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103話

「行っ、て……眞、太郎……」

 ペタルは倒れ、白い床に血の赤を緩やかに広げながら掠れる声でそう言って、それきり目を閉じて動かなくなった。


 もっと早く気づくべきだった。

 ペタルは言っていた。『運命を変えようとしたとき、そのしわ寄せが来るのは、私かもしれないし、眞太郎かもしれない』と。

 ならば……もし、『どうしても誰かが犠牲になる』なら、この少女は当然、自分自身が犠牲になる運命を選ぶ。そんなこと、もっと早く気づくべきだった。

 漠然と、誰も犠牲にならずに済む未来があると思っていた。

 都合のいいハッピーエンドが用意されていると。

 だが、少なくとも……ペタルが、運命を見られる少女が選んだのは、この運命だ。

 これがペタルにとって、最善の運命なのだろう。


 だが、俺にとっての最善じゃない。




 望めば叶う訳ではないとも、現実はそんなに甘くないとも分かっている。

 しかし、足掻きたいと思った。

 足掻いて、脱してやりたいと思った。

 俺を、俺達を、そして誰よりもペタルを縛る運命から。


 糸巻きを取り出す。

 やり方は分かる。ソラリウムでアレーネさんがやっていたのを見た。

 倒れて血を流し続けているペタルの傍らに座り、糸で傷を覆う。

 ……極度の集中が必要だったし、全身に及んだ傷を覆うために、ペタルが繭のようになってしまったが……うまくいった。

 血液の流出は止まったし、かすかに、ペタルが呼吸しているのも分かった。

 とりあえず、完全な治療ではないが、応急処置はできた。

 次にやるべき事は……目の前の敵を倒して、これ以上ペタルの容態を悪化させないことだ。




 ペタルがわざわざ、文字通り身を挺しておれとスフィク氏を守ってくれた以上、『そうするしかなかった』と考えるのが妥当だろう。

 つまり、他の方法では回避できなかった、確実な安全を得られなかった、ということだ。

 ペタルがさっき使った蝶の魔法は、初めて見るものだったが……あの魔法以外の、例えば、花弁を盾にする魔法や、花嵐の魔法では駄目だった、ということだろう。

 360度から襲いかかってくる光の刃。全方位を防御する必要がある上、一定以上の防御力が無ければ、光の刃を止めることはできなかった。

 ……少し考えれば、結論はすぐに出る。

 俺には、あの光の刃を防ぐ能力は無い。

 だが、幸運なことに、光の刃はそうすぐに繰り出せるものでもないらしい。チャージ時間が必要なのだろう。敵は目の前で、装甲か鎧か分からないものを時折鳴らしつつ、しかし再び攻撃してくる気配は無かった。

 ということは……短期決戦に持ち込んでしまえば、勝機はある。

 ペタルの容態のこともある。決着が早くなるのは望むところだ。


 となれば、勝利への道筋を手早く組み立てる必要がある。

 使えるものは、テレポートの魔道具、バニエラの長銃、トラペザリアのコートとジェットパック、アウレの菓子類と、グラフィオの鞄と、ピュライの箱。それから……。

「おい!眞太郎といったな!貴様、何をしている!早く行け!」

 スフィク氏は、繭のようになったペタルを背に庇いながら、剣を構えていた。

「ペタルの……私の妹の意志を踏みにじる気か!」

「はい、そうです」

「なんだと!?」

 ……それから、スフィク・アリスエリアという、優秀な魔法剣士も、使える。

「アレーネさんもペタルも、死なせません。ペタルが選んだ運命をねじ曲げます。そのために、協力してください」

 スフィク氏は唖然とし……それから、高慢そうな笑みを浮かべた。

「面白い。手を貸してやる!」




 スフィク氏とは以前、ピュライで殺し合いをしたことがあるから、彼が大体どんな力を持った魔法剣士なのかは分かっている。

 彼は氷の魔法を得意としている。そして、それに関連する魔法や剣技。それから、運命を見る能力も。

 彼という駒を最大限に使って、目の前の敵に勝つ。

 ……多分、できる。

 あとは、より確実で安全にやりたい。なら、使えるものは遠慮なく使う。

「あいつを撃破した時、何かよくないことが起きたりしますか?」

「私に運命を見ろと?……ふん、まあいい」

 スフィク氏に尋ねると、若干不服そうながらも、その瞳をどこか遠いところへと向けてくれた。

「……見えたぞ。特にな何があるわけでもないようだ。尤も、殺せれば、の話だ。私では、こいつを殺したらどうなるか、は見えたが、どうすれば殺せるのかは見えなかった」

 なら大丈夫そうだな。うっかりあの怪物を倒した時点で爆発するとか、そういうことがないと分かっただけでも十分だ。

 そして、あいつが『殺せる』のだと分かったのだから十二分。

「なら、スフィクさんは3秒、足止めをお願いします」

「ふん、この私を足止めに使うとはな。……分かった。ただしきっかり3秒だ。それ以上はあんな化け物、止めおけんぞ」

 スフィク氏はそう言って剣を納め、鞘ごとの剣を地についた。恐らく、鞘に納めた剣は魔法の杖代わりになるのだろう。

 俺も、目的の物を懐から取り出しつつ、ジェットパックに手をかけて……スフィク氏にいくらか、補足事項を伝えることにした。

「3秒で十分です。ただし……全身、固めておいてください」

「なっ」

「それから、あの化け物、死ぬまでの1分少々、とんでもなく強くなると思うので、ペタルと一緒に防御をお願いします」

 ……スフィク氏は愕然とした表情を浮かべていたが、多分、やってくれるだろう。

 あのペタルと血のつながった兄なのだから。


「じゃあ、俺が化け物に接近してから3秒。よろしくお願いします」

「さらにその後1分少々、か。全く、いいように使ってくれるな、貴様……」

「よろしくお願いします」

「分かっている!……早くしろ。急ぐのだろう?」

 了承も得られたところで、俺はジェットパックを起動する。

 向かう先は……あの化け物の口の中だ。




 飛ぶ。

 化け物は早速、俺の動きに気づいて、光線を飛ばしてくる。しかし、光線は氷の壁に阻まれて、俺に届かない。

 どうやらスフィク氏は注文以上の働きをしてくれるらしい。

 ならば、安全策をとる必要もない。俺は真っ直ぐ、相手からすれば読みやすいことこの上ない軌道で、化け物の口へと向かった。

「おい、無茶をするな!こちらの負担も考えろ!」

 スフィク氏が何か言っているが、答える余裕もない。

 俺は化け物の頭部へ接近。同時に、化け物の四肢と首が凍り付いて、化け物の動きを封じた。

 1秒1秒、いや、一瞬一瞬がスローモーションに感じられる中、俺は化け物の口に手をかけて、極僅かな隙間をこじ開けた。

 そして、その中に……ありったけ、放り込む。

 バキリ、と氷が砕ける音が聞こえて、すぐジェットパックを最大出力にして離脱。

 スフィク氏のそばまで戻ってくると、スフィク氏は器用にも、化け物の口を凍り付かせて、口を開けないように細工してくれていた。

 ……その甲斐あってか、化け物に変化が現れる。


 ミシリ、と、嫌な音が響く。

 やがてその音はより激しく大きくなり、ついには破壊音を伴い始める。

「……えげつないことをするな、貴様……」

 俺達の目の前で、化け物の装甲が砕け散った。流石に、『内側から』の力には耐えきれなかったらしい。まあ、耐え切れたら耐え切れたで、その方が楽に倒せたんだろうが……。

 そして、砕けた装甲の隙間から、巨大な翼が現れた。

 1枚。そしてもう1枚。

 ………一拍後には、装甲が完全に割れ砕け……中から、暴走しているドラゴンが、現れた。


 俺が化け物の口に放り込んだのは、ドラゴンに変身できるアレだ。

 変身中はたっぷりと魔力を消耗し、使い方を間違えれば死にかねない、というアレだ。

 そんなアレこと『ドラゴンタブレット』を……一気に20錠ほど、ぶちこんできた。




 暴走するドラゴンの威力たるや、すさまじい物だった。スフィク氏が張った防壁すら一撃で破壊するまでに強力な攻撃を……見当違いな方向に繰り出し続けている。

「ば、馬鹿!この塔を破壊させるわけにはいかんのだぞ!?」

「それはドラゴンに言ってください!」

 だが、俺達に攻撃が来ないのはありがたいのだが、この塔を破壊されるわけにもいかない。

 従って俺達は、スフィク氏が防御に徹し、俺がバニエラの長銃でドラゴンを狙って注意をこちらに向かせる、という戦略をとる羽目になった。

 ……だが、方針は概ね、正しかった。

 ドラゴンタブレットを20錠も投与された化け物は、化け物であっても……いや、化け物であったが故に、みるみる消耗していった。

 装甲の内側で膨れ上がった体は、装甲を破壊するまでに締め付けられて十分に傷ついたようだったし、ドラゴンになってしまった後も、その大きな体躯が災いしてか、消耗が非常に大きかったようだ。

 ……そして。

「……やったな」

 目の前で、ドラゴンの体がボロボロと崩れていく。

 魔力を使いすぎて死ぬ、というのはこういうことなのだろう。

 強いが故にあっさりと死んだ生物の今際を、特に感慨も無く見終えた。

「……本当にこうも簡単にやってしまうとは……金に物を言わせる戦略だが、確かに効果的だな」

 そういえば、ドラゴンタブレットは中々に高価な品なんだったか。今は時間を金で買えるならいくらでもそうしたいので後悔なんて無いが。




「スフィクさんは、回復の魔法を使えますか?」

 敵の心配もなくなったところで、ペタルの処置に移る。

 ……とは言っても、俺にできる事など無いに等しい。糸を使って傷をふさぎはしたが、傷を治せたわけじゃない。

 流れた血は許容範囲内だったと思うが、内臓をやられているのかもしれないし……ペタルが使った魔法が『そういう』ものだった可能性もある。

 できれば、すぐにでもちゃんとした治療を行いたいのだが……。

「癒やしの魔法など、使える人間がそうそう居るわけがないだろう。生憎私は使えん」

 ……少なくとも、この場でできる処置はもうほとんど無いようだ。

 せめて気休めに、精神力回復のキャンディを取り出して、ペタルの口に含ませた。

 すぐに処置できないのならば、安全な場所で安静にさせなくてはならないだろう。

 だが、ここで『世界渡り』をしている余裕は無い。……ならば、取れる選択肢は1つだ。

「スフィクさん、ペタルをお願いします」

 声をかけると、スフィク氏は意外そうな顔をした。

「いいのか?私は貴様を殺そうとした人間だが」

「そんなこと、今更ですよ。今は同じ目的のために手を組んだ仲間同士でしょう」

 思わず苦笑いしながら答える。案外この人は、繊細な人らしい。

「それに、ペタルのお兄さんだ」

 続けて言えば、スフィク氏は眉を顰めた。

「それこそ今更だろう。私はこいつからアリスエリア当主の座を奪った。こいつとは理想の形も異なる。いわば、敵同士だが?」

「ペタルはそうは思ってないらしいですよ」

 だが、俺はペタルがスフィク氏をそう悪く思っていない事も知っている。

 さもなくば、どうしてピュライの『翼ある者のための第一協会』を潰したとき、スフィク氏を見捨てなかったのか。

 更には、手紙も書き残してきたのだ。端から分かり合おうとしないのであれば、そんなことをするはずがない。

 ……スフィク氏も思い当たる節があるのだろう。うんざりしたような顔をしつつ、しかし、ペタルの周りに結界らしい魔法を組み上げた。

「どうやらピュライの未来はこの先で何が起こるかにかかっているらしい。……そして、この先で事をなすのは私の役目ではないのだろう」

 ふと、部屋の空気が冷えた。

 見れば、スフィク氏が剣を抜いて構えている。

 そして、ペタルを背に立つスフィク氏の前には、新たな敵が現れていた。先程の敵程ではないにしろ、そこそこに硬そうな甲殻を纏った、大型犬くらいの大きさの生物が。

「さっさと行け、眞太郎」

 スフィク氏は俺を追い払うように手を振って、それきり俺とは目を合わせなかった。

「……行ってきます」

 返事は無かったが、それでいい。

 俺は、恐らく最上階へ続くのであろう階段へ、足を踏み出した。


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