第8話 上を見ると果てしない
「勝負よ、鈴木次郎! 私と勝負しなさ――」
「そい」
「ぶべばっ!?」
次郎の拳に躊躇いは無かった。
いきなり真剣で切りかかって来た黒髪ポニーテイルの美少女の腹部。そこをきっちり狙いすまして殴り抜いたのである。
思わず、隣に居た花子が「うわぁ」とドン引きするほどの容赦のなさだった。
「そういやさ、花子。昨日、近所のコンビニで見つけたんだけどな」
「待ってください、次郎。さっきの所業から、いきなり日常系の話を振られても、こっちのテンションが付いて行けません」
「そうか。んじゃ、昨日殺した邪神の眷属の話でもするか。あいつら、最近は趣向を凝らして、美少女に擬態して俺を暗殺しに来てなぁ」
「物騒な話をしろということではありません。また、私の正気を削る気ですか?」
じろりと、冷たい視線を次郎へ向ける花子。
いくら、コンビニスイーツ二千円分で関係が修復されたとは言え、教室で嘔吐させられた恨みはまだ消えていないのだ。
「んじゃ、何の話をすればいいんだ? それとも、黙ってればいいのか?」
「貴方の足元に転がっている謎の黒髪美少女剣士の話をして下さい」
「ああ、これ?」
「ナチュラルに女子の頭を踏まない!」
腹を抱えて路面に倒れている黒髪美少女。
その頭を容赦なく土足で踏む次郎は、まさしく悪鬼だ。主人公に殺されるために出てくるような、ゲスい悪役のようですらある。
「はぁ……だってなぁ、この……えっと、柊だっけか?」
「――柊、柊 鏡花よ! 鈴木次郎!」
しばらく蹲っていて回復したのか、黒髪美少女――鏡花は瞬時に、次郎の足元から移動した。低姿勢から立ち上げる過程で、数メートルほど瞬く間に移動できる立ち回り。それは、説明しなくても鏡花が非日常側の人間であることを示唆していた。
「そう、この柊って奴な、凄くしつこくで面倒なんだよ」
「ふん! そう言って、何時も私の挑戦から逃げているわね! 私と真剣に戦って、負けるのが怖いのでしょう?」
「…………おまけに、この通り、さっき負けたのもすぐに忘れる鳥頭でなぁ」
次郎はひどくうんざりとした顔だが、対照的に鏡花の表情は輝いてすらいる。先ほどまで、腹パンを受けて蹲っていた敗者とはとても思えない。
「つまりどういうことなんですか?」
「この柊という負け犬女は、俺に因縁を付けてくる非常に面倒なストーカーだ」
「失礼なことを言うな! 私はお爺様から『御影流』の次期当主となる条件そして、お前を倒せと言われただけだ! そうでなければ、お前みたいな顔の奴に付きまとうか!」
「付きまとっていることは自覚しているのですね」
ぎゃんぎゃんと叫ぶ鏡花を、唇を歪ませて対応する次郎。
基本的に敵対者以外には、次郎はそれ相応に肝要である。間違えて殺されかけても、事情を聞いて納得できれば報復はしない。例え、殺意を持って襲い掛かってきても、猫がじゃれつくような攻撃――あくまで次郎の体感である――なら、見逃すこともある。
鏡花は、真剣で斬りかかってくるけれど殺す気は無く。猫がじゃれつくような攻撃なので、見逃しているだけなのだが…………さすがに、その襲撃が三桁に届くほどになってくると、いい加減扱いがぞんざいになっても仕方ないだろう。
「いいか、柊。お前に対して何度も、何度も説明してやっているんだが、どうせ忘れているだろうから、もう一度言っておく。お前じゃ、俺には勝てない。これは努力云々の問題では無く、ただの格と質量の問題だ」
「戯言を!」
鏡花は刀の切っ先を次郎に向け、吠えるように言う。
「絶対無敵の存在など、この世界には存在しない! 修練を重ね、剣の道を究めれば、貴様の慢心を突くことも可能だ!」
「…………間違いじゃない。だが、正解じゃない」
その怒声を、次郎は鼻で笑って応えた。
「そういう台詞は、少なくともお前の爺さん程度の腕になってからほざけ。そうだな、俺に無様な負けを晒した、お前の――――」
「貴様ぁ!」
鏡花の怒りは瞬間湯沸かし器に似ている。
あっと今に理性を煮立たせ、蒸発させる。そして、無意識の域の間で染みついた剣術を持って、相手を切り裂かんと刃を振るう。
大熊程度なら、バターの如く切り裂く剣閃。
「未熟だな、お前は」
それを、次郎は無造作に受け止めた。
技術も魔法も、超能力も使っていない、ただ、鬱陶しい蠅を追い払うような動作だけで、刀を受け止めたのである。受け止めた掌の、薄皮一枚も切らせずに。
「安い挑発に引っかかるなよ。しかも、さっきのは俺とお前の爺さんの力量をきちんと把握して入れば、鼻で笑って流せるレベルだ」
「う、うぐぐぐ…………」
「明鏡止水の極みに至れなんて言わねぇよ。だがな?」
飴細工でも砕くかのように、次郎は受け止めた刀を握り砕く。
銀の破片が飛び散り、呆然と戦意を消失する鏡花。ここで、なお食い下がってくるほどであれば、まだ見込みはあったのだが、生憎落第だ。
次郎にとって、まともに相手にする価値すらない。
「剣士なら手前の感情ぐらい飲み込んで見せろ」
ぱぁん、という乾いた打撃音と共に鏡花の体が弾き飛ばされた。
今度は拳すら使っていない。ただの、額に向かって強烈なデコピンをかましただけ。それだけの児戯にもまだ、鏡花は耐えられなかったのだ。
「素振りからやり直して来い、未熟者」
目を回して倒れる鏡花へ、最低限の助言だけ残して次郎は花子と共に立ち去る。
もっとも、このやり取りも百四回目程度なので、いい加減学習して欲しいと本気で願っている次郎なのだった。
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「思うに、次郎はそういうことをするからモテないのでは?」
「なんだよ、いきなり」
鏡花が倒れている地点から大分歩いた場所で、花子が呆れたように言った。
「次郎はモテたいとかほざいているのに、その手の努力をしたことがありますか?」
「ぐっ…………だって、日常の平和を守るので忙しいし」
「それは甘えです。忙しい合間でも、時間を見て整形の一つや二つぐらいできるでしょう?」
「また整形か。その話に戻るのか」
整形でなくても、次郎のツテを使えば、容姿を自在に変えられる便利道具ぐらい充分に手に入れられるのだが……どうにも、次郎はそれを拒否していた。薄々、イケメンになってもモテないのを自覚していたかもしれない。人間、最後の言い訳ぐらいは心を騙すために保留しておきたい物なのだ。
「いえ、今回は置いておくとして」
「ほう?」
「なぜ、ああいう美少女との出会いを大切にしないのですか?」
花子はうんざりしながらも、真剣な口調で次郎へ助言を送る。
「あの手の美少女剣士に付きまとわれている時点で、もうチャンスはやってきているのです。しかも、圧倒的強さというアドバンテージを貴方は得ている! これを活かして、美味く師匠ポジションやら、ライバルポジションを手に入れれば――」
「あいつ、普通に彼氏いるぞ」
「本当にごめんなさい」
助言から謝罪への急激な言葉のかじ取りだった。
もっとも、本気の謝罪だからこそ、次郎の心を余計にささくれ立たせることを、花子はまだ理解していないのだけれど。
「ちなみにあの柊の彼氏は、細身の鬼畜眼鏡系の同級生らしくてな。あいつの爺さんが『いつか殺す』と宣言していたのを聞いていたのだよ」
「あの、もういいから本当に」
「気遣わなくていいし、別に。俺、ああいうの好みじゃねーし」
嘘だった。
割と黒髪ポニーテイルの美少女は次郎の好みである。ただし、外見のみに限り。内面は本当に心底鬱陶しいと思っているようだ。
「後な、花子。お前はなんか、俺を最強キャラみたいに勘違いしているが……意外と、上を見るとそうでもないんだぜ?」
「えっ?」
次郎の言葉に、きょとんと眼を丸くする花子。
それもそうだ。なにせ、次郎は顔はともかく、ハイスペックの超人である。加えて、世界を三回救う過程で凄まじい修羅場も体験してきたのだ。並大抵の相手であれば、それこそ、先ほどの鏡花のように児戯であしらえてしまえる。
「何で驚いているんだよ、まったく。いいか? 上には上が居る。それはごく当たり前の事なんだ。現に、俺が知る限りで『勝てない』と思う奴、十六人程度は居るからな」
「そ、そんなにですか!?」
「今まで行った異世界も含めるとな。一番強い奴なんかだと、赤子の如くあしらわれたし」
「じ、次郎が、赤子の如く…………」
とてもではないが、花子にはそんな光景を思い浮かべることすらできなかった。そこまで、花子の中では鈴木次郎という存在は、最強の者として確立されている。
無理も無い。
花子はあくまで一般人だ。その一般人の視点から見て、あらゆる理不尽を砕く次郎の在り方は、是非はどうであれ、『最強無敵』だったのだから。
「俺と同格の存在だったら、探せばうじゃうじゃいるしなぁ。あの柊の爺さんだってそうだぜ? 前に諸事象で立ち合ったが、やれ、一つを極めた人間は怖い。まさか、概念すら切り裂く一刀があったとは」
柊の前では挑発のためにああ言ったが、次郎はその老剣士との戦いは紙一重の勝利だったと記憶している。何か一つ、歯車が食い違っていれば、血だまりの中に沈んでいたのは自分だったという確信もある。
おまけに、次郎の全力攻撃を受けたというのに、一週間で傷が完治するのだから、一芸を極めた人間というのは恐ろしい。いや、その老剣士ならば、間違っても己の事を極めたなどと言わないだろう。
彼は、概念すら切り裂いてもなお、剣の先を求めているのだから。
「強さに果ても、完全も無敵も無い。だが、強いだけじゃどうにも出来ないことがある。それ故に、そこそこの強さで万能の俺が、世界を救う配役となっているわけだ」
「ええと?」
「割り易く言えば、腕っぷしが強くても、恐ろしい殺人ウイルスの感染拡大は防げない。それは別の分野のお仕事だってことさ」
それは進化と生存の問題に似ていた。
強い物が生き残るのではなく、賢い者が生き残るのが世の中だ。もっとも、賢過ぎても周りに潰されるので、小賢しい程度がちょうどよかったりするのだが。
「ともあれ、強かろうが弱かろうが、俺が死ぬまでは平穏を守っていてやるよ。精々、ショタな年上彼氏といちゃいちゃしてな」
「む…………」
次郎の言葉はどこか投げやりだった。
何かを諦めて、否、受け入れているような虚無感を孕んだ言葉に、花子は不吉さを感じて眉を顰める。
「どうした、花子?」
「…………なんでもありません」
ただ、その不吉さを表現できる言葉を花子は持ちあせていない。
さらに言うならば、幼馴染と言えど、かつては告白された男子だったのだ。今は女として見ていないことは理解しているが、下手に心配して気を引くのもどうかと思ったのだ。
その判断が、いずれ来たる災厄の欠片になることも知らずに。