12話
アップルパイとバニラアイスをしっかり腹に収めた小人を手のひらに乗せてみたところ、食べる前と比べても重量の変化を感じられなかった。
ファンタジーだ。
泉のファンタジーっぷりに戦慄していたところ、1つ、アレーネさんがため息を吐いた。
「……眞太郎君。相手は『アリスエリア』を探していたのよね」
「はい」
今回俺達を襲った連中は、確かに『アリスエリア』を探していた。
……つまり、ペタル。ペタル・アリスエリアを探していたのだろう。
「そう……アラネウムでも、アレーネでもなく、アリスエリアを探していたの……」
アレーネさんの呟きを聞いて思い出したが、俺が最初にピュライの人間に襲われた時の相手は、『アレーネ』を探していた。
「何か違いが?」
勿論、おかしなことではない、はずだ。
アレーネさんはアラネウムを作った人で、ペタルはアラネウムに所属している魔法使いだ。
だから、ペタルとアレーネさん、両者を狙う事が同義であってもおかしくはない。
……だが、違うのだろう、という事は、アレーネさんとペタルの表情を見て分かった。
「そう、ね……今まで別々だった組織が手を組んだ、ってこと、になるのかしら……」
アレーネさんからは今一つはっきりしない答えが返ってきた。
何故曖昧な答えなのかは、アレーネさんの視線と、気づかわし気な表情を見れば答えが分かる。
アレーネさんの視線の先には、ペタルがじっと耐えるように目を閉じていた。
「……アレーネさん、今まで以上に、きっと、ピュライからの敵は増えるよね」
やがて、目を開いたペタルは、視線を食べかけのアップルパイに落としたまま、アレーネさんに問いかけた。
「そうね」
「なら、巻き込まれるかもしれない眞太郎には、言っておいた方がいい、よね」
今度は、アレーネさんからの返事はない。
恐らくこれは問いかけでは無くて、ペタルがペタル自身に言っていることなのだろう。
「あのね、眞太郎。……眞太郎にとっては関係ない、どうでもいい話だと思うんだ。でも、知っておいてもらったら、これからの敵の対処に役立つかもしれないから」
ペタルは困ったような顔をしながらそう前置きして、あくまで視線を俺から逸らしたままで話し始めた。
「私、ピュライでは罪人なんだ」
「罪人」
「うん。本来なら、捕まって刑罰を受けるはずの人間」
言われても、全く実感が湧かない。
ペタルを見ていて、『犯罪者』らしいと思った事は一度も無い。
……いや、恐らく、人を傷つけたり……或いは殺したり、という事については俺よりも『向こう側』に居るのだろう、という感覚はあったが、それも恐らくピュライでは当たり前の事なのだろうし、あくまで文化の違い、程度に考えていた。
だから、ペタルの告白を聞いても、ペタルへの嫌悪感は特に無かった。
ペタルが同じ世界の人間なら何か思う事があったかもしれないが、ペタルは異世界人である。
良くも悪くも、色々と壁があるのだろう。
「一体何の罪で?……あ、言いたくなかったら言わなくてもいい」
そして、今回、俺とペタルの間にある壁は、割といい方向に働いたらしい。
俺は事態を深刻に受け止め過ぎなかったし、その結果、ペタルも気が楽になった、らしい。これは後から聞いたことだが。
「ああ、えっと……ディアモニスには無い罪なんだ。ええと、ピュライの森の中で、話した事、覚えてるかな。ピュライでは生まれた時から運命が決まってる、って」
「覚えてる」
「うん。ピュライでは生まれた時から運命が決まってて、人はそれに従って生きなきゃいけない。……でも私は、その運命を放り出して、逃げてきたの。私は『運命に従わない罪』を犯した罪人で……ピュライでは普通、処刑の対象になる」
……聞いてみてもやっぱり、実感が湧かなかった。
全く以て、『罪』らしさを感じない。
『生まれた時から運命が決まっている』世界のことなんて、『運命が決まっていない』世界の俺からすれば、実感が湧かなくて当然なのだろうが。
「……あれ、でもペタルはペタルのお兄さんに……」
しかし、ここで思い出すのは、ペタルの兄らしき人の事だ。
ペタルが処刑の対象なら、あの対応は……おかしくないだろうか。
あの場で殺すでもなく、逃がすでもなかった。
あくまで、『生きたまま連れて帰る』事を目的にしていたように思う。
「うん。ええと……『普通は』処刑の対象。でも、私は……ちょっと例外で、殺すに殺せない、んだよね」
この時ようやく、ペタルと目が合った。
銀紫色の瞳。
この世界ではありえない色の瞳の奥に、す、と一筋、星が流れたように見えた。
「アリスエリア家は、人の運命を見る目を持つ血筋。そして……私が、アリスエリアで唯一、はっきりとした運命を見ることができる『目』を持っている者だから」
「アリスエリアの家は代々、『目』を持っている人が当主になってる。だから、私がアリスエリア次期当主、なんだ。……眞太郎も見たと思うけれど……私にはお兄様が1人居るんだけれどね、お兄様は運命を見る『目』を持っていないんだ」
実の妹であるはずのペタルに対して、異様に冷たかったペタルの兄を思い出す。
ペタルの兄が『家』にこだわっているように見えたのは、そういうことだったのか。
……『無い物ねだり』なんだろうな、と、傍から見ている俺には思えるのだが。
「お兄様はアリスエリアの家を継ぎたいと思ってる。でも、お兄様には運命を見る『目』が無い。私は運命を見る『目』があるけれど、アリスエリアの家は継ぎたくない。運命を見る仕事なんてしたくない。……だから、お兄様は私を捕まえて家に戻す事を条件に、アリスエリア家の当主になろうとしてる。それが、『アリスエリアの娘』が追われている理由の1つ。もう1つは単純に、私が罪人だから」
予想以上にややこしい話に何と反応すればいいのか戸惑いながら、俺はとりあえず、気軽に気になった部分を聞いてみることにした。
「……運命が見えるのか」
「うん。見えるよ」
返ってきた返事は、若干、暗い。
「俺のも見えるのか?というか、見てる?」
「ううん、見てない。見ようと思えば見えると思うよ。……でも、見たくないんだ。うん。見たくなくて……人の運命を見たくなくて、私は逃げた」
気づけば、ペタルの皿の上ではバニラアイスが溶けきっていた。
バニラアイスの白い池の中に、かちゃり、と滑ったフォークが沈む。
「人の運命の中には、若い内に死ぬ運命もあって……そういう人は、当然みたいに死んでいくんだ。自分から死んで……そうやって、運命に合わせて……もし、運命が無かったら、私が『観測』しなければ、その人の運命は分からない、から……」
溶けたアイスにリンゴの果汁が混ざっていくように、ペタルの言葉も最後の方は空気に交ざって曖昧になっていく。
「……それで、アリスエリアの家から逃げて、『翼ある者の為の第一協会』に保護されて、そこでアレーネさんに会った」
「保護、っていうか、拉致、かもしれないわね……」
拉致。
アレーネさんからの不穏な注釈の意味を考える前に、ペタルが答えを言ってくれた。
「『翼ある者の為の第一協会』は、失われた『世界渡り』の古代魔法を研究している組織で……『世界渡り』を使ってピュライじゃない世界に行って、その世界をピュライの為に使う……ピュライの為に他の世界を侵略することを良しとする組織だったんだ」
「このブローチはアリスエリア家に伝わるもので……『世界渡り』の古代魔法が全部組み込んである魔道具なんだ。尤も、今までのアリスエリア家のご先祖様たちは誰もこのブローチを使えなかったから、何の魔道具なのかすら、分からなかったらしいんだけれど」
ペタルは胸元のブローチに触れた。
星空を切り取ったような石には、相変わらず星のような光が輝いている。
「そして、このブローチは世界と世界を結ぶ『門』の材料になる。一瞬しか世界に繋がらないんじゃなくて、もっとしっかりと世界同士を結ぶような、そんな『門』ができるんだ。……『翼ある者の為の第一協会』は世界と世界を結ぶ道を作って、そこからその世界を侵略しようとしてる」
成程、『翼ある者の為の第一協会』とやらはつまり、インフラ整備をしたかった訳か。
ブローチを使って行う『世界渡り』は、小規模なものだ。当然、多くの人数を一度に運ぶことはできないし、魔力の充填のためのラグタイムが逐一発生する。
しかし、世界と世界を結ぶ『門』ができてしまえば、そこから無尽蔵に兵士を送り込むことだってできる、ということなのだろう。
「だからペタルはブローチを持って『翼ある者の為の第一協会』から逃げたんだな」
「うん。『翼ある者の為の第一協会』に捕まっていたアレーネさんと一緒に。ブローチを盗んで」
アレーネさんは……なんで捕まっていたんだろう?
「そうして、ディアモニスに逃れた私達が作ったのが、『アラネウム』。……異世界を侵略するために『世界渡り』を悪用する人達に対抗するための組織。それが、『アラネウム』なの」
表の顔は喫茶店兼バー。
裏の顔は異世界を飛び回るよろずギルド。
さらに裏の顔は、異世界を侵略する組織に対抗するための組織……。
頭が痛くなってきた。
しかも、だ。
「話から推測するに、『世界渡り』できる人間は『翼ある者の為の第一協会』の人間なんだな?」
「そう。そうなんだ。ブローチから解読して、足りない部分を補った『世界渡り』の簡易版魔法がもう『翼ある者の為の第一協会』の手に渡っていて……」
……ならば。
ペタルの『運命を見る力』を求める者と、ペタルの『ブローチ』を求め、或いはアラネウムを潰すことを目的にしている者。
『アリスエリア家関係者』と『翼ある者の為の第一協会』。両者は全く別の組織だ。
なのに、ペタル個人を追う者がこのディアモニスに居た場合……。
「……つまり、アリスエリア家関係者と、翼ある者の為の第一協会は、手を組んでいる、ということか……?」
「うん。だから、これからはもっと……襲撃が増える、と思う……」
現実は数奇かつ非情であった。
「多分、私の杖から情報を抜き取って、お兄様は『翼ある者の為の第一協会』を知って、秘密裏に手を組んだんだと思うんだ。一応、『翼ある者の為の第一協会』も反運命的組織だから……本来なら、アリスエリア家の敵になるはずだし……」
やっぱり、あの時ペタルの杖を回収してから『世界渡り』すべきだったのか。
だとしてももう遅いし、あの時はどうしようもなかった。
「と、とにかく、ね!ほら、シンタローがこれからもっと襲われることになっても、泉がいるよ!大丈夫!頑張るよ!」
泉が小さな体で声を張り上げて、励ましと追い打ち5分5分の言葉をかけてくれた。
「そうね……眞太郎君はペタルのお兄さんに顔を見られている訳だし……『ペタルの代まで誰も使えなかったブローチを使えた』ことも知られている訳だから……どちらの組織からも、ますます狙われるでしょうね」
アレーネさんからは9割方追い打ちを掛けられた。
「……いよいよ、眞太郎君が危ないわ……」
……しかし、これも、全てペタルのせい、という訳でもないのだ。
俺がペタルを連れて『世界渡り』しようとしなければここまで巻き込まれなかったのだし。
不可抗力とは言え、少しは俺自身の意思を反映しながら巻き込まれている、と、言えなくもない。
「……これは本格的に、『翼ある者の為の第一協会』を潰さなくてはいけない時、なのかもしれないわね」
だから、アレーネさんの呟きは重みを伴いながらもしっかりと、俺の中に納まった。
いよいよ他人事では済ませられないぞ、という覚悟と共に。