉ちゃんは私を手伝ってね。今あるものだけでお料理し始めるから」

「おっけー!」

「うん。分かった」

 俺達がそれぞれ動き始めると、イゼルはぽかん、としてしまった。

「え……あ、あの、ぼく」

「ああ、イゼルも手伝ってくれるかしら。あ、刃物を使った事はある?」

 ……あの調子なら、イゼルも巻き込んでの料理大会になるだろう。

「じゃ、行くぞ、シンタロー!」

「はい」

 騒がしくなり始めたキッチンを見ながら、俺達も俺達の仕事をすることにした。




「やっぱり肉か?どう思う、シンタロー」

 そして俺とオルガさんは、近所のスーパーマーケットの中で困っていた。

 何に困っていたか、と言えば、『何を買えばいいか』という事について。

「イゼルは狼、だと思うんです。或いは、犬か」

 イゼルの耳は、猫のそれ、というよりは、狼や、シベリアンハスキーのそれだったように思う。

 それから、座っている時にワンピースの裾から見えていた尻尾。あれは猫の尻尾ではなかった。

 ということは、肉食動物……だと思うが……その割には、ミネストローネの野菜も食べていた。

「うーん……いや、野菜も買いましょう。イゼルは普通に食べていたし、逆に草食動物の仲間も居るかもしれないし……」

「ソーショクドーブツ?……ああ、植物性の食料だけで生きる生物か。そうか、そういうのも居るのか」

「可能性、ですけれどね。俺は今、ディアモニスの創作物を思考のベースにしていますから……」

 そして何より、イゼルの『仲間』がどんなものなのかがさっぱり分からない。

 もう少し色々聞いてから買い出しに来るべきだったような気もする。

「もしかしたら、イゼル以外は全員普通の狼、という可能性も」

「……肉、多めで行くか?」

「……そうですね……」


 結局、俺達の買い物は凄まじい量になった。

 オルガさんが買い物カゴを6つ持ち、俺はカート2台を押してカゴ4つ分を運び……それらのカゴ全てが食材でいっぱいになっていた、と言えば、どの程度の量だったのか分かるかもしれない。

 少なくとも、スーパーの肉売り場から安めの肉が全て姿を消したことは確かだ。




「ただいま!」

「あら、お帰りなさい。速かったわね」

「俺もそう思います……」

 アラネウムに戻る際、オルガさんのサイボーグっぷりを見ることができた。

 凄まじい量の荷物を両腕と背に持ちながら、ごく普通の速度でアラネウムまでの道を進んでいったのだ。

 ……俺がいなければ、もっと超スピードで進めたと思う。

「食材はこれで大丈夫そうね。オルガ、眞太郎君。買ってきたものをこっちへお願い。それから、眞太郎君は手伝ってくれるかしら?」

「はい」

 アレーネさんに呼ばれて、俺もキッチンカウンターの内側に入って手伝い始める。

「オルガはもう一度買い物に行って頂戴。できたものを入れる物が無いのよ。それから、紙皿や紙のお椀も欲しいわ。スプーンやフォークもお願い」

「ああ分かった!すぐ戻る!」

「行ってらっしゃい。……じゃあ、眞太郎君はこっちのフライパン、混ぜておいて頂戴」

 こうしてオルガさんはまた飛び出していき、俺はひたすら調理を手伝う事になった。




 ひたすら調理を続けること、3時間程度。

 俺達は凄まじい量の食事の中に居た。

「たべたい」

「駄目だぞ、泉……」

 泉はよだれを垂らさんばかりの表情をしているが、これでも、作りながらつまみ食いを繰り返していたのだ。

 それでもまだ食べたいとは恐れ入る。

「ポルタギアナアノイケストコスモ、パラカロナモペイテトオノマサス!」

 そして一方、ペタルはアラネウムのドアに向かって言葉を唱えていた。

 すると、ペタルとイゼルとドアが光の線で結ばれ、輝きを増す。

「……うん。大丈夫」

 ペタルがにっこり笑うと同時に、光の線は消えた。

「これでイゼルの世界……『ソラリウム』へ行く準備はできたよ」

「そう。なら、善は急げ、という事でいいかしら?」

 ピュライから帰ってきたその日のうちにまた別の異世界へ行く、とは、中々のハードスケジュールだが……怪我はペタルに治してもらったし、問題は無いだろう。

 それに、イゼルの世界を見てみたい。『ソラリウム』とは、一体どんな世界なのか。




 大量の食事を抱えて、円陣を組むようにして並ぶ。

「今回の依頼主はイゼル・ルー嬢。依頼内容は、『ソラリウム』に居る人々への食事の提供。……『ソラリウム』へ行ったことがあるメンバーは居ないわね。なら、全員、気を付けて。随時、依頼内容は変わるかもしれないわ。柔軟な対応を期待します、というところかしらね。……じゃあ、ペタル。お願い」

「うん。じゃあ、行くよ!」

 例の如くアレーネさんが形式的な挨拶をして、ペタルが例の呪文を唱え始める。

「アノイクイポルタトコスモス、トオノマサス、『ソラリウム』!」

 ……こうして俺達は、大量の食事と共に『ソラリウム』へと向かう事になったのだった。


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