108話
「ははは……ギリギリ足りた……」
結局、俺は塔の制御に成功した。どんな道具でも使える適正がこんなところでも役立つとはな。
ただ、そのおかげでバッテリーパックが全て空になった。
いや、正確にはそれだけだと足りなくて、紫穂のボディであるアンドロイド素体の予備動力を拝借した。
バニエラの動力はピュライの動力とほとんど同じらしいから、『ピュライ』が制御していたこの塔も、ピュライやバニエラの動力で動かせるだろうな、と考えたが……予想は正しかったらしい。
塔は、俺の意図するように動き始めた。
「わ、わわわ、急に動いたー!」
まずは、バラバラになりかけていた『秩序』をいったん戻して、丁寧に整理していく。
上は上へ。下は下へ。何も無い所には何も無いように。
次第に『秩序』を落ち着かせていく。必要以上に動かないように。
今まで何も無く、ただ『秩序』があったせいで床のようになっていた場所は、徐々にその機能を失っていく。
俺達は次第に重力に引かれて、きちんとした床がある場所まで戻ってきた。
……そして最後に、塔自体を動かす。
道中の仕掛けは排除して、代わりに念のため、鍵をつけておく。
最後に電源をOFFにするような感覚、眠りにつかせるような感覚で、俺は塔の崩壊を止める。動いていた塔を収めて、そのまま休眠状態へと移行させた。
辺りが静まり返ったように感じた。元々、音なんて碌に無かったはずなのに、益々音が無くなってしまったかのようだ。
今まで動いていたものが静かになって、動かなくなって、いつか再び動く日の為に眠る。
この静寂は、心地よいものだった。
……何はともあれ、これで、アレーネさんが『今』死ななければいけない理由は無くなった。
アレーネさんが『死にたい』と思ったとき、好きなタイミングで塔を動かせばいいのだから。
そしてその時は……俺が塔を動かそう。
アレーネさんから一度『死』を奪ってしまった以上は、そうするのが筋なんだろうな、と、思う。
その時までに、覚悟を決めておかないとな。
「じゃあ、帰ろうか」
呼びかけると、全員が集まってくる。
早く戻って、リディアさんと、ニーナさんと、ペタルにも。報告しないといけない。
全員が集まったところで、俺はペタルのブローチを握りしめる。
「アノイクイポルタトコスモス、トオノマサス『ディアモニス』!」
いつもの浮遊感の後、俺達は世界を渡って、ディアモニスへと帰った。
踏み慣れた床を踏む。
随分と久しぶりに戻ってきたような気がするが、実際には精々数時間ぶりなのだろう。空は青く明るく、窓の外で輝いている。
「じゃ、私はニーナの復元作業をしてくるかな」
オルガさんが穏やかに笑いつつ、ニーナさんの部屋へ向かっていった。
「アレーネさん、寝かせてくる、です……」
紫穂は、未だ眠るアレーネさんを宙に浮かべつつ、アレーネさんの部屋へ向かっていった。
多分、大丈夫だ。
ニーナさんは本人が言うとおりのアンドロイドだから、スペアボディにメモリを入れれば戻ってくる。
アレーネさんも多分、大丈夫だろう。俺の感覚でしかないが、大丈夫だ、と思える。
……だが。
「俺、ペタルの様子を見てくる」
俺を庇って重傷を負った、ペタルが心配だった。
「……あっ!シンタロー君!帰ってきたってこたー、アレーネちゃんは」
「はい、無事、連れて帰ってきました」
「そっかあ、よかったー……ん、まあ、アレーネちゃんが無事なら、まだ、いいんかなー……」
歯切れの悪いリディアさんの言葉に不穏なものを感じながら、部屋の中に入る。
ペタルの部屋には、憔悴した様子のリディアさんと、ベッドの上で眠っているペタルが居た。
ベッドサイドには、薬や包帯や、よく分からない置物といったアイテムが並んでいる。恐らく、リディアさんの回復アイテムなのだろう。
それらのアイテムを一通り使ったと見えて、ペタルに外傷は見当たらなかった。ペタルは穏やかに寝息を立てつつ、眠っているらしい。ひとまず、ほっとする。
「様子はどうですか」
「あー、それが……」
だが、リディアさんは浮かない顔をしてペタルを見やる。
「目、覚まさないんだわ、ペタルちゃん。もう、かれこれ3日」
「……3日?」
「うん、3日。私がペタルちゃん連れて戻ってきてから、3日経ってるのよ」
ほい、と、リディアさんが渡してくれた新聞の日付を見ると、俺達が出発してから1週間あまり先の日付だった。
「多分、『世界の狭間』は時間の流れが違うんじゃーないかな。私も戻ってきてびっくりしたもん」
苦笑するリディアさんから視線をずらして、改めてペタルを見る。
外傷は全て癒えた。呼吸もきちんとしている。
だが、ペタルは、3日経って尚、目を覚まさない。
血が流れすぎたのか。体力が尽きてしまったのか。はたまた、そういう『運命だった』のか。
……あるいは、『ピュライ』が死んだせいか。
昼頃になってから一度、全員が喫茶店内に集まって、状況を報告しあった。
「アレーネさんは、まだ寝てる、です」
紫穂はアレーネさんを寝かせて、そのまま戻ってきたらしい。特に何も無かったなら大丈夫だろう。
「ニーナの方は9割方完成したぞ。あとはソフトのアップデートのためにちょっと時間が要るだけだ」
オルガさんもまた、ニーナさんの修理を終えたらしい。こちらも待つだけか。
「ペタルちゃんは……目が覚めない。もう3日。息はしてるんけどねー……」
「……3日?」
「うん、3日……てこれ、また説明するん?」
リディアさんに代わって、そこから先は俺が説明する。
『世界の狭間』では時間の流れが異なること、ペタルは外傷こそ完治したが、未だに目を覚まさないという事。
それから、『世界の狭間』では時間がなくて説明できなかったが、『ピュライ』を滅ぼした、という事も。
「なるほどね。……もしかして、ペタルが眠ったままなのって、その『ピュライ』が関係してるんじゃない?」
「そういや、ペタルは『ピュライの声』を聞いて運命を選ぶ役目をもっていたんだったな」
「その繋がりのせい、です……か?」
考えれば考える程、気分が重くなる。
アレーネさんを連れ帰ることができたって、ペタルを失うのなら、それは俺達の目的を達成できたとは言えない。
どんなに都合のいい考えだったとしても、やはり俺達は、誰1人だって失いたくないのだ。
「ペタルさん……大丈夫かな……」
「大丈夫だ、放っておけ」
イゼルの不安げな声は、スフィク氏のあっさりとした声に遮られた。
「あれが戻ってくる未来が、私には見えた。不遜にも、あれがピュライを統治する未来だ。どうやら、あれは『ピュライ』を失ったピュライが滅ばないために必要らしい」
……そういえば、スフィク氏は、ピュライが滅びる未来が見えていたんだったか。
『ペタルが戻ってこない未来は全て滅びの未来だった』と。
俺はてっきり、ペタルがアリスエリアの地下を通って『世界の狭間』に行き、『翼ある者のための第一協会』および『ピュライ』のたくらみを阻止することが『ピュライに戻る』ことだと思っていたのだが。
……どうやら、スフィク氏には、『その後』についても見えていたらしい。
『ピュライ』を失って、良くも悪くも導き手を失った『ピュライ』は、ペタルが導かなければ滅ぶのか。
「あれが目覚める運命が1つでも存在することは確かなのだ。なら、あれは目覚めるだろうよ。私はあれが目覚める未来に賭けたのだ。目覚めてもらわねば困る」
スフィク氏は、不安と焦燥を決意で固めたような顔で、じっと虚空を見つめている。
あとは、祈る事しかできないのだろうか。ピュライを、いや、ペタルを救うために、俺にできることは無いのか。
「なら、ペタルを起こさなきゃいけないわね」
カツ、と、ヒールが床を打つ音と、聞き馴染んだ声が店内に響く。
「アレーネさん!」
「待たせちゃったかしら。……さあ、ペタルを起こしましょう。依頼人の依頼は、達成しなくちゃね」
アレーネさんは、変わらない笑みを湛えてそう言いながら、俺にウインクを飛ばしてきた。
「アレーネさん、もう大丈夫なのー?」
「ええ。心配をかけたわね」
アレーネさんは適当な椅子を引き出してきて座る。すると途端に、店内がいつもの様子に戻ったような、落ち着くような感じがした。
俺の身勝手だろうが、やはりアレーネさんが居ないと、アラネウムがアラネウムとして機能しないような気がする。
「さて、アレーネ。どうするんだ。ペタルを起こす方法に心当たりでも?」
オルガさんが身を乗り出すと、アレーネさんは頷いた。
「『世界の狭間』で眞太郎君が『ピュライ』相手にやったことを、ペタルに対してもう一度やってもらうのよ」
次回か次々回が最終回です。