2話
「はい。紅茶で良かったかしら?」
「あ、ありがとうございます」
改めて、さっきまで俺とそっくりな姿をしていた少女……ペタル・アリスエリアさんと向かい合って、店の奥のテーブルに座っていると、アレーネさんが紅茶を持ってきてくれた。
生憎、紅茶の味の違いが分からない貧乏舌なので、紅茶を美味いと思った事は特に無いのだけれど。
……コーヒーはあまり得意じゃないから、そういう意味では助かった、と思うべきか。
「……ええと、今回の事なんだけど……どこから話すべきかな」
「とりあえず俺が一番聞きたいのは、俺に襲い掛かってきた奴らがどこのどいつで、なんで俺が襲われたか、っていうところなんだけれど」
話のとっかかりを提供すると、ペタル・アリスエリアさんは1つ頷いてから話し始めた。
「まず、君を襲った連中は、君にとっての異世界人。具体的には『ピュライ』の人間」
「異世界人」
ナチュラルに出てきたし、なんとなく予想の範疇ではあったが、実際に言われてしまうとちょっと困る単語ではある。
「異世界人。……ああ、もしかして、異世界の存在から説明した方がいい?」
「いや、とりあえず『そういうもの』だとしておくから……それで、俺が襲われた理由は?」
ここで引っかかっていると話が進まなさそうなので続きを促すと、ペタル・アリスエリアさんは浮かない顔をした。
「うん……簡単に言ってしまえば、私のミス。私が変身魔法を使って連中から逃げようとしていたのだけれど……その時に何か間違って、実在する人物の姿に変身しちゃったみたいなんだ」
「それが俺だった、と」
『変身魔法』って何だよ、とはもう聞かない。さっき実際に俺の姿がでろでろ溶けてこの少女の姿に変わったところを見たばかりだし、『そういうもの』だと思うしかないだろう。
「そう。そのせいで、君を私だと思った連中が君を追いかけて……あとは君の知る通り。本当にごめんなさい」
成程、俺は本当にただ事故に巻き込まれただけだった、と。
そんな気はしていたものの、実際にそう言われてしまうとなんとも理不尽な話だ。
「今回の損害については、責任を持って私が補償するよ。怪我も全部治す。……まだ痛むよね」
「まあ、ぼちぼち」
相変わらず、全身擦り傷切り傷打撲傷だ。折れていたらしいあばら骨や脚は治ったらしいが。痛いものは痛い。
「それから、荷物とか、多分無くなってるよね。残ってればオルガさんが拾ってきてくれると思う。壊れたり無くなったりしたものは弁償する。それから、これからの君の話なんだけれど……多分、しばらくはここに居てもらった方がいいと思う。まだ残党が居ないとも限らないし。ここに居ればいつも誰かメンバーが居るから、何かあっても君を守れると思う」
「ここ、って……この喫茶店?」
「そう。喫茶アラネウム。夜はバーもやってるけれど。……でも、ここは只の喫茶店じゃない」
ペタル・アリスエリアさんは少し笑って、床を指さした。
……いや、床ではなく、その下。恐らくは、地下を。
「『喫茶アラネウム』は表の顔。本当はここは、『異世界間よろずギルド』。いろんな世界を飛び回っていろんな世界の依頼を解決する、いわば便利屋さんなんだ」
ペタル・アリスエリアさん曰く。
俺達が居るこの世界は、数多くある世界の中の1つでしかない。
この世界以外の世界はそれぞれ異なり、いわゆる『魔法』が存在していたり、この世界ではありえないようなオーバーテクノロジーが存在していたり、はたまた文明が未発達だったり、生き物がいなかったり……と様々らしい。
「ちなみに、私が居た世界の名前は『ピュライ』。この世界『ディアモニス』とは違って、魔法が存在する世界だよ」
そして、ペタル・アリスエリアさん自身も、異世界人であるらしかった。まあ、魔法とか使ってたし、なんとなく分かってはいた。
「……ここ、喫茶アラネウムには、色々な世界の人が所属しているんだ。私もそうだし、さっき私と一緒に居たオルガさんも、また別の世界の人。色々なことができる人が集まって、色々な世界で色々な依頼をこなすのが『異世界間よろずギルドアラネウム』の仕事。最近あった依頼は、『飼いドラゴンの散歩』とか、『古代オートマタの修理』とか、『宇宙旅行の護衛』とか」
手広すぎない?とも思ったが、魔法が出てきた時点で今更何が出てきても大したスケールの大きさではないのかもしれない。
「それから、『戦闘地区の鎮圧』とかも、時々。……私はまだまだ半人前だけれど、他の人達は皆すごいから、この喫茶アラネウムに居れば身の安全は保障できると思うよ。少し、不便はかけてしまうけれど……」
成程、とりあえず、ここがどういう所かはなんとなく分かった。
……というか、『そういうもの』なんだということで納得するしかない。色々とぶっ飛んだ話ではあるが、実際に俺はそのぶっ飛んだものを見たり体験したりしてしまっているのだし。
要は、『異世界人が異世界を行ったり来たりしながら依頼をこなす便利屋』ってことだろ?多分。
「ところで、今回の依頼は何だったんだ?やっぱり戦闘?」
「ううん。今日のは依頼じゃなくて……」
「多分、私への私怨ね。ごめんなさいね……どうしてもこういう仕事をしていると恨みを買いやすいものだから」
アレーネさんがやってきて、俺達の目の前にアイスクリームの乗った硝子皿を置いた。
「申し遅れたけれど。私がアレーネ。喫茶アラネウムとバー・アラネウムのオーナーで、異世界間よろずギルドアラネウムのギルドマスターよ。よろしくね、眞太郎君」
溶けちゃうから食べてね、と、アイスクリームの皿と一緒にスプーンも渡されてしまったので、遠慮なく食べることにした。
ここでやっと紅茶のカップに口をつけたが、意外にも、紅茶を美味いと感じられた。
今まで散々驚きが品切れだったが、これには少々驚いた。成程、種類の違う驚きならまだ在庫があるらしい。
「美味しい?」
「はい。美味いです」
「ならよかった。アイスクリームも自信があるのよ。……ほら、ペタルも食べてしまったらどうかしら?」
浮かない顔をしているペタル・アリスエリアさんもアレーネさんに勧められて、アイスクリームを掬いはじめた。
アイスクリームはチョコレート・アイスだったが、くどくなく、ほんわりとオレンジめいた風味が広がるのが美味かった。これ、好きだな。
こうしてアイスクリームを黙々と食べ続けて皿を空にした頃、アレーネさんが話しかけてきた。
「……という事で、安全を期すなら、眞太郎君にはしばらくここに寝泊りしてもらった方が良さそうなの。どうかしら、眞太郎君」
うーん。
……微妙な所だよな、これ。
「いくつか、お聞きしたいんですが」
「どうぞ」
「あなた達が俺に危害を加えないっていう保証はありますか?」
1つ目。この人達はこの人達の言い分を信じるなら、異世界人だ。少なくともペタル・アリスエリアさんの方は、『魔法』が使えることも確認済み。
つまり、この人達は俺を殺そうと思えば瞬時に殺せてしまう人達なのだろう。
そんな人達の中に避難するって、まあ、うん。抜き身の包丁がわんさとある部屋で心が休まるか、という問題に似ているかもしれない。
「それは約束する。私もだし、アレーネさんも。アラネウムの皆が君に危害を加えないって、約束するよ。……勿論、信用できない気持ちも分かるから、信じて、なんて言えないけれど……」
「一応、約束を破れないようにする魔法もあるから、そういう魔法で縛ることもできるわね。でも、それじゃあかえって不安じゃない?」
「まあ、得体のしれない『魔法』を使われるのも、ちょっと」
不可抗力で回復の魔法は受けてしまっているが、それだって副作用が無いとも限らないし、なんとなく忌避感がある。
「ええと、じゃあ……あなた達が俺を口封じに殺したりしない理由は?俺を生かしておくメリットってあります?」
2つ目。なら逆に、俺を殺さないメリットってなんだろう。
この人達、どう見ても数人殺してそうだし、殺すだけの能力もあるだろうし。異世界人だって言うなら、法律とかも関係なさそうでもある。
「うーん……単純にそうしたくないから、っていうのは、証明にならないよね」
「生かしておくメリットと言うなら、ペタルの囮として使えるわね。あなたを狙って連中が出てきてくれればとても便利よ。それから……成り行きとはいえ、こちらの内情をある程度知った上でもあなた、そこそこ冷静に見えるから、かしら?」
「……つまり?」
「あなたを生かしておけば、アラネウムにおける初めての『ディアモニス』の協力者になりそうだからよ」
『ディアモニス』という言葉はさっき出てきた。この世界を指す言葉、らしい。この世界の人間である俺がそれを知らないのにそう名付けられているのもおかしな話に思えるが。うん。
「早い話が、このままあなたを生かしておいて、アラネウムの協力員、ゆくゆくはギルドメンバーにしてしまえばいいんじゃないかしら、と思っているのよ」
それは……また随分と、話がぶっ飛んだな。
「それが俺じゃなきゃいけない理由は?」
「無いわ。言っては悪いけれど、あなたの代わりはいくらでもいるでしょうね」
だろうね。
「でも、こんなことを一々説明して協力員を探すのって、とても大変なんだ。特に、この『ディアモニス』は異世界の存在を信じていない人か、信じていても変に夢見てる人が多いから……人員の募集がとても大変なんだ」
「魔法が使いにくい世界だから、記憶を消したりするのも面倒なのよね」
……つまり、たまたま事故で拾ってしまったものを捨てるのも勿体ない、みたいな。
「眞太郎君は体もそこそこに丈夫そうだし、変なことが起きても取り乱さないみたいだし、それからこのギルド、男の子があまり居ないから丁度いいと思うのよ。どうかしら?勿論、あなたの意志を尊重するけれど。単にほとぼりが冷めるまでここに居る、というだけでも構わないわ。今すぐに全部決めなくてもいい。こちらのギルドメンバーの不手際であなたに迷惑をかけている訳だから、遠慮はしないで頂戴ね」
……まあ、なんにせよ、だ。
さっき襲われていた時にも思ったが、安全|(そうに見えるよう)な異常と危険な異常が並んでいたら、安全(っぽいよう)な異常を取りたい。
ましてや、今のところ、安全な異常を取ることが唯一、危険な異常から身を守る手段なのだから。
「えーと……じゃあ、とりあえず、ギルドメンバーとか協力員とかは置いておいて……少しの間お世話になります」
ということで、俺はひとまず、この『喫茶アラネウム』もとい、『異世界間よろずギルドアラネウム』にお世話になることになったのだった。
「必要な荷物はオルガが戻り次第、一緒に取りに行って頂戴ね。その間に私は空いている部屋を片付けておくわ」
そう言ってアレーネさんが喫茶店の表に『CLOSE』の札を掛けて出ていってしまうと、ペタル・アリスエリアさんと俺の2人が喫茶店内に取り残された。
「その……今回の事は、本当にごめんなさい。全然関係ないのに、君を巻きこんじゃった」
そのことについては本当になんというか、理不尽だと思うし、腹が立ちもするのだが……ペタル・アリスエリアさん自身にこの怒りが向かう訳ではなかった。
なんだろう、本人が心底申し訳ないと思っているのが分かるからか。或いは、単純に疲れ切って怒る気力が無いからか。それとも、単純に俺がとても単純な生き物であるために、目の前の少女があまりにも可愛らしいものだから起こる気になれない、ということかもしれないが。
「別にアリスエリアさんに怒ってはいないよ。むしろ助けてもらったし、怪我も治してもらったし、これから損害分も補償してくれるっていうし、しばらくここでお世話にもなることになりそうだし、そういう意味では俺もなんか申し訳ないくらい」
そして実際、補償の約束はされているわけだし(口約束だし、信用するに値するかはまた別の問題だが)、これからお世話になるであろう人に当たり散らして気まずくなるのも御免だし。
「そっか……ごめんね。うん、じゃあ、その分頑張って君の事、守る。あんまり上手に守れないかもしれないけれど、精一杯頑張る。これからよろしくね、峰内君」
「ああ、よろしく。アリスエリアさん」
差し出された小さな白い手を握ると、彼女の手は思いのほか温かかった。
「……それから、私の事、ペタル、って呼び捨てにして。ここでは皆、私の事、ペタルって呼ぶから。……あんまり苗字は好きじゃないんだ」
「そうか。じゃあ、ペタル。よろしく。……俺のことも、眞太郎でいい」
「うん。眞太郎。眞太郎……いい名前だね。よろしく、眞太郎」
握った手を数度振ると、ペタルの人形めいた顔がふにゃり、と人間らしい笑みに崩れた。