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1話

異世界。

異世界と言われてなんとなく思い浮かべるものが、皆それぞれにあると思う。

剣と魔法の世界であったり、オーバーテクノロジーの世界であったりとか。

それらは俺達の世界において、物語……いわゆるフィクションとして登場する。

そんな世界に行ってみたいと思った事がある人も多いと思う。俺も思ってた。

或いは、非日常。

凡庸な毎日に加えられる、キツ過ぎる程のスパイス。

超常現象も異能力者もアリ。今まで見た事も無かった世界の裏側を覗き込むことにだって、憧れる人は多いはず。俺も憧れてた。




……やめておいたほうがいいよ。本当に、やめておいた方がいいよ。

少なくとも俺は、普通の世界に居るべきだった。

異世界になんぞ行くものではないし、世界の裏側が見えかけたら、すぐさまダッシュで逃げるべきだった。

現に今、俺は滅茶苦茶後悔している。




「ふふ、碌な抵抗も無し、か。正義の味方は大変だな?」

俺の周りを囲む、怪しげな黒スーツの集団。

声を掛けられるより先に逃げるべきだった。どう考えてもこの連中、『普通の』人間じゃないだろう。

……それは、『堅気ではない』という意味でもあり……。

黒スーツの中でも一番よく喋る奴が、ぶっ倒れた俺の顔の横で、革靴の踵をアスファルトに叩きつけた。

その瞬間、俺の体に凄まじい重圧が伸しかかる。まるで、重力が倍になったかのように。

……こんなあり得ない現象を見るのも、これで数度目になる。

俺の鞄は突如炎上したし、靴が凍り付いたし、俺自身も、何もされていないのに吹き飛ばされてフェンスに衝突させられた。

最早、鞄の中にお気に入りの作家の新刊が入っていたことを気にする余裕も無ければ、割と最近買い替えたばかりの靴を惜しむ余裕も無かった。

そして今、不自然にかかる重力によって、俺の体はアスファルトにべったりと縫い留められている。

「もう一度聞こう。……アレーネはどこだ」

「しらな……」

知らない、と、極々正直に答えたところ、体にかかる重力が増した。

肺の空気が押し出され、息ができない。いよいよもって体がみしみしと悲鳴を上げ始める。

「強情もほどほどにしておけ、アリスエリア」

何か相手が言っているのが聞こえるが、俺の頭は何も理解していない。

只々、理不尽な暴力に対して、「あ、そろそろ泣きそう」などと考えつつ、耐えるだけ。

……これが非日常要素だとしたら、こんなものは要らなかった。

いつも通りに帰宅して、自宅でのんびり読書でもしていられればそれでよかったんだがな。

本当に、碌なものじゃない。

これだから、非日常も異世界も……。


「そこまでだよ!」

不意に、鈍い音が数度、聞こえると同時に体が軽くなった。

肺に空気が流れ込んできて、咳き込む。

……俺に伸しかかっていた重力はすっかり消え失せていた。

痛む体をなんとか起こしてあたりを見ると、黒スーツたちはそれぞれに倒れて動かなくなっており……少し離れたところに1人の女性がいて、そして。

そして。

「……え?……俺?」

俺の目の前に、俺が居た。

俺が、居た。


今更、俺自身の頭がおかしくなったと言われても納得するしかないが、それにしたって、これは一体、何なんだ。俺のそっくりさんだろうか。それとも、ドッペルゲンガーか。ドッペルゲンガーを見たら数日以内に死ぬとかいう都市伝説が無かったか。ということは成程、俺は死ぬのか。了解。

「後は私達に任せな、ペタル!とりあえずそいつを連れて逃げろ!」

「うん、分かった!ありがとうオルガさん!……ちょっと、ごめんね」

俺の頭の中に渦巻く疑問に回答は無く、代わりに俺は、俺の姿をした何かに顔を覗き込まれていた。

その時初めて、目の前の俺の目が、俺とは違って銀紫色をしていることに気付いた。けれど、それ以外はまるっきり俺と同じ見た目をしている。

「え、あの、なんで俺?」

「うん、ごめんね、今は説明している時間が無いんだ……ちょっと診せて」

俺の姿をした相手は、俺の目を覗き込み、それから肩、胸、腹……と触っていき……。

「っ!」

脇腹を触られた時、激痛が走った。脳髄を無遠慮にぶっ叩かれたように、痛みが全身を駆け抜けていく。

痛い。これは痛い。

「ああ……アバラ、やっちゃってるね……それから、脚もちょっと、駄目かも」

一度痛みに気付いてしまうと、後から後から痛みが湧き出て止まらない。

脇腹は鋭い痛みを感じ続けていたし、脚も……骨折していると言われても納得できる程度には痛い。

傷口を見ると余計に痛くなる、というようなことを聞いたことがあるので、患部は見ないことにした。これ以上痛くなられたら流石にちょっと耐えられる気がしない。

「じゃあ、応急処置だけ」

俺の姿をした何者かは俺の隣に膝をついて、俺の脇腹あたりに右手を触れて、目を閉じた。

……そして、俺は本日何度目かの『ありえない現象』を目の当たりにした。

俺の脇腹に触れる右手が、ぼんやりと銀色の光を宿す。

すると、熱を持って痛む脇腹に、ひんやりとした心地よさが染み込んできた。

ひんやりと冷たい感触は痛みを覆っていき……右手が離れた時、俺の脇腹の痛みは消え失せていた。

「な……」

「じゃあ、脚も」

続いて、脚にも同じような銀色の光が施される。

やはり同様に、脚の痛みもすっかり消え失せ、体はまだあちこち痛むものの、ある程度思い通りに動くようになっていた。

最早、驚くことすらできない。もう本日分の驚きは全部出尽くした。品切れだ。

今の俺を満たしているのは諦念にも似た何かだけだ。

「これでどうかな。まだ酷く痛む所はある?このまま少し走れる?」

「いや……多分、大丈夫」

「よかった。なら、悪いけれど、ついてきて。ここにこのままいたら、もっと危ないから」

もう異常事態はお腹いっぱいだったが、安全な異常と危険な異常を天秤に賭ければ、答えはあっさり出た。

「……分かった」

俺は、俺に差し出される俺にそっくりな手を取って立ち上がった。




俺は俺の姿をした誰かに誘導されて、裏道を駆け抜けていた。

筋金入りのインドア派ではあるが、命の危機ともあれば走らない訳にはいかない。

建物の中を幾つか突っ切って、裏通りを駆け抜け、道とも言えないような道をすり抜け。

その間、俺も、俺の姿をした相手も、必要最低限の会話しかしなかった。

つまり、「次は右に曲がるよ」だとか、「このブロック塀を足場にして登って」だとか、そういう指示が相手から飛んでくるのに対して、俺がなんとか返事をするだけ、という。

……であるからして、俺の中には依然として疑問が解決されないまま残っていたが、只々無心で走り抜けた。


走って、走って、走っている内に俺は来たことの無い場所まで来ていた。

……この街に住み始めて1年以上経ってはいるが、インドア派であるが故に、俺が知らない場所は割と多い。

レンガ色のタイルで舗装された道は、恐らく駅の近くの通りなのだろう、と思われたが。

「こっち。狭いけれど、多分通れるよね?」

そして、仕上げにもう一度、狭い狭い隙間を通り抜けると……。

「……ふう。ここまで来ればとりあえず大丈夫」

目の前には、古びて洒落た……言うなれば、アンティークな店があった。

灰褐色のレンガとくすんだ漆喰の壁、深い艶のある木のドア。窓には厚さの不均一な色ガラスが嵌めこまれている。

そしてドアの前には『ARANEUM』と看板が出ていた。

……アラネウム?蜘蛛の巣?

「とりあえず中に入って」

俺は俺の姿をした相手に背中をぐいぐい押されて、店内へ入ることになった。




からり、とベルを鳴らしながら店の中に入れば、低く小さく、何かのジャズミュージックらしいBGMが響く。

薄暗い店内には、俺達の他に客は誰も居ないらしかった。

「いらっしゃい……あら?」

そして、薄暗い店の奥、カウンターの奥から、1人の女性が現れる。

「珍しいわね。……どうしたの?お客さんを連れてくるなんて」

……一言で言ってしまえば、妖艶な美女。

喫茶店の主人というよりは、バーの女亭主と言った方が通りが良さそうなドレス姿は、露出がそんなに多いわけでもないのに、妙にエロティック。

艶やかな黒髪はごく緩くまとめられており、まとまりきらなかった髪が垂れている様もどこかしどけない。

細められた目も、緩く弧を描く唇も、どこか気だるげで……総じて、妖艶な美女、と言うしかない。

「うん。アレーネさん。ちょっと困ったことになっちゃって」

俺の隣で、俺の姿をした何者かが困り顔で答えると、アレーネと呼ばれた喫茶店の主人らしき女性は、1つため息を吐いた。

「ペタル、とりあえず、元の姿に戻ったらどうかしら?……ほら、お客さんが困っちゃってるじゃないの」

そこでようやく、俺の姿をした何者かは、自分の姿に気付いたらしい。

「あ、そっか、変身したままだった……ええと、こう、かな?」

何やら虚空に向かってぶつぶつ呟くと……どろり、と俺の姿が……溶けた。

「……ひぇー……」

……自分と同じ姿が、でろっ、と溶けていく様子は、控えめに言っても、こう……衝撃だった。

顔面が引き攣るのを感じながら、しかしでろでろと溶けていく俺と同じ姿にすっかり目が釘付けになったまま、時間が経過し……やがて、すっかり俺と同じだった姿が溶け落ちると、中から1人の少女が現れた。

肩くらいまでの銀髪に、銀紫の瞳。人形めいた容貌。

……どこからどう見ても、日本人らしさの欠片も無い少女に、しかしもう驚くことすらできない。随分前から俺の驚きは品切れ状態のままだ。再入荷はいつだろう。

「ええと……改めて、初めまして。私はペタル。ペタル・アリスエリア。……今回、君があいつらに追われる原因は私。……ごめんなさい」

俺より大分低い位置になった相手の顔は、心底申し訳なさそうに俺を見ていた。

「あー……俺は、峰内眞太郎……ええと……」

そんな相手を前に、色々と処理能力をオーバーしかけている俺は何か気の利いたことを言うでもなく、突っ立っていることしかできない。


そこで、パン、と手を打つ音が響いた。

「ペタル。眞太郎君。2人とも、そこに立っているよりは、席に座ってお茶を飲みながら話した方がいいんじゃないかしら?」

見れば、アレーネさんが呆れたような笑みを浮かべながら店の奥のテーブルを示していた。

「うん……そうだね。じゃあ、座りながら話そうか。君も知りたいよね。……それに、多分、これからも君は狙われるだろうし……」

……成程。

いよいよもって、戻れない位置まで厄介ごとに巻き込まれたらしい事だけは分かった。


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