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104話

 しばらく上ったら、階段は消えた。完全に透明になった、というわけではなく、本当に消えたのだ。

 だが、『秩序』はあるらしい。やや不確かで不安定ではあるが、踏み出した足は沈んだり落ちたりすることなく宙に浮き、次の段を上ってもそれは変わらなかった。

 何度味わっても奇妙な感覚だった。ありもしない物が『あるとされている』だけで、実際、それが『ある』のと変わらないような働きをするのだから。

『秩序』だけがあって実体がない状態は、奇妙なこの空間に似つかわしい。

 まるで、人が居なくなって打ち捨てられた廃城のような雰囲気だ。


 階段を上りながら考える。

 この先にアレーネさんが居たとして、どのような状況になっているのか。

 アレーネさんがこの施設で作られた不老不死の人工生命であることはもう分かっている。アレーネさんが殺していたアレーネさんんそっくりな誰かが、失敗作の人工生命なのだろう、ということも。

 だからこそ、アレーネさんがここにいる理由が分からないのだ。

 自分以外の人工生命を抹殺しに来た?アレーネさんらしくもない。

 それとも、自分のルーツを探しに……という割には、アレーネさんは色々と、自分自身のことについて知っていた節がある。

 単なる里帰り……とも思いにくい。今まで散々、交戦している。ニーナさんと別れたあの仕掛けも、侵入者を阻む目的で作られたものなのは明らかだ。

 つまり、この塔は……侵入者を阻んでいる。

 では、この塔が想定している侵入者とは、一体誰なのか。

 まず、俺達ではないだろう。俺達がここに来ることになる一連の出来事の後にこの塔を作ったのなら、ニーナさんと別れた仕掛けの中に染みていた血液の量が多すぎると思う。

 となれば、俺達だけを対象にしていたわけではないことになる。

 ならば誰だ。そもそもこの『世界の狭間』に来られる人なんて、アリスエリアの当主くらいしかいないんじゃないのか。

 恐らくアレーネさんは糸を使ってここに来たのだろうし、そういった特殊な道具があれば、ここに来られるような気もするが。

 アリスエリア当主に『処分された』人を対象にしているとすれば、多少は納得がいかないでもないが……この『世界の狭間』から出られない人たちを対象に防衛する意味はあるのか?


 ……この塔が誰を対象に防衛しているのかは分からないが、誰を通そうとしているのかは分かる。

 例の仕掛けを見れば分かることだ。この塔は、『不老不死』の誰かを通すようにできている。

 つまり、アレーネさんを通すようになっているのだ。

 或いは、『不老不死』を自由に動かせる誰かか……人工生命の失敗作を処分する誰か、も。


 ……そもそも、この塔は、何だ?

 スフィク氏は、『兵器』と言っていたが。

 だとすれば、この塔の最上階に何かがある、のだろうか。

 ……いや、言葉をそのまま解釈するのならば、この塔は『塔そのものが兵器』なのだ。

 だとすれば、アレーネさんの目的は……。




 気づけば、俺の目には最上階の床が映っていた。

 いや、床と言うべきではない。そこには何も無かったのだから。

 ただ『秩序』だけが存在していて、『ここに床がある』と定めているだけだ。

 要は、何も無い宙にアレーネさんが1人、立っていた。




「あら、眞太郎君。来たの」

 アレーネさんは微笑みつつ、振り返る。

「アレーネさん」

 アレーネさんの微笑みは、意味深だ。その微笑みが、喜びなのか、悲しみなのか、或いは怒りを隠すものなのか、呆れなのかもよく分からない。

 意図が分からないのだ。アレーネさんが、何を思ってここに来たのか。何を思って、今、俺に近づいてきているのか。

「眞太郎君、少し、お話しましょうか」

 そう言いながらも、アレーネさんは微笑みを崩さない。

 ……奇妙な、感覚。今まで知っていた人が、知らない人になってしまったような。

 違和感、と言えばいいのだろうか。

「どうしたの、眞太郎君。そんな顔しないで頂戴?……私が、怖い?」

「いえ……」

 アレーネさんの出生を知ったからだろうか。

 それとも、この塔について、分からないことが多いから?

 或いは……或いは!

「……1つ、聞いても、良いですか」

「どうぞ?」

 微笑むアレーネさんの顔を、もう一度見つめ直す。

 しどけなく結われた黒髪も、宵闇のような瞳も、緩く弧を描く口元も、知っているアレーネさんそのものだ。

 だが。

「俺、最初にアレーネさんと会った時に出してもらったチョコレート・アイス、凄く好きだったんですよ」

 唐突な内容に、アレーネさんは若干、眉根を寄せた。

「あの時のチョコレート・アイスのレシピ、教えてもらえませんか。何か隠し味、入ってましたよね。少しオレンジみたいな風味があった」

 俺は真剣だったが、目の前のアレーネさんはくすくす笑い出した。

「あら、そんなこと?」

「はい。そんなことです」

 くすくす、と笑いながら、アレーネさんは肩を竦めた。

「悪いけれど、忘れちゃったわ。だって随分前の事じゃない?」

「そうですか。残念です」

 アレーネさんは笑みを崩さない。だが、多分、俺の表情は、笑顔、という訳にはいっていないんだろうな。

「アレーネさんなら分かると思ったんですが。バーで出すためじゃないお酒の瓶がわざわざキッチンの調味料棚に常備されてたくらいですから」

 俺は長銃を素早く構える。

「グランマルニエ、でしたっけ」

 そして躊躇することなく、引き金を引いた。




 至近距離だ。外すわけもない。技術なんて必要なかった。必要なものは、撃つという意思。覚悟だけだった。

 そして、その覚悟だって、理詰めで得られただけのもの。

 もし、本物のアレーネさんだったとしたら、彼女は『不老不死』なのだから、撃ったくらいで死なないはずだ。

 偽物だったなら……死ぬのはアレーネさんの偽物だ。だから、撃つのが最適解。それくらいを考える余裕はあった。

 だから引き金を躊躇なく引いて……目的通り、アレーネさん、いや、『アレーネさんによく似た誰か』の胸を撃ち抜いた。




 つ、と、目の前の誰かの口から、血液が流れ出る。

「……あら……」

 目の前の誰かは驚愕の表情を浮かべ、震える指を動かして胸の傷を探り当てた。

 バニエラの銃は、実弾ではない。光線銃だ。討ち抜いた個所は綺麗に風穴となっている。

 指が傷口をなぞり……。

「案外早く、体験できちゃったわ」

 血が流れ落ちた口元は突如、笑みの形に弧を描いた。

「『不老不死』って、いいわね」




 どういうことだ。

 混乱する俺の目の前で、目の前の誰かの傷が塞がっていく。

 地面から水が染み出るように、光線銃で撃ち抜いた風穴が小さくなっていき……ほんの数秒で、完全に治ってしまった。

『不老不死』。

 アレーネさんは、『不老不死の人工生命』であったはずだ。それも、成功例が他にない、『唯一の』。

 ……だとしたら、目の前の、この人は何故、『不老不死』などと言っている?この人は本当に『不老不死』なのか?この人は……アレーネさん、なのか?

「困った顔をしているわね」

 アレーネさんに限りなく似ていて、しかし、致命的に何かが異なる。そんな笑みを浮かべながら、目の前の誰かは面白そうに俺を見つめる。

「そう、ね。躊躇なく引き金を引けたその度胸のご褒美に、少しだけ教えてあげましょうか」

 ……聞いてはいけないような気がする。

 この先の内容は、きっと俺に絶望をもたらす。

「眞太郎君。あなた、もう気づいているんじゃないかしら」

 血を舌が艶めかしく舐めとり、口元がより深く笑みの形になっていくのを見ながら、俺は、必死で長銃の標準を合わせ続ける。

「『私』のこの体は、『アレーネ』のものだったわ」


 聞くな、と、頭の中で叫ぶ俺が居る。だが、聞かなければならない、と、耐える俺も、また。

「じゃあ、アレーネさんは?」

 ふふ、と、場違いに柔らかい笑い声。

 そして……形の良い唇が、答えを紡いだ。

「さあ。消えたんじゃないかしら」


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