瓶詰めふりかけ
※ちょっとアレな表現があるので閲覧注意。
遅れて出来上がった味噌汁をテーブルに置き、テレビのスイッチを入れて、リモコンを手に取った。
味噌の香ばしい匂いと、出汁の香りが混ざり合って、狭いリビングを満たしていけば、会社で疲れた心さえも癒されていくように思える。
ガヤガヤと煩いチャンネルを弄り続け、漸くニュース番組で指の動きは止まった。この時間帯はバラエティー番組が多い所為か、探すのに手間取ってしまったな。
ぼんやりとした意識をテレビ向ける。ニュースキャスターは行方不明になった少女の事や、有名な劇作家の死や、流行り始めたインフルエンザについての報道をしたり、それについての議論を交わしたりしている。
僕は表示されるゴシック体の文字を見つめながら、つやつやとした白米の上にふりかけを散らした。不思議と胸が躍る。
このふりかけもこだわりが強いもので、自分で材料を用意して作ったものである。
家にあるフードプロセッサーのお陰で、僕は自分の好きなもの(まあ、例を上げるなら、野菜とか、しゃけの切り身とかだろう)で白米を満喫しているのだ。
僕の夕餉はこれを以って完成するのだが、周りの人間には見せられないほど、質素な出来栄えとなっている。
ふりかけご飯、豆腐とワカメとネギの味噌汁、三枚のタクアン。
朝ご飯とも見紛う、栄養価の低そうな食事だ。
仕事の所為で買い物に行く時間も気力もない僕は、日曜日に買い貯めた一週間の材料を遣り繰りしなければいけない仕様であり、6日目の今日日冷蔵庫の中が空っぽなのは致し方ない。
いや、そもそも、僕は張り切って贅沢をするつもりは無いのだけれど。
白米の湯気が鼻腔をくすぐった刹那、僕の脳に一瞬電流が走った。そういえば!、と僕はテーブルを立つ。
僕は情けない事に、仏壇にご飯を上げるのを忘れていた。彼女の事を差し置いて、先にご飯にありつこうとした自分を叱りつけてやりたい気分になる。
仏飯器にお米を盛り、遺影に隣り合わせてやれば、写真の中の彼女と目があった。
いつも変わらない、優しい笑顔を湛えた彼女は、僕の胸をチクチクと刺激する。
彼女は、若くしてガンで亡くなった。
高校以来の友人であり、僕の初恋の相手である彼女とは、恋人関係にあった。いや、過去形を使うなんて悲しい。僕と、彼女は今も恋人だ。うん。死んだ後に縁が切れてしまうなんて、そんなの悲しい。
話が脱線したな。
当時の僕はゲームだとか、学校行事だとか、焼肉食べ放題がなんだとか、その辺の話を友人としていた。可もなく不可もなく、個性も彩りもなく…。
きっと”そこそこ”を集めれば、多分それは僕に成る。
勉学もそこそこ、運動もそこそこ、人望もそこそこ、etcそこそこ……
まあ、とどのつまり、僕は居ても居なくても変わらないような、そんな可哀想な男だった。
そんなある時、僕のバイト先に新しい子が入ってきた。その子が彼女だったという訳である。彼女は不器用で、お金の数え方も接客も下手くそだったけれど、愛嬌は人一倍だった。
クレーマーに当たってもへらへら笑いながら対応し、話しかけられれば喜怒哀楽の表情がコロコロと変わり、話題も豊富であった。その性格からか、やはり彼女は人に好かれた。…彼女を特別にしたがる人も少なくはなかった。
僕はそんな彼女を横目で見ていただけだったが、同じ高校生と言うことで、シフトの時間が被る時が多く、勿論彼女と共に仕事をする時間も多かった。
先輩としての僕は、いつの間にか彼女に好意を寄せられていたらしい。バイト帰り、彼女に呼び出され、そのことを打ち明けられた。
こうして僕らは結ばれた。すぐに切れる縁かと思ったが、そうでもなかった。
僕もまた、彼女を好いていたのだから。
僕らの恋愛は、そこらの男女のそれとは違って、純粋で、素朴な、初々しい物だった。
初心な彼女とは、手を握るのにも苦労した。ああ、いや、僕もまた、手を差し出す事にすら、緊張で可笑しくなりそうになっていたから、まあ、おあいこなのだろう。
彼女が僕を見つめている。
額縁の向こう側から。
僕はそれを虚ろに眺めては、口角を上げる。
「おいしい?なら良かった。」
線香の煙は、誰にも届かずに虚空へ消えていった。
僕は寂しくなったテーブルを一人で囲う。もう、栄養満点だった彼女の料理が並ぶ事も、彼女の笑い声が通る事もない。
どうしよう、どうしよう。
彼女がいなくなるなんて想像出来なかった。僕は一体これからどうすればいいんだ。
頭の中で迷いや狼狽えが反芻する。それは二ヶ月前から、ずうっと呻いている声だ。
僕はお茶碗の中身を口に詰め込んで、その声を喉奥に流し込んでやる。
いくらか、心が落ち着いた気がした。
そうだ、こうして僕と彼女は此処にいる。こうして一緒にいるんだ。
遺影の彼女は優しく微笑んだままだ。
無言で食べ進めていく。
いつの間にか、茶碗に箸の当たる音がするようになってきた。お米がお椀の底で、二口分程残っている。
僕は瓶の蓋を捻って、残り少なくなったふりかけを惜しげも無く使った。
全部食べないと、僕は僕を赦せなくなりそうなのだ。いや、厳密に言えば、許してもらおうだなんて思ってない。寧ろ、僕は、彼女が僕にそうしたように、僕自身を縛り付けたいのだ。
彼女は、生きてくれという願いで僕を永遠に縛り付けたのだから、僕はそれに従いたいのだ。
永遠に。
天の彼女は僕の様子を見てどう思っているのだろうか。
やっぱり気狂いにでも見えているのだろうか。僕はそれでも構わない。僕は、僕の愛が永遠の物だって証明したいんだ。
ああ、君に呪われた僕の我儘を、どうかずっとずっと見守っていてくれ。
僕はいつも通り、彼女の遺骨をフードプロセッサーにかけてから、それをふりかけの瓶に流し込んだ。
涙がぼろぼろと溢れ、僕は嗚咽を漏らしながら。