101話
階段を上った先にあったのは、大きな扉だった。
扉は、半ば、塔と一体化していた。だから、この扉を破壊することはできない。恐らく、破壊してしまったらこの『世界の狭間』の崩壊につながるだろうから。
扉の横には、電話ボックスのようなものが置いてある。中には、電話ではないが、恐らく魔法の類を動力としているのであろう装置が設置されている。魔法の世界の電話ボックスがあったなら、こんな様相かもしれない。
……ただし、その中は赤黒く染まっている。
装置から香るのは、鉄錆の香り。つまり、装置内部を染め上げているのは、おびただしい量の血、ということだろう。
「この仕掛け……動かしたら、中にいた人は……?」
「死亡します。それが『人』であれば、の話ですが」
「え、じゃあ、動かさない方がいいよねー?」
「そういうわけにはいきません。この装置は、この扉を開くための装置なのですから」
「この装置の仕組みは至ってシンプルです。この扉を開きたければ、誰かが装置の中に入って操作を行う必要がある。操作すると装置の内部に棘が突き出され、内部に居た者を刺殺します。回復されるなどの手段により、万一、棘によって死ななかった場合に備え、天井部分を用いた圧殺も行うようになっているようです。そして、それらの動作の後に扉が開くシステムのようです」
ニーナさんが装置の解析を行って、そう説明してくれた。
「……悪趣味な仕掛けね」
「このような仕組みを作っておくことは、防衛に際して少なからず有効でしょう。確実に相手の戦力を削ることができますし、士気の低下も期待できます」
フェイリンは酷く苦い顔をし、ニーナさんは相変わらずの無表情だ。
「なんとかこの装置、出し抜けないかなー?例えば、私が水を操って外から操作するとか」
「不可能かと。装置の内部では一切の魔法が使えないように設定されていると推測できます」
それでも試しに、とばかりに、泉が水玉を宙に浮かべて、装置内部へと潜り込ませる。
……しかし、水玉は装置内部に入るや否や、形を崩して消えてしまった。
どうやら、ニーナさんの見立ては正しいらしい。
「……俺が操作してからテレポートで逃げる、っていうのも」
「不可能でしょう。……そうでなくとも、リスクが大きすぎます」
こっちも駄目か。
アレーネさんはどうやってここを突破したんだろうか……。
「あ、あの、他の道は、無いのかな……?」
「塔を外部から観測した結果とこのフロアの面積から考察すると、この道以外のルートは存在しません。敵も普段からこの仕掛けを利用しているのでしょう。恐らく敵は、使い捨てるための人材をほぼ無限に所有しているのでしょうから」
フェイリンの水晶玉で見た、アレーネさんにそっくりな誰かの死体を思い出す。
……つまり、敵は、ああいった『人間のコピー』を生み出す技術を持っているのだろう。
「この仕掛けを壊してしまうのも駄目なのかしら?」
「はい。扉を開く手段は、外側から開くのを待つか、或いはこの装置を動作させるかのいずれかしかありません。他に手段があったとしても、探る時間は無いかと思われます」
……ただでさえ、手段は限られるというのに、さらに、時間も無いときた。
今この瞬間にも、アレーネさんの身に何か起きている可能性が高い。
だから……俺達の最善は……もう、分かっている。
「ペタル。貴様はどうする気だ?死者を出さずに突破する方法は無いぞ?」
スフィク氏の問いに、ペタルははっきり答えた。
「進むよ。……そうしないと、アレーネさんも、ピュライも、救えない」
ペタルの答えに、スフィク氏は意外そうな顔をした。
「ならば、誰を殺すつもりだ?まさか、貴様自身が死ぬと言うのではないだろうな?」
「……私達は1つだけ、『死者を出さない』手段を持ってる。……そうだよね、ニーナさん?」
「その通りです、ペタル様」
ニーナさんは表情を変えることなく、進み出て、言った。
「私が装置を作動させます」
「……正気か?死ぬのだぞ?」
「死ぬのではなく、ハードウェアをスクラップにするだけです。私はアンドロイドですから」
スフィク氏は、アンドロイド、と呟いて、不可解そうな顔をしている。
……そういえば、この人は生粋のピュライ人なんだった。アンドロイドと言われても分からなくて当然か。
「メモリのバックアップがありますので、私の復元は容易でしょう。その分、コストが掛かってしまいますが……いっそこの機会に、バニエラの最新機に買い換えるという選択も、考慮の余地があるかと」
「しないからね、買い換えなんて」
ニーナさんは淡々としているが、こちらはそうもいかない。
……分かってはいるのだ。ニーナさんはアンドロイド。新しい体を用意して、そこにメモリを戻せば、大体は、復元可能だ、と。
トラペザリアの一件ではそれを既にやっているし、何を今更、とも思う。
しかしどうにも、やるせない。こんなこと、したくなかった。
……だが、やらなくては、アレーネさんと……ペタル曰く、ピュライも危ない、と。
「では、皆様、御武運を」
「ニーナさん!」
装置へ向かって踏み出したニーナさんに、たまらず声をかける。
「……本当に、ごめん。装置を、よろしくお願いします」
だが、こんなことしか言えなかった。他に何が言えるっていうんだ。死んでくれ、とでもいえば、誠実なのか。
そもそも、謝ることだって恐らくは、自己満足でしかないのだ。ニーナさんは俺の言葉なんて必要としていないのだから。
「……眞太郎様」
ニーナさんは振り返ると、いつも通りの無表情で続けた。
「大変申し訳ありませんが、私はN-P025型アンドロイドとして欠陥品ですので、眞太郎様や皆様から読みとれる感情に対して、非合理的である、としか判断を下せません」
そう言って、ニーナさんは装置の方へと進んでいく。
「ですが、人間はこれを、優しさというのだと、推測することはできます。……できるように、なりました」
ニーナさんは装置の中に入り込むと、何か操作して……俺達の方を見た。
「では皆様、どうかご無事で。……アラネウムでまたお会いできることを、『心より』望んでおります」
ニーナさんの声が聞こえてすぐ、すさまじい音と共に、装置内部に棘が伸び、そして、天井が落ち、そこに誰かがいたことなど、分からなくなった。
「……行こう。扉が開いてる」
俺達は部屋を後にする事にした。
感傷は振り払う。非合理的だ。それに、『優しさ』だって、今は必要ない。
ニーナさんは装置が作動する直前、N-P025型アンドロイドらしい……いや、実に人間らしい微笑みを、はっきりと浮かべていた。
もう一度、アラネウムであの顔を見たいと、思う。
上るにつれて、塔はより人造物らしくなってきた。
ガラスのような階段が整然と並び、真っ白な壁を伝って上へ上へと伸びている。
「この壁のかんじ……どこかで見たことがある気がするわね」
「多分、フェイリンさんの水晶玉だよー。ほら、アレーネさんの……そっくりさんが、死んじゃってたときの」
フェイリンと泉の会話で思い出す。
アレーネさんによく似た死体の映像を見たとき、この壁みたいに無機質で真っ白な床に血だまりができていた。
「……終点が近いのかもしれんな」
ガラスのような透明の階段は、真白い天井へと吸い込まれている。
「……血の匂いがする……それから、すごく、アレーネさんの匂い……?ううん、違う……?」
階層を上ってすぐ、イゼルが鼻を動かして、困惑の表情を浮かべた。
だが、俺は……恐らく、この面子の中で唯一この光景の意味が分かるのであろう俺は、もっと困惑していた。
室内にはずらりと、SF映画にでてきそうなカプセル型培養槽が並んでいる。
しかし、それらは全て壊されており、床には血が混じった透明な液体とガラスのようなものの破片、書類やノート、何かの肉片……といったものが散乱していた。
……床に落ちた書類には、こう書いてあった。
『不老不死の人工生命に関するレポート』。
血に塗れたレポートにざっと目を通す。
レポートは、スフィク氏が手にいれたあの半分だけのレポートの写しらしかった。
『私達は不死の軍団の先駆けとなるであろう不老不死の人工生命を生み出すことに成功した。しかし研究には再現性が得られず、不老不死の人工生命を量産するには至らなかった。
よって我々は、唯一の成功例となった人工生命を研究する必要があったが、第二研究室にて保管されていた異界の魔道具を奪い人工生命は逃亡。その後、人工生命を異界にて再発見。機密に関わる者以外に詳細を知られないよう、情報規制しつつ回収することが望まれる。
尚、人工生命は戦闘力が高いため回収の際には注意すべし。
また、人工生命は異界にてアレーネと名乗っている模様。』
……今まで拾い集めてきたパズルのピースが、組み合わさる。
アレーネさんは……『不老不死の人工生命』だったのか。
何故、アレーネさんの出身の世界の話が全く出なかったのか。それは、アレーネさんがこの『世界の狭間』で生み出された人工生命だったから。
アレーネさんが『翼ある者の為の第一協会』に追われていたのも、唯一の成功作だったから。
もしかしたら、アレーネさんがあらゆる世界に適合できるのも、人工生命だったからなのかもしれない。
……そして、何より。
アレーネさんが1人で、この塔を上ったのだとしたら、さっきの仕掛けを抜けられたのはおかしいのだ。
必ず1人が犠牲にならなければ通り抜けられない扉。仕掛けの内部で操作が必要だから、協力的ではない誰か……敵などを利用して抜けることもできない。
だが、アレーネさんが文字通りの『不老不死』なら話は別だ。
自分で仕掛けを作動させて扉を開き……死なずに生き残って、扉を抜ければいい。
成程、そう考えると、この塔は……不老不死の者なら、自由に行き来できるようにできているんだな。
壊れた培養槽の列の間を進んだ先に、扉があった。
先程の扉と同じように、隣に何らかの仕掛けがあるタイプの扉だ。
だが。
「……あれっ?開いてる?」
「開いてる、ね……?」
扉は、押せば簡単に開いてしまった。
「ねえ、この仕掛け、もう解き終わってるんじゃないかしら?」
フェイリンが扉の横の仕掛けを覗き込んでそう言う。
俺も見に行くと、そこには『OPEN』と表示されたモニターのようなものと、操作盤があった。
何らかの操作を行えば開くようにできているのだろう。
……問題は、誰がこれを開けたのか、ということだが……普通に考えれば、アレーネさん、だろうな。
「行こう」
罠の可能性も考えたが、そんなものを考えて躊躇する時間も無い。
俺達は扉を抜けて、次の階層へと進んだ。